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【西田】京都学派・近代日本哲学総合スレ【西周】 [無断転載禁止]©2ch.net

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0001考える名無しさん
垢版 |
2017/05/12(金) 22:12:11.300
明治〜戦前の哲学を読み直す。
0343考える名無しさん
垢版 |
2017/10/14(土) 00:17:54.880
西田幾多郎 『善の研究』各版

(1)『善の研究』ワイド版岩波文庫〔改版〕(2012)、(解説=藤田正勝)(ルビあり、活字が新しい)
(2)『善の研究』ワイド版岩波文庫 (1991)、(解説=下村寅太郎)(ルビあり)
(3)『善の研究』岩波文庫 (1979)、(解説=下村寅太郎)(ルビあり)
(4)『善の研究』(全注釈:小坂国継)講談社学術文庫 (2006)、(ルビ多い、新字体・現代仮名遣い)
(5)『西田幾多郎全集〈第1巻〉善の研究・思索と体験』〔新版〕、岩波書店 (2003)、(ルビなし)
(6)『西田幾多郎全集〈第1巻〉善の研究・思索と体験』〔旧版〕、岩波書店 (1978)、(旧字体・旧仮名遣い)

“真の実在とは何か、善とは何か、宗教とは、神とは何か――。
 主観と客観が分かたれる前の「純粋経験」を手がかりに、人間存在に関する
 根本的な問いを考え抜いた西田幾多郎(1870-1945)。
 東洋の伝統を踏まえ、西洋的思考の枠組自体をも考察対象とした本書は、
 以後百余年、日本の哲学の座標軸であり続ける。”

新字体・現代仮名遣い 4 > 1 = 2 = 3 > 5 > 6 旧字体・旧仮名遣い

・岩波版の中で読みやすいのは1。各国語版の紹介などもある
・4は古い文献の読みにくさを解消し、現象学的観点からの解説もある

タイトルは元々『純粋経験と実在』というものだったが、出版社(弘道館)の意向から『善の研究』となった。
0344考える名無しさん
垢版 |
2017/10/14(土) 00:18:17.980
“経験するというのは事実そのままに知るの意である。まったく自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。
 純粋というのは、普通に経験といっているものもその実はなんらかの思想を交えているから、
 毫も思慮分別を加えない、真に経験そのままの状態をいうのである。
 例えば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、
 我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、
 この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。
 自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。
 これが経験の最醇(=最もまじりけがなく純粋なこと)なるものである。”
 
― 西田幾多郎 『善の研究』 第一編 第一章 (小坂版)
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