カール・マルクス11 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>949
嘘だというなら、西欧の愛国知識人とやらの例を挙げてみな。 >>951
自己愛パーソナリティは、国という幻想にすがりつきたがるw >>945
えっ!?西欧では皆無なのか?じゃ直ちに西欧に合わせなきゃ。何たって西欧がそうなんだから!! 日本人は国家主義、全体主義が好き。
特にいまの若年層は、個人より全体を優位としてみている。
その点で、安倍との親和性はたしかに高い。
いいものは国家と企業に、悪いものは個人に、という妙な価値観をことを甘んじて受け入れている。 >>955
そうだよ。
現代でも、西欧が人間精神の先進地域であることは疑いようがない。 日本の良いところを悪いところに変えちゃうのが左翼の間で
流行ってるんだよ。鉄道のダイヤが正確なのを管理社会と結びつけたり、治安の良さを「飼い慣らされた人々」という視点で語ったり、勤勉な点とかも何とでもネガティブに解釈できる。 >>957
そうじゃない、個人対全体っていう境界が
元々はっきりと分かれてないんだよ。
2項対立させていないんだよ。 日本人の精神性の原点がどこかもわからんのかよ、
周り見てみろよ、
お寺だらけだろう
時代劇でも、みんな信心してるだろう。
仏教だよ。
仏教は無我の宗教。
西洋が有我なら、日本人は無我。
自らが出ず、相手を立てることを美徳するんだよ。
そんなこともわからずに、よく日本人やってるな。
空気読むのはうまいのに、
なんでうまいかもわからんのかい。
無我を美徳とするからだよ。
ちゃんと義務教育で愛国教育受けてこい! とにかく哲学思想やるなら、愛国失業症は克服しないと無理。
精神的偏見を抱えたまま、正しい分析は無理。
アメリカの問題と、日本の問題がみそもくそもごちゃごちゃで
語ってることも気づかない。
とくかく冷静に日本人を分析する訓練をしなさい。 またスレが荒らされてしまったな
マルクスと関係ない話ばかり 構わん。続けさせろ。
どの程度まで展開できるか観察する。 >>966
誰に命令してるの?スレ主さんならまぁいいけどさ。 再度、まとめると、
資本主義において、金が儲かるのはリスクの高いイノベーションへのアニマルスピリット。
そして成功して一度勝ち組になると、勝ち続けやすくなる、
なぜなら大きなリスクに対して資本を持つ方が有利。
一つ、失敗しても生存にまで関わらないから勝負しやすい。
二つ、できるだけ自由競争を回避するために、勝ち組は勝ち組で団結する。贈収賄など。
そして流動性が低く、格差が固定しやすくなる。
だから歴史的に、定期的に流動性が生まれ、格差が解消されてきた。それが戦争。
戦争だけが格差を解消する。
それがピケティ論。
ここからは中級編。
なぜ日本人はピケティ論で説明できないのか。
ピケティ論のような格差を生まないのか。 理想って何?自分らの理想は他者にとっての理想とは限らないのでは?理想のためなら何をしてもいい?
別にマルクス主義者だけじゃないけどさ。 勝ちで組んでいいの?戦争こそ厳しいもので格差をさらに生むのでは? 初期マルクスにおける分業の否定(=資本論との対比)、エンゲルス執筆箇所?
《各人が活動の排他的な領域をもつのではなく、むしろそれぞれの任意の部門で自分を
発達させることができる共産主義社会においては、社会が全般的生産を規制し、そして、
まさにそのことによって私は、今日はこれをし、明日はあれをするということができるという
ようになり、狩人、漁師、牧人、あるいは批評家になることなしに、私がまさに好きなように、朝
には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批評をするという
ことができるようになる。》
(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』) 上は渋谷正版
以下は廣松渉版
《彼は,狩人,漁夫または牧夫または批判的批判家,のどれかであって,〈彼の〉生活を
失うまいと思えば,それでありつづけざるをえない.――これにひきかえ,共産主義社会で
は,各人は一つの排他的な活動範域をもたず,〈各〔範域〕を〉任意の各部門で自己形成を
とげることができるのだが,共産主義社会においては社会が生産の全般を規制しており,
まさしくそのゆえに可能になることなのだが,私は今日はこれを,明日はあれをし,朝は
〈靴屋〈そして昼には〉午後には庭師,夕方には家畜を追い,そして食後には批判をする―
―狩師,漁夫,〈あるいは〉牧夫あるいは批判家〔という固定的な専門家〕になることなく、
私の気のおもむくままにそうすることができるようになるのである.》
マルクス、エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』(廣松渉編訳、河出書房新社)
参考:
書誌的邦訳批判、
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/17054/2/010081091.pdf マルクスはフローを
ピケティはストックを
主に分析した
後者は近年の統計整備が可能にしたものだ
両者は補完関係にある
ただしマルクスにとっては自然環境がより重要なストックであり、マルクスはピケティより視野が広い 確かにソビエト崩壊前にピケティ本がでてれば、
やっぱり共産主義は正しいとなるんだろうね。 それでもそのあとソビエトは崩壊してただろうけど(笑) 社会主義はフラン革命前?からあるわかりやすい考えだ。
富をみんなに等しく分ける。
むしろわからないのが自由主義。
みんな好き勝手にやれば豊かになる?
なんだそれ? 自由主義はどう考えても、人の思考からは出てこないだろう。
やはり大航海時代以降の、実際に進んだ歴史、
重商主義、重農主義の流れのなかからしか出てこない。
大航海時代の交易により生まれたいままでにない巨大な富、
まず重商主義はそれをゼロサムゲームとして、国家間で取り合った。
自国に溜め込むことが最も富む方法と考えた。
重農主義では、ただ交易の利益だけでは発展がなく、
それにより自国の農業の発展を重視した。
しかしここから飛躍がある。
違う富は溜め込むものではない。
活用してより富を生む。
それも国家管理を離れてより自由に。
こんなことだれも信じないし、
現にイギリスが成功するまでは。 この発想は、実際に外交官として飛び回ったヒューム先生の実地の経験がなければ生まれなかったかもしれない。
まさに活発な交易の現場で、肌で感じたんだろう。
無駄な干渉はやめて自由にやらせれば良い。
それ以前に、ヒューム先生がフランス啓蒙主義から離れていたのが重要だろう。
フランス啓蒙主義の合理性からは単純故に社会主義しか生まれてこない。
イギリス啓蒙主義は、関係性重視の系譜がある。
社会の基盤は、黙約、共感にある。
その道徳哲学しか、自由主義という発想は生まれないだろう。
みんな自由にやれば社会は豊かになる。
いまだに信じがたいこの思想。 方や、ヒューム先生は、ベンサム功利主義の元と言われる。
アダムスミスの神の手という楽観主義に比べて、
効用を経済学に導入して、合理的な分析した。
自由主義は単に人の善意によるものではない。
効用を得られるという合理的な判断をもとにしている。
そこにあるのは、ゼロサムゲームを超えたウィンウィンな関係だ。
互いに協力して互いに効用を得られる。 しかしどちらにしろ、19世紀末のまだ楽観的な時代であることは確かだ。
20世紀に入り、実際に運用が始まると現れたのは、凄惨な格差社会である。
ヒューム先生の思想はハイエクに継承されるが、
実際に見直されるのは、20世紀末の新自由主義である。
社会主義は、国家社会主義として世界大戦を生み、共産主義の実験は壮大に失敗し、
そして現代、ヒューム先生に回帰した。 君は、いくら頑張っても本物の頭脳には近づけやしないよ。どんまい。 それでもいまだに自由主義はなにか謎である。
管理のいない自由放任の世界。
なぜそれがこんなにうまくいくのか。
その一つの解を与えたのが、ウェーバーの資本主義の精神とプロテスタンティズムの倫理である。
勤勉であることが自由主義を支える。
現にイギリス、アメリカとプロテスタトの国が成功している。
特にアメリカ人は勤勉である。
その根底に開拓において、働かなければ生きていけないこと、さらに働けば実るという体験がある。
西洋では労働自体が卑しいものという思想がある。
西洋の勤勉とは古い思想に囚われないことが重視である。
そして日本。世界一の勤勉の国である。
当然、プロテスタンティズムではなく、独自に仏教から導き出した。
特に江戸時代末期から勤勉思想が広がり明治の近代化の発展を支えた。
その後も、戦後の高度成長期、そしていまも変わらず。
日本人がヒュームの格差論に当てはまらない理由の大きな理由の一つがここにある。 >>982
仕事で社会貢献は十分してるからいいよ。 日本人に英雄はいらない。
名も無い雑草として去るのみ。 石田梅岩
士農工商は、天下が治まるために役立ちます。
その中の一つでも欠けてしまったら、世の中はうまく動かなくなるでしょう。
士農工商を治めるのは君主の仕事であり、君主を助けるのは、士農工商の仕事です。
侍は、位をもった臣下です。
農民は、野にある臣下で、商工は市井の臣下なのです。
臣としては、君主を助けるのが正しい道です。 日本においては子供は世間からの預かりものだ。
親は世間から子供を預かり立派な勤勉として育てる。
それがお役目である。
子供が間違ったことを行ったとき親が責められるのは、
役目を果たせず世間に持つとのが申し訳ないからだ。 お前なんて愛も味わったことないし、永久に味わうことのないカス 役目を果たせず世間に申し訳ないからだ。
西洋は有我の思想、日本は仏教から無我の思想。
特に、世間主義。 育てた人材とでも良いたかったのかな。
片手もいないじゃねーか。 ブルジョアジーに祖国なし。
ゆえにプロレタリアートも祖国を越えた連帯を迫られる。 シェアリング・エコノミーもいまのところは資本主義経済の
効率的稼働力として組み込まれている面があるが、
新自由主義的な本性を持っている資本主義経済が不死身なのは、
不都合な要素はすべて自己責任として個人に帰して個人を
切り捨てられる点にある。
資本主義そのものはなんの責任も負っていない点。悪いのはすべて個人。 日本人の富は国有ならぬ、世間共有財産の面を持つ。
ある種の社会主義的であるが、
共有が無我に支えられている点で大きく違う。
また共有がは国家運営ではなく、
世間には中央がない。
ネットワークのようなものだ。
だから日本人は富への執着は強くない。 このスレッドは1000を超えました。
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