日本ではもっと東洋哲学が研究されるべきだよね? [無断転載禁止]©2ch.net
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西洋哲学なんて西洋の学者に任せて、日本ではもっと東洋哲学を研究すべきだと思うけどね? どういうことだってばよ。
意地でも哲学入門書とは認めたくないってこと? ようするに、一人当たりGDPという単純化された指標では測れない日本人の質の高い豊か
さがあって、それはそれでいい。しかしそれとともに質の高さを維持することの限界も来
ている。アジアからの低コスト品の輸入、IT化によるセルフサービス化、そして少子高齢
化による勤勉の限界など。
明るい流れとしては、lotだろう。アメリカのIT化は、アメリカ人の頭の悪いおおざっは
なサービス概念をもとにしている。すなわち悪いサービスなら自分でやった方が増し。お
もてなしの日本人がこれに耐えられるわけがない。lotによって初めて日本人クオリティの
サービス概念が実現できるまで技術が追いついてくる可能性がある。おもてなしのIT化。 IT関係日本人の、 ガラケー呼びに始まる日本人バッシングは、
彼らの情弱に対する選民思想による。
日本人のおもてなしはは情弱と排除しない。
情弱にこそ優しく。
そんな質の高い日本人の心はどうどすえ。
キリスト教の慈愛と仏教の慈悲の違いだよ。
簡単に言えば、キリスト教の慈愛は弱者救済。
最底辺を助けることが基本。
だからわかりやすくて直接的。
日本人の慈悲に強者も弱者もない。
皆が等しく弱者であり、
皆で一緒の解脱を目指す。
これがほんとに高度で面倒くさくい。
簡単に助けたらダメなんだよ。
助けると言うことは、相手を弱者にするわけで、
相手の恥になる。
おもてなしとは、もてなしてます!はだめで、もてなしていないようにもてなす気遣いが大切。
面倒くさいだろう。
でもこの繊細さが、GDPでは現れない日本人社会の豊かさを支えているわけ。
空気を読むという日本人特有の繊細さも、ここから来ている。
助けないように助ける。
主張しないように主張する。
好きじゃないように好きになる。
ほんと日本人って世界一面倒くさいわあ。
西洋人はこれを外面と本音、裏表がある、二枚舌とかバッシングする。
あいつらにはわからんよ。そうじゃないんだよ。
高度な配慮なんだよ。 この慈悲の繊細さはいかに作動しているか?
みなが配慮し合っているという暗黙の了解で作動する。
一人でも配慮しなければ、配慮しているものが馬鹿を見るから配慮しないものは排除される。
弱者が叩かれるのではなく、配慮を欠いたものが叩かれる。
空気を読まないものが叩かれる。
それは強者、弱者に関係ない。
それが江戸時代から続く、日本人独自の世間というシステムだ。
近代の法による社会とは違う。
日本では法に触れなくても、世間が許さない。
世間が法の判決さえも変えてしまう。
ホリエモン、舛添、ベッキーなどなど このスレで始めるのはやめてくれよ。
おれの哲学入門書のリンクが貼ってあるスレなのに。 >>241
世間のくだらない哲学入門書よりも優れたちゃんと奥義について書き記した入門書。 >>243
奥義と入門って、矛盾してない。
哲学を学ぶ前に読んでほしい指南書? よくある入門書は
1 ギリシア哲学
2 近代哲学 デカルト
3 カント
4 ヘーゲル
5 現代哲学
とあって間に作者のエッセイが挟まってて
そのエッセイ集めたみたい >>245 おれが読んだ百冊のこぎれいな要約だ。
>>246
おれの入門書の特徴は東洋哲学を西洋哲学と対等に配置してあることにある。 >>247
なら、一日一冊の解説。
100ページかけ >>249
>おれの入門書の特徴は東洋哲学を西洋哲学と対等に配置してあることにある。
これは中途半端なんだな。
普通、哲学入門とは西洋哲学入門だ。
なぜか?
哲学を学ぶ人は、日本人である日常から離れたいからだ。
現実逃避の入門書を望む。
それに東洋思想を入れると覚める。
それでも、入れたいなら、もっと現実を突き詰めるために、東洋思想の終着点である日本人の思想を入れないもだめた。
それは回りまわって青い鳥を見つける。 おっぱい三つの人が刑務所や精神病院 牢屋 鍵
建築物。
隔離監禁施設系をつくったわけじゃないからさあ。
警察機構も官僚機構も。
世界のあらゆるすべてを健常者が管理していいの?
アダルトサイトも。 哲学入門とは、青春小説なんだよ。
中二病者が現実から逃避して、世界を見下すためにある。
日本人のリーマンがカントなんて読まないだろう。
日本では学生が読むもんなんだよ。
その意味ではいい線いってるとはおもう。
青臭いところが。 いや、ぼくは京都学派を読んだ感じでは、
戦前から西洋哲学が日本で盛んに学ばれたのは、
福沢諭吉の脱亜入欧を代表とする明治維新の影響ですね。 >>257
自己満足でまとめても、読みにくいし誰も読まないよ。
ブログに書いたときは、ちらほら人はくる。 >>259
禅とは、中国思想の影響をもっとも受けた仏教。
特に老荘思想。
老子の無から荘子は仏教の空に限りなく近づいた、
しかし老荘の問題は、思想としては空に近付いたが、
その実践法はほぼなかった。
そこで仏教の実践法を取り入れたのか禅宗だ。
だから禅宗は大乗仏教のような神を作り出したのとは異なり、
宗教より、実践に近い。 >>262
日本人は生活が禅の実践であり、ある程度の空観を身につけている。 西洋人が日本人に禅を感じるのは単なるオリエンタリズムではなく、
ある意味素直な感想だ。
まあ、日本人には当たり前すぎて日本人自身は気づかないが。
なぜ日本人に西洋哲学が必要ないか
禅による空観を身につけて、
いまさらそんな下等な思想はなんの足しにもならないから。 仏教は、いかに空に達するか、と言うことなんだけど
そもそもが老子は孔子のカウンターとして出てきて、
反知性主義なわけで、
禅もその影響を受けている。
禅問答なんてまさに反知性主義。
人里は離れて暮らすのも老荘的。
しかし実際、なんで座禅を組んだら空に至るのか、
ボクにはわからん >>261 きみはこの波平の禅の解説を少しでも正しいと思うのかい? wiki
見性(けんしょう)とは、仏教の禅において用いられる仏教用語。人間に本来そなわる、本性を徹見すること。禅の悟りの1つとされる。
次の修行過程は修道。仏典には見性の語は多く現れるが、見(dṛṣti)と性(svabhāva)という字義通りの熟語(複合語)で、
禅宗の用法と関係した記述はほとんど見られず(#見性成仏を参照)、これが禅の用語とされる理由となっている。
禅の用法ではもっぱら法悦体験を指すが、この見性によって一時的にでも万能感を得たと考える修行者に対しては、
それを魔境の一種の偽涅槃であるとして、そうした状態に執着することなく、逆に一蹴することを修行の注意点として説く。
坐禅を始めてから数年の段階に多くみられる[要出典] うーん
あんまり禅に興味ないけど知識として知ってるって感じかなぁ wiki
無門関(むもんかん、無門關)は、中国宋代に無門慧開によって編集された公案集である。
無門関には48もの公案が無門慧開によって様々な語録から選ばれ、それぞれに頌と評唱が付けられ、
看話禅では必ず使用されるテキストであり、特に最初の「趙州狗子(狗子仏性、趙州無字)」の公案は、
「犬にも仏性はあるか」に対し、「無」と答えた、というだけの内容であるが、
禅者が最初に与えられる課題であり、これを解くのに3年はかかるといわれているほどの難問である。
中世においてはそれほど注目されなかったものの、江戸期に脚光を浴びるようになり、現在においても盛んに提唱されている。 見れば見るほど怪しいセミナーの謳い文句のようだ
これでは文明が停滞するわけだ というよりも泥沼から抜けたいと思うのが先で
そこに禅があった とか あれは禅だった とか
あれは哲学だった
とか知識って全部後からじゃね?ふつう
禅で言う大疑団(人生に対する疑問)なしで修行するくらいなら
健康法としてのヨーガの方がまだましとかよく言うじゃん 根本的に人生に対する疑問がないハゲが本読み過ぎると波平になる 俺が考えるに実利的な頭のよさと
崩壊する頭の良さって違うわけよ
波平は実利的な頭ならすごくいいんだろうよ
それで人の役にも立つだろう
だが宗教とかは向いてない 空と言うのは、世界が繋がっていること、変化し続けることを知ること。
禅もまた空に至る方法。
公案は、言語認識を解体する方法。
あるとないの向こう側へ達する。
座禅はなに? 座禅は今の時代成り立たない
生きてるだけで公安禅という時代に入ったから
ただ何も考えずに半日座ってることなんてないだろう
なぜ退屈に耐えられないかぐらいはわかる
逆になぜ人は孤独に耐えられない? 慈悲は、より知らない赤の他人に、より多くを与えることで、
身近な人と赤の他人の向こう側へ向かう。 大脳生理学的には左足下にすることで
とか色々あるけど
まず足を組めば頭頂部に血流がいくな
霊的開眼の時は頭部にまず血液が流れる >>279
実際に座禅の難しさはわかる。
ただ座ると、日ごと考えないようにごまかしているいろんなことが、
どんどん湧き上がってくる。
その先に何があるか? まず自分を見れる
なぜかはわからない
ただ立ってる禅とかあるから
一番いいのはマントラ禅だな
同じ任意の声を心の中で発する
よくやるだろピンチの時とか
助けて 助けて 助けて とか
あれと原理は同じだ
全身全霊で
個人的にはこっちの方がはるかに通達するし
見性体験 というのもする
単なる充実感だ
でもはっきりとわかる それを何倍にも巨大にしたやつだ 確かにインド哲学には、ヨガなど身体実践が発達してるけど
釈迦なんかは、身体実践を重視したわけだけど >>286
言いっ放しのスタンスは楽だもんな
構ってほしそうに見えるけど、実際誰かにまともに反応されると困るんだろ 根本的にまずドラックで人間の可能性広げろ
手始めに
禅はそっからだ
リアリティのリから始めよう君は どこにも到達しねえっつーのも不思議だよな
夢見過ぎだ >>291-293
この一連のレス、怒りで手を震わせながら書き込んでそうだ つまらない自己と知りながら
後生大事にしているその心は? つまらない自己と知りながら
後生大事にしているその心は? 人生つまんねーとROMり始めるのか?
盗撮か?趣味は? ■禅ってなに???
禅とは、中国思想の影響をもっとも受けた仏教。特に老荘思想。老子の無から荘子は仏教の
空に限りなく近づいた。しかし老荘の問題は、思想としては空に近付いたが、その実践法は
ほぼなかった。そこで仏教の実践法を取り入れたのか禅宗だ。だから禅宗は大乗仏教のよう
な神を作り出したのとは異なり、宗教より、実践に近い。
日本人は生活が禅の実践であり、ある程度の空観を身につけている。なぜ日本人に西洋哲学
が必要ないか。禅による空観を身につけて、いまさらそんな下等な思想はなんの足しにもな
らないから。西洋人が日本人に禅を感じるのは単なるオリエンタリズムではなく、ある意味
素直な感想だ。まあ、日本人には当たり前すぎて日本人自身は気づかないが。
仏教は、いかに空に達するか、と言うことなんだけど、そもそもが老子は孔子のカウンター
として出てきて、反知性主義なわけで、禅もその影響を受けている。公案なんてまさに反知
性主義。人里は離れて暮らすのも老荘的。空と言うのは、世界が繋がっていること、変化し
続けることを知ること。禅もまた空に至る方法。公案は、言語認識を解体する方法。あると
ないの向こう側へ達する。慈悲行は、より知らない赤の他人に、より多くを与えることで、
身近な人と赤の他人の向こう側へ向かうという空に至るもっとも基本的な実践。
しかし実際、なんで座禅を組んだら空に至るのか。ただ座ると、日ごと考えないようにごま
かしているいろんなことが、どんどん湧き上がってくる。その先に何があるか? しかん-たざ【只管打坐】
余念を交えず、ただひたすら座禅すること。▽仏教、特に禅宗の語。
「只管」はひたすら、ただ一筋に一つのことに専念すること。
「打坐」は座ること、座禅をすること。「打」は助字。「只」は「祇」とも書く。
仏教思想に興味があって、仏教徒でもないのでも実践のことはわかりません。
ただ日常の向こうへ、というのはわかります。 >>
ですから、坐禅が、禅堂に坐ることだけをいうのであれば、道元はそんなものは必要ないと
言うでしょう。道元にとっては、行住坐臥(歩き・止まり・坐り・臥す)のすべてが坐禅でなけれ
ばならないのです。日常生活そのものが坐禅です。食べるのも坐禅。眠るのも坐禅。いわば
仏が食事をし、仏が眠るのが坐禅です。そのことを道元は、
− 只管打坐(あるいは祇管打坐とも表記されます)−
と呼んでいます。“只管”“祇管”とは宋代の口語で、「ひたすらに」といった意味。ただひた
すらに坐り抜く、眠り抜き、歩き抜く、その姿こそが仏なのです。仏になるための修行ではな
しに、仏が修行しておられるのです。道元がたどり着いた結論はそのようなものでした。
http://shuchi.php.co.jp/article/1535?p=1
<<
食べて寝て働いて。。。ただ日常を生きる。
それを俯瞰し、メタ化して、そしてそれさえも忘却した先に、
ただ自然に溶け込んで生きている。
仏教の中でも、禅の悟りは老荘の影響が大きいこともあり、自然主義的ですね。
空というのは縁起ですが、禅の悟りは自然への回帰の面が強い。
日本人は自然の中に生きて生きたので、禅の自然主義的な面に惹かれるのでしょうね。 重要なことは、自然に溶け込むことではないです。
日本人は縄文時代より素朴に自然に溶け込んで生きてきましたが、
一度、自らを自覚して否定しないといけない。
禅宗をはじめ鎌倉仏教は、日本人にこれを教えた。素朴な民衆を覚醒させた。
>>
本書の著者・鈴木大拙先生は、大乗仏教の根本原理を「即非の論理」と呼んでいる・・・
例えば、「世界は即ち世界に非ず、是世界なり」、また「微塵は即ち微塵に非ず、
是を微塵と名づく」等である。これを一般的な形式に引き直すと、
「甲は甲であると言うのは、− 甲は甲でない、故に甲である」という方式になる。
もっと簡単にすれば、「甲は甲であると言うのは、―――甲は甲でない、故に甲である」という方式になる。
もっと簡単にすれば、「甲は甲でない、だから甲だ」という命題ができる。
すると肯定が否定で、否定が肯定だということになり、普通の論理ではとうてい
承認され得ない非合理であり、常識外れも甚だしいと言わなければならない。
それにも拘わらずこの即非の論理が、仏教的思惟の根本なのである。
仏教では、物の本然、物の真実或いは物の「在りのまま」の存在を「如」或いは
「如々」と呼んでいる。即非の論理は、定立(肯定)されている概念をいったん
否定し、この否定を経てもう一般肯定に戻ったときに初めて、その概念に対応
するところの物が真実にとらえられると言うのである。心が主観と客観に分かれ
て、そのあいだに成立する関係が、普通に言われる知識或いは認識であり、
これはまた分別とも呼ばれる。ところが主観は人によってそれぞれ異なるから、
こういう認識作用によって知られるところのものは「在りのままの在る」ではない、
それには常に主観によるいわば変容が加わっている。そこでこのような分別を
否定するのである。つまり主観と客観の対立をすべて掃いのけてしまう、或いは
心が主客に分かれなかった前の状態に戻ると言ってもよい。心はもともと一心
であり、絶対の一である。これを主観と客観とに分けたのは我々自身なのである。
いずれにせよ初めの肯定がこうして否定されると、そこへ在りのままの物が現出する、
それが即非の論理の意味である。(解説 篠田英雄)P257-258
日本的霊性 鈴木大拙 ISBN:4003332318
<< 違います
エゴイストになることです
史上空前誰も到達しない
エゴを打ち出せれば
きっと神に到達出来るでしょう どうか自意識の極限まで行って下さい
それがあなたのカラーです ひたすら自分の心を舐め回すのです
思春期の中学2年生の女子よりもひどく
自分を温め 同情し 包み 持ち上げ 自分に酔う
これが大事です
ひどいもんですそりゃ この言語論は内容的には陰陽論と同じだよ
それを○と→で体系化して日本語論とか数学論にしている てか
どの人にも煽りに来ただけです😋
盛り上がろうよー ヨグマダは真理そのものです。愛そのものです。人の見えない内側をすべて知り尽くした偉大なる尊敬すべき大宇宙のマスター。
実際に自分が変容して純粋なり心が軽くなり愛が溢れてくるようになるプログラムです。
真理はとてもシンプルです。
私達に示された唯一なる幸福な世界の作り方です。現在ではヨグマダが更に進化して最高の傑作である瞑想のプログラムが作られました。
現在20冊以上出版されました。 電子決済の運用準備を政府に提言しました。
電子マネーは、中国が国家をあげて社会実験に取り組んでいましたが、どうやら、
成功して、今や中国の決済の600兆円は電子マネーによる決済だといわれています。
中国は電子マネー技術をマレーシアにも提供するようですが、インドでも、電子マネーの導入が行われています。
そういうことで、日本は電子マネー後進国なわけです。
それで、政府に提言しました。首相官邸に意見しました。なぜ政府に意見するかというと、
電子マネーというものは、個人番号制と連携して不正を防ぎ運用しなければならないものだからです。
今すぐ導入しろとはいいませんが、日本で電子マネーによる電子決済を行う準備をしておかないと、未来に日本が遅れてしまうかもしれません。
個人番号制と連携するためには、政府の協力は絶対に必要なわけです。
そして、個人番号制のもと、電子マネーによる電子決済が普及することを願っています。
まあ、ぼく個人はアナログな人間で、スマホを持ち歩くわけではないので、電子マネーで電子決済するのが普及しても、
現金紙幣で決済しているかもしれませんが、日本の国家として成功した電子マネー実験に遅れるわけにはいきません。
ちなみに、勘ちがいする人がいるといけませんが、ぼくが電子マネーといっているのは、
現金預金のクレジットカード決済の延長上にあるもので、ビットコインなどの仮想貨幣とはまったく異なるものです。
ぼくが推進しているのは、日銀が運営する日本円のことです。日本円を電子決済するようにしようということです。
それには、日本政府が個人番号制と照らし合わせて管理してもらわないといけません。 今、どのような未来に動いているのかというと、ぼくはこう思い描いています。
人工知能が管理する個人番号制の社会に向かって動いているということです。
個人番号制は何億と情報がありますので、個人番号制は基本的に人間が運用するのではなく、
人工知能によって運営されていくと思います。もちろん、ビッグデータ監視の内側にいる人間の補佐官はいるでしょう。
この、ビッグデータ監視の外と中の対象性のちがいの問題を解決しなければ、
ぼくの思い描いている未来は厳しい格差社会になってしまいます。
しかし、人工知能が個人番号制によって人類を管理する社会はそれほど悪いものではないでしょう。
今、第四次産業革命の一環として、ロボット物流革命、野菜工場革命が起きています。
ロボット物流は、少なくても、市場規模七兆円の医薬品業界では導入は三割以上においてなされています。
このまま、どんどんロボット物流が普及し、誤出荷や破損の大幅に減少した物流網が築かれることでしょう。
野菜工場も、普及は著しく、大規模な拡大が見られます。野菜工場は採算性が問題になっていますが、
良い商品を作って売るという観点からはぜひ推進すべきものです。
そして、次に目をつけているのが電子決済だというわけです。 管理される事、つまり管理社会は悪だから無くさなきゃならない。 北一輝は、
江戸幕府から明治維新による明治憲法は肯定的にとらえた。
問題を、資本家による経済的な搾取とした。
だから第二革命として、社会主義による経済改革に重きをおいた。
しかしそれは財産を分配する共産主義革命ではない。
北一輝は私有財産や自由競争自体を否定したわけではない。
私有財産を持つこと、成果を求めて働くことは、人間にとって重要であると考えた。
だから資本家による独占を抑止する方法として、
生産手段の国家管理であり、また国民への分配である。
それにより、上層を落とすのではなく、下層が上層に上る「社会進化」を目指した。
さらにそれに伴い「社会の良心」、献身的道徳が社会を豊かにする。
明治憲法の肯定、自由主義の肯定、献身的道徳重視、
すなわちすでにあるシステムの推進であり、
また経済的上(財閥、政治)の抑制は国民が望んでいたものでもある。
これらは国民が望むだろう実現可能な解と見える。
226事件の青年将校たちは、財閥、政治家を粛清しクーデターを起こしたのは言いが、次の明確の作戦はなかった。
その理由の一つがことを起こしさえすれば、北一輝的な改革が動き出すだろうと、それはそれほど難しいことではないだろうと考えたからではないか。
しかし彼らは逮捕されて処刑された。
そして、226事件に関わったと言い難い北一輝も同時に処刑され、クーデターは失敗した。
しかし実際はその後、世の中の空気はわかった。
財閥や政治家たちは意気消沈して、陸軍中心の政府ができる。
そして侵略戦争が進むとともに、北一輝的な国家社会主義な国家総動員法が整備されていく。
企業は労働者重視となり、土地は地主が不利になり、
官僚は企業を統制し、教育勅語の道徳が熱心に国民に教育されていく。
結局こと改革は、敗戦でも変わらなかった。
軍事的な国家総動員から、経済的な国家総動員へシフトし、日本人の高度成長を支え、
そして世間という献身的道徳システムは今も機能している。 >>
純正社会主義は、個人の自由を個人そのもののために要求して、社会国家の幸福、進化を無
視しようとする個人主義の革命論ではない。社会国家の幸福、進化を無視している個人主義
の組織を革命によって打倒し、社会が経済的源泉の本体になるという経済上の事実を、国家
を最高の所有権者としている今日の法律が持つ理想の下で実現し、それによって個人が社
会国家の利益のために自由に活動する道徳的義務を持った責任の主体にしようとするものである
国体論及び純正社会主義 北一輝 第4章 http://kokutairon.web.fc2.com/dai2-4.pdf
<< 北一輝の思想がなぜ青年将校に訴えかけたのか?
問題意識と改善内容が現実的であった、そして日本人的であったためとあるだろう。 >>329
北一輝は悲劇的だった。2.26事件の青年将校たちを昭和天皇が
嫌っていた。 見た人は感想くれ。VIPで速攻ダット落ちしやがった。不完全燃焼。
【ネタバレ】ワンピースの最終回までのあらすじを知りたければこのスレ開け【個人考察】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://vipper.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1491032486/ 日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
総量規制オーバーや、過去のトラブル等で借入れが難しい方。
多重債務でお困りの方。
誰にもバレずに借りたい方。
お金に関するお困り事や法的トラブル等HPに記載以外の事でも、お気軽にご相談下さい。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
詳しくはHPをご覧下さい。
NPO法人 エスティーエー >>332
ウジウジしてないで集英社に持ち込んで来い。
このヘタレ。
編集者にけちょんけちょんに貶されて絶望して首つればいいのに。 >>187
文章が稚拙すぎる。
小中学生向けにしては内容が雑。
高校大学生向けにしては浅すぎ。
どのセクターに対しても得しない出来。
ただ、碌な入門書がないというのは同意なのでめげずに頑張ってくれ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています