0417沼
2018/01/18(木) 19:48:13.100そんな話がありました。せっかくですので
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1)太郎が花子をねたんでいる
2)花子が太郎からねたまれている
この二つの文は、論理的な内容として等価だと、そのように判断できる
等価という意味は、上の文が真ならば、下の文も真だと、そういうことです
(情緒的な内容は違うかもしれない)
ところが、「太郎」を「誰も」に置き換え、「花子」を「誰か」に置き換えて
3)誰もが、誰かをねたんでいる」
4)誰かが、誰もからねたまれている
とすると、これらは論理的に等価な内容にならない
なぜなら、3)が真だとしても、皆に(=誰もから)ねたまれている「誰か」が
存在するとは言えないからです
文法的には同じであるのに、真偽の関係は違ってくる
なるほど言われてみれば、と
言葉の闇は深い