論理学・集合論 [無断転載禁止]©2ch.net
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1bitの宇宙がついているとするとやっぱおかしい。 どちらも半bitだ。 この半bitがもつれる。 とすれば、命題論理はもつれによる推論として再定義したほうがよさそうだ。 そうなると、命題は真か偽が決まっているということにはならない。 命題計算の向きを逆に考えると、重ねあわされた世界が発生している。 ならば、量子Prologが作れる。命題じゃなくて(一階)述語論理だけどね。 量子コンピュータによるAIは、量子Prolog的なものでいいんじゃないだろうか。 量子プログラミング言語としての量子Prolog。ちょいと考えてみるだけの価値はある。 量子バックトラックw 推論とか計算とか選択とかを逆向きに考える。 とするならば、脳のどこかにもアダマールゲートがあるはずだ。 生命そのものが量子計算機なのかも。 この宇宙という量子計算機は、いったいなにを計算しているのか。 「なにを計算しているのか」ということが「究極の問い」だったわけだ。 「銀河ハイウェイ...」か... 「命題」から考え直す。 「命題」とは、ただしいかただしくないか明確に定まる文や式である。 論理学では、これがすこし拡張されて、 「命題」とは、真または偽のいずれかになる文である。 真または偽に、いつなるのか。それは先送りされているw そのことを勘違いした論理を扱ってはならない。 「わかんねーけどどっちかだよ」ということなのだ。 量子状態なのであるw 哲学と量子論は同じものであり、論理学も集合論も現物としての自然数論も量子論として語られなければならない。 哲学としての論理学は最初から量子論だったのだから。 3枚のドアがある □□ ■■ ■■ □□ ■■ ■■ □□ ■■ ■■ モンティチョイス □□ ■■ □□ ■■ □□ ■■ 当たりの確率が1/2世界線へシフト ■□ □■ □■ ■□ ■□ □■ それ、中がみえてる... もしかしたら、重ね合わせたまま計算すれば条件付確率が計算できるかも。 などと思いついたが、眠いので明日の夜だな。 さっきからANDを2入力2出力でやれないものかと考えていたのだが、 重ね合わせたまま出力すれば可逆ゲートでもいけそうな気がしてきた。 つーことは...xxxxすれば量子デバイスがなくても比較的速く計算できそうな気が... これが真偽値にモナドを付加することだとするならば、実はモナドって「宇宙」そのものなんじゃない? 窓はないけど宇宙が詰まっている。 モンティホール問題を状態ベクトルで考えようとしたが、 ちゃんとやろうとすると論文が一本書けてしまうレベルだと気づいた。 これは、もうすこし時間をかけて考えることにしよう。 それと状態ベクトルの表記のしかたがすこしマズかった。 命題Aを状態ベクトル(縦ベクトル)であらわすときカンマをつかって[,]にように表す。 縦に書きにくいから横に書くw 通常は |0>=[1, 0] |1>=[0, 1] だ。 |0>や|1>はケットベクトル表記。 1や0は意味をもちすぎているのでaや~aで表していたが、 この手法を統一していなかった。 [0, 1]=[~a, a] としたほうがよかった。a=1のとき真となる。 なぜこんな記法をするのかというと、 QLC(Quantum Lambda Calculus)を作ろうとしているからである。 QLCによって論理学や集合論から自然数論を再定義すれば、 哲学計算ができる、と考えているからである。 これがなにになるかといえば、量子AIなのだw 数学と哲学の大統一でもある。なんてことはどーでもよくて、遊べるおもちゃをつくっている。 哲学するピタゴラ装置なわけw 論理学は哲学から発生しているが、記号論理学(数理論理学)のほうが成功してしまい、 哲学としての論理学はどこにいるのかわからないのが現状だw そこを再統合するヒントは記号論理学の側にある。 「正しいか正しくないかが明確に定まる」ということはどういうことなのか。 論理学を哲学に回帰させるには、そのような点から再考すべきと考える。 わたしは量子論的に捉えなおすという方法を選んでいるが、それが正解かどうかはわからない。 量子論と、(超弦ではなく、最初の)ひも理論の考え方からやっていくと、 モナドのようなものが見えてくる。ただし、モナドはライプニッツのものと、圏論のものと、 計算機科学の3種類あり、どちらかといえば3つ目のものではないかと思える。 OOOを活用できるかなとも思っているのだが、よい文献がみつからない。 オブジェクト指向存在論(object-oriented ontology, OOO)の論文といえば、 グレアム・ハーマンのTool-Being: Heidegger and the Metaphysics of Objects.である。 このころは、まだ、object-oriented philosophyといっていた。 Tool-Beingについては、わたしは単にOperatorと同一視しているので見解は同じではないw 命題も、また、ObjectでありTool-BeingでありOperatorであると考える。 LaQは立体的でありつつも平面を意識した日本生まれの知育ブロック ■ビッグバンの前にはもうひとつの「古い宇宙」があった:研究結果 宇宙はビッグバンから始まった…という通説は間違っていたのかもしれない 現在の宇宙は、収縮状態にあった「古い宇宙」が膨張し始めたことで 生まれたということを、量子力学を用いて示す研究が発表された 宇宙は常に膨張状態にあり、それは「ビッグバン」 ──無限大の密度をもつ高温の1点からの爆発によって始まった、 と一般的に考えられている 「ならば」の使い方がよくわからん。本当に日常言語のPならばQは、「P→Q」ってことでいいの? 私には「P|=Q」のようにしか捉えられないのだけれど、日本語に精通していないってことなのか? あと、「P|=Q ならば |=P→Q」における「ならば」の位置づけもよくわからん。 「P|=Q」はメタレベルの式でしょ?それをつなぐ「ならば」は、メタメタの言語ってこと? おもしろい! 日常言語の「ならば」と実質合意と論理的帰結の違い。 日常言語の「ならば」と実質合意の違いからは、様相論理がうまれている。 マルクス・ガブリエル風に考えるならば、 「ならば」は意味場によって異なる存在となり、 実質合意や論理的帰結は、それぞれがそれぞれの意味場における存在である。 そう考えるならば、「メタ」はより大きな意味場になる。 しかしながら、無限連鎖してしまうと不完全性定理の餌食になるw 以下妄想 つまり...え?...えええ?...閉じてしまえばいいのか... そうするとネーターの定理にも閉じていることを予言するような箇所があるのかもしれない。 おもしろい! 日常言語の「ならば」と実質合意と論理的帰結の違い。 日常言語の「ならば」と実質合意の違いからは、様相論理がうまれている。 マルクス・ガブリエル風に考えるならば、 「ならば」は意味場によって異なる存在となり、 実質合意や論理的帰結は、それぞれがそれぞれの意味場における存在である。 そう考えるならば、「メタ」はより大きな意味場になる。 しかしながら、無限連鎖してしまうと不完全性定理の餌食になるw 以下妄想 つまり...え?...えええ?...閉じてしまえばいいのか... そうするとネーターの定理にも閉じていることを予言するような箇所があるのかもしれない。 む。ブラウザかサーバかどちらかがおかしい。 昨日からなにかが不調だ。特異日を考えるならばパールハーバー? 論理を量子論的な立場から考え直している。 一粒子系はだいたい考えたつくしたので、二粒子系。 二入力の論理ゲート。 そうすると、ANDやORがオカシイということに気付く。 これをどのように再解釈すべきか。 そのままだと情報が保存されていないようにみえる。 なにが足りないのか、ということ。 真/偽をT/Fとする。 A = T or F, B = T or F である。 A and B = T とすれば、A = T, B = T であることがわかる。 しかし、 A and B = F のときはひとつに決まらない。 これはいったい(哲学的には)どういうことなのか。 ∩ 新年 ∩∪ あけまして ∪.| |∩ おめでとう . | |.| |∪ ございます . | |.| |.| | (∩∩∩∩) 2019年元旦. (∪∪∪∪) |≡≡≡| /≠≠≠\ 考えるということはユニタリ変換であって、 情報が失われることはない、と考えたい どのようなユニタリ変換をするということが 考えるということである そうすると、集合とはなんなのか 素朴に考えれば情報の集まりとしての情報である 集合も考えるということのひとつになる とすれば、情報の存在論が自然数論なのだろう 自然数論が存在論で、集合論が意味論であるならば、 論理学は...変換・変形なのだから... なんだ? 哲学のなんらかの論に相当すると思われるのだが... 美学的ななにか?...倫理?...思想?...? とするならば、認識論とはユニタリ変換である 可逆でなければならない ほんとか? 人間の5大欲求とはよく言うが、 実は知られていない6つめの欲求がある それが「自動化」だ 人間の歴史は自動化の歴史と言い換える事が出来る 如何に楽をしてより多くの仕事量(ジュール当たりのパフォーマンス)を 増やすか人間は苦心してきた その究極形となるのが汎用人工知能である これは人間の働きを全て代替する プリンストンとかに招かれるような奴たとえば俺とかは フィボナッチ等は学童の頃に嗜む アンドリューワイルズもそうだ テレンスタオもそうだろう 知能指数は タオ>俺>ワイルズだと思う とにかく今はゼータζ(s)だろ 素数とはは一体なんなのか どんな調和があるのか 物理も化学もそう宇宙も全てが分かる瞬間こそ 素数そしてゼータ関数の解明である フェルマー解いたワイルズは世界一有名な数学者の一人だろう ゼータζゼロ点を解明しワイルズを超えたい >>620 なんでもありって事 要はAとBだけじゃ結論が決められないってこと 素数を知ったのは確か4歳くらいの時 聡明で美しい数字を想った 2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59… 何か法則性は無いのか すぐ近くに次の素数が現れると思えばすぐ近くには無かったり これが3桁4桁5桁となっていくと複雑な羅列が顕著になる この素数に子供ながらにして興味津々になった記憶がある 小学低学年の時だったか 数列anで階差数列をしていけば容易ではないかと思ったりした 浅はかな学童 その内にリーマン予想を知る 複素数の関数が必要であること 学童の“大学への数学”“Z会”クラスの学力では無理だったのだ そしてリーマンζ(s)を解き明かす目標の日々となる そう2008年の「リーマンショック」にはビックリした 「リーマンやっちゃったよ」なんて街の声に誰かがリーマン解いたのか そう思ったのである しばらくしてリーマンとは米国投資銀行であり その倒産を意味するを知る またサラリーマンをリーマンとここ日本では呼ぶようだが 「おまえリーマンとしてはゼロ点だな」なんて地下鉄で説教 しているのを聴くとドキッとくる ┏┓┏┓ ┓┏┓ ┏┛┃┃ ┃┗┫ ┗┛┗┛ ┻┗┛ 令┃和┃元┃年┃ ━┛━┛━┛━┛ 空集合は開集合である。 これが境界を持つと閉集合になる。 それは境界のみがあるということ。 よって、それは球面である。 空集合を0次元球体とするなら、 -1次元球面なのか、 反1次元球面なのか、 -0次元球面なのか反0次元球面なのか。 それとも未発見の球面なのか。 0次元球体は「点」である。 これは開球体なのか閉球体なのか、両方あるのか、調べてみたがわからなかった。 球体といっているが、ようするに「集合」である。 空集合は開集合である。これが0次元開球体と同一視してよいものなのか。 これもわからなかった。 もし0次元開球体が空集合であれば、ただひとつしかないことになる。 もし0次元閉球体が点であれば、たくさんあってもよい。 0次元閉球体は、おそらく、フェルミオンだ。 では、0次元球面はどうなるのか? これは0次元閉球体が2つ、のはずである。 しかし、これはおかしい。 閉球体が、さらになんらかのpropertyをもっていなければ、 2つの閉球体がまとまって球面となるようなことはない。 つなぐものと考えるならば、仮想粒子を交換しているはずである。 仮想粒子は、この場合はボソンのはずだ。 ここまでの登場人物であやしいのは0次元開球面/空集合である。 彼が閉球体をつないでいるボソンのはずだ。 2つの閉球体が空集合を交換する。 閉球体がなんらかの表面で閉じ込められたものだとしても、 中身は空集合なので「ひとつ」である。 なにが足りないのかといえば、2つの閉球体間のフェルミ面である。 登場人物の中から探すとすれば、これは2つの閉球体の表面であろう。 0次元球面は超伝導であり超流動的であり1量子ビットである。 空集合だから。外延性の公理。 さらには量子力学からの要請。 「エクリチュール」とは書くことであり書かれたものでもある。 哲学的にはパロールと対立させられる。 これを、記述行為あるいは記述されたもの、または情報であると考えてみる。 球体とか球面とか点とかいっても、それは「記述」である。 記述を「描く/描かれたもの」としてもよいだろう。 その「記述」のひとつの手法として「集合」がある。 対象など、とりあえず無定義の「点」でよい。 0次元閉球体は「点」ひとつだけの「集合」である。 とすれば、0次元開球体は、その「点」を含まない「集合」である。 やはり、「空集合」と同定してもよさそうだ。 0次元閉球体を、「ある」という属性しかもっていないとすれば、 0次元閉球体もまた、ただひとつの存在である。 そうなると、「0次元」とか「球体」とかも、哲学用語であるw 哲学的次元と、哲学的実体。 さて、「哲学的次元」をどうしよう。 0,1はよさそうだ、哲学者であってもさらに2ぐらいまでは数えられるようにしなければならない。 3以上は、「たくさん」でよいだろう。そこまでは求めない。 「点」と「空」による基底状態から、2をひきださなくてはならない。 それぞれがただひとつであっても、あわせれば2になりそうだが、哲学的にはそんな単純ではないw 必要となるのはproperty(properties)である。 >>595 >しかし、量子ゲートは可逆であり、二度通ると元に戻る。 それはゲートの中の話だけで入出力(他の量子原理も含む)に 接続するときに完全な情報伝達ができないのが量子力学の基本すらしらないのか? よって「二度通ると元に戻る」とは間違いでもとにもどる近似(かなり誤差がある)となる 量子情報にデジタル情報として載せて繰り返し行うことで誤差の除去はできるが 1回目と2回目と3回目で同じ動作になるとは限らず、2度通るという話は糞知識の証拠だ >>632 ありがとう。 空間における、何も存在しない部分は全て繋がっている、という事だね。 0次元球面というのが良くわからない。 また、2つしか存在しない理由は? いやいや、現実の量子コンピュータではなく、 量子ゲート(可逆ゲート)だけで考えれば元に戻る。 それだけでは現実世界を構築できない。 どうやって電荷のようなものを自発的に発生させるか、そこが問題だ。 0次元球面は、2つの点である。そうなっているらしい。 しかし、2つの点がバラバラでは意味がないはず。 なんらかの仮想粒子を交換していなければならない。 (物理的にではなく)論理的に考えられるようなフェルミ凝縮があるのだろう。 繋がっていると表現してしまうとコネクターが存在するようなイメージになってしまう。 あくまでも「ひとつ」。 量子コンピュータが量子ゲート以外を拒む学者が総数なのは、 量子コンピュータの本質は計算過程を処理しないこと、計算時間が完全に0秒であること 量子コンピュータの計算時間とは読み出しにかかる時間だけということだからだ。 量子もつれ(エンタングル)をした量子計算アルゴリズムは1つの粒子として働き、 そこには伝達という原理が存在しないので相対性理論は適用されない。 量子テレポートが同時で光速を超えると言い出すのはその意味である。 量子ゲート以外の多粒子が相互に情報を伝達しあって構造によって伝達の原理でくみ上げる それは量子コンピュータではなく古典的従来のコンピュータ回路である。 情報を伝達するが故に複雑な計算になるほど指数的に時間がかかるが、粒子が1つのとして 量子もつれが原理となる量子コンピュータでは指数的な時間がかかる演算を単純な計算と どういつに0秒で処理ができる、複雑の度合いは量子もつれの数に依存し、一度外に 入出力してしまえば古典的コンピュータ演算に速度が落ちるという原理だ。 0次元開球体を空集合と同定した場合、 0次元閉球体は点である。 この点の表面は-1次元の球面なのか、それとも点そのものなのか。 0次元開球体に一点つけくわえれば0次元球面になるはずである。 そのままでは辻褄があわないような気がする。 これを解決するためには最初から点と反点がある、とすればよいだろう。 ほんとか? ちょいとアルコホルがまわりすぎてうまく思考できない。 もしかしたら空と反空があるのかもしれないし、 空と反空のペアは反点と点のペアと同じものかもしれない。 もはや点でも空でもよいが、なんらかのペアあるいはパートナーとなる2つの組み合わせがある。 どちらからかみれば、ボソンとボシーノかフェルミオンとスフェルミオンか。 超対称性パートナーであろう。 このパズル、おもしろそうだ。 1次元開球体の両端それぞれに別の0次元閉球体をつけたものが 1次元閉球体である。 両端をひとつの0次元閉球体でつなげば1次元球面となる。 これらを点の集まりとすれば、点の数として、 1次元閉球体 > 1次元球面 > 1次元開球体 ということになるが、濃度としては一緒である。 これをそのまま0次元で考えると 0次元閉球体 > 0次元球面 > 0次元開球体 なんだかおかしい。 一般的に考えると 1点 > 2点 > 0点 ということになってしまう。 これを解決するのは難しくないが、納得できる説明を与えるのは難しい。 なにかよい古典的な事象/現象はないものか、と、台風の中で考える。 台風、すなわち、スピンなのだ。 こんだけ広告がでてるんだから、チラ裏でしょうw 空集合は、あらゆる集合の部分集合として、そこに存在するにもかかわらず、 外延性の公理からただひとつである。 とすれば、こいつがすべての集合をつなげている。 マルクス・ガブリエルは「世界は存在しない」というが、 世界は、やはり存在するのだろう。ただし、集合論を拡張しなくてはならない。 もし、哲学的に集合論を拡張するのであれば、なにが必要なのか。 と、台風の中で考える。 プラトニズム・有限主義・形式主義、これら以外に論理や集合を捉えうる方法を考える。 これらを認識論的アプローチだと考えるなら、これ以上そのようなアプローチを増やしても、つまらない。 存在論的アプローチ、意味論的アプローチ。 このように考えても、認識論をベースにおいてしまうと、認識論的アプローチとなんらかわりがない。 なんらかの表出・表現・記述が必要になると、そうならざるをえない。 かといって仏教的なやりかたでは『役に立たない』。 これを運命の三女神に割り当てるとおもしろい。 存在は割り当てであり、認識は紡ぐことであり、意味は断ち切ることである。 クロートー、ラケシス、アトロポスでもいいし ウルズ、ヴェルザンディ、スクルドでもいい。 そのままに、過去、現在、未来でもいい。 このようなしょうもないことを考えても、ひとつ得られたものがあった。 「意味」とは「つなぐ」ことではなく「断ち切る」こと。 「断ち切られた」から「意味」が生じる。 単純なスレちではないんだなぁ。 集合論関係の哲学書を読んだうえで書いている。 哲学的アプローチは奥が深い。 どこからどのように攻めるべきか。神話論とか物語論からも攻められるのだ。 空集合は公理的集合論から、ただひとつしかないのだが、 線分の両端が開放端だとした場合、そこにある開球体は両端なのだから2つある。 空集合は境界を含まないと考えるなら、境界は2つあるが中身はひとつだ。 境界と空。これが宇宙際のターミナルだとすれば、そこがタイヒミュラー宇宙港なのかも? 論理学や集合論を拡張するとするならば宇宙際ターミナル機構をくわえればよいのかも。 集合論の拡張はそれなりにみえてきているのだが、 論理学をどうしよう。 論理学の中で、集合論における空集合のように立ち振る舞えるものは、 矛盾律なのではないかと考えてはいるのだが、 よいアイデアが浮かばない。 矛盾律は奔放すぎる。 「束」には三種類ある。pencil,lattice,bundle。 それぞれ別物だが、なんとなくいっしょくたにしてみたくなる。 ごった煮にしてしまえばなにか生まれてくるかもしれない。 集合とは、ものの集まりであるが、 空集合だけはものが集まらない。 なにが集まらないのかによって区別が可能であろう。 そう考えると、「集まらない」ということも、集合論に、明確に入れるべきである。 これと同様に、論理学にも、非論理的なものも取り入れなければならない。 形式論理では、このようなものはたくさん考えられているが、 あくまでも「許容」であって、「非論理」を明確に、「論理」として扱っているのどうかという疑問がある。 竹之内脩『入門集合と位相』 部分集合について ∀x(x∈A⇒x∈B) @ @の対偶は ∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A) A とあるがこれは間違い Aの対偶は ∃x(x∈B⇒x∈A) である わかりにくい場合は ∀x∈A ⇒ ∀x∈B B と書き改めるべきである Bの対偶は ∃x∈B ⇒ ∃x∈A ∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)が不成立な例 A:={1,2} B:={1,2,3} とする.このときA⊆Bであることを示したい.そのために ∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)Aを用いる. いま,4(¬∈)Bを選ぶと4はAにも当然属さないがこれは 部分集合の証明になっていない. そこで,∃x∈B ⇒ ∃x∈Aを示そう. Bから適当に元を選ぶ.たとえば1∈Bとすると 1∈Aであるから∃x∈B ⇒ ∃x∈Aが成立する. ゆえに,A⊆Bの証明で∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)を用いてはならない. また同著書で A∨B ⇒ A∧B を導出していた たしかにAまたはBのとき AとBとの共通部分もA∪Bに含まれるが A∩BとA∪Bが一致するわけではないし A∪B ⇒ A∩B を必ず言えるわけではない たとえばA∪Bの成分の A∪(¬B) はA∩Bに属さない んー。数学屋ではないのでおかしなところを指摘したりはしないw ∀xが全体にかかっているときの正しい対偶のとりかたって、どーなるんだろう。 ま、図を書いて検討するのがベターだろうな。 でもそうすると図示可能であるということが前提となってしまう。 ああ、命題であるということがはたして図示可能なのかどうか。 哲学は難しい。 命題そのものを操れずに、それは哲学じゃない。 哲学者なら前提条件に介入するべきな。 哲学は介入であるのかもしれないが、どのように介入するか。 どちらかというとメタ哲学の領域か。 いっそのこと命題に哲学者を組み込んでしまおうか。 哲学者入りの論理式とか哲学者入りの集合論とか。 >全称命題の否定は全体にかかる 全称命題の否定の命題を作ればいいだけ。 より高次がカオスに見えるからレッテル貼りは学術の基本であっても、 それを問い直す行為ではないのだよ。 数学は一階の述語論理しか使わねえから 高次の論理は関係がない そんな視点はいらない >>660 >数学は一階の述語論理しか使わねえから 自分で数学の限界を示している、哀れだのう。 それが限界、それで説明できないものは存在しないという思考放棄 次元は説明しえない定義しえないところにもあり、 無限という輪廻を極限という数値化して限界から目をそらすのが 数学の限界、所詮は実態を解釈する幻想にすぎない、定義幻想だ。 物理学の足元にも及ばない。 >>662 ああどっかのスレで 閉論理式には真理値を用いることはできない なんていうデマを発する奴がいたが そいつに似ているな お前論理に詳しいんだろ だったら 開論理式と閉論理式の説明をしてくれ >>646 > スレち 板違い、はやく削除依頼だしとけ >>664 そんな短文で絡んでねえで どう違うのか説明してみろよ 俺は同じだと思うけどね >全称命題は、存在命題の否定と論理的に等値である >「少なくとも一頭は空を飛べない牛がいる」という命題を否定することと等値である 俺を否定したいだけで何が言いたいのかさっぱりわからない 全称命題の否定と裏がどう違うのか説明してくれ というか 当たり前過ぎて ぐぐっちまったよ 俺が何か重大な勘違いをしていたのかも知れないと思ってな ところで 開論理式と閉論理式の違いについての説明はまだですか? 説明できないならこのスレに来ないでください 気持ちが悪い 例 開論理式 ∀x(x < y) 閉論理式 ∀x∃y(x < y) こんな簡単なことを さも凄そうに語っていた嘘つきさんまだですか? ここで語ってくださいよ 叩きまくるからさ >>673 裏 ¬∀ ¬… ⇒ ¬… 対偶 ¬∀ ¬… ⇒ ¬… これらを略して ¬∀… ⇔ ∃… なあ前件と後件を略しているくらいわからないか? それから裏と対偶の違いではなくて 否定と裏の違いを教えてくれ 因みに「逆」の話はいらない 自分の見たことのない書き方はすべて間違い その程度の頭だろ? 死ね 全称命題の否定が特称命題だって知りませんでしたwwwwwwwwwwwww 何それ まじかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww うっわwwwwwwwwwww そんな頭で俺に絡んだのかよwwwwwwwwwww やめてくれよwwwwwwwwwwwww >>680 \__________________/ ∨ |/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・ | . : )'e'( : . | ` ‐-=-‐ / \ ||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \ ||\\. \ ∧_∧ ||. .\\ \ ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ) . \\ \ / ヽ. . \\ / .| | | . \∧_∧ (⌒\|__./ ./ ( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧ . _/ ヽ \ ( ) うわー、こっち見てるよ ∀x(x∈A⇒x∈B) 犬、猫、猿がいるとする。 Aを犬、Bを猫でない、とする。 ∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)を対偶とすれば、 犬のとき、猫ではないのだから正しい。 猫のとき、猫であって犬ではないのだから正しい。 猿のとき、猫ではないのだから正しい。 特に問題は生じない。 ∃x(x∈B⇒x∈A)の場合、 犬のとき、猫ではないのだから犬であり正しい。 猫のとき、猫なのだから正しい。 猿のとき、猫ではないのだから犬でなければならない。正しくない。 あれ?おれどこか間違った? >>683 違うな ∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A) の誤謬例 A:={犬,猫,猿} B:={犬,猫,猿,雉} とおく このとき 鬼(¬∈)Bとする 当然鬼はAにも属さない したがって対偶が成立し ∀x(x∈A⇒x∈B) が成り立つ というように∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)とすると 部分集合の議論と関係ないことが起こる 他方 ∃x(x∈B⇒x∈A)の場合 上記A,Bの集合だとして Bから適当な要素(雉を除いたもの)を選べば 必ずその要素はAに属する ゆえに∀x(x∈A⇒x∈Bの対偶は∃x(x∈B⇒x∈A)である ん? ∀x(x∈A⇒x∈B) は、xが鬼でも成り立つよ? >>685 どういうことですか? A:={犬,猫,猿} B:={犬,猫,猿,雉} このようなA,Bについて 鬼は外ですけど まさか全称命題を全体集合の要素から持ってくるとか? しかし ∀x∈AというときはAに属するようなすべての要素xですけど どういうことだろう Aのすべての要素 犬,猫,猿 Bのすべての要素 犬,猫,猿,雉 鬼は外です そうかー。ってことは、「⇒」は論理包含ではないのですね。 論理包含だとばかり思っていました。 どれをみれば命題論理だと思えるのだろう 不思議だわ 数学で使える論理ってほんとに限られてるわ 仮言三段論法とかいろいろあっても 論理学は使えないって言われる クズ哲と同じくらいにね 数理論理学っていうのも同じくらいトンデモだし そういう意味で圏論やホモロジー代数はやらないことにしている 今使える論理が使えない場合もあるだろうから 竹之内脩『入門集合と位相』を読んでいないので、 本当はどのように書かれているのかよくわからない。 それでもまあ、「⇒」は論理包含であり、 ∃は文脈上で「任意の」という意味で使われているのではないかと思う。 作用域の違いも重要だ。これがちょっとズレるだけで意味が大きく異なってしまう。 なんだ基地外しかいねえや ここ見ても書いても意味ねえ じゃあな ああ言いてえことわかったわ 含意命題P ⇒ Qのとき この同値変形で ¬P∨Qって言いてえのか 馬鹿じゃねえの A:={犬,猫,猿} B:={犬,猫,猿,雉} ¬Aの要素は何だ ∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)と同じ問題が発生する 鬼∈¬Aをとれるという主張だがたしかにそうだ そんで 鬼∨犬 真 鬼∨猫 真 鬼∨猿 真 鬼∨雉 真 ∀x∈A ⇒ ∀x∈Bは 何の意味のない命題と化した それでは ∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)と同じものとして ∃x(x(¬∈)A ∨ x∈B) つまりAのすべての要素を調べたいのに 実質的にBの要素のみを調べることになる A:={犬,猫,猿} B:={犬,猫,猿,雉} ∀x∈A ⇒ ∀x∈B の同値変形で ∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B) の場合を考えよう 雉∨犬 真 雉∨猫 真 雉∨猿 真 雉∨雉 真 鬼∨犬 真 鬼∨猫 真 鬼∨猿 真 鬼∨雉 真 つまりAに属さない適当な要素を持ってきて 実質的にBの要素を調べているだけである これは部分集合の証明ではない 因みに「適当な元」とは存在量化子を意味する 「任意の」は全称量化子であることは当然であり 存在量化子を「任意の」と読むなんていうことは意味不明だ >>698 ∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B) 訂正 ∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B ∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B) の場合鬼がとれるという主張だが 以上のように ∃x(x(¬∈)B⇒x(¬∈)A)の場合と同様の問題が発生するので 部分集合の証明すなわち∀x∈A ⇒ ∀x∈Bの場合において 同値変形はするべきではないということがわかった もう一度言う ∀x∈A⇒∀x∈Bの対偶は∃x∈B⇒∃x∈Aである ∀x∈A⇒∀x∈Bの同値変形はできない 以上 含意命題 P ⇒ Q 等値 ¬P ∨ Q この命題論理をどう述語論理に書き換えるか ∀x∈P ⇒ ∀x∈Q 等値 ¬(∀x∈P) ∨ ∀x∈Q) i.e. ∃x∈P ∨ ∀x∈Q これよりPに属さないような要素を考慮する意味はなくなった ∃x(¬∈)A ∨ ∀x∈B)は ∃x∈A ∨ ∀x∈Bに訂正 以上から 犬 ∨ 犬 真 犬 ∨ 猫 真 犬 ∨ 猿 真 犬 ∨ 雉 真 猫 ∨ 犬 真 猫 ∨ 猫 真 猫 ∨ 猿 真 猫 ∨ 雉 真 猿 ∨ 犬 真 猿 ∨ 猫 真 猿 ∨ 猿 真 猿 ∨ 雉 真 という意味のない恒真命題になった これより部分集合の証明において 全称命題を等値変形することはできない 685 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2019/12/19(木) 20:45:34.73 0 ん? ∀x(x∈A⇒x∈B) は、xが鬼でも成り立つよ? よく考えてからレスしろよwwwwwwwwwwwwwww めんどくせえなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 学問には脊髄反射と解法暗記は通用しないので 勉強のやり方を変えた方がよい 竹之内の本を入手できなかったので、結局、ほんとうはどんなことが書かれていたのか不明なままだw x∈AをA(x)、x∈BをB(x)として考えるなら、 ∀x(A(x)⇒B(x))はAに属さないxも含んでしまう。 なので、もし部分集合を語っているのであれば、もっと制限がついているはずである。 >>707 >x∈AをA(x)、x∈BをB(x)として考えるなら、 >∀x(A(x)⇒B(x))はAに属さないxも含んでしまう。 何故ですか? ∀x∈Aは「すべてのAの元」という意味なのに 何故Aでない元まで考慮するのでしょうか? A:={1,2,3} とするときAの任意の元は1,2,3の何れかであって Aに属さないものを選べるとは思わないのですが だって、∀x()で明示的に指定してあるじゃん? ∀x∈Aとは記述されていない。 記述どおりに読んでいるだけだが? >>709 ああそれなら ∀x(x∈A⇒x∈B)という記法は論理学に合わせているだけで 実際の数学では A,B:集合 A⊆B⇔def. ∀x∈A ⇒ ∀x∈B という意味です >>709 しかも >x∈AをA(x)、x∈BをB(x)として考えるなら、 >∀x(A(x)⇒B(x))はAに属さないxも含んでしまう。 これを読みましたか? 貴方は意味不明です ∀x(x∈A⇒x∈B) このようなxを全体集合のxと読み取る人は初めてです 因みに A,Bは単なる集合であって 有限でもなければ無限でもありません ですから選択公理の問題もありません ここまで言わないとわかりませんか? 全称記号と作用域を考えるなら、あたりまえの考え方しかしていませんが? 記述されていないものを持ち込まれて間違っているといわれてもねぇ。 >>713 なに作用域って? 全称記号の存在性について言ってるのか? なるほどね ∀x(x∈A) にこだわる理由がわかったよ すべてのxについてxはAである こう読むんだろ? これが数学と論理学の違いだね たとえ数学で ∀x(x∈A) こう書いてあったとしても これはすべてのAの元と読む まあここは論理学・集合論のスレだから もう数学の話はしないよ なんだ、全称記号を知らなかったのか。それではしかたありませんね。 真 ⇒ 真:真 真 ⇒ 偽:偽 偽 ⇒ 真:真 偽 ⇒ 偽:真 どうせ偽の仮定の問題をうまく処理したいだけなんだろうけど 君こそ数学における全称量化子の意味をわかってない 数学はどこの集合の元に属するのかということが非常に大切である それだから偽の仮定などというものも排除されている 数学でいう集合というのは論理学でいう集合とは異なる 論理学から数学を観ればある意味で制限のかかった集合に観えると思う しかし無制限に拡大した集合は数学では使えない 数学と論理学はどちらが厳密なのかというのはずっと議論されていることだと思うけど 俺は数学の方が厳密だと思ってるよ 因みに俺の専門は 成田正雄及びノースコットのイデアル論(ホモロジー代数を使っていない) まあ興味があったら読んでみてくれ もうこの話は終わりだ 仲本章夫の論理学の本で哲学に関する話が面白かったんだけど 哲学入門とか認識論について読んでいる人いませんか? 数学が論理額より厳密に表現され得るのは人間の持つ精神面の振る舞いを排除した世界だからね 分野を跨いで、理論を統合するための方式に数学の形式論理で整合性を導くからより厳密に見える のも物質世界の認識に限局した領域に限られるからこそだろう 部分集合の意味がわかった. A:={1,2} B:={1,2,3} とする.このとき ∀x(x∈A ⇒ x∈B) の対偶 ∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A) を示す. ∃x∈¬Bを仮定する.たとえば適当に∃x∈¬Aとし, 3∈¬A を選ぶと ∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A) が成立する. ラッセルとヴィトゲンシュタインの決裂も集合論だよ。部分集合と全体集合はなかなかの難易度ですな。 そうなんだよね 部分と全体について考えるとわからなくなる 一応部分集合の証明を ∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A) としてみたけれど ∃x(x¬∈B ⇒ x¬∈A) を考えてみる A:={1,2} B:={1,2,3} の場合 Bに属さないものを仮定する Bの要素は1,2,3であるがBに属さないものをたとえば適当にAと考えるとき Aの要素1,2はBの要素でもあるからそのような元をとることはできない それゆえBに属さないものを仮定するということはできない これが僕の結論です 上述の通り ∃x(x¬∈B ⇒ x¬∈A) @ と ∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A) A との違いは @はBに属さないものをとらなければならない それに対して AはBでないものつま適当にAやAでないものをとることができる と解釈しています >>724 >AはBでないものつま適当にAやAでないものをとることができる 訂正 AはBでないものつまり適当にAやAでないものをとることができる 部分があって全体が成り立つのか、全体があって部分が成り立つのかはルーツによって違うし、繁殖の違いによって違いがあるね。 また部分集合の証明がわからなくなった 今度何か思いついたらここに書きます 有限集合の場合(元が全部みえる・わかる)には A,B:集合 とする ∀x(x∈A ⇒ x∈B) ⇔def. A⊆B これでよい ここでストップ ∀x(x∈A ⇒ x∈B) の対偶 ¬(∀x(x∈B ⇒ x∈A)) 等値 ∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A) やはりこう考えるしかないように思われる ∀x(x∈A ⇒ x∈B) の対偶 ¬(∀x(x∈B ⇒ x∈A)) の等値 ∃x(x∈¬B ⇒ x∈¬A) ではなく ∃x(x¬∈B ⇒ x¬∈A) でなければならない例を発見したのでここに記録する 参考文献 チャート研究所『増補改訂版チャート式解法と演習数学T+ A 黄』 数研出版株式会社 2019年4月10日 第6刷 p.68 EXERCISES B 34 Z:整数全体 とする. 9で割り切れる整数全体の集合をA, 15で割り切れる整数全体の集合をBとする. C:={x+y | ∀x∈A,∀y∈B}とするとき, Cは3で割り切れる整数全体の集合と一致することを示せ. (別証) まず,各集合について A:={x | xは9で割り切れる,∀x∈Z}={xは9の倍数} B:={y | yは15で割り切れる,∀y∈Z}={yは15の倍数} D:={z | zは3で割り切れる,∀z∈Z}={zは3の倍数} C={x+yは24の倍数} である.このときC=Dを示したい. そのためにC⊆DかつD⊆Cを示そう. (1) C⊆Dの場合 ∀a(a∈C ⇒ a∈D)の対偶をとると ¬(∀a(a∈D ⇒ a∈C)) であるから ∃a(a¬∈D ⇒ a¬∈C) をいえばよい.このとき,Dに属さない数すなわち3の倍数でない数を適当に選ぶ. たとえば2とすると2は24の倍数ではない.ゆえに対偶が成立するのでC⊆Dである. (2) D⊆C (1)と同様にして∀a(a∈D ⇒ a∈C)の対偶をとればよい. Cに属さない数,すなわち24の倍数でない数たとえば4を適当に選べば, これは3の倍数ではないので対偶が成立するからD⊆Cである. 以上(1)かつ(2)よりC=Dが成立する. □ 注意 ここでは全体集合が定義されていないが, このような約数・倍数の問題は整数全体で考え,各集合はそれぞれ全体集合の 部分集合であるという仮定がある,と考えることが妥当なように思われる. Zを整数全体 とする. 次の集合の相等を示せ. A:={x | x=5m+3,∃m∈Z} B:={y | y=5n-2,∃n∈Z} (1) A⊆Bの場合 対偶 ∃x_1(x_1¬∈B⇒x_1¬∈A) を示す.そのために ∃x_1¬∈Bを仮定する. このとき適当に x_1:=2¬∈B を選べば x_1¬∈A であるから対偶が成立する. ゆえにA⊆Bが成り立つ. (2) B⊆Aの場合 (1)と同様にして示される. 以上 論理学も集合論も「対象」を扱う。 では、「対象」となりえないものはどうなるのか。 「対象」となりえないけど、なにかしら「ある」もの。 それは「自己同一性」を持たないので、うまく捉えることができない。 なんらかの境界を与えて囲い込む。 もっともよく使われる戦略?がClassである。 しかし、真のClassは集合ではない。 集合として扱うと各種のパラドックスを引き起こす。 参考文献 松坂和夫『集合・位相入門』岩波書店 2018年11月6日 新装版第1刷 A,B,C:集合 A\B:差集合 A^c:補集合 とする. p.13 (2.2) A⊆A∪B (証明) ∀x(x∈A⇒x∈A∪B)の対偶 ∃x(x¬∈A^c∩B^c⇒x¬∈A^c) を示す.∃x(x¬∈A^c∩B^c)を前提とすると適当に ∃a∈A\B @ を選ぶことができる.この@はx¬∈A^cをみたすので対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □ B⊆A∪B (証明) A⊆A∪Bの場合と同様にして∃b∈B\Aを選べば命題が成立する. □ (2.3) A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆C (証明) A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆Cは (∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒x∈C))⇒(∀x(x∈A∪B⇒x∈C)) と書ける.この対偶 ¬(∀x(x∈A∪B⇒x∈C)) ⇒¬(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒y∈C)) すなわち (∃x(x¬∈A^c∩B^c⇒x¬∈C^c)) ⇒(∃x(x¬∈A^c⇒x¬∈C^c)∧∃x(x¬∈B^c⇒x¬∈C^c)) を示す.∃x(x¬∈A^c∩B^c⇒x¬∈C^cを前提@とする. (@) 後件∃x(x¬∈A^c⇒x¬∈C^c)が成り立つこと ∃a¬∈A^cを前提Aとする.ド・モルガンの法則から(A^c∩B^c)?(A∪B)^cであるから適当に ∃a(a¬∈(A∪B)^c) を選べば前提@よりa¬∈C^cを得る.さらに前提Aが在るので ∃a(a¬∈A^c⇒a¬∈C^c) である. (A) 後件∃x(¬∈B^c⇒a¬∈C^c)が成り立つこと ∃x¬∈B^cを前提Bとし,∃b¬∈B^cを考える.(@)と同様にして∃b¬∈(A∪B)^cを適当に選ぶと 前提@からb¬∈C^cを得る.そして,前提Bから∃b(b¬∈B^c⇒b¬∈C^c)である. 以上(@)かつ(A)より対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □ >>740 訂正 >∃x¬∈B^cを前提Bとし,∃b¬∈B^cを考える. ∃b¬∈B^cを前提Bとする. >>740 訂正 >(A) 後件∃x(¬∈B^c⇒a¬∈C^c)が成り立つこと (A) 後件∃x(x¬∈B^c⇒x¬∈C^c)が成り立つこと 私が部分集合の証明において直接証明ではなく対偶法を用いるのは 全称命題から存在命題を示すことができないことより 全称命題の元(数)から個別具体的に元(数)を選ぶことはできない という信念によるものである. これがどこまで通用するのかはわからないが試みたい. たとえば,集合A,Bについてその和集合A∪Bも A∪B:={a| ∃a∈A∨∃a∈B} であると考える. もちろん和集合から任意の元をとることは厭わない.すなわち ∀x∈A∪Bに対して〜 と書ける.AとBの共通集合についても同様である. 分析哲学や言語哲学とつながりがありそうななさそうな あんまり汎用性がないのよねえ、形式にこだわる学は。 A^c:Aの補集合と¬∈について たとえば命題 A∩B⊆A が在るとする.このとき ∀x(x∈A∩B⇒x∈A)の対偶は ¬(∀x(x∈A⇒x∈A∩B) 等値 ∃x(x¬∈A^c⇒x¬∈(A∩B)^c) @ と書いてしまっていたが@と以下の命題は等値であることがわかった ∃x(x∈A⇒x∈A∩B) 今後改めたい A,B,C:集合 とする. p.13 (2.2) A⊆A∪B (証明) A∪B≠Φとし,∀x(x∈A⇒x∈A∪B)の対偶 ∃x(x∈A∪B⇒x∈A) を示す.∃x(x∈A∪B)を前提とすると適当に a∈A を選ぶことができるので対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □ B⊆A∪B (証明) A⊆A∪Bの場合と同様にして適当にb∈Bを選べば命題が成立する. □ (2.3) A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆C (証明) A∪B≠Φとする.いま,A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆Cは (∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒x∈C))⇒(∀x(x∈A∪B⇒x∈C)) と書ける.この対偶 ¬(∀x(x∈A∪B⇒x∈C)) ⇒¬(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒y∈C)) すなわち ∃x(x∈A∪B⇒x∈C) ⇒∃x(x∈A⇒x∈C)∧∃x(x∈B⇒x∈C) を示す.∃x(x∈A∪B⇒x∈C)を前提@とする. (@) 後件∃x(x∈A⇒x∈C)が成り立つこと あるa∈Aを前提Aとする.このようなaを適当に a∈A∪B と選べば前提@よりa∈Cを得る.さらに前提Aが在るので ∃a(a∈A⇒a∈C) である. (A) 後件∃x(x∈B⇒x∈C)が成り立つこと あるb∈Bを前提Bとする.b∈(A∪B)を適当に選ぶと,前提@からb∈Cを得る.そして,前提Bから∃b(b∈B⇒b∈C)である. 以上(@)かつ(A)より対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □ >>751 訂正 >すなわち >∃x(x∈A∪B⇒x∈C) >⇒∃x(x∈A⇒x∈C)∧∃x(x∈B⇒x∈C) ⇒∃x(x∈A⇒x∈C)∨∃x(x∈B⇒x∈C) >以上(@)かつ(A)より対偶が成立する. 以上(@)または(A)より対偶が成立する. (2.3) A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆C (証明) A∪B≠Φとする.いま,A⊆C∧B⊆C⇒A∪B⊆Cは (∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒x∈C))⇒(∀x(x∈A∪B⇒x∈C)) と書ける.この対偶 ¬(∀x(x∈A∪B⇒x∈C)) ⇒¬(∀x(x∈A⇒x∈C)∧∀x(x∈B⇒y∈C)) すなわち ∃x(x∈A∪B⇒x∈C) ⇒∃x(x∈A⇒x∈C)∨∃x(x∈B⇒x∈C) を示す.∃x(x∈A∪B⇒x∈C)を前提@とする. (@) 後件が両方成り立つとき あるa∈Aまたはあるb∈Bを前提Aとする.このようなa,bを適当に a∈A∪B∨b∈A∪B と選べば前提@よりa∈Cまたはb∈Cを得る.さらに前提Aが在るので ∃a(a∈A⇒a∈C)∨∃b(b∈B⇒b∈C) である. (A) 後件の一方が成り立つこと (@)と同様にして適当に元を選べばよい. 以上(@)または(A)より対偶が成立する.ゆえにもとの命題が示された. □ 参考文献 松坂和夫『集合・位相入門』岩波書店 2018年11月6日 新装版第1刷 p.17 (2.16) X:全体集合 A,B,:集合 X\A:差集合 A^c:補集合 とする.このとき (A∪B)^c=A^c∩B^c を示せ. (証明) 本書では和集合から論理積を導出している.これは 論理和から論理積を導出していることの誤魔化しであり全くの出鱈目である. この論法は竹之内脩の集合論にもあった. さて,別証を与えたい. (A∪B)^c⊆A^c∩B^c∧A^c∩B^c⊆(A^c∪B^c)を示す. (1) (A∪B)^c⊆A^c∩B^cの場合 ∀x(x∈(A∪B)^c⇒x∈A^c∩B^c)の対偶 ∃x(x∈A^c∩B^c⇒x∈(A∪B)^c) を示したい.そのために∃x(x∈A^c∩B^c)を前提にする. いま,a∈A^c∩B^cとし適当にa∈X\(A∪B)を選べば X\(A∪B)等値(A∪B)^cより a∈(A∪B)^c を得る.ゆえに,対偶が成立する. (2) A^c∩B^c⊆(A^c∪B^c)の場合 ∀y(y∈A^c∩B^c⇒y∈(A^c∪B^c))の対偶 ∃y(y∈(A^c∪B^c)⇒y∈A^c∩B^c) を示したい.そのために∃y(y∈(A^c∪B^c))を前提にする. いま,b∈(A∪B)^cとし,適当に b∈X\A∧b∈X\B を選べば b∈X\A∧b∈X\B ⇒ b∈A^c∧b∈B^c ⇒ b∈A^c∩B^c を得る.ゆえに対偶 ∃b(b∈(A^c∪B^c)⇒b∈A^c∩B^c) が成立する. 以上(1)かつ(2)より命題は示された. □ X:集合 とする.このとき 集合系:集合の集合 冪集合:Xの部分集合の全体 α:集合系 ∪α:αの和集合 ∩α:αの共通集合 について全称命題から存在命題を導出できないので すべての元からある元を取り出すことができない という理由からこれらを本書通りに定義できないことに気が付いた. 冪集合 Γ(X):={N|∃N⊆X} αの和集合 ∪α:={x|∃A∈α(∃x∈A)} αの共通集合 ∩α:={y|∃B∈α(∃y∈B)} この定義でp.20の命題を示してみたいと思う. 松坂和夫は「任意」という言葉を「適当な」の意味で使っていることがわかった それなので冪集合の定義は上記のものと本書は一致している 部分集合系 ∃M⊆Γ(X) さてαの和集合と共通集合をどうするか考えている 冪集合Γ(X):={N|∃N⊆X} の元としてXの部分集合全体Kを選び取ることも可能である そう考えれば αの和集合と共通集合との違いは 和集合の場合小さいものを選び取る 共通集合の場合大きいものを選び取る という選択でよいのではないだろうか 量化記号としては一致してしまうが 集合の元が異なる(一致する場合もある)ので不合理はない αの和集合と共通集合との違いはきちんと証明することができました 明日書きます おやすみなさい EARLの医学ツイート @EARL_Med_Tw 4月5日 『感染の疑いがある医療関係者は隔離するのではなく、感染病棟担当にするのはどうか』 やっぱこういうこと言ってましたか山中先生・・・ EARLの医学ツイート @EARL_Med_Tw 感染症の臨床現場からは一番遠い位置にいるんですよね、山中先生のご専門て。感染も臨床も畑違い。民放のワイドショーと変わらないですよこれじゃ 午前8:16 2020年4月5日 松坂和夫の写像ですが R:実数全体 とする. f:R_1 → R_2 このとき f_4(x):=a^x が定義できるとありますが これはa^x=0とできないので諦めました また f_5(x):=x^2 は全射でも単射でもないとありますが 私は全単射になると考えています なぜなら値域R_2をR_2:={0}と定めると x^2=0 ⇒ x=0 より定義域R_1はR_1={0}であり {0} → {0} であるからです. それから写像以降の話を自力で 書き換えるのは難しいので読むことを中断したいと思います. 次の本は鎌田正良の本を読みたいと思います. 参考文献 松坂和夫『集合・位相入門』岩波書店 2018年11月6日 新装版第1刷 p.20〜 A,C:集合 α:集合系 とする. (2.17) ∀A∈α(A⊆∪α) (証明) ∀x(x∈A⇒x∈∪α) (∀A∈α) の対偶 ∃x(x∈∪α⇒x∈A) (∃A∈α) を示す.そのために,∃x(x∈∪α),(∃A∈α)を前提とする. いま,a∈∪αとし,αの和集合の定義より.適当にN∈αを選べば N∈α(a∈N) が在るので ∃a(a∈∪α⇒a∈N) (∃N∈α) が成立する.ゆえに対偶が成り立つ. □ ☆ N∈αの選び方は自由である.たとえば,命題のようにA∈αを選べばa∈Aと書ける. p.20 (2.18) (∀A∈α(A⊆C))⇒∪α⊆C (証明) ∀x(x∈A⇒x∈C) (∀A∈α) ⇒ ∀x(x∈∪α⇒x∈C)の対偶 ∃x(x∈∪α⇒x∈C)⇒∃x(x∈A⇒x∈C) (∃A∈α)を示す.そのために ∃x(x∈∪α⇒x∈C)を前提@とし,∃x(x∈A)を前提Aとする.いま,Aより b∈Aとすると適当にこのAがαに属する.すなわちA∈αとなるように選べば A∈α(b∈A) と書ける.これはαの和集合の定義より,b∈∪αを意味するので,@からb∈Cを得る. ゆえに,対偶の後件 ∃b(b∈A⇒b∈C) が成立する. 以上より命題が成り立つ. □ ☆ このA∈αはA⊆Cの選び方に依存する. p.20 (2.17)' ∀A∈α(∩α⊆A) (証明) ∀x(x∈∩α⇒x∈A) (∀A∈α)の対偶 ∃x(x∈A⇒x∈∩α) (∃A∈α) を示す.そのために ∃(x∈A) (∃A∈α) を前提とする.いま,b∈Bとし,適当にB∈αとなるように選べば B∈α(b∈B) と書ける.これはαの共通集合の定義から b∈∩α を意味する.ゆえに対偶 ∃b(b∈B⇒b∈∩α) (∃B∈α) が成立するので,命題が示された. □ ☆ A∈αの選び方は自由である. p.20 (2.18)' (∀A∈α(C⊆A))⇒C⊆∩α (証明) ∀x(x∈C⇒A) (∀A∈α)⇒∀x(x∈C⇒x∈∩α)の対偶 ∃x(x∈C⇒x∈∩α)⇒∃x(x∈C⇒x∈A) (∃A∈α)を示す. そのために ∃x(x∈C⇒x∈∩α) (∃A∈α) を前提@とし,∃x(x∈C)を前提Aとする.いま,Aよりb∈Cとすると@から b∈∩α である.ここで,前提Aの∃A∈αとαの共通集合の定義より 適当に M∈α(b∈M) を選べばb∈Mを得る.すなわち ∃b(b∈C⇒b∈M) (∃M∈α) であるから対偶が成立するので,命題が示された. □ ☆A∈αの選び方は自由である. >>767 訂正 >☆ A∈αの選び方は自由である. ☆ B∈αの選び方はb∈Bのとり方に依存する. >>766 訂正 >☆ このA∈αはA⊆Cの選び方に依存する. ☆このA∈αはb∈AにおけるAの選び方に依存する. >>769 再訂正 B∈αはb∈BにおけるBの選び方に依存する p.33 全射,単射,全単射の例 R:実数全体 とする. @ f_1:R_1 → R_2, f_1(x):=x+1 とする. 写像の存在より値域R_2を R_2:={0} と定め定義域R_1を求める.このとき,f_1(x)についてxの方程式を立てこれを解くと x+1=0 ⇒ x=-1 である.ゆえにR_1は R_1={-1}. これより写像f_1は {-1} → {0}:全単射 である. A f_2:R_3 → R_4, f_2(x):=x^3 R_4:={0} とする.@と同様にして x^3=0 ⇒ x=0. ∴ R_3={0}.. ゆえにf_2は {0} → {0}:全単射 である. B f_3:R_5 → R_6, f_3(x):=x^3-x R_6:={0} とする.@,Aと同様にして x^3-x=0 ⇒ x(x^2-1)=0 ⇒ x_1(x_2^2-1)=0 ⇒ x_1=0∨x_2^2=1 ⇒ x_1=0∨x_2=±1 ⇒ x_1=0∨x_2=1∨x_3=-1 であるから R_5={-1,0,1}. ゆえにf_3は {-1,0,1} → {0}:全射 である. 論理式 ∀x(Fx⇒Gx) 等値 ∀x(¬Fx∨Gx) これで部分集合を考えなければならないことがわかった ∀x(¬Fx∨Gx)の対偶は ∃x(Gx∧¬Fx) で認識できる 今まで∀x(Fx⇒Gx)の対偶は ∃x(¬Gx⇒¬Fx) だと思っていたが大間違いだった ■無矛盾な対偶のとり方 ∀x(Fx⇒Gx)について すぐに∀x(¬Fx∨Gx)と同値変形してはならない そこでまず∀x(Fx⇒Gx)の逆をとる ∀x(Gx⇒Fx) これの同値をとる すなわち∀x(¬Gx∨Fx) この裏が ∃x(Gx∨¬Fx) でありこれが∀x(Fx⇒Gx)の対偶である 例 Z:整数全体の集合 Q:有理数全体の集合 とする Z⊆Q 有理数でありかつ整数でないものは少なくとも1つ存在する Q¬⊆Z 整数でありかつ有理数でないものは1つも存在しない >>776 訂正 ∃x(Gx∨¬Fx) → ∃x(Gx∧¬Fx) でも写像の単射については∃x(Gx∨¬Fx)は使えなかった 通常の∃x_1∃x_2(φ(x_1)=φ(x_2)⇒x_1=x_1) を示す他ない 同値な論理式でも使い分けが必要なのだということがわかった 異なる文章でも同じ意味はある そういうことと関係しているのかもしれない 適当に選ぶというのは本当に難しい エプシロンデルタのデルタくらいに >>778 訂正 ∃x_1∃x_2(φ(x_1)=φ(x_2)⇒x_1=x_2) もし∀x(Fx⇒Gx)の対偶が ∃x(¬Gx⇒¬Fx) だとすると Z⊆Qにおいて この逆も示すことができてしまい 常に Z=Q が成立してしまっていた たしかにZ⊆QであるからZ=Qの場合もあるので Qから整数を選ぶことはできるが 常にZ=Qであるわけがない これは数学ではないのでなんとかしたかった ZやQではなく加法群などで考えていると そこで扱うものは単なる文字になってしまうので ∃x(¬Gx⇒¬Fx)が間違っていることに気が付きにくかった 間違いではないことはわかったが 適当な元のとり方が難しいだけだとわかった ∀x(Fx⇒Gx)の対偶は3つある @∃x(¬Gx⇒¬Fx) A∃y(Gx∧¬Fx) B∃z(¬Gz∧Fz) これらを扱う集合に応じて適宜使い分ける必要がある AやBでも包含関係があれば等号の関係になってしまう場合がある それらはどのように考えるべきなのか考え中だ 部分集合の証明を A∃y(Gx∧¬Fx) B∃z(¬Gz∧Fz) に則って始めたところ 包含関係があれば等号になるという問題は解決できたが 全射の証明すらできなくなってしまった 女子が働きながら家事をしているのに男子が外に出づっぱりだとこの世の外郭は男余りになり疑似地獄化する。 家事子育てをしない男子に外出制限をかけろ。特に定年後の老人男性。会社や学校で外出制限があるのと バランスが悪い。老人の男性町で我が物顔の年功序列はおかしいだろう。 A,B:集合 φ:A→B(写像) とする.このとき σ:A→Im φ φ(x):=σ(x) (∀x∈A) と定めるときσは全射である. (証明) Im σ=Im φを示したい.σの像の性質より Im σ⊆Im φ ☆ が成立するのでIm φ⊆Im σをいう. @論理式∃x(Gx∧¬Fx)を用いる場合 ☆よりIm σに属するものはすべてIm φに属するので不成立. A論理式∃x(¬Gx∧Fx)を用いる場合 Im σに属さないものはIm φに属すると言えそうだが☆より Im σに属さないものはIm σ⊆Im φをみたさないので これも不成立である. 今まで包含関係があれば等号が成立してしまっていたのは @において☆を無視した場合とAにおいて☆を無視した場合である. ゆえにσが全射であることを示すことができない. しばらく数学を休もうと思う. おそらく成田正雄は φ(x):=σ(x) (∀x∈A) と定めることによって直接 Im φ=Im σ が言えると考えたのだろうが そう簡単な問題ではなかった 独学だと辛いです。前原昭二「記号論理入門・新装版」p55 A を任意命題、 人 を矛盾とし、 人→A が成立するなら 人 ー A と推論規則の形で表すことができる。 人 人→A ーーーーー A から、成立する仮定である 人→A を省いたということでしょうか? A,B:集合 とする.このとき A=B を示すには A⊆BかつB⊆A @ を示す必要があると言われている. しかし@でもし一方が示されると その逆を示すことができないことがわかった. この証明において論理式∃x(Gx∧¬Fx)を用いる. (1) A⊆Bの場合 (@) Bに属しAに属さないものが在る. (A) Bに属さずAに属するものが在る. (2) B⊆Aの場合 (B) Aに属しBに属さないものはA⊆Bより不成立. (C) Aに属さないものはA⊆Bをみたさないので不成立. つまりA⊆BかB⊆Aの何れか一方のみしか成立しない. 等号A=Bは前提にしか持ちえないものだということがわかる. それなので等号を扱う定理とそれを援用している各命題は不成立である. もしこの論法を認めないと包含関係があれば等号の関係になってしまう. たとえば直線と曲線の問題を考えてみよう. 一般に曲線は直線を含むと言われている. そこで直線⊆曲線とする. このときこの逆を考える. ここでも論理式∃x(Gx∧¬Fx)を用いる. 曲線⊆直線について @直線であり曲線でないものは在る. A直線でなく曲線であるものは在る. ゆえに曲線⊆直線は成立する. 以上より直線=曲線である. という論証が可能になってしまうのだ. そこで曲線⊆直線について直線⊆曲線を前提に論証をすれば B直線であるものはすべて曲線であるので不成立. C直線でない者はすべての直線が曲線に含まれている という前提を無視しているのでこれも不成立である. というように考えれば直線=曲線は回避できる. しかし反対にA=Bを示したいときにもしA⊆Bを示すとその逆を 示すことができなくなってしまう. これまでその他の論理式を使い 何でもかんでも等号であることを示してしまったことがある. それなので当面の間は等号不成立の立場で証明していきたいと考えている. 包含関係において等号不成立を前提に話を読んでいたら 環準同型において全射が成り立たないので 自然な全準同型が消えてしまった これから先いくつかの定理も消えることだろう しかし全射がないとすると 値域をとることができないな さてどうしようか 写像において 定義域 → 値域 と定義する他ないのかも知れない もし写像が 始集合 → 終集合 という定義だと何にも応用することができない可能性がある よくわからんがこのまま進めてみる 全射が使えないためA-加群において 準同型写像M→M/Nが全射になることも使えなくなった それゆえ加群の同型定理も不成立になる さらに加群の長さにおいて同型定理を使う証明だったので そこで読むのを止めた その代わり論理学を読むことにした この部分集合の問題を解決できるかどうかはわからないが 丹治信治『論理学入門』ちくま学芸文庫 から再読してみる しかし丹治はその著書で 真理表 T T T T F F F T T F F T の問題について成立する論理は すべてトートロジーであると結論付けている つまり 偽の条件が与えられれば命題は必ず真である というのだ これを数学に採用することはできないと思われるが 部分集合の問題を解決する一つの形式的手段として 採用する命題はトートロジーであるというのに一理あるだろうと言える しかしまた条件法の中でこうも言う もしソクラテスが人間ならば死ぬ という「ならば」は受け入れられるが もし1+1=3ならばソクラテスは死刑にならない このような「ならば」は受け入れがたいだろうと 「ならば」の使い方は著者によっていろいろあるが 丹治説ではそのほとんどがトートロジーとして解釈されてしまう 難しい問題だ A,B:集合 とする.このときAとBとは異なる文字であるからA≠Bである. と先生に指摘されたことがある. それ以来そうしようと考えていたのだが それは間違いであることに気が付いた. 前提はAとBが在るとしか宣言していない. もしA≠Bであった場合後にそれがA=Bであるとわかったとしよう. それは矛盾であり棄却される. ところで,初めにAとBとの関係については 何も言っていないので A=BでもなければA≠Bでもない. と解釈するべきである. まあ無条件に異なると解すると AとBとの関係とくに同値関係を入れることができない ことからも明らかなのかも知れないが 先生(人)の話だから聴いていた. 今日,集合論を学んでいて気が付いたことである. もしかするとその先生は背理法的な考えだったのかも知れない. A=Aは成り立つ. これよりAと等しい集合はAと表す. これの否定で A≠Bが成り立つ・ 以後Aと異なるものはすべて異なる文字で表す. しかし,前提はAとBとの関係に何も言っていない. もしA≠Bであるならばということが宣言されていない以上 A=Bでもよいのだ そして同値関係で問うてはならないことがある. それはこのA,Bというのはすべての集合である. それだから具体的にAやBが何かというのは問題にならない. たとえば同値類で集合を構成した上に群が在る. たしかに 群Gと群Mが在る場合 これはG≠Mだろう. たとえばGが乗法群でMが加法群の場合などだ. この話と同値類の話を混同してはならない. 同値類で議論している場は まだ条件が集合しか与えられておらず その中である関係を定義しているに過ぎない. 一方 群Gや環Rに対してG=Rの訳がない(Rを加法群と看做せば等しい場合もあるが). 先生は早口すぎて何が言いたいのかよくわからなかったが おそらく言いたいことは一般の集合上での同値関係の関係と 代数学が扱う集合の関係の違いだったのだと思う. あの本では同値類で被覆することまでできると書いてあったので 同値類に突っ込んで話をしただけであり 本当は群や環の話がしたかった. 「すべてのもの」に具体的なものを代入できる というのはごく限られた条件下でしかできない. 通常は,すべてのものはすべてのものとしか扱うことができない. 論理学を学んでみてわかったことは専門用語で 全称例化というものがある. 全称命題から導出されるものだ. しかしこれは全称命題にある存在を代入したものではない. おそらく先生の言いたかったことは 論理学で言うと全称汎化が近いのかも知れない. ある任意の存在命題から全称命題を導出する というものだ. これが全称命題の具体例と言えるだろう. しかし数学で任意の存在命題とは何かは難しいと思う. 任意定数という言葉があるが,それ関係のものに限られているだろう. では集合の元ではどうだろうか. ここにa,bが表されている. この2つの関係はどうだろうか. 表示が異なれば異なるものであるというのは 存在命題の話ではないかと思う. すなわち ∃a,b(a≠b) 一方全称命題の場合 ∀a,b() aとbとの関係については何も言っていない. 場合により等しい,場合により等しくない という関係があるからだ. たとえば A:={1,2,3} B:={1,2,3,4} としようこのとき ∀a∈A,∀b∈Bに対してa≠bである と書くことができる. 一方 ∃n∈A,∃m∈Bについてn≠m∨n=m である.このように全称命題は1つを明示すればよいが 存在命題はすべての場合を列挙する必要がある. そしてこの違いを混同しやすい. 論理学で P,Q:命題とし条件法をP→Qと書く. このとき P→Qが正しいことを背理法で示す という方法を見つけた.いま高校数学に応用しているが この論理は数学に応用可能であるように思う: (1) ¬(P→Q) (2) P (3) ¬Q これで矛盾が起こればP→Qは正しい.同様にQ→Pも成り立ち さらに双条件P←→Q(数学で言えば同値)の背理法がある: (1) ¬(P←→Q) 双条件の分岐 @左側 (2) P (3) ¬Q A右側 (4) ¬P (5) Q @の中で矛盾 Aの中で矛盾があるときP←→Qは正しい. これで部分集合の問題は解決できそうだという目処が立った. 数学の論理では示されたが 論理学の論理では示せないものが見つかったので記す. A,B:集合 とする.このとき B⊆A ⇔ A∪B=A という命題がある.数学では簡単な論理で示すことができるが 論理学だと B⊆A ⇒ A∪B=A が不成立である. B⊆A ⇒ A⊆A∪B が不成立なのでこれを示す. 背理法で示す. ¬(B⊆A ⇒ A⊆A∪B)と仮定する. (1) B⊆A i.e. ∀x(x∈B→x∈A) (2) ¬(A⊆A∪B) i.e. ¬∀x(x∈A→x∈A∨x∈B) (3) ¬(a∈A→a∈A∨a∈B) (2) (4) a∈A (3)の前件 (5) ¬(a∈A∨a∈B) (3)の後件 (6) a¬∈A (5) (7) a¬∈B (5) × (4),(6) (8) a∈B→a∈A (1) (8)の分岐 (9) a¬∈B (10) a∈A × (6),(10) ゆえにタブローが閉じていないので命題は不成立である. □ 数学の全称命題を示すことが如何に難しいかがわかる. 全称命題に対して1つ反例を挙げればよいなどという いい加減な証明では何一つ示したことにならないだろう. この結果から数学で おそらく部分集合の中の 和集合の最小性というのが言えなくなると思う. 定理 M,N:左A-加群 φ:M→N(A-準同型写像) とする.このとき φ:A-単準同型写像⇔Kerφ=O. これも φ:A-単準同型写像⇒O⊆Kerφ. が不成立であることを示す. ¬(φ:A-単準同型写像⇒O⊆Kerφ)と仮定する. (1) φ:A-単準同型写像 i.e. ∀x_1,x_2(x_1≠x_2→φ(x_1)≠φ(x_2)) (2) ¬(O→Kerφ) i.e. ¬∀x(x∈O→x∈Kerφ) (3) ¬(a∈O→a∈Kerφ) (2) (4) a∈O i.e. a=0 (3)の前件 (5) a¬∈Kerφ (3)の後件 i.e. 0¬∈Kerφ (4),(5) i.e. φ(0)¬∈O;φ(0)=0=a¬∈O × (4),(5) (6) a≠0→φ(a)≠φ(0) (1) (6)の分岐 (7) a=0 (8) φ(a)≠φ(0) i.e. φ(0)=0よりφ(a)≠0∈O i.e. φ(a)¬∈O i.e. a¬∈Kerφ ゆえにタブローが閉じないので φ:A-単準同型写像⇒O⊆Kerφ は不成立である. □ 意味のない記号ならべて、そんなもんが普通の高校生に相手にされるんか? しかも、論理学が通用する哲学のジャンルって限られてるし、時間の無駄。 なんだよ じゃあ高校レベルの問題を 真理の木で書いたものを1つだけ書くよ それで立ち去るわ 参考文献 堀部和経『高校やさしくわかりやすい数学T+A』 文英堂2013 p.38 4 Z:整数全体の集合 A^c:Aの補集合 全体集合U:=Z A:={x^2 | ∀x∈U} B:={3k+2 | ∀k∈U} とする. このとき A⊆B^c を示せ. ¬(A⊆B^c) i.e. ¬(A→B^c) を示す. (1) A i.e. (∀x∈U)x^2 (2) ¬B^c i.e. B i.e. (∀k∈U)3k+2 (3) a^2 (a∈U) (1) (4) 3a+2 (a∈U) (2) ここで(3),(4)より任意のy∈Zに対して y:=a^2 y:=3a+2 とおき,aについて解く: a^2=3a+2 ⇒a^2-3a-2=0 解の公式より a=(3±√(9-4・1・(-2)))/2 =(3±√17)/2 ∴ a=(3±√17)/2. (5) a¬∈U × (3),(4),(5) ゆえに命題が成立する. □ 突然申し訳ありません。 誰か、既呈(きてい)という単語の意味を教えてくれませんか? 数多の辞書でどれだけ調べようと既呈の意味が載っておらず、大変モヤモヤしています… 既呈命題、という使われ方が一般的(?)なようです。 論理的思考のコアスキル、という本に書かれていた単語で、もしかしたら論理学に関する単語なのでは?と思い当スレに書き込むまでに至りました。 ちなみに単語が載っている該当の書籍には、既呈の説明書きはありませんでした。 (なんとなくですが、根拠?の様な意味合いがあるのかもしれません) どうかスレ民の知識をお貸し下さい。 よろしくお願いします。 >>822 農業ゲームでもやればいい。 普通に家庭菜園で問題ないだろ、日当たりが悪いところでも育つものもある。 >>811 いや (5) a¬∈Kerφ (3)の後件 i.e. 0¬∈Kerφ (4),(5) i.e. φ(0)¬∈O;φ(0)=0=a¬∈O × (4),(5) で閉じている 単射の前提がいらないけどな まあ数学はもうお終いなのかも知れない 数学は数理論理学に吸収される 今まできたねえタブローを読んでくれてありがとう またどこかで会おう ???共通の話題になるような言語で書けよ。 意味不明。 そんなものは哲学じゃない。 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 44 36 43 35 28 42 34 27 21 41 33 26 20 15 40 32 25 19 14 10 39 31 24 18 13 09 06 38 30 23 17 12 08 05 03 37 29 22 16 11 07 04 02 01 上の数列を下の数列に変換する アルゴリズムを見つけてくれ(^_^)ノ 気まぐれに集合論で検索してみてヒットしたのがこのスレだったから見にきたけど、多分にもれずにここも地獄の様相を呈していて逆に安心した > 数学は数理論理学に吸収される いったい何周遅れでこんな世迷言にたどりついたんだw 数学が幻想だと理解できてこそ、数学へ1歩近づくことができる 宇宙際タイヒミュラー理論なるものとUniverse Polymorphismの関係は名前が似ているだけなのか ところで「チンポがシコシコする」という日本語表現は、学術的に正しいと言えるのか? チンポ「を」シコシコするのではなくて、チンポ「が」シコシコする。この場合、「チンポ」は主語となる。 オブジェクト指向で言う「集約」は2種類あって、全体(俺)と部分(チンポ)が繋がっている場合と、 全体(俺)と部分(チンポ)が別々になっている場合とが考えられる。けれども「チンポ」はそれ自体 が独立した生き物であり、所有者の意思とは無関係に、自ら勃起して「シコシコする」。 例えば寝てる時にエロい夢みて朝起きてみたらチンコが勃起して射精してたとか。 違うか? 「胸がドキドキする」は良いが、「チンポがシコシコする」はダメな理由を、50字以内で述べろ! ABC予想が正しいことが証明されたか否かは、いつどのように決着がつくのですか? しかしな俺は股間火薬で爆発垂直跳びで複雑骨折転落事故で両足腰骨折精神身体障害で 障碍者ポルノはチェックしてるけど、障碍者ふーぞくとかもな まあ相手がいるだけましだ、流産しないだろ?そんな救兵にいちゃもん付けるな。 しこしこや自力ドピュも僕は抵抗ない。というかお姉さんの遠隔性感マッサージもしらないんか?世の中のほとんどののぞきたかり性暴力が降ろされているという現実、障碍者を皮肉る成人のものは宇宙最後まで子供が出ないかもな。低ランク政府につながれて、自力繁殖で流す。 ナースとか他の献身とかありがたい。 何もないのにしこしこしてるのと一緒にされたら玉のような子供がすさむ。 障害を得るほど英雄になれるのに、なぜそんな男性に親しまないの? 覗きたかり性暴力の死体とか粘着恨みの死体とか、降ろされた子供って 誰が背負うの?下司ランクじゃどうにもならないからどうにもならない急げ。 そうやって同性愛集団で十分な交際期間を邪魔して胎児を殺人する(した。そこまで甘くないわ)なら全員斬首で地獄でも現世でも根絶やしにするよ。 同性愛みたいに男から女を捜してるのが全員斬首で根絶やし。 世の中はあれてるよな。その半身が勝ち目ないのに女性を傷つけて女性の半身が 勝ち目なくなっても解決はあるの? そんなのにはらまされてるのが下女じゃないの?上にずらっと並んでたら悔し涙だろう。 129 :可愛い奥様 :2020/10/20(火) 21:50:07.30 セフレだとメーター吹っ切れたセックス出来るのねー もっと若い頃からしておけば…と思いつつ今の年齢だから何の気兼ねもなく楽しめるんだろうな 遅咲きビッチの今を楽しんでるわ 130 :可愛い奥様 :2020/10/20(火) 22:32:56.98 >>129 私も同じ 結婚前は性病が怖くて遊べなかった 性病が原因で妊娠しにくくなる場合もあるらしいし ほんとビビリだったのよ 数学基礎論だとか形式論理の体系を把握しても何も得るものなんて無かったよ 俗に言うロジカンシンキングなんてのも人生には役立てど思索には役立たない 枯れた故に使える論理、propositional, term, syllogism, 1st-orderを紙上や計算機で自由に操れるようになろう 独り言を全部prologに吐き出せ、何か手に職付けたい欲もあるならSQLでもいい、あれも語彙は違えど一階論理と見掛けの構文を含めて一対一対応してる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる