哲学とは事象のすべてを究明し、論究する学問のことであり、
その意味から日本には聖徳太子から空海、最澄、親鸞、道元等々の
仏教・神道を中心とした事象の究明がなされていた。これは、東洋哲学であり、
事象を“成り出でてある(生成論理)”と捉える東洋哲学は、ハイデガ−哲学の
生成論理と通底している。

ハイデガ−はギリシャから始まる西洋哲学を“作られてある(被制作性=差異化)”の哲学と
述べている。この西洋哲学に対して日本・中国などの東洋哲学は“同一化の哲学”と呼ぶことが出来る。

東洋哲学の“同一化論理”と、西洋哲学の“差異化論理”は、いわば“車の両輪”であり、両論理の
“濃淡”の割合がその時代の歴史を作り上げてきたのである。