>>415とは全然ちがうが、しかしなんとなく似ている
そんな話がありました。せっかくですので

****************************

1)太郎が花子をねたんでいる
2)花子が太郎からねたまれている

この二つの文は、論理的な内容として等価だと、そのように判断できる
等価という意味は、上の文が真ならば、下の文も真だと、そういうことです
(情緒的な内容は違うかもしれない)

ところが、「太郎」を「誰も」に置き換え、「花子」を「誰か」に置き換えて

3)誰もが、誰かをねたんでいる」
4)誰かが、誰もからねたまれている

とすると、これらは論理的に等価な内容にならない
なぜなら、3)が真だとしても、皆に(=誰もから)ねたまれている「誰か」が
存在するとは言えないからです

文法的には同じであるのに、真偽の関係は違ってくる
なるほど言われてみれば、と

言葉の闇は深い