なぜ慈悲を実践することが出来ないのか。その理由は?

参照資料として
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
般若の智慧の世界からの観照によっての
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E6%82%B2
慈悲(じひ)
仮設としての
自分を含めて
他の生命に対して楽を与え、苦しみを取り除くこと(抜苦与楽)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
如来の大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 如来の大悲・大智を受け入れる
ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空経
此れ無きが故に → 彼れ無く。此れ滅するが故に → 彼れ滅する
(無明している世界を手放すことができるのなら)
無明滅するが故に → 行滅するが故に → 識滅するが故に
「苦しい!」という想いも滅する
ttp://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
ウダーナヴァルガのギルギット写本
…迷妄を性質として壊滅するもの
そのようなものを離れることは、思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり、形成作用の寂滅であり

縁起したものを離れることができるのなら
ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが「苦しい!」と掴もうとしている想いの終わりである