【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>193
こういうことが多過ぎて、
京都学派には芯が無くて、風見鶏って言われちゃうんだよね。
京都帝国大学のプライドだけは一貫しているけどね。 林房雄は東京帝大法科中退だから、
京都学派とは直接関係ないのでは?
廣松のような昭和思想史という括りで見た方がいいような気もする。 共産党からの転向者として有名な佐野学も東京帝国大学法学部卒だ。
「転向」論として有名なのは藤田省三の『転向の思想史的研究』だが、
まだ買っていない。『精神史的考察』なら多少読んだことはあるが。 哲学とイデオロギーを分離せずに明治〜戦前の言説を論じるならば、
岩崎允胤『日本マルクス主義哲学史序説』、松沢弘陽『日本社会主義の思想』、
古在由重『戦時下の唯物論者たち』あたりは参考になるかもしれない。 >>198
福本は東京帝大法学部卒
その点、京都帝大経済学部卒の河上肇は、獄中で転向しちゃったから、
>>194の言う通りうっちゃ言う通りかもしれない。 言う通りうっちゃ言う通り→言う通りっちゃ言う通り
それにしても、河上肇を京都学派に入れる場合はあるのかな?
と思ってネットを調べたら、
哲学の道で西田や田辺と同様散策していたという記述が散見される。 大橋容一郎の「新カント学派と近代日本」が面白そうだから
今月号の岩波の『思想』を買って読んだ。
学派の興亡は、留学だとか大学の人事だとか学者の死亡で
どうにかなってしまうのだなという感想を抱いた。
そして、1937年に反個人主義を謳う「国体の本義」のようなものが出される時点で、
自由主義や個人の人格、普遍的理性を重視する新カント学派が受け入れられる素地が
当時の日本にはなかったと締められているのが印象的だった。
そして、そのような状況においては、
人倫の道や共同態論を説いた和辻哲郎のような学者が生き残るのだなとも思った。
(和辻についてはドイツに留学していたということしか論文には触れられていなかった) 井筒俊彦全集9巻
・いま、なぜ、「西田哲学」か
・『西谷形而著作集』推薦 井筒俊彦 「東洋哲学の行方を考える」 (井筒俊彦全集別巻)
東洋文化にたいする関心が急に高まりだしている。東洋学者にとっては喜ぶべき事態であるのかもしれない。
だが現代のこの動向には、それなりの陥穽がある。東洋主義独走の危険ということだ。
地球社会的な世界文化パラダイムが求められている今日の思想状況では、孤立した東洋主義はもはや通用しない。
東洋哲学もまた異文化との活発なディアレクティクから生まれてくる、世界に向かって開かれた思想でなければならないのである。(執筆年未詳) >>154
こういうのは、20〜30気を付ければ何とかなる。 主要な本は新字体でリニューアルされているし、
旧字体のまま読み進めなければならないのは西谷ぐらいか。 清沢満之全集は、一部漢字仮名交じり文だが、読み始めると止まらない。 >>182
『世界史的立場と日本』 (1943年) 高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高
旧字体、旧仮名遣い。
京都学派第二世代の4人による座談会で、太平洋戦争1941年12月8日の13日前に行われた。
(「近代の超克」座談会は1942年7月)
議論は『近代の超克』より本質的。 >>58
船山信一 「明治哲学史研究」 (1959)
『舩山信一著作集 第6巻』(1999)所収版は、新字体、新仮名遣いで読みやすい。
明治哲学関連ではよく引用される一冊で、宗教哲学〜宗教社会学的な内容。
・明治哲学の系譜
・現象即実在論の発展
・明治期のキリスト教の受容と批判
・明治期の無神論
・明治期の唯物論争
・明治期の社会主義観
など >>58
『井上円了選集第一巻』
新字体で読みやすい。
「哲学一夕話』の他、「哲学要領」は東洋哲学から西洋哲学までが概観されており、しっかりした内容。
円了のwikiなどでの紹介はおかしい。 >>97
いくつか読んでみたけど、さすがに内容が濃い。 和辻の『鎖国』とか『日本古代文化』は旧字体、旧仮名遣いだな。 俺が持っているのはだな。
岩波文庫化されたり全集化されたりしているものは違うかもしれない。 京都学派の凋落は敗戦と公職追放を機に文献学主義になったという見方は一理あるが、西谷啓治なんかはむしろ戦後に花開いたんだよね
ただ、その後の世代は西谷の縮小再生産という感じが否めない 野田又夫、藤沢令夫、桑原武夫や田中美知太郎といった戦後の京都学派の面々は、
岩波新書や岩波文庫、中央公論社で概括的な著作を出すことにより、
アカデミズムと一般読者との間を架橋したという点で
戦前の京都学派よりも人口に膾炙していると言えるかもしれない。 >>208
“今度の戦争は、「全体戦」から進んで来て「総力戦」というところに迄きた挙句
我々が普通に考えている戦争概念を超越したところに到達している。
今度の戦争は従来の戦争概念では理解できない、その限界を超えたものをもっている。”
― 『世界史的立場と日本』 (1943年) 高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高 これぐらいの時代の本になると、
むしろ国会図書館のデジタルコレクションになっているから、
近くの図書館からでも閲覧できると思う。 国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/
検索時に「図書館送信資料」をチェック 西田幾多郎や戸坂潤、三木清なら、
全部ではないにしろ一部が青空文庫で閲覧できるね。
それにしても青空文庫の従事者は戸坂についてより熱心だな。 『世界史的立場と日本』はアマゾンでも日本の古本屋でも高いね。
図書館の利用を薦める>>221-223
の言う通りだわ。 国体の本義
(1)『国体の本義』 文部省編 (1937) (国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1156186)
(2)『日本国家の神髄 禁書「国体の本義」を読み解く』 佐藤優 (2009)
(3)『国体の本義』 文部省編 (2016)復刻版?
(4)『国体の本義』 (J−TEXTS http://www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html)
1は自宅からでも閲覧出来る。旧字体・旧仮名遣い。
この本はGHQによって禁書にされたが、2の本の中においてのみ、
全文(新字体・旧仮名遣い)が紹介されていた。
佐藤による全編解説付き。
3、その後、原書に忠実な形の復刻版が出ているのかもしれない。内容未確認。
4は新字体・旧仮名遣い。 国体?国民体育大会ぐらいかなあ。GHQの編集梱包もいいのかしらね。 デカルトの翻訳をしている山田弘明は、
戦後京都学派世代に教えられた、読者人と講談を結ぶ感じの哲学者なんだろうな。
『方法序説』も『省察』も各々900円、1000円とちくま学芸文庫にしては安いし。 大森荘蔵は、哲学的文献学を超えた哲学者であったといっても良いだろうが、
門下生のひとりである田島正樹は、リベラルな左派といった感じで、
その衣鉢を継いだと言えるかもしれない。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/2017-06-07.html 東浩紀は小松左京の読者で、
小松左京と梅棹忠夫が手を取り合って、日本未来学会を設立したことに触れるなどして、
戦後京都学派についてシンパシーを持っているようなことを言っている。
京都学派についても独自の哲学を持っていたとして評価している。
日本の批評的言語をどうするかという中で、「日本語の伝統を引きずって、異質性を商品価値にしていくやり方」
を取りたいと言っていて、その時利用できるのが京都学派だと言っている。
以上が2012年5月に出た『atプラス12』の千葉雅也との対談での言論なんだけど、
その後5年経って『ゲンロン0ーー観光客の哲学』という一般人に通じる平易な文体の本を著したことは、
ある意味では、広義の京都学派の流れに棹さしていていい感じだね。 と言いつつも、
ゲンロン0には英訳での各章毎の要約的文章がついているのにも注目すべき点だ。 戦前の京都学派を初めとした哲学者がドイツ哲学中心で
戦後の新京都学派を始めとした哲学研究者がフランス哲学中心だというように
ざっくり言えるかもしれないが、
高橋里美はその例外で、戦前にフランス哲学もドイツ哲学も両方訳してるんだな。
(ベルクソンの『物質と記憶』とヘーゲル『哲学概論』)
熊野純彦も独仏両方やってるんだな。(ベルクソンの上記の新訳とカント) 山内得立は『ロゴスとレンマ」でインド哲学をモノにしているな。すごい。 西田幾多郎の『無の自覚的限定』とか読んでいるとハイになる。 西田はぶーぱーに近いがアホな流れを見てるな。神について。 我と汝ねえ。
凡庸な他者論よりかはずっと面白いな。 文献学的研究も含めて『日本哲学史』みたいな本が出ないかなあ。 今のところそれに当たりそうなのは、熊野純彦の『日本哲学小史 - 近代100年の20篇』かな。 >>226
“かくの如く、教育・学問・政治・経済等の諸分野に亙つて浸潤してゐる西洋近代思想の帰するところは、結局個人主義である。
而して個人主義文化が個人の価値を自覚せしめ、個人能力の発揚を促したことは、その功績といはねばならぬ。
併しながら西洋の現実が示す如く、個人主義は、畢竟個人と個人、乃至は階級間の対立を惹起せしめ、
国家生活・社会生活の中に幾多の問題と動揺とを醸成せしめる。
今や西洋に於ても、個人主義を是正するため幾多の運動が現れてゐる。
所謂市民的個人主義に対する階級的個人主義たる社会主義・共産主義もこれであり、
又国家主養・民族主義たる最近の所謂ファッショ・ナチス等の思想・運動もこれである。
併し我が国に於て真に個人主義の齎した欠陥を是正し、その行詰りを打開するには、
西洋の社会主義乃至抽象的全体主義等をそのまゝ輸入して、その思想・企画等を模倣せんとしたり、
或は機械的に西洋文化を排除することを以てしては全く不可能である。”
― 『国体の本義』 文部省編 (1937)p154-155 昭和研究会や革新官僚に対する批判として通るな。>>245の下三行。 >>243
濱田恂子の『入門 近代日本思想史』もそうかな。 昭和研究会については、
『知識人とファシズム―近衛新体制と昭和研究会』柏書房
が詳しい。 >>248の研究書は蝋山政道、三木清そして笠信太郎を軸にしたものだが、
当事者の証言としては、酒井三郎『昭和研究会―ある知識人集団の軌跡』がある。 和辻哲郎の『倫理学』(岩波文庫版)は1〜4のうち、2だけが売り切れてしまっている。 和辻の『風土』と『倫理学』だと倫理学の方が4巻本に分かれていてとっつきにくいかなあと思って
風土を先に読んで倫理学を後回しにしたが、
倫理学を読み始めた今となっては、風土の方が却って難しいように思えてきた。 『風土』では、自然環境を扱いはするけどそれが人間を規定するような決定論として論じられるわけではなく、
間柄的存在の人間の風土的なあり方として論じられる。
また、ハイデガーの『存在と時間』のような時間論を意識して、
逆に本文で論じる訳ではないけれども空間論を目指すと。 >>244、>>247
二冊共いいね。
どちらにも念入りな年表がついているので要チェック。
どちらも『ロゴスとレンマ』を取り上げていたりもする。
(1)濱田恂子 『入門 近代日本思想史』 (2013)
「近・現代日本哲学思想主要著作刊行年表」として、
1861年の加藤弘之「隣草」から2005年までをカバーするなどレンジが広い。
戦前〜戦後をバランス良く概観する中で、
比較思想のキーマンとして中村元と井筒俊彦を挙げている。
初心者にも中級者にもオススメ。
(2)熊野純彦 『日本哲学小史 - 近代100年の20篇』 (2009)
内容は良いが、主著を避け、思想史の行間を読拾い読むタイプなので、2〜3冊読んだ人向け。
年表は1859〜1976年。日本と世界の思想書と、世界の出来事を並べて見せている点で秀逸。 >>243
今のところ濱田『入門 近代日本思想史』。 濱田恂子、、、こういう人が実存思想協会の理事長とかやっていたのか、、、 濱田本は江戸時代から明治時代への変遷の説明の仕方が、導入としていい感じだね。 おまとめサポート
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特定非営利活動法人 STA 戦前の思想の反省というと、
戦前の思想 → 近代の超克 → 京都学派 → 西田哲学 → 無(絶対無)とは何か?
と見ていくことになるが、政治で語れる範囲というのは限られている。
哲学は、その先にある問題に目を向けなければならない。 原武史の『日本政治思想史』(放送大学教材)を立ち読みしたが、本人の趣味が色濃く出すぎていて、
イマイチだった。 今月出た木岡伸夫の『邂逅の論理ー<縁>の結ぶ世界へ』(春秋社)は、
シリアスな雰囲気が出ていて良い。 田辺元の『懺悔道の哲学』が紹介されていて、
その中でも菩薩との出会いにスポットライトが当てられていたのが印象的だった。 >>260
とは言え、無の思想の代表である老子などは、
高度に政治的だったりもするが。 >>262
"ロゴスとレンマを超える。"
「邂逅」を論理の問題として捉え、九鬼周造、和辻哲郎、田辺元をはじめ、西田幾多郎、山内得立らに注目し、
東西哲学を包み拡げて〈縁〉によって結ばれた世界へと思想を導いていく。
東西の風土的相違を超えて、双方の〈あいだ〉に〈邂逅の論理〉をうちたてる。 (2017/7/19) ロゴスとレンマ的なものについて、
井筒は西洋の二元的な「アリストテレス的論理学」に対し、東洋の「多元的な論理」としていたし、
中沢新一は「アリストテレス型論理」以前の「高次元的な無意識」的思考に注目した。 京都学派アンチスレッド
http://ha10.net/anti/1502084626.html
京都学派のアンチです。
京都学派に対する批判、あるいはそれに対する反論をお待ちしています。 カントの「判断力批判」を読んでるのだが、
驚いた。まず、田辺元の「種の論理」はヘーゲルの誤読などという輩がいたが、
なんのことはない。カントの「判断力批判」の発展である。
ちなみに読んでる途中だが、判断力批判にはこうある。
「美学的判断力とは、快不快の感情によって判断することで、目的論的判断と異なる」 >>268
ヘーゲルの誤読って言やあ罷り通る時代があったからな
ヘーゲルなんてヘラクレイトスの現代風でしかないのに >>269
うるせえ。哲学科はバカばっかりだ。
サボり魔どもめ。
おれに簡単に反駁される見当ちがいな連中が二百年間、君臨して偉そうにしてきたんだからな。
恥を知れ。 >>270
火病を起こすな火病を
気持ちは分かるが俺が受け止める義理もない
第一カントが昔に看破したことを君が知ってアホどもを論破してるに過ぎん >>271
二百年間、理解されなかったカントが可哀そうだ。
ヘーゲルだのショーペンハウエルだのフッサールだの、ハイデガーだの、
サルトルだの、メルロ=ポンティだの、ドゥルーズだの、デリダだの、ボードリヤールだの、
くだらない連中ばかりだ。 >>272
カントの優秀さは日本では小林秀雄が見抜いてた
エリートだが学者でなく市井の物書きの彼がな カントといえば田辺元の著作に『カントの目的論』というのがあるね。 >>273
小林秀雄wwwwwwwwwwwwwwwwwww
アホが。京都学派の哲学者がみんなしてカント読んでたのに、何が小林秀雄だよ。 http://www.honzuki.jp/news/contemporary_thoughts2013/
じゃあ、2013年のレビューを。
京都学派スレなんだから浅田彰でいいかと思って。文章もわかりやすいし。
千葉雅也や小泉義之も京都の大学で教えていたり人文研に関わっていたりするし、
京都学派みたいなもんか。 戸坂潤の新カント派を意識した自然科学に関する論考は難しい。 >>281
2017年のが見つかったわ。メイヤスーに好意的なのが。
メイヤスーと思弁的実在論
清水 高志
http://ci.nii.ac.jp/naid/120006241711 >>277、>>279
もっと新しいものがあるでしょ
「マルクスから(ゴルバチョフを経て)カントへ ― 戦後啓蒙の果てに」
浅田彰×東浩紀(『ゲンロン4』(2016))
「ポスト・トゥルース時代の現代思想」
浅田彰+東浩紀+千葉雅也(『新潮』2017年8月号) >>286
どちらにもメイヤスーの論評はなかったな。
『現代思想』の方がよっぽどメイヤスーを取り上げていると思う。 >>287
『現代思想』でメイヤスーを扱ったものは、大抵こちらで拾っていると思う。
ポスト現代思想、ポスト・ポスト構造主義 [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1451968507/ >>287
> どちらにもメイヤスーの論評はなかったな。
どちらにも、メイヤスーやカントの話は出てくるよ。
何を読んでいるのか。 ゲンロン4で浅田がメイヤスーに触れているのは、
そんなにメイヤスーに肯定的な文脈ではないな。 >>291
そういうのは、言葉尻を読んでいるだけ。
ここは、ポストポスト構造主義のスレではないから
詳しくなくてもいいけど、メイヤスーの本は読んでるのかな? メイヤスーの射程と、このスレの扱う範囲は重なっている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています