カール・マルクス11 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
トランプだとかネトウヨだとか、また典型的なやつがでてきたな。見てるこっちが恥ずかしくなる 世の中には自ら奴隷になりたい人種がいるものだ
それの集団がトップを作り出す 20世紀の強権的な国家主義の責任がマルクスにあるとしたら
資本論ではリカードと違い税制を論じなかったために国家への耐性が
その後のマルクス主義に生まれなかったということだろう
マルクス自身は世界政府を志向したし
国家に頼らない協同組合を推奨したことは資本論に書いてある
それらを読まないで批判するから不毛だ
状況的にはプルードンとマルクスの往復書簡の頃から進歩がない >>338
それは、万人の闘争状態が常にあるからだよ
マルクスは社会契約説を学んだことがなかったんだろうか
どんな思想を共有するにせよ自治勢力は必ず生ずる
幾何級数的に人口が増えていくなかで、集団でいながら国でも何でもないものが
存在し得る訳がない 当時の先進資本主義社会であるイギリスにおいてすら
男子参政権が実現したのは1918年で20世紀に入ってからだ。
マルクスはそれを知らずに亡くなった。
大衆参政権としての民主主義は資本主義が普遍的に要請する
制度と考えるのは当時の事実からして無理だった。
しかし普通選挙を求める機運は高まってきていたので
ジャーナリストであったマルクスはそれを感じていたはずだ。
それがすんなりといかず、暴力的な揉め事になるということも
彼は当時の現実から知っていた。
資本主義体制は大衆民主主義をすんなりと受け入れなかったのだ。
もちろん他の諸国は資本主義的発展段階においても遅れていた。
イギリスの民主主義が遅れたことを思うと、資本主義と民主主義は
正の相関関係を持つとは限らないようだ。
資本主義が遅れた地域で民主主義が先に実現するということも起こりうる。
資本主義が進んだ地域で民主主義がなかなか進まないということもある。 >>338
資本主義の発展期のころは労働者の暴動やストライキはふつうに見られた。
経済格差も大きかった時代だ。 人間自体に価値が内蔵されてないから万人の闘争状態になると思うんだよね
でもこれは一番最悪の状態の話で
100年後には進化してることを願う
デフォルトで慈しみを持っている生物へと進化してることを >>344
マルクスに心酔するのは勝手だがマルクスを信奉した人々による国がどういう結果を辿ったか
歴史的事実を良く考えてからものを言ったほうが良いよ、無責任に讃えるだけならソ連時代と何も変わってない
確かに資本主義もメチャクチャだが、まだ政治に与して改善していく自由はある
失敗から学んでより良い制度を模索していかなきゃいけないだろう マルクスは資本主義を分析しただけで処方箋を詳しく書いたわけではない
プルードンへのライバル意識がマルクスに市民銀行への視点を欠落させたからだ
処方箋はあくまでプルードンと(ケインズが言うように)ゲゼルの系譜にある
マルクスのした資本主義の分析が無効というわけではないが
マルクスの欠点として減価マネーの可能性に気づかなかったことが挙げられる
とはいえ、ゲゼル式減価マネーもマルクスの価値形態論の延長で思考、実現可能だ
(価値形態論を逆回転させて読めば良いのだ) 資本論は社会革命の書であって政治革命の書ではない
読まないで革命を起こした連中と
読まないで批判している連中はワンセット 読まないで革命起こすやつなんかいる訳ないでしょ、青木雄二だって資本論くらい余裕で読んでた
歴史的な革命家をお前程度の頭と同じにしちゃいけない マルキストは、失敗したら全て「やったやつが間違ってたから」とマルクス無罪論を唱えて
何の反省も見せないまま同じことをオウムみたいに言い続けるから心底吐き気がするわ
飛行機乗っ取ったり犯罪をやるのも必ずマルクスオタ、世間から反社会勢力と呆れられて
見放された過去を忘れたのか しかしまあビルゲイツが何を楽しみに生きてるんだろう
セックスとかもあんましなそうだしな >>337
それでも、アメリカが起こした世界での悲劇よりは、ずっとマシ、だろう。
アメリカは現代でも、世界各地で戦乱を起こしている。 まあ景気って今人間がどういう状態にあるか
の指針になると思うんだよね
数字が一番基準になるから
これが共産主義だとわからない
今は自分達は幸せなのか不幸なのか好景気なのか不景気なのか
これはつらい >>341
現代の国家主義というのは、利益を最大限にしようとする資本によって画策される。
トランプ政権然り、安倍政権然り、ということ。 >>347
アメリカを無責任に讃えることで、世界中の戦乱が拡大している。
ソ連の時代の方が、互いに牽制し合っていたから、むしろ世界は平和で豊かな時代であったともいえる。 >>334
けっきょくは富と武力の独占だよ。
身分制社会を長い間支えたのもそれだった。 >>348
ケインズはあくまでも資本主義システムが普遍とした上で処方箋を考えていたのに対して、
マルクスはそうじゃなかったという点が違う。
ゲゼルをケインズが評価したのもケインズのその学問的フィルターが前提にあっただろう。
ただし、減価マネーは資本主義的市場経済の中で需要されるだろうか?
私的所有が支配的な社会で、持っていると損するような貨幣を自らすすんで需要する人は
少ない気がする。
減価マネーをやるとしたら、なんらかの中央集権的な強力な信用システムが市場に対して
支配的な権威をもっていないと無理っぽい。 減価マネーをやるとしたらせいぜいベーシックインカムのような形以外には
成り立ちにくそうだ。
労働の報酬として減価していくマネーを受け取りたい労働者はいないだろう。
彼らはそれによって永遠の労働地獄にしばりつけられてしまう。 ベーシックインカムになったら学校教育はどうなるのだろうか
お金の使い道の道徳とかなのだろうか
国語 算数 理科 社会とかではなくて
娯楽 趣味 ネット 旅行
とかになるのだろうか ベーシックインカムになったら
発狂さんのような人が大量に生まれそうだな
彼は時代を先取りしてるのかな 減価電子マネーと組み合わせればベーシックインカムは
恒常的な増税なしに実現できるという説もあるようだ。
マルクスは未来の予言や社会設計案について禁欲的ですら
あった人なので、おおざっぱな展望的な言葉しか残していない。
彼が社会設計主義者だとは考えられない理由だ。 ピケティさんも、二一世紀の資本論で、私的所有の失くなった社会が
どういうものになるのか、経済学的に見積もることは非常に難しい
というようなことをお書きになっている。
一人で図書館に通って貧乏研究生活をおくっていた在野の研究者である
マルクスにそれを望むのは尚更のことだったにちがいない。 国家は税金という名前で国民を搾取するための機械である。 >>360
> ゲゼルをケインズが評価したのもケインズのその学問的フィルターが前提にあっただろう。
【訂正】
ゲゼルをケインズが評価したのもケインズのそうしたイデオロギー的フィルターが
前提にあったためだろう。 ゲゼルは自身の立場を暫定的国家主義と定義している
(子供を産んだ全ての母親に土地を給与する政策など国家にしか出来ない)
ケインズのような終生国を背負ったエリートとは立場が違うが…
岩村充は『新しい物価理論』でゲゼルとFTPL(=物価水準の財政理論)の考え方とを繋げている
ケインズの脱金本位制の考え方と似ているかもしれない
ちなみにケインズの世界通貨案(バンコール)はゲゼルのそれ(IVA)とそっくりだ
暫定的国家主義とは地域主義とともに世界全体を見ているということだろう
暫定的国家主義なる言葉は本来は20世紀のマルクス主義者たちに当てはまる 自称自由主義国家も対外的には帝国主義(=資本の輸出)の立場を取る
ソ連や中国と変わらない
日本のような小国は今後共和国になるべきだろう
(天皇は京都が引き取るしかない)
中央集権官僚国家では知恵が働かない
現代では目標が複数あるからだ
その点過去のマルクスとアナーキスト達との論争が参考になる
柄谷行人のように双方から学ぶべきだろう ゲゼルの暫定的国家主義が何を意味するのか知りませんが、
このスレッドだけに、プロレタリアート独裁を想起してしまった。 マルクスは資本主義的労働を終わらせようと展望したが、
ゲゼルもケインズも資本主義的労働の永続化を展望していたように見える。
その処方箋が一種のマネタリズムだったんでしょう。 ケインズのバンコールは特定の通貨、特定の国家のヘゲモニーを許さない
そこまで考えた経済学者はゲゼルとケインズくらいしかいない
ゲゼルの場合はそれと地域主義が併存する
ルソーの直接民主制に経済的根拠を与えるものだ
全ての国家主義を批判する藁人形論法では自分自身が国家主義になるだけだ
アメリカ万歳と言ったような とりあえず市場経済と資本主義経済とを概念的に区別する必要がある
そのためには資本論第2巻の再生産表式を検証しなければならない
でないとハイエクみたいに展望がない自由主義になる
(ハイエクも実は似たようなことをやろうとしていたが
ノイマンの方が明確にやっている) カラタニは読み書きがエディットできてない。それはさておき、
ハイエクの方が現実的で夢を取り戻せる経済学だと思うよ。
完璧な瞬間がない アニー サルトル 嘔吐
失われた時代を求めて プルースト ハイエクって自由はすばらしいと私は思うと大きな声で連呼しただけで自由主義経済の弊害を指摘する声に対して何一つまともに返答できていないのに名声を得たのは時代のおかげ ハイエクやフリードマン的な自由市場で、オルタナティブ・マネーをやる場合、
それが合理的経済人にとって「需要」されるものでないと成功しないでしょ。
NAM原理の失敗も内部分裂というより消費者や労働者の需要がなかったってことじゃ? 自由があってもけん引するものがいて遅れるものがあるということでしょ。
上部 上層 とか、足元が危ういけどハイエクはしっかりしている。 参考:
ケインズは一次産品の価格安定のために緩衝在庫案を出した。
柳田國男が着目した三倉(義倉・社倉常・平倉)の国際版ようなものだ(参考:柄谷行人『遊動論』他)。
バンコールはこれでわかりやすい実体を持つようになる。
(『危機の中でケインズから学ぶ』平井論考より)
協同組合というと小さすぎて軽視されるかもしれないが、国際社会でも結局同じ原理が応用できる。
ケインズ「コモド・コントロール」――国際緩衝在庫案(一九四二年) 平井俊顕ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49302436.html
競争システムは、大きな需要と小さな需要の時期を平均化させることができる緩衝在庫の
存在を、それが負の収益を引き起こすがゆえに――自然が真空を嫌うのと同じように強く―
―反射的に嫌う(「原材料の国際統制」一九四二年四月。JMK. 27, p. 131)。 >>378
反論されたらお前は曲解しているあるいはお前は俺の主張を理解できていないと相手を落としたうえでひたすら自分の主張を述べ立てる昨今の流行りの原型かもしれない 経済系の人はいきなり資本論とか読んだりするけど、その前にやっぱり哲学の話を押さえておいたほうがいいよ。
唯物論と弁証法の話とか。
でないと、「マルクスの言ってることに妥当性はあるのか? 一人よがりの話してるだけだろ」とかなっちゃう。
で、「ハイエクがー、柄谷がー」と、だらだらぐずぐずの世界へ >>382
言論人の論敵に対する対応の基本だろそれ。昔からだよ。 >>384
それやってたら一生資本論にたどり着かないと思うw >>384
資本論は、純粋な経済学書だよ。
思考力さえあれば、理解はしやすい。
そして、資本主義経済の原理を知ることができる本は、資本論以外にないともいえる。 聞け万国の労働者(労働歌)
森野典尽
2 年前
私は元幹部自衛官ですが、軍歌の教育で原曲「歩兵の本領」を教えるついでにこちらの歌詞も唄わせていました。
私自身は高校時代に共産党宣言や資本論を読破した革命少年でしたから共産主義の名の下に労働者から搾取
した資金で軍事大国と化したソ連と対決して誅殺するのが楽しみだったのですが、自滅してしまって残念です。 >>388
こういうおバカな発想が、右翼のあたまの中身なんだろうなw ベリクソンという哲学者は不確実性の提唱者?
ケインズに影響を与えたと言われているようだけど。 >>389
こういうステレオタイプの発言が息をするようにでてくる典型的なパターン脳もまた知能程度が低さを表している >>391
>共産主義の名の下に労働者から搾取
こういうのが、資本主義者お得意の「ステレオタイプの発言」というのだよ。
自ら自分が資本主義者の「典型的なパターン脳」だということを認めているようなものだ。
資本主義者というのは、すべての事象を金に換算する、という価値観の信奉者のことなんだが、そんな人間に生きる価値があるのかね? 歴史的事実をステレオタイプなどとは言わないんだよ
そんな捻じ曲がった根性では互いが信頼によって分かち合う理想社会なんてとても無理だな >>393
結局は搾取という言葉の定義の問題なんだよねw
なにをもって搾取というかということ。
共産主義のどの制度が労働者からの搾取だと思うの?
資本主義の場合は、明確に、資本家が労働者から搾取しているという経済の構造をマルクスが解明してるんだけど。 一度も実現したことのない夢の制度について指摘するのではなくて
共産主義を目指した人々がどのようにやったか、史実について述べているのだが >>394
あくまで経営や管理運営といった頭脳労働は「そんな物存在しない」って立場なんだね… マルクスを読んでいないで計画経済を志向した連中と
マルクスを読んでいないでマルクスを批判している連中は似ている とにかく、そこで働いている人みんなが何らかの形で経営の意思決定に参加していない
システムを共産主義と呼ぶのはやめようよ。
民主主義の名の下に専制が行われたから民主主義が間違った制度だって理屈と一緒だよ。 ナチスはある面では極めてネオリベっぽい・リバタリアンっぽいところがあった。
優生思想をとりこんだところね。 >>396
その程度の頭で頭脳労働とかw
マルクスの搾取概念は、個別の経営とか管理とかいうこととは関係がない。
あくまでも、資本の増殖の根源が労働(時間)にあるということを証明した。
資本は、搾取があるから、増殖することができる。 >>396
基本的に、資本と経営は別だよ。
資本家が経営者を兼ねているかいないかとは無関係。 所有と経営の分離とか分かってない人いるよね
社会経験が無いんだと思う >>400
リバタリアンにとっての至上原理はご存知のとおり私的財産権です。
優生学は遺伝子を私的財産権として至上原理とする立場ですから、
有利な遺伝子を相続しなかった人は、裕福な家庭に生まれなかった人同様、
自己責任とされて淘汰されても仕方がない人びとと見なされる点でよく似ています。 ソ連はいわゆる「開発独裁」の一種だったんだと思います。
レーニンもトロツキーもスターリンも、史的唯物論でいうところの
共産社会以前の発展段階にソ連があったことを認識していたはずです。
マルクス学派の史的唯物史観では、共産主義というのは資本主義という
発展段階の次に来るものです。資本主義を飛び越えて共産主義を実現する
というのは唯物論に反しています。ユートピア社会主義以外にありえません。
しかし共産主義を名乗る革命はプロレタリアートもブルジョワジーも
社会の支配的階級になっておらず、封建的な社会からやっと脱しつつある
農業国で起こりました。しかしマルクスの歴史理論からしたら、それは
共産主義を名乗る資格がないのです。
だからレーニンもロシア革命をブルジョア革命だと言ってみたり、
いやブルジョア革命でも社会主義革命でもないと言ってみたりしていたのです。
レーニンにとって社会主義とは共産主義の前の段階のことです。
ソ連に社会主義秩序を導入するのは極めて難しいことだという主旨のことを
レーニンは言っていたと思います。
そこで持ち出されてきたのがトロツキーの永続革命論であり、
スタリーンの一国開発独裁主義なのです。
ソ連はまだまだ共産主義を導入できる経済段階の社会ではない。
だからその段階までソ連経済をなんとしてでも発展させないといけない、
という開発至上主義が出てきて、それを国家プロジェクトとしたわけです。 要するにレーニンもスターリンもトロツキーもソ連が共産主義社会だなんて
これっぽっちも考えていなかったはずです。
そう考えたとしたらそれはマルクス主義に反するからです。
彼らもそれを分かっていたのです。
ソ連は共産主義社会になれる経済発展の段階にない社会だったというのが
マルクス主義の本来の理論です。
スターリンはその矛盾をなんとか取り繕い穴埋めするために、
どんな犠牲を払ってでもソ連を西側と肩を並べる経済段階にするために、
投資のための投資を至上命令とした開発独裁経済体制を築き上げたのです。 経済成長を至上命令としてすべての国民をそのために動機づける
というのを国家プロジェクトとしてやったのがソ連型システムでした。
ソ連は、ソ連がまだ実現途上にあった資本主義化を国家プロジェクトとして
やったということが言えます。資本主義的搾取を国家ぐるみで再現したのです。
開発独裁というのは、イギリスが200年以上かけてやってきたことをほんの50年か
100年足らずで実現させるために、国家が資本主義化を主導するという体制です。
自由主義圏と言われた国々も市場経済の力を借りて経済発展至上主義を
多かれ少なかれやってきた面がありました。
その場合、国家の力だけでなく「市場の専制」も利用しました。
つまり、市場の専制とは「囚人のジレンマ」のような市場ゲームに個人を囲い込む
ことを意味しています。直接に国家が個人に強制力を発揮するのではなく、
個人を市場原理に囲い込むことで、個人同士が競争を通して互いに拘束し合うシステムです。 リバタリアニズムの基本は支配からの自由、つまり支配の否定だ。
他人を支配しない、他人から支配されないということ。
優生学は「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」であり、特定の価値(この場合遺伝的な優劣)を根拠に特定の個体群を排除するべきという信念だ。
これは他人への支配でありリバタリアニズムではない。 リバタリアンが他人を支配しないというのは間違い。
リバタリアンの自由の行使は間違いなくコミュニストの自由を排除/抑圧し、
リバタリアンが求める価値観の秩序によって他の人びとを支配する。
彼らが根本原則とする私的所有権を侵害するとして彼らの信念は無数の人びとを
刑務所という名の強制収容所に閉じ込めてきた。 平等主義者は、少なくとも人びとがその出生によって運命的に相続するものを
社会的にできるだけ是正することに多くの配慮をしてきた。
つまり、それによって得られる私的財産は個人の責任・宿命として還元されてはならず、
その差異を越えた、またはその差異を是正することが社会的に顧慮されなくてはならない、
という考えをもってきた。
例えば、ロールズらは「無知のヴェール」という概念によって人びとが平等にそれらの
運・不運を相続する可能性のある世界から、社会正義が定義されなくてはならないと説いた。
しかしリバタリアンとナチスは全く違う。
個人がその出生において相続する私有財産(遺伝子も含め)はその人やその家系から得た
完全な権利であり、相続した財産(遺伝を含め)が現実社会で不利を被ることはその人の
自己責任に基本的に属しているものだとして、それによって働く社会的淘汰を擁護してきた。 >>361
減価マネーは地域で循環し、地域を自律させる
ベーシックインカムは国家が破綻すればそれで終わり(複利は全ての国家を破綻させるから)
減価マネーでしか税金を払えないということがポイントになる
この考え方はアダム・スミスに既にあった
参考:
新フィッシャー主義とFTPL - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20170109/EconReporter_Cochrane_interview
ということで、基本的な考えはアダム・スミスにあったのです。
すべての貨幣経済学における謎は、「この紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命
に働くのか?」というものです。考えてみれば、それは本当に謎です。あなたも私も一日中額
に汗して働き、家に何を持ち帰るのでしょうか? 死んだ大統領の絵が印刷された幾枚かの
紙切れです。この小さな紙切れのためになぜ我々はこれほど一生懸命に働くのでしょうか?
誰かがそれを受け取ると知っているからです。しかしなぜその誰かはそれを受け取るので
しょうか? これが経済学の謎です。
FTPLはこの謎に根本的な回答を与えます。その理由というのは、米国では毎年4月15日に
税金を払わなければならないからです。そして納税は、まさにその政府貨幣によって行わね
ばなりません。
《ある君主が、かれの税の一定部分は一定の種類の紙幣で支はらわれなければならないと
いう、法令をだすとすれば、かれはそうすることによって、この紙幣に一定の価値をあたえうる
であろう。》
アダム・スミス『国富論』2:2最終部 ナチスは賠償金支払いのための不景気に起因し
リバタリアンはアメリカ帝国主義の覇権確立の好景気に起因する
柄谷行人が言うように一般的にこれらは交互に循環する
この循環という考えがマルクスに足りない
周期的恐慌への視角がかえって政治を含めた国家全体の景気循環を見えにくくしている リアルビジネスサイクルも
その前提となる貨幣中立説も
あらゆる学説が成長理論に飲み込まれてしまった
そろそろ成長を前提としない経済学が必要で
岩村充が『新しい物価理論』以降言及しているゲゼル型(減価)貨幣が
現実的に検討されるべき時期に来ている
私見では減価貨幣が唯一税金のない世界を可能にする
(減価分の手数料が税金の代わりになる) 重要な点は、
《交換手段としての貨幣から価値保蔵手段を切り離す》ことと(『新しい物価理論』195頁)、
《ゲゼル型貨幣を採用することで得られる効果が,その採用に伴って発生するであろうコスト
を十分に上回るといえるかどうか》(198頁)
ということだ
バンコールのような平等な国際通貨も別途に必要になる
複利に関しては資本論にも重要な言及があった
《ドクター・プライスの思いつき…
「複利を生む貨幣ははじめはゆっくりふえてゆく。しかし、ふえる率はだんだん速くなって
ゆくので、ある期間がたてば、想像もでぎない速さになる。われわれの救世主が生まれた年に
五%の複利で貨し出された1ペニーは、今ではもう、すべて純金から成っている一億五千万個
の地球に含まれているよりももっと大きな額に増大しているであろう。しかし、単利で貸し出
されたとすれば、同じ期間にたった七シリング4と1/2ペンスにしかふえていないであろう。
今日までわが国の政府はその財政を第一の道よりも第二の道によって改善しようとしてきたの
である。」>(『資本論』第三巻 第五篇利子生み資本 第24章「資本関係の外面化」より、
大月書店国民文庫7巻141頁)
…
s = c ( 1 + z )^2
このsは資本・プラス・複利の合計、cは前貨資本、zは利子率(一〇〇の可除部分で表わし
たもの)、nはこの過程が続く年数である。》(同143頁) 減価マネーは、ミクロ経済的な市場ゲームにおいては個人にとって不経済、
つまり効用の低下をもたらすものと見なされるので需要されないでしょう。
それを地域単位でやったらそれこそ人びとはその地域から引っ越していき、
過疎化に悩まされるようになると思いますw いくら連投規制がないといっても、よほど鬱屈してる人なんだね・・・ >>405
レーニンは、ロシアに社会主義は無理(資本主義が十分に発達していないため)だと考えていたそうですが、
その点についてレーニンが述べてる著作ってどんなのがあるんでしょうか?
文庫本とかじゃ無理なのかな。全集や選集のレベルじゃないと コミュニストの自由は他人を支配する自由なので排除は自明。
リバタリアニズムの秩序は作るものではなくできるものだ。
刑務所は政府の機能でありリバタリアニズムは政府を否定する。 >>418
私的所有の法的(国家的)保護がない限り、リバタリアニズムは成立しないが?
それとも完全な無法状態の野生尊重主義なのか? >>423
いまは、そうみえるよね。
でも、金儲けより理念や生活を大切にする思考や行動は、これからの世界の主流になっていくだろうね。
資本主義先進社会に対するイスラムの反乱や、ロシア、中国などの変形資本主義の台頭がそれを象徴している。
資本主義には、原理的な欠陥があるからね。 >>425
僕は他人に頼ってないけど、君にそう見えるんなら、君が君の理念に従って動けばいいだけのことだよ。
余計なお世話を焼きたがるのは、君に邪な思いでもあるんじゃないか?w >>427
煽りじゃなくて聞きたいんだが、主体(チュチェ)思想ってどういうもの? 主体思想:
アメリカの支配からもロシアや中国の支配からも
独立して国家主権を保つこと? チュチェ思想の質問した人ではないど、マルクススレにいながら北朝鮮を馬鹿にする時点で終わってるだろ
クズが >>431
釣り?w
マルクススレだからこそ、北朝鮮を馬鹿にするんじゃないかい? ご存知のように、1960年代から今日までもっとも経済成長したのは
東アジア地域です。日本、韓国、台湾、シンガポール、そして
1980年代以降は中国、タイ、インドネシア、ベトナム・・・
これらの国々では中間層が経済的成長を遂げました。
それを可能にしたもっとも基本的な唯物論的土台は平和でした。
https://youtu.be/BIb5QYpLvqc 農民反乱が最も激しく戦われたのは、フランケン地方の北のテューリンゲン地方であった。
その中心都市がミュールハウゼン(ドイツ語版、英語版)で、この都市を拠点に農民反乱を
指導したのが聖職者のトーマス・ミュンツァーであった。ミュンツァーはルターの宗教改革運動
に関わったが、次第にルターの考え方−現存する権力と秩序を認める−に批判的になり、
「地上における神の国」の実現を求めるようになった。
ミュンツァーは宗教改革の最左翼、ルターの穏健派に対し過激派を代表した神学者である。
聖書研究にとどまらず、聖書の言葉を階級闘争に翻訳し、農民大衆を理想社会建設へ導こうとした。 世界史の構造2:4:7
宗教改革というと、しばしばルターのそれから説き起こされる。しかし、宗教改革は一二世紀
から各地で起こっていた。そして、それは必ず社会運動と結びついていたのである。ルターの
宗教改革はそうではなかった。彼は、そのことがきっかけで起こった農民戦争を断固として
弾圧する側に回ったからである。ルターの宗教改革が教会側によって重視されるのは、むしろ
そのためであり、キリスト教信仰を個人の内面に閉じこめ、「神の国」を天上化するものとして、
である。一方、ルターによって支援された封建諸侯が弾圧したドイツの農民運動を率いたの
は、トーマス・ミュンツァーであった。エンゲルスはつぎのように述べている。
ミュンツァーの宗教哲学が無神論につうじるところがあったように、彼の政治綱領は共産
主義につうじていた。そして、近代の共産主義的宗派で、二月革命の前夜になってもまだその
駆使する理論的武器庫の内容が一六世紀の「ミュンツァー派」のそれを越えなかったものは一
つにとどまらなかったのである。この綱領当時の都市平民の諸要求の総括というよりも、むしろ
この都市平民のあいだにやっと発展しはじめたプロレタリア的分子の解放条件の天才的な
予見であったこの綱領は、教会をその本来の姿にひきもどし、このいわゆる原始キリスト教的
な、しかし、じつはきわめて斬新な教会に矛盾するいっさいの制度を除くことによって、神の
国、すなわち予言された千年王国をただちに地上にうちたてることを要求した。しかし、ミュン
ツァーは、この神の国ということを、ほかでもなく、いかなる階級差別も、私的所有も、社会の
構成員にたいして自立的な、外的な国家権力も、もはや存在しない社会状態と解していたので
ある(15)
エンゲルス『ドイツ農民戦争』伊藤新一訳、国民文庫、六二頁。 暴力崇拝の人格カルトに対する解毒剤として作用しなければ、いかなる言説も
哲学とは呼べない。そのように作用するものだけが真の対話である。 資本論で独占や寡占について書かれているのは三巻?
俺は資本論をもとにした小説を書いてるけど、下手な小説
より資本論のほうが面白くて困るな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています