カール・マルクス11 [無断転載禁止]©2ch.net
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最も容易にできる個人間での現金の受け渡しが何も起こさなかったのにネットで電子マネーの受け渡しが容易にできれば何かが起きるというその発想はヤバいと思う シェアリングエコノミーの普及は、
大企業に依存する賃金労働を大きく変える。
資本主義は、普及200年にして、新たな段階を迎える。 ネットの大多数コミュニケーションという新たな技術はシェアリングエコノミーのためにあったといっても、
いまのネットはまだ旧来の資本主義を補完しているに過ぎない。 いまのB to B、B to Cに偏ったビジネスは変わる。 大企業に労働力を売るモデルから
より多様な働き方へ
働き方改革 なんかシェアリングエコノミーというのは好きになれないな。
中古品というのが好きになれないから、利用したことほとんどないな。
情報や知の共有、オフィスの共用くらいならいいけど、
モノを他者と共有するというのが、あまり好きになれない。 yahooオークションとか、みんなよくやるよね。誰が使ったか分らない商品をよく
使うよね。中古iPhoneとか、誰が使ったかも分らないものを平気で触れるのかな、と。
衣服しかり、本然り。本を中古で買ったり、売るという行為もあまりよくわからないな。
文化資本には、それなりに投資しろよ、という感じ。パソコンなんかも絶対売らないな。
むしろ、変なところに売るより、自分の知人にあげた方がいいくらい。 最近は、個人投資や、
直接労働を売るシステムが広がってるよね。
自分の得意を時間単位売る。
個人に投資する「VALU」サービス、仕組みとリスク・危険性・問題点
http://cslbook.com/business/5312/
あなたの30分が商品になる!?空き時間を売るタイムチケットとは?
https://hintos.jp/articles/timeticket_20170120/ #hintos シェアリングエコノミーだと、連想するのは諸国を流浪するバックパッカーの
イメージが湧く。だから、悪くそれを表現すると乞食みたいだな、とも思える。
むしろ、無理してモノを共有するのでなく、電通的な広告による幻像としての
幸福像に向かった消費社会をやめるべきだね。自分も含めてだけど、みんな
無意味なものに消費しすぎる。だから、大企業がのさばる。
消費しない社会こそ、エコの究極。 経済の半分はシェアリングエコノミーになるだろう。
マクロ経済的に経済成長が心配になるが、
現代においても、貨幣経済と同じ規模の非貨幣経済があるといえ、
むしろシェアリングエコノミーは家事など自給自足など非貨幣経済を貨幣経済に引き込む。
規模は大きくなるかもしれない。 脱‐消費運動というのに一定の支持が集まれば、それは資本主義へのアンチテーゼと
なるので、それなりに意味と意義のある行為にある。なんでもすぐにお金で安易に
解決して済ませる社会が本当に豊かな社会と言えるのか、よく考えてみるべきだろう。哲学徒であれば、資本主義マンセーにはならないと思うよ。脱‐消費社会の方が、むしろ利口な哲学徒の振る舞いにふさわしい。 消費に依存しないということは、お金に依存しない人間になるということだからね。
今の世の中、お金に依存した人間ばかりなので、そういうお金に依存しない実存を
早めに形成すれば、生きる上での、アドバンテージが生じるかもしれないよ。 この二百年の資本主義が異常だったとも言える。
大企業と労働力を売る労働者
格差を回避するのは難しい。
シェアリングエコノミーは労働形態を大きく変える シェアリングエコノミーって言っても生産されたものが適宜シェアされるだけで生産手段がシェアされるわけではない
生産手段がシェアされたところで一人で利用するには限界がある
当然組織化された集団つまり企業が形成される
企業は次第に集約化されていく
今とほぼ同じになる ニューエコノミー論の変種がたくさん生まれているね。
その中には興味深いものが全くないわけじゃないけどね。 その直接労働を売るっていうのも間借りしてる個人商店と同じなんだって シェアリングエコノミーなんて何も新しくないぞ
要は賃貸住宅や小作で自分が使わないあるいは自分で使いきれないものを人に貸して賃料(小作料)をとるっていう昔からある手法だぞ 因みに初めから人に貸し出すこと前提でものを所有する人をリース業者という メルカリを従来の中国売買と考えるとわからないんだろう。
家に余っているものをシェアしあうという基本的な感覚がある。
ほしい人がいれば安く譲りますよ。
それが女性たちに受けている。 そこにコミュニケーションの楽しさがある。
たとえば売れることがいいね!がつく的な
慈悲のエコノミー ■マルサスの罠
農業社会から、資本主義へ社会へのシフトは、人類史においても画期的な出来事だろう。
マルクスもそれは否定しなかった。
なんといってもマルサスの罠を抜けたのは画期的だ。
農業社会では、社会全体の生産性を上げるためには、新たな土地を開拓し、耕地面積を広げなければならなかった。
しかしそれは簡単には進まない。
対して、人口は性交によりより簡単には増える。
特に避妊ない時代だ。
だからいつも人あまりの時代だった。
中絶はないので、生まれてすぐに間引きする。
あるいは育っても土地を次ぐ長男以外は売られる。
でなくても、家を出て自らの生きる糧を得なければならない。
その一番が兵隊になること。
すぐに食料にありつける。うまくすれば出世できる。
帰る場所もないので闘いで死んでいくことがほとんどだ。
各国は土地の略奪をかけて、無駄に余った人口を使って絶えず戦争する。
勝てなくても無駄な人が死ぬので意味がある。
このように農業社会ではマルサスの罠から、人はいつも過剰で価値は低かった。
人権なんてなきに等しい。
資本主義社会は、このマルサスの罠を突破した。 経済が農業から、工業、商業へシフトすること、すなわち社会が分業体制になることで、
社会の生産性は土地から解放される。
人は労働力として、いるだけ価値を生む。
人口と国民総生産の関係は比例するようになる。
国は人口を、国民として明確な境界を設けて、他国への流出を防ぎ、抱え込むようになる。
そして国の生産性をあげるために、義務教育を実施する。
国民の知的レベルを相対的に上げて、国民総生産を上げる、すなわち経済成長率を目標に国家運営を進める。
また国家単位で、人の生存を管理するよう、様々な衛生管理政策が進められて、
人の価値が上がるとともに、人権概念が生まれて、民主主義、そして法治国家へとシフトし、各人が自由に競争して、さらに経済の成長を目指す。
人類史において、マルサスの罠でほとんど増えなかった人口は狂ったように増えていく。
そしてそれでも、それだから経済は成長して。、社会はどんどん豊かになる。 農業社会が階級制だったのは必然ともいえる。
そもそも社会は人口全体を養うだけの富はない。
人権という概念は成立しない。
当然、社会の中で生存の競争が起こる。
そして上流は自らの生存を保障するために、同じ人間ではない、すなわち違う生物だという構造を作る。
下流は教育もなく、自らを下等な動物であることをただ受け入れて、日々農作業に従事する。
それが原始社会から農業社会移った何万年か、続いてきた。
資本主義へシフトするまで
しかし資本主義へシフトするはじめは、多くの問題、格差を生み出した。
農業社会の人に価値がない文化の中で、資本主義のシフトでは、人は奴隷として働かされた。
そして資本家は農業社会での搾取以上の膨大な富を独占した。
戦争も農業社会での延長で常態化したが、兵器の強力化により、今まで以上の戦死者が生まれた。
それが改善され出すのは、二度の世界大戦の教訓を得てからだ。
現代でも軍事費は増え続けているが、
基本的に先進国同士は戦争をしない。
高度に発達した豊かな社会、また各国同士が国を超えて密接につながる経済では、
戦争はあまりに非生産的な行為である。
農業社会の戦争のように、他国の土地を奪うことが自国の豊かさに繋がることはもはやない。
やるならば経済戦争だ。 ■社会主義
社会主義思想は、資本主義化が進む早い段階からあった。
フランス革命ではまだ自由と平等は切り離されていなかった。
貴族制から解放されて、より自由な経済活動をしない程度のものだった。
左翼的にはプルジョア革命である。
ブルジョア革命により資本家主義が進む中で、農業社会の文化から、労働者は下等な生物のように扱われることが問題になり、
自由と分かれて、平等が重視される思想、社会主義か生まれる。
資本家が独占する精算手段を労働者の管理下において、共同運営し、生まれた富を平等に分ける。
このコンセプトはマルクス以前からあった。 多かれ少なかれ、このような社会主義は取り入れられていく。
特に国家運営としての社会主義化が進む。
特に第一次世界大戦後の世界恐慌のあと、自由主義の危険を知り、
国家が経済に介入する。
国家が銀行を積極的に管理して、銀行を中心に産業を調整することも、当然、社会保障制度の充実など。
国家社会主義党のヒトラーは、ハイウェイの建設など国家事業を推進して、
第一次世界大戦で崩壊したドイツ経済を立て直した。
またアメリカでは、ルーズベルトがニューディール政策として、国家主導の産業推進を進めて、経済を回復させた。
日本もまた満州に始まる国家主導経済を本国でも導入して、国家総動員体制を推進する。
現代の日本の経済システムはこの時に多くが生まれた。
政府主導の産業政策、下請け制度、株主より労働者重視の会社運営、年功序列、終身雇用など。
これらの国家社会主義化が、産業としての軍事の強化ににも繋がり、第二次世界大戦に繋がったのは皮肉だ。
第二次世界大戦は、遅れて産業化して国、ドイツ、日本、アメリカが先にいたイギリス、フランスに挑んだ闘いだと言える。
国家社会主義はその力をため込む役割を果たしたと言える。 自由競争をやめて、生産手段、富を等しく分配する共産主義は、社会主義の中でもハードルが高い。
第二次世界大戦中にロシアで、共産主義国家が誕生したのは画期的である。
なぜロシアなのか?
一つは資本主義化が不十分で、自由主義陣営の抵抗が少なく、農業社会が中心であった後進国であったためか?
世界大戦後に本格的な運営に入ったが、一時期は経済も成長して、資本主義の不況を尻目に、未来の政治システムとも言われたが、
結局、ソ連の崩壊とともにその失敗が明らかになる。
ほとんどの共産主義を目指した国家は独裁制に移っていった。
富を分配するために、富が中心で管理されるために、
中心に権力が集中して、一度手に入れた中心の座を譲らず独占した。
中央集権の危険が起こった。
ほぽすべての共産主義国家で同じ問題が起こることが決定的な欠陥ともいえる。
生み出された巨大な富をどのように運営するかは、資本主義の基本的な課題である。
自由主義の対策は、格差はあっても、自由競争により流動されること。
いかなる金持ちも競争にさらされて、富を失う可能性があることである。
現段階ではある程度はそれなりにうまくいっている。 ■真のIT革命
資本主義は、分業体制で飛躍的に生産効率が上がりこれだけ豊かな生活ができている。分業体制を支えるのが貨幣。
すべてが貨幣価値に一元化される、すなわち商品となることで、分業体制が成立している。
お金さえあればなんでも帰る。だから人は分業体制の一部として働くだけで良い。
資本主義の問題として上がるのが格差。
格差も自由競争の結果だから、資本主義の原動力なんだけど、格差が固定化する面がある。
ピケティが示したように資本主義は格差を固定させる面がある。
労働による努力より、金融の方が金を生む。すなわち金持ちに優位。
それは自由競争の不徹底なんだろう。金持ちには情報においても、優位な話しがくるし、知識も集まる
期待するのは、そろそろ真のIT革命が起こるだろうこと。
IT革命は、生産、流通の民主化を行った。かつて大企業が高い投資でしかできなかったことが、個人で安価にできる。
そしてそれを必要な人に届けることもできる。
ただ最後のパーツがなかった。そこから金を取る方法。
だからみんなネットで無料で公開する。一生懸命働いても趣味にしかならない。
そしてそのネット上の人々が作った有用な商品、宝の山から金をとるのがグーグル、ユーチューブなど
アフィリエートなどわずかな金を生産者に払って
でもいま換金手段がやっとできつつある。まあ、ビットコインは失敗したが?
それに変わるものが次々出てくる。あるいはメルカリみたいな仕組みも広がりつつある。要するにC to Cだね。
農業自給自足社会から、大企業型資本主義社会へ、そしてこれから誰もが小さな生産者である民主型資本主義へやっと移行する。
まあ、いままでのIT革命は前走、これからが本番だね。
誰もが生産、精算手段を持つことで、金の稼ぎ方が多様になる。すると今までのような正社員労働への依存が減る。
雇う側と雇われる側の非対称。すなわち雇う側が有利な状況は解消される。 そもそも問題は、大企業が集約してるかどうかではなく、
集金を大企業が独占してること。
金のやりとりが大企業を介してしかできない。
それがまだ真のIT革命がなされていないこと。
より直接金のやり取りする手段が発展すればいい。
たとえばユーチューブも、ワンアクセス0.1円。
それが最近スーバーチャットで、より直接になっている。
それでも登録だなんだか金の受け渡しは簡単ではない。
あるいはメルカリな成功もおおきいだろう。
いまのITは便利だが、
従来の大企業型を活性化する役目しかしていない、
真のIT革命とは、集金システムを変えること、
すなわち資本主義の金の流れを変えること
それで産業革命に匹敵する革命が起こる
ネットが広まってまだ20年、そう焦りなさんなって
生産の民主化には、生産手段、流通手段に、続いてきた、集金手段がないとまだ最後のパーツが足りない。
だから大企業型からの革命は起こっていない。
再度言えば、
グーグルはみんなの無償の労働によってできたコンテンツで金を稼いでいる。
なんでみんなに直接に金が回らす、グーグルだけが儲けているのか、搾取されているのか? ■シェアリング‐エコノミー(sharing economy)
物・サービス・場所などを、多くの人と共有・交換して利用する社会的な仕組み。
自動車を個人や会社で共有するカーシェアリングをはじめ、
ソーシャルメディアを活用して、個人間の貸し借りを仲介するさまざまなシェアリングサービスが登場している。
シェアエコノミー。シェアエコ。共有型経済。
最近は、個人投資や、直接労働を売るシステムが広がってる。自分の得意を時間単位売る。
個人に投資する「VALU」サービス、仕組みとリスク・危険性・問題点
http://cslbook.com/business/5312/
あなたの30分が商品になる!?空き時間を売るタイムチケットとは?
https://hintos.jp/articles/timeticket_20170120/ #hintos
ネットでシェアリングエコノミーが広がっていないことの方が不思議だ。
実はシェアリングエコノミーの手前まで来ている。交換されるのは、関心。いいね!ブクマなどを交換する。なぜこれが現金にならないのか?
単純に簡単に払えるお金がないから。ただそれだけだ。
グーグルに儲けさせるなら、コンテンツ製作者に金を払うべきだ。
メルカリを従来の売買と考えるとわからないんだろう。
家に余っているものをシェアしあうという基本的な感覚がある。ほしい人がいれば安く譲りますよ。
それが女性たちに受けている。そこにコミュニケーションの楽しさがある。たとえば売れることがいいね!がつく的な。慈悲のエコノミー
そう遠くない時期に、ネット上の投げ銭は一般化する。これは交換ではない。
アフィリエイトの0.1円から、投げ銭の一人が十円。
すなわち100人分の価値を持つ。いいねは、投げ銭に変わる。
ネット収入月数万程度は普通になるだろう。そして多くの月何十万、何百万稼ぐものも多く出てくる。
というか、いまやすでにテレビタレント目指すより、YouTuberが早くて実入りがいいと言われているが >>555-565
馬鹿がフャビョッて荒らし始めちゃったか。 禊健太郎さんはブログとかを拝見すると保守派系の論客っぽいけど、
社会主義やマルクス経済学を頭ごなしに否定するのではなく
それらにそれなりに関心を持っておいでで勉強していらっしゃるようで、
珍しい方だね。 >>567
その人のブログなど見たことはないし見る気にもならないが、このスレに垂れ流しているレスだけで、主張は見て取ることができる。
マルクスについての関心はどうか知らないが、経済の分析も現状認識もまるで見当違い。
マルクスによる資本主義の分析を恐れて、表面的な現象に関心を逸らそうとしているだけだろう。
経済の分析に保守だのリベラルだのという分類はない。
資本主義経済を分析してから、それが人間の豊かさと自由に寄与しているのか阻害しているのかを判断することになる。
マルクスを恐れる反マルクス主義者というのは、みな自分の主張の前提として、資本の私的所有を肯定し、その法制度の中での個人の資産形成を礼賛する。
たんなる資本家の代弁者であるか、現状を肯定することしかできない無知であるかのどちらかだ。 >>568
一昨日からここ読んでて横レスするけど
568のレスを見るとやはり宗教だなと分かる。
マルクスを恐れる反マルクス主義者……そう来るか。 >経済の分析に保守だのリベラルだのという分類はない。
やっぱり一人の徹底的な馬鹿がいるな(笑) >>569>>570
資本論というのは、資本主義経済の分析以外のなにものでもない。
そんなこともわからずに、あるいは読みもせずに、マルクススレで経済を語るなよw >>567
資本主義そのものの分析は左派は秀逸だよ。
逆に右派は資本主義そのものを相対化できない。
マクロ経済学をベタに信じるしかない。
しかし左派の決定的な欠点は、ヘーゲル、マルクスの単純な進歩史観をベタに信仰してること。
これはほんと面白い。
資本家と労働者、資本主義の次は共産主義という単純構造に固執し続ける頭の悪さはどこから来るのか?
大思想家でも政治家でも >>572
御託を並べたければ、まず、『資本論』を読むことだよ。
書けば書くほど、無知を晒して惨めになるだけだぞw >>572
それは君が偏屈なだけでは?^^;
固執している人間しか左派と認めていないだけなんだしさ(笑 現代で言う経済学は、
希少性、すなわち貨幣価値の分配を分析するための学問だ。
対して、資本論はまず貨幣価値とはなにかから分析して、富を生み出す資本の仕組みを考える。
すなわち現代の経済学は自由主義を前提として受け入れているのに対して、
資本論は自由主義とはなにか?というメタ経済学の位置に立つ。 たとえば資本主義の教義とはなにか?資本主義者とは誰か?
そんなものも、人もいない。
社会主義者が自らを社会主義と呼んだとき、それ以前の人々をそう名付けた。
だから資本主義の教義は社会主義者が考える。
その意味で、資本主義そのものは社会主義者に聴くのが良い。
そして彼らは資本主義分析においてはなかなかの結果を残している。
そこから改善を目指す社会主義については、使いものにならないとしても、
資本主義分析に関してはレベルは高い。 日本では左翼と言えば、明治から進歩がないマルクス原理主義だが、
世界的にはその後も左翼の分析は進んでいる。
たとえばネグリの帝国など、フーコーを参考にした少し前のイタリア左翼の資本主義分析、ネオフォーディズムなどは秀逸で、
あるいは最近の左翼ではないが左派のピケティの21世紀の資本論など、
このように左翼の資本主義分析は読む価値がある。 日本の左翼は、逆に原理論より、改革論に興味を持つ。
その理由が、日本の経済は、西洋資本主義と異なるより複雑なことが考えられて、
また日本の左翼の本性が、現実逃避だからだ。
難しいことよりも、今が悪いという陰謀論でしかない。 再生産表式って何が画期的で凄いのか全く分からん
あほくさ >>575
自由主義なんていう考え方は、資本論にはないよ。
現在でも、自由主義なんていうのは資本主義のプロパガンダ的言い換えに過ぎないが。
>>577
ピケティが左派とか、21世紀の資本も読んでないのかよ。
なにも読まずにマルクスやピケティを語るとはね。
他のスレなら、読んでない者同士で誤魔化せるかもしれないが、ここはマルクススレだぜw
>>578
ひとつだけ教えてあげよう。
マルクスは、日々の改革のために行動するものこそ、共産主義者であると言ってる。 >>581
>自由主義なんていう考え方は、資本論にはないよ。
>ピケティが左派とか、21世紀の資本も読んでないのかよ。
>マルクスは、日々の改革のために行動するものこそ、共産主義者であると言ってる。
(笑) >>583
>>自由主義なんていう考え方は、資本論にはないよ。
誰か資本論に自由主義が書かれていると言ったのか???謎レス?
>>ピケティが左派とか、21世紀の資本も読んでないのかよ。
左派の意味分かってる?
>>マルクスは、日々の改革のために行動するものこそ、共産主義者であると言ってる。
だから???謎レス? >>582
コテのお花畑君よりは、知識も理解力もあるって自認してるよw
自認というより、コテのお花畑君が確認させてくれてるといった方が当たってるけど。
>>583
正直に、読んでないって吐いちゃえよw
これを機会に、少しは勉強しろよ。 >>584
>資本論は自由主義とはなにか?というメタ経済学の位置に立つ
>>575のこれはなんだ?w
>左派の意味分かってる?
君の左派の定義はなに?
僕は、社会的弱者を大切にする価値観、という意味で使ってるよ。
>左翼の資本主義分析は読む価値がある
>>577のこれはなんだ? 池沼くんは、中身の反論できないから、かまっても無駄。 >>587-588
おいおい、マルクスもピケティも中身を説明できないのが君なんだぜw
マルクスやピケティを説明してみろ、なんて無理はいわない。
せめて、左派の定義ぐらい書いてみろよ。
そもそも、かまわれたくて床屋経済学を書きこんできたのは君なんだから。 >>589
>マルクスやピケティを説明してみろ、なんて無理はいわない。
ほんと馬鹿っぽいレス(笑) マルクスやピケティを説明するとか意味不明。
ほんと池沼くん、なんでこのスレに常駐してんの? こうしてまた一つ貴重なスレが波平に荒らされて消えていくのであった >>590
君って、自己愛障害なのかな?
他人に褒めてもらいたければ、勉強することだよ。 現代で言う経済学は、
希少性、すなわち貨幣価値の分配を分析するための学問だ。
対して、資本論はまず貨幣価値とはなにかから分析して、富を生み出す資本の仕組みを考える。
すなわち現代の経済学は自由主義を前提として受け入れているのに対して、
資本論は自由主義とはなにか?というメタ経済学の位置に立つ。
たとえば資本主義の教義とはなにか?資本主義者とは誰か?
そんなものも、人もいない。
社会主義者が自らを社会主義と呼んだとき、それ以前の人々をそう名付けた。
だから資本主義の教義は社会主義者が考える。
その意味で、資本主義そのものは社会主義者に聴くのが良い。
そして彼らは資本主義分析においてはなかなかの結果を残している。
そこから改善を目指す社会主義については、使いものにならないとしても、
資本主義分析に関してはレベルは高い。 日本では左翼と言えば、明治から進歩がないマルクス原理主義だが、
世界的にはその後も左翼の分析は進んでいる。
たとえばネグリの帝国など、フーコーを参考にした少し前のイタリア左翼の資本主義分析、ネオフォーディズムなどは秀逸で、
あるいは最近の左翼ではないが左派のピケティの21世紀の資本論など、
このように左翼の資本主義分析は読む価値がある。
日本の左翼は、逆に原理論より、改革論に興味を持つ。
その理由が、日本の経済は、西洋資本主義と異なるより複雑なことが考えられて、
また日本の左翼の本性が、現実逃避だからだ。
難しいことよりも、今が悪いという陰謀論でしかない。 >>591
ここがマルクススレだってわかってる?
資本論全部とはいわないけど、マルクスの価値形態論と剰余価値概念について、勉強しておけよ。
それが資本主義経済の根幹だから。 >>594-595
自分のレス繰り返しはじめて、ついに発狂しちゃった?
自己愛って、やだねw >>585
今が悪い陰謀論というより現実的に縁故採用が公務員で未だに採用されているからだろう チャールズ・ダーウィンがその代表作において進化evolutionという言葉は
たった一箇所の例外を除いて使わなかったように
カール・マルクスもその代表作において資本主義Kapitalismusという言葉を
たった一箇所の例外を除いて使わなかった、
ということはどちらもあまり知られていないね。
その一箇所も今日のそれとは違う意味だと重田澄男さんがお書きになっていた。 ダーウィンの以前に進化論は広まっていたし、
マルクスの前に社会主義、共産主義も広まっていた。
マルクスの言ったことはすでに社会主義の祖サンシモンは言っている。 資本だか時間にまで抽象化されてしまうんじゃなかったっけ。知らんけど。
貨幣?当然貨幣も抽象化?され電子なんちゃらに抽象化されるのも必然
だから独占が可能なんじゃねえの?知らんけど。 ていうか死んだ労働ってどういう意味なのですか?
マルクスほどの人がそう言ったというのが個人的にひっかかっています。 生産手段も結局のところ過去の労働の産物だよってニュアンスですね。
要するに、今の労働と過去の労働によって生産が成り立つってことですね。 >>599
経済のシステムと主義主張をあわせた意味での資本主義という言葉が一般化したのが、マルクス以降だからでもあるのだろう。
しかし、昔の日本人は、資本論を訳すときに、たんに言葉を移し替えるのではなく、その意を汲んで、資本制という訳語ではなく資本主義という訳語をあてた。
それが現在まで定着している。
昔の日本人の読解力と語学力には感心させられる。 学問的には資本制が正しいんじゃないか。
原典のドイツ語にちかい英語ではキャピタリスティック何とかで、資本主義より資本制。
資本主義は謂わば己語りで適当だろう。 読んでからにすべきだが上野千鶴子氏の著書では資本制。 >>606
主義というのは価値観の表明。
社会としての価値観は法によって示される。
資本の私的所有を担保するのは法。
だから、資本主義という表現はきわめて正確。 608
生産様式の用語にに価値観を反映させるのだな。
ありがとう。
学んでくる。 wiki
「資本主義」(英語: capitalism)との用語は、1850年にフランスの社会主義者ルイ・ブランによって現代の意味で使用され、
「私が資本主義と呼ぶものは、ある者が他者を締め出す事による、資本の占有である」と記した。
また1861年にピエール・ジョゼフ・プルードンは「資本主義の経済社会体制では、資本は労働する者には所属しない」と記した[15]。
1867年より発行されたカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる著書『資本論』での用語「資本家(資本制)システム」
(英語: capitalistic system)および「資本家(資本制)生産様式」(ドイツ語: kapitalistische Produktionsweise、英語: capitalist mode of production)も、
日本語訳では「資本主義」とされた場合が多い[16]。 マルクスはキャピタリズムと言ってないのではないか。
資本論だが外国語ではダスカピタル、ザキャピタルだ。 資本主義ではどうしても物が余るロスがあって、限界的な文明だったんだろう
ね。マルクスはそこに宛てたものらしい。 現代で言う経済学は、
希少性、すなわち貨幣価値の分配を分析するための学問だ。
対して、資本論はまず貨幣価値とはなにかから分析して、富を生み出す資本の仕組みを考える。
すなわち現代の経済学は自由主義を前提として受け入れているのに対して、
資本論は自由主義とはなにか?というメタ経済学の位置に立つ。
たとえば資本主義の教義とはなにか?資本主義者とは誰か?
そんなものも、人もいない。
社会主義者が自らを社会主義と呼んだとき、それ以前の人々をそう名付けた。
だから資本主義の教義は社会主義者が考える。
その意味で、資本主義そのものは社会主義者に聴くのが良い。
そして彼らは資本主義分析においてはなかなかの結果を残している。
そこから改善を目指す社会主義については、使いものにならないとしても、
資本主義分析に関してはレベルは高い。 日本では左翼と言えば、明治から進歩がないマルクス原理主義だが、
世界的にはその後も左翼の分析は進んでいる。
たとえばネグリの帝国など、フーコーを参考にした少し前のイタリア左翼の資本主義分析、ネオフォーディズムなどは秀逸で、
あるいは最近の左翼ではないが左派のピケティの21世紀の資本論など、
このように左翼の資本主義分析は読む価値がある。
日本の左翼は、逆に原理論より、改革論に興味を持つ。
その理由が、日本の経済は、西洋資本主義と異なるより複雑なことが考えられて、
また日本の左翼の本性が、現実逃避だからだ。
難しいことよりも、今が悪いという陰謀論でしかない。 「資本主義」という用語が適当かどうかとか考えたこともなかったな。 当時、社会主義思想が語られて中で、
マルクスの新しさはなにか? >>609
価値観があって、生産様式が決まる側面もある。 うーん
波平の左翼ってのは政権に対する対抗勢力なんだろ?
アメリカで言うなら民主でも共和でもない第三勢力 『資本論』は定冠詞を持つ各言語ではどう訳されているのか。
ウィキペディアで調べてみた。
英語と北ゲルマン諸語では定冠詞が付きませんね。
定冠詞の使い方に違いがある。
Das Kapital ドイツ語
Capital 英語
Kapitalet スウェーデン語
Kapitalen デンマーク語
Das Kapital (Kapitalen) ノルウェー語
Het Kapitaal オランダ語
Le Capital フランス語
Il Capitale イタリア語
El capital スペイン語
O Capital ポルトガル語
A tőke ハンガリー語
La Kapitalo エスペラント
ちなみに、トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』でも
同様ですが、ただしオランダ語だけは
Kapitaal in de 21ste eeuw
と定冠詞が付いていません。 社会主義自体は自由主義よりも早いと言える。
自由主義は難解だが、
社会主義は単純だ。
単純には富を均等に分ける、それだけのことだ。
啓蒙主義の延長から生まれた。
自由主義がいかに生まれたかは難しい。
ロック、ヒューム、アダムスミスの流れだが、
そもそもにおいて、自由主義とはなにか今も難解な問題だ。 社会主義の基礎的なアイデアはサンシモンが生み出した。
労働手段の分配、産業中心主義、唯物史観など
マルクスにサンシモンからの新しいアイデアはない。 俺なんかが共産主義になったらえらい事になる。
顰めは無くなったが民度を上げないと。 資本主義、社会主義ということが妥協の産物でしかない以上は
結局のところ、自由と平等は両立しないってことだよ
完全な自由主義もなければ完全な福祉国家も存在し得ない 丸山だけでなく河合栄次郎らのオールドリベラル論が要るんだよ。それは日本だけだけど。
自由主義でいければそれで良いんだから。
俺は薄く黙る。 自由主義を論じるに当たって、格差が何とかなった時に論点は共同体ー個人の空洞化。
それが問題なければ自由主義で良いと思う。 マイノリティの差別が生産様式と関わるかを考えるのも重要。
つまりは格差、差別と空洞化。 ○自由主義でいければ俺はそれで良いような気がする。 資本、国家批判の書物は読まないといけない。
所謂革新左派は、自由主義の補完ないし超克とかそういう簡単な事じゃないと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています