日本ではもっと東洋哲学が研究されるべきだよね? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
西洋哲学なんて西洋の学者に任せて、日本ではもっと東洋哲学を研究すべきだと思うけどね? 同意。西洋哲学は量子言語で完成。量子より墨子の方がおもしろい。 「正心誠意、致知格物」なんてのを、現代人がやるのか? 鈴木大拙の『日本的霊性』は岩波文庫版よりも角川ソフィア文庫版の方がいい。
岩波では「金剛経の禅」が削除されてしまっている。 そういうのは学者と出版社の宣伝文句だから鵜呑みにしないように キリスト教徒でないのに、西洋哲学とは笑わせるwww 末木文美士の解説も篠田英雄の解説も読まなきゃだよな。 西洋から見ると、東洋哲学はインド哲学のことだろうね。
アインシュタイン=タゴール会談なんてあったからね。
しかし、日本から見ると、諸子百家かな。 禅でも仏教でもいいが、もっと研究費出せばいいのに。西洋哲学の講座なんて殆ど潰していいんじゃないのかね?どうせゴミみたいな研究しかしてないんだし。 >>2
墨子とソクラテスは同一人物説もあるぐらい似ている。
同じようなことを同時代に発言したのに、評価は月とスッポン >>14
西洋コンプレックスが刷り込まれているからね。
ポスモなんてファッションだけだろう 「もの」だとか「こと」のような日本語でよく使われる概念についても考えないといけないんだろうなあと
津田雅夫の『戸坂潤と<昭和イデオロギー>ーー「西田学派」の研究』(同時代社、2009年)読んで思った。 ジョン・ロックが西洋哲学にストーリーを付けたのだと思う。
残念なことに、東洋哲学にストーリーを付ける天才は現れなかった。
一つずつはすばらしいのだが、ストーリーが見えないので単発的になってしまった。 ところで、
韓国、中国、インド、ベトナム、タイ、フィリピン、インドネシア、・・・
でも西洋哲学をやっている奴いるのかね?
西洋で西田とか有名なのかね? 西洋でも、中世までは「プラトンやアリストテレスをどう解釈するか」という論争に明け暮れていた。
でも、近代に入って、(少なくとも形の上では)そこから抜け出した。
その点、東洋では、清朝の世になっても、まだ孔子や孟子の解釈に終始していた。
そこが大きな違い。 ただし、「孔子や孟子の解釈」といっても、実際にやってることは、
強引に古典を当てはめて自説を展開し、「孔孟はこう言ってたのだ」
と主張することだったのだから、単なる解釈の問題とも言い切れない。 >>29
> そこが大きな違い。
なぜその違いが生じたのか?
なんだけど、
「プラトンとかアリストテレスだとか言っている場合じゃない」という時代の空気を形成したのは、
ニュートン力学ですかね。 18世紀のニュートンの講義では、アリストテレスの科学論は、もはや笑いのネタくらいにしかなってない。
脱アリストテレスが本格的に進んだのは、やっぱり、17世紀のデカルトからでしょう。 もっとも、デカルト自身は新プラトン主義に染まっていたのだが。 ニーチェに言わせれば、ニーチェ以前の近代哲学もプラトン主義。 アリストテレス主義との葛藤といえば、やっぱりガリレオでしょう。 清の時代まで儒学が続いたといっても、清代の儒学は、もはや哲学というより言語分析のノリ。
20世紀の西洋哲学の状況に似ている。 でも世界はプラトンも孔子も東洋西洋区別なく
世界の一大エポックですよねぇ
人間の全面の改革等
人間は個人として独立したのね。
あの時期は上に発展だけでなく
破壊と新生が同時に。
孔子が衛公に用いられなかったことと
プラトンがシラサクで志しを得なかったこと
次世代の政治家を養成していた孔子の学校と
同じことがなされてたプラトンのアカデミア
が似ているかとから
世界では… 西洋哲学の認識論って必要なかったと思うんですが。
東洋には無かったわけだし。 何が言いたかったのか
それはギリシヤ イラン パレスチナ
中国 インド 世界中で
そのような人間が生まれたこと。 世界中で発生した思想は科学時代をへて現代の私達迄まだ続いています 未来には
おそらくもう一度世界中でそのような人間達が発生すると思うの なりすましは止めなさいって
何度も言ってるのにわからないおバカさんには
野ション100回の宿題を課します!
いいですねっ >>49
野糞100回の宿題を課します!
いいですねっ ふざけないでください!💢 😠
野糞はこれまでもこれからもいたしません!! >>50
もしもし?
頭大丈夫ですか?
私のフレッシュな尿でも浴びた方がよろしいのじゃなくて? >>52
プールや海での野ションはこれまでもいたしたし、これからもいたすでしょう? >>54
生暖かいのはどうもイカン
氷水のようなヒエヒエのを放てまつか? 「美魔女」は一般名詞だから、
「美魔女ノション」に改名しる >>41
中国では、自然環境に恵まれていたせいか、素朴実在論が疑われなかった。 >>45
「私は釈迦の生まれ変わりだ」という人なら、何人も見た覚えが >>42
そう、それですな。
「現実世界の三角形は、必ずどこかが歪んでおり、完全な三角形ではない。
完全な三角形は、イデアとして存在する」
というのが、西洋の認識論。
幾何学マニアじゃないと、この発想は出てこない。 「あるものはある。 ないものはない」という存在論も東洋では生まれなかった。 >>63
その問いは物質の存在だから
クリアーしてる >>45
何故そう思うのかって
それは科学や文学や文明でなく
人類には根源と目標が含まれていることを思うの 拝金主義の国民性からは、二つの思想しか生まれない。
すなわち、
儒教と拝金思想である。
すなわち、
建前としての儒教と本音の拝金思想である。 性善説「孟子」全二巻、性悪説「荀子」全二巻「韓非子」全四巻。が中国だね。
老荘思想はよく知らない。
「論語」「大学・中庸」「伝習録」は読んだけど、読む必要ないと思う。
原始仏典から、因果の概念、因果応報の概念、五感(六感)の概念、目的正義論が生まれたのはインド。
日本の思想というと、三島の「葉隠入門」くらいしか独自のものはないと思うね。
京都学派は、キリスト教を使わずに、一神教を再構築しようとした意欲的一派。 「荀子」「韓非子」は読んでないけど、政府が国民を統制すべきというのは、
日本の公務員に採用されてるね。ローマ法とかは知らん。
「孫子」の兵法は、後世の注釈をつけ足したものも出版してほしいけど、
どれになるんだ? 古代科学の四元素説を書いたのがアリストテレスの「形而上学」で、
それに対するのは陰陽五行説の「易経」ということになるのかな。
「易経」も読んでないけど。 古きを求めるをやってるかぎり、仏教も諸子百家もそんなに研究する必要は感じないなあ。
ただ、西洋を基盤としたものに対して、東洋にもこれだけのものはあったと主張するのは
ちゃんとしないと若者がどんどん白人コンプレックス抱えていく。
その傾向はよくない。 人類の起源も多元的よりも一元的のが有利のようです。 >>45の続きですが質的に今度のは違うよ。
過去のは世界中に平行的で分散的ですが
今度のは全体的
私達人類はやはり真の人間へと向かっているということですね その昔、神田の古書店で印度学会の本を買い求めたら、
カーマスートラだった。
初版は大正十二年。 >>78
それは高く売れそうだね。
というか家宝だね。
その分野でも、孔子やソクラテスに匹敵するような偉人がいるんですかね? >>71
易経は、おみくじの卦を大量に並べたような占いの本。
それを、程伊川をはじめとするクソマジメな学者連中が、「宇宙哲学の書」に変えてしまった。 宋の時代、仏教と道教に圧倒されている思想界の状況に危機を感じた儒学者たちは、易経に目をつけた。
儒学は、神秘性が乏して、つまらないのが欠点。
これを、神秘的な占いの本で補うことにした。 中国哲学で別格あつかいされてるのは、なんといっても老子だろう。
トランスパーソナル心理学の旗手ケン・ウィルバーは、若い頃に老子を読んで
世界観が崩壊し、悩んだあげく化学から哲学に転向した。
エックハルト・トールをはじめとする著名なスピリチュアリストたちも、
老子を、釈迦やイエスなどと並ぶ人類の師と認めている。 >>81
補足すると、儒教を「つまらない」とは言いすぎた。
「面白みがない」というべきか。 とはいうものの、「思想は劇薬である」というのは、実は儒教にも当てはまる。
儒教も、本当は過激な思想。 余談ですけど
15世紀までは中国 インド ヨーロッパの
生活水準はほとんどかわらないんですって
17世紀の科学革命18世紀の産業革命でヨーロッパの生活水準が決定的圧勝しましたね。 中国にはルネッサンスに相応するものがなかったのかなぁ。
逆ルネッサンスともいえる文化大革命はあったけどねぇ。 つまり
ここのタイトルを換言するとしたら
どのような世界史歴史の全体像が私達皆さんの
現実の意識を高めることができるのか
がテーマですね😃 >>85
そうだよね。
ド素人なんで聞きたいんだけど、統治術って普通に言われていることなの? >>92
Thanks.
昔、漢文習ったときそう思ったんだが、理系に進んでしまって忘れていたんで聞いてしまった。 日本では、先祖供養に熱心な仏教系の新興宗教が多いけど、
先祖供養は仏教ではなく、儒教の特徴だ。
実のところ、日本における儒教の影響が、最も現れているのはそれ。 日本における信教の自由の懐の深さがむしろ気になる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています