やはりポイントは資本だろう。
資本とはなにか。交換手段でも、蓄蔵手段でもなく、積極的に金を生むために活用される金だ。

金を貸す。そして時間をおいて返すときに増えて返ってくる。
貨幣は交換手段においては、等価交換であるが、
資本は金を使った贈与交換なのである。

贈与交換はそもそもにおいて信用を基本にする。
信用なく、ものを貸しても返ってくる保証はない。

等価交換はその場で一瞬で等価に精算されるので信用はいらない。

信用とはなにか。
相手を見極めることだ。

自由主義は、経済性を最優先に自由競争を行うことを求められる。
相手ヵ誰かではなく、もっとも経済的によい条件の相手を選ぶ。
公共事業の入札が理想だ。

しかしここで資本の信用はグレーとなる。
誰を信用するか。
ここに客観的な判断は難しい。
そして好き嫌いや、あるいは個人的な裏金など、わもわくが入る余地が生まれる。
贈収賄。

マルクスは資本そのものの金の分配を問題にしたが、贈与交換としての信用には触れなかった。
なぜかわからない。
アダムスミスなど正統派経済学を目指すマルクスは、贈与交換のようなグレーなものは入れたくなかったのかも知れない。

この贈与交換、信用を排除したマルクスの潔癖さがその後の共産主義の躓きとなる。