形式主義と存在

凡そ『無条件にこれだけは存在する』と万人に認められるようなものは
残念ながら一つもありません
そもそも、存在の意味を厳密に定義しようと詰めていくと、それが何のことか
人間には理解できません、矛盾してしまうからです

一般人は多分、もろもろの数学概念が実在するとは思っていません
円周率とか黄金率とか素数とか対数とか確率とか、そういったものは
人間が作り出した虚構でしかない、と
だいたい、みんなそう思っている

一方で、『数学概念は世界の実態の何らかを表現しており、それは存在している』と
思っている数学者は結構いるような気がします

「存在する」あるいは「存在であること」の必要十分条件とは何でしょうか
誰にも分かりません
いや、「俺には分かる」と信じている奴はいるでしょうけど、それを万人が納得するように
説明できた人は一人もおりません

ヒルベルトによれば、「存在=無矛盾性」です
これは時間論も含め、割りとあちこちで目にするテーゼです
それを『原理』として受け入れたとして、しかしもし
「存在が無矛盾であるとすれば矛盾が生じる」
場合にはどうするのか
前提が間違っていたのだから、背理法により「存在=矛盾」ということになりますが
しかしその場合、そもそも論理を適用できなくなるので、背理法を適用することも間違っている・・・

いま思うのは、「存在=無矛盾」なのではなく
「存在が存在であるために矛盾を永遠に回避し続けなければならない」

・・・・永遠にそれが可能であることは保証されない、ようですが