しかし困ったことに、慈悲の試練はそこでは終わらない。
与える、助けるとき、自分は強者、見返りの心理が生まれ、
与えられる相手は弱者、負債の心理をもつ。

慈悲は、見返りを求めない、とともに、相手に負債を与えないことを求める。
そこに強者、弱者の関係が生まれないよう、求める。

たとえば自然の恵みでさえ、人はそこに負債を感じ、
自然に感謝し、崇めるというのに、それを生むなという。

慈悲、空がいかにこんなな実践かわかる。

しかしこのような難解な慈悲が、日本人の道徳則の基本となっている。
たとえばおもてなし。
おもてなしの理想とは、サービスを与えることだが、
相手にサービスを与えられることに感謝する。すなわち強者にならずに、
相手がサービスを与えられることを重く思わないようする。すなわち負債を与えない。

このように日本人の道徳則はずべて慈悲を基本とする。
自らが強者にならないよう、。相手を弱者にしないよう、配慮することを基本とする。
配慮の道徳だ。

おそらくこのような配慮の道徳則をもつ民族は日本人以外いないと思う。