仏教哲学総合スレ3 [無断転載禁止]©2ch.net
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そもそも仏典は読むものではない。
やるものだよ。
これを読んだからなに???
なにもない。
やんことで、この暗示を自らをつかんで行く。
そんなこともわからんとか
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為・言葉による行為・心による行為を行う(カルマを積む)
無明に依存して
渇愛(タンハー)に依存して
誤ったあり方を掴んで離さないような固執も現れる
般若の智慧(と慈悲)によって観照された
実相般若として
無明の停止は
止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)を通して生じる。 みそけんは慈悲るときに自己申告が必要なんだね
にせもの
>>589 >キミ自身の話をしなさい
禊健太郎タソは具体的に、どのような
慈悲の実践をしてるのか?
質問に答えよ
_ _ _
無明している世界の中で
無明に依存しているので
『おじゃるは無力である』と答えている
(「如来の智慧と慈悲を具現化することは難しい」という意味でつ)
_ _ _
>>588 >おじゃるはそうやって蘊蓄垂れることで暇つぶししてる
はい。その通りでつ m(_ _)m
初心者向けの仏教入門書も読んだことのない
禊健太郎タソを、からかって暇つぶししてるのでつ m(_ _)m >>597
>禊健太郎タソは具体的に、どのような
>慈悲の実践をしてるのか?
ほんと読むのはしばらくやめた方が良い。
生活の中に慈悲はあふれている。
特に日本人なら。
挨拶、配慮、勤勉、空気を読む、
もまた慈悲の実践の一つ。
そこからすべて始まる。
では次にキミの番ね。
たくさん本を読んでどうような慈悲を実践している。 挨拶、配慮、勤勉、空気を読む
どこが慈悲だよ
ただの馴れ合いだろ
>>597 の続き
無明している世界を手放しする
その為の
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%83%E9%81%93%E5%93%81
「涅槃(ニルヴァーナ)である」ということに気づいて
涅槃(ニルヴァーナ)に戻る帰る
その為の
菩提分法(ぼだいぶんぽう)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E6%8F%90%E5%BF%83
自分も含めて
他の人も救おうとする
菩提心(ぼだいしん)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
自在力・神通力を具現化させる
如来の智慧と慈悲によって → 依他起性(えたきしょう)を観照するんでしょ?ということでつ
禊健太郎タソにとっての
仏教における
智慧と慈悲の実践とは
>特に日本人なら
>挨拶、配慮、勤勉、空気を読む、もまた慈悲の実践の一つ
>そこからすべて始まる
_ _ _
おじゃるの場合は
仮設としての
無明している世界の中においては
地水火風空識の微粒子に依存して
色受想行識の仮和合が
(それ自体、単独で成立している色受想行識は)存在しないにも関わらず
(それ自体、単独で成立している色受想行識が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)に依存しているので
おじゃるは無力である
(「如来の智慧と慈悲を具現化することは難しい」という意味でつ)
と答えてます
>>602 の続き
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)に依存していると
如来の智慧と慈悲を具現化することは難しいので
それゆえに
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
『涅槃(ニルヴァーナ)』に気づいて
涅槃(ニルヴァーナ)に戻る帰る
その為の
第一禅定
ヴィタッカ(尋)
どこかへ飛んでいってしまう心の働きを集中対象である呼吸に戻してくる要素があります
(無明している世界を手放して → 般若の智慧(と慈悲)に戻る帰る要素があります)
(遍計所執性が依存している)無明している世界を手放して
涅槃(ニルヴァーナ)に戻る帰る要素があります
無明している世界を手放して
如来の智慧と慈悲を実践することができる。という意味でつ >>602
ほんとアホだな
なにイチロー気取り(笑)
そりゃいきなりイチローにはなれないよ。
まずバット振れよ
おじゃるは無力である(笑)
なにかっこつけてんだよ
できることからやれ 基礎的なことから言うと、頭で考える、読んで学ぶことを、知と考える歪んだ考えた方は、
近代に広まったと言うこと。
それ以前は智慧とは実践を伴うもの。
西洋でも言語学と言えば、修辞学。
いかにうまく表現するか、弁が立つか
論理学なんてないに等しい。
孔子も、当然、釈迦も頭で考える、本から学ぶ思弁を智慧とは認めなかった。
だから仏典でいう智慧とは、実践知のこと。 >>602
>(「如来の智慧と慈悲を具現化することは難しい」という意味でつ)
バットも振ったことないキミが150キロの玉を打てないと言うなは、ギャグでしかない。
ttp://www.geocities.jp/bodaijubunko/h/paauk.jhana.htm
二番目
ヴィチャーラ(伺)
心の働きを対象に留めておく要素です
三番目
ピティ(喜)
喜びの要素です
四番目
スカ(楽)
幸せの要素です
五番目
エーカガター
1つの対象に集中していて心の働きが散漫にならない要素です
(過去への未来への妄想が依存している)無明している世界を手放して
涅槃(ニルヴァーナ)に戻る帰る要素があります
>>604 >できることからやれ
円成実性を見ずして → 依他起性を見ることはできない。ということでつ ホームレスに「キミは貧乏人でそ?」と言われている気分 実践から逃げて、智慧も慈悲もない。
やる前から不可能性を語ることを泣き言と言う、 関西で「ほんとアホだな」とか言うたら
えらい侮蔑的になるで
慈悲ってるねぇ 5chで「何を慈悲ってるの?」と問う愚かさは慈悲ですよね
>壊れたか
初心者向けの仏教入門書も読んだことのない
禊健太郎タソを相手にしても
話が先に進まない
ということでつ
初心者向けの仏教入門書も読んだことのない
禊健太郎タソには
円成実性を見ずして → 依他起性を見ることはできない
という意味もわからないでしょ?ということでつ 「できることからやれ」とかダメ教師の言い逃れみたい
ぜんぜん慈悲がこもってない
慈悲るって難しいねー >>617
僕は知ってる!に逃げ込んだか、
中二病者の最後の砦だな
勝負就いたか >>618
慈悲は難しくないよ。
慈悲とは、、
鈴木正三
どの仕事もみな仏道修行である。
人それぞれの所作の上で、成仏なさるべきである。
仏道修行で無い仕事はあるはずがない。
一切の[人間の]振舞いは、皆すべて世の為となることをもって知るべきである。
このような有り難い仏の本性を人々[は皆]具えている。
本当に成仏を願う人であるなら、ただ自分自身を信じるべきである。
自身とはつまり仏であるから、仏の心を信じるべきである。 >>620
慈悲の乱用禁止!
イチローではないんだから、
1割もヒット打てれば十分。
あとの9割は私欲ですよ。
>僕は知ってる
それでは
解説よろしくお願いいたします
円成実性とは何ですか?
依他起性とは何ですか?
遍計所執性とは何ですか?
現代語訳で初心者向けの説明で ヨロ m(_ _)m >>621
鈴木正三
そういう気持ちを持っていたら
健太郎くんのような余裕のないレスはしないのですよ
慈悲ってそういうことでそ 慈悲株暴落させといて「慈悲の乱用禁止!」とか
なかなか笑わせよるわ えん じょうじっしょう 【円成実性】
〘仏〙 三性の一。円満に諸法の功徳を成就する実性の意。煩悩(ぼんのう)や妄執を去ったときに明らかになる真理。真如。実相。
依他起性 (えたきしょう)
[意味]
仏教の因縁・縁起に基づき、他によって起こるものという意味である。他に依存するあり方。
相互依存の因縁(いんねん)によって仮に生じているだけのもので、因縁が消えてしまえばそれと共に滅してしまうもののことである。 >>624
ボクは知らなかったが、
キミだって本で読んだだけで、なにもしらないではないか おじゃまるが言うように慈悲は確かに難しい。
ヘタをすると神経症に陥る。
でも一番簡単な方法を発見した。
勤勉ですよ。 でも日本人は一番簡単な方法を発明したではないですか。
勤勉ですよ。 慈悲の怖さはシルバーシートに表れている。
なぜ日本人にだけシルバーシートが必要か。
慈悲りすぎで頭がおかしくなって壊れるからですよ。
慈悲らなくていいようにわかりやすく示す。
それでみんなが安心する。 >>637
鈴木正三
どの仕事もみな仏道修行である。
人それぞれの所作の上で、成仏なさるべきである。
仏道修行で無い仕事はあるはずがない。
一切の[人間の]振舞いは、皆すべて世の為となることをもって知るべきである。
このような有り難い仏の本性を人々[は皆]具えている。
本当に成仏を願う人であるなら、ただ自分自身を信じるべきである。
自身とはつまり仏であるから、仏の心を信じるべきである。 知とはどこまでも実践だ。
数学は誰にも正しい論理だと考えるのは間違いだ。
数学も実践だ。
紙に書いたものだけでは成立しない。
数学のやり方を知らなければ、そして伝承しなければ存在しない。
見ることもまた実践だ。
見ることは光学的な何かではない。
見方を実践訓練しなければ、見ることはできない。
智慧とはそういうことだ。
智慧とは実践であることを明確にしたことに釈迦の天才の一つがある。
だから慈悲を重視した。 禊健太郎が掲示板を荒らす異臭が漂っている、臭すぎる、 仏教を学ぶのに智慧がなにかも知らんとは。
世も末だ。 数学は誰にも正しい事実、論理だと考えるのは間違いだ。
数学も実践だ。
紙に書いたものだけでは成立しない。
数学のやり方を知らなければ、そして身体伝承しなければ存在しない。
すべての智慧は実践である。
そして実践の王様が慈悲だ。 でも健太郎くんは5chのついでにだらだら労働してるから
勤勉じゃないよね
>おじゃまるが言うように慈悲は確かに難しい
>ヘタをすると神経症に陥る
精神疾患(精神障害)が悪化する場合もあるらしので
(興味があるのなら)
かかりつけの医師に相談してから
マインドフルネス(mindfulness)
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
上座部系の止(サマタ禅定)と観(ヴィパッサナー智慧)
バラモン(ヒンドゥー)系のクンダリニー(Kundalini)
(人体内に存在する根源的生命エネルギー。宇宙に遍満する根源的エネルギー)
精神疾患(精神障害)が悪化する可能性があるのなら、やめといた方が良いかも?
おじゃるには責任を取れないので… ヨロ m(_ _)m >>649
それはスピリチュアルで、慈悲とは似ても似つかないもの(笑) 釈迦はスピリチュアルも否定した。
釈迦の時代すでにインドにはヨガなどの身体訓練の技術には長い歴史があったが、
それのみでの悟りに至ることはないとした。
重要なことは智慧であり、その具体的な実践が慈悲だ。 釈迦はスピリチュアルも否定した。
釈迦の時代すでにインドにはヨガなどの身体訓練の技術には長い歴史があったが、
それのみでの悟りに至ることはないとした。
重要なことは智慧であり、その具体的な実践が慈悲だ。
おじゃるには責任を取ることができないので
精神疾患(精神障害)が悪化するのなら、やめといた方がよいと思うけど
それでもとりあえず
一応説明だけして置きます
バラモン(ヒンドゥー)系の場合
クンダリニー(Kundalini)
宇宙に遍満する根源的エネルギー
↓
仮設としての
地水火風空識の微粒子
↓
地水火風空識の微粒子に依存している
色受想行識の仮和合
色受想行識の仮和合は
宇宙に遍満する根源的エネルギーに依存しているので
それゆえに
バラモン(ヒンドゥー)系の場合は
宇宙を支配する原理と個人を支配する原理が同一である
という観照をするらしい
↑間違ってたら スマソ m(_ _)m スピリチュアルってどういう定義で言ってるの?
怪しげな精神世界、西洋のスピリチュアリズムのことか?
けっこう曖昧な言葉なので、スピリチュアルとだけ
言われても、それのどこがまずいと思ってるのかわからん
仏教も霊的な実践だし、霊的という意味では
スピリチュアルだと思うけどな アスタロスとイシュタルとイナンナを検索しろ。
王路(引き寄せの法則) おまえらの力が必要だ!
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1511490955/
661本当にあった怖い名無し2017/12/09(土) 02:07:05.26ID:2hmL36G30
もう一度、整理しよう。
地縛霊がいる意味というものを。さぁ、君は思い出せるかな。
私の書き込みを見ていなかった人は、まだ知らないかもしれない。
地縛霊がいることで誰が得をすると思う?
まず、地上の教師の仕事が忙しくなる。そして警官も仕事が忙しくなる。
また、霊界の教師の仕事もなくならない。
以上です。
スピリチュアル(spiritual)
ラテン語の spiritusに由来する
霊的であること、霊魂に関するさま
宗教的・精神的な物事、霊の、魂の、精神の、超自然的な、などを意味する
ちなみに
おじゃるの場合は
目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する
オカルト(occult)も肯定派でつ
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E5%8B%95%E9%96%A2%E6%95%B0
波動関数(はどうかんすう、wave function)
我々が住む日常世界の他に全く異なる並行世界が存在する
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%91
トゥルパ
肉体ではなくて → 霊的な?
「マナス(意、心)が成した身体」(マノマヤカーヤ;意成身)
ttp://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/otherworld/samsara.htm
シパ・バルドゥ 再生へ向かう迷いの中有
ttp://d.hatena.ne.jp/shi3z/20141222/1419203377
ホログラフィック原理
宇宙が時間軸を持った三次元空間であるというのは幻想である
我々がみる空間は宇宙の地平面に映しだされたホログラムのような幻影である
ttp://tocana.jp/i/2017/07/post_13673_entry.html
科学者が…「宇宙には原意識クラウドが存在し、人間も接続されてる」 スピリチュアルは、身体訓練による内的な覚醒です。
どこまでも自己に閉じた運動です。
慈悲はどこまでも他者へ開く運動と真逆です。
おじゃまるのような対人からの逃避の願望です。
自己逃避の先になにか覚醒があると思いたい。
如来の大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 如来の大悲・大智を受け入れる
般若の智慧(と慈悲)によって観照された
実相般若として
>>662 >自己逃避の先になにか覚醒がある
という場合もあるかもしれない
(縁起に依存しているが故に) >>663
ほんとなにもわかってないな
キリスト教みたいに神がいると思ってんの?
仏教の神はネタだよ
仏典の裏を読み込めよ
ほんとダメだな 仏教にも神仏はいるんじゃないか?
キリスト教の唯一神とは違うだろうけど スピリチュアルでも慈悲は否定はしないだろうよ
慈悲というのは理屈はほどぼどでも良くて相手に嫌な思いなく伝わるようにやるかやらないかなんだよ ■□■<8、慈しみ>■□■
--------------------------------------------------------------------------------
143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
144 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。
145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
146 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
147 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
148 何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
149 あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。
150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
152 諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。
http://hosai.world.coocan.jp/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
>>664 >キリスト教みたいに神がいると思ってんの?
バラモン(ヒンドゥー)クンダリニーの場合は
宇宙に遍満する根源的エネルギーから
→ 人体内に存在する根源的生命エネルギーへ
サーンキヤの場合は
(根源的な?)プルシャから → プラクリティへ
上座部の場合は
自在力・神通力を具現化させる
智慧(と慈悲)によって → 依他起性している世界を観照する
般若(はんにゃ)の場合は
般若の智慧によって観照された → 実相般若の世界
加持(かじ)密教の場合は
初心者向けの仏教入門書も読んだことのない
禊健太郎タソの精神的能力(機根)や性質などに応じてそれにふさわしい手段で
如来の大悲・大智によって → 衆生に応じる
衆生が ← 如来の大悲・大智を受け入れる。と導いていく
四悉檀(ししつだん)
人々の心に合わせて説く。各人の宗教的能力を考えて説く
>>664 >キリスト教みたいに神がいると思ってんの?
初心者向けの仏教入門書も読んだことのない
禊健太郎タソの精神的能力(機根)や性質などに応じてそれにふさわしい手段で
次は↓これ
「想う」という想いも手放して
「想わない」という想いも手放して
非想非非想も超えて
ttps://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
滅に触れて順々の正知による想滅定が生起して
ttp://blog.livedoor.jp/daibakarenji/jyuugyuuzu.html
ついに頂点に達して
さらに無の世界も超えて
(移り行く世界の様を)
般若の智慧(と慈悲)によって観照された
実相般若として
ありのまま見つめている
(無明を手放して)ありのまま
そのための(智慧と)慈悲なんでしょ?ということでつ > 初心者向けの仏教入門書も読んだことのない
> 禊健太郎
ほんこれ 慈悲を否定したものが宗教であるよ。
簡単であるよ。
バカには理解できないよ。 >>669
同じこと何度も言わすな
キミが言う慈悲は、無縁の慈悲
いわゆる大慈悲
慈悲は、野球でいうキャッチボール
すなわに実践基本
キャッチボールからイチローは生まれる。
そしてイチローにしか見えない世界がある。
それがキミの言う仏典的世界。
キャッチボールした事なきが、
イチローの代弁者になろうとか、
片腹痛い ☆彡
如来 (にょらい)
真理(如)に随って来た、真如より現れ出た者
仏陀
仏の十の称号の一つ
ブッダゴーサ(仏音)よる解釈
(無明を手放して)
一切を知る智慧(と慈悲)に到達した者
過去に出現した古仏がみな一切智性(と慈悲)に到達した
(智慧と慈悲によって)すべての煩悩を滅して去る者
中村元による解釈
タターガタ
仏教・ジャイナ教・その他の古代インド当時の諸宗教全般で
(無明を手放して)
修行完成者。悟りを開き、真理に達した者
真身如来
如来とは、如実の道に乗じ、来たりて(無明を手放して)正覚を成ずるが故に、如来という
無上上
涅槃の異名
(無明を手放して)この上もなくすぐれている キャッチボール、すなわち衆生の慈悲を行いなさい。
さすれば真に慈悲の意味がわかってくる。
そして仏教における神とはなにか?
キリスト教みたいにただ信じる神ではない。
簡単には神は自らの中にいる。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
釈迦(しゃか)仏教の開祖
ウッダカラーマ・プッタの非想非非想も
瓶から瓶へ水を一滴もこぼさないでうつすように
瀉瓶(しゃびょう)のように受け継いで
そして
非想非非想も超えて
菩提樹(ぼだいじゅ)の下に坐して
滅に触れて順々の正知による想滅定が生起して
仏陀となった(成道)
それゆえに
涅槃に触れて → 涅槃に戻る帰る
そのための(智慧と)慈悲でしょ?
菩提樹の菩提とは
仏の正覚の智、さとり
仏の悟りの境地
極楽往生して成仏すること
悟りの智慧(と慈悲)など
>>675 >>667 これが基本中の基本だね
152 … 再び母胎に宿ることがない
前世から → 現世へと輪廻を繰り返している
− これを対処するために −
この輪廻から解脱するための方法は?
現代語訳で
初心者向けのわかりやすい説明で
お願い致します
禊健太郎師匠へ ヨロ m(_ _)m >>667
>151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。 まず輪廻転生という考えは、インドヨーロッパ語族の思想に始まると言われる。
だからプラトン主義も輪廻転生だ。
生まれる前の魂は真実を知っていた。
すなわちイデア。
インドは仏教の前のバラモン教から、仏教の輪廻転生を維持している。
輪廻転生を苦として、そこからの解脱を目指す。
バラモン教ではその秘儀をバラモンその秘儀層のみに閉じていた。
ブッダはそれを解放することを試みた。
そこにバラモン教ブッダ派は始まる。
誰でも解脱できる。
バラモン教のように、秘儀でも、神に祈ることでもなく、技術として探求した。
仮設としての
諸々の邪まな見解にとらわれて
諸々の欲望がある人は
無明に依存している → 慈悲の場合は
前世から → 現世 → 来世へと輪廻を繰り返して
再び母胎に宿る
− これに対して −
>>667の
152
(円成実性の世界から → 依他起性している世界を観照して)
(無明している世界を手放して)
般若の智慧(と慈悲)によって観照された → 実相般若として
諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、見るはたらきを具えて
諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがない
そのための(智慧と)慈悲でしょ?
禊健太郎師匠へ ヨロ m(_ _)m ではその具体的な方法はなにか?
それが慈悲だ。
より知らない人に見返りなくより多くを与える。
これをできた人はいるのか?
おそらく一人もいないだろう。
そもそもブッダは輪廻転生をほんとに信じていたか、という議論がある。
ブッタか神に祈らず、形而上学的論争しなかった。
ブッダの真意は、輪廻転生がほんとにあるのかどうかではなく、
まずバッドを振ること。 ブッタの時代は世界宗教が台頭した時代だ。
それは世界に帝国が生まれ、争いが耐えなかった時代。
そしてそこからの排除されな難民に溢れた時代。
経済支えていた贈与交換、
すなわちより知った人に見返りを求めてより多くを与えることが重要だった時代。
そこに知らない同士の争いが起こり、知らない人人々が漂流した。
ブッタは単に、現実逃避して一人救済されることを求めたわけではない。
知らない人々の救済を、その技術を考え、実践し、広めた。 釈迦は書物を書かなかった。
弟子たちが釈迦の言葉を書き留めた。
それは多くにおいて、比喩的だ。
例えばおじゃまるは、自分がどのように歩いているか書けるだろうか?
二足歩行は高度な技術である。
書くとしても、修辞的にしかかけない。
仏典とはそういうものだ。 僕たちにできることはただ慈悲ること。
バットを振ること。
そうしていま日本人は、釈迦が夢見た理想以上の世界を構築しえたという実績がある。
日本人であることは、すでにプロ野球程度の慈悲力はあるのだから。
だから奴隷こそが主人に慈悲を施すべきである。 >>680
そんなもの死んでみないとわからんよ(笑)
>輪廻転生がほんとにあるのかどうかではなく
とりあえず
上座部系の場合は
仮設としての
(輪廻ではなくて)
無明を前提としている
ttps://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
(上座部系の)漢訳 第一義空経
業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す
(業報に依存して現れるので
それ自体、単独で成立しているのではない
それゆえに
前世で滅しても → 異蘊相続して → 現世に戻り来る)
無明に縁りて → 行に縁りて → 識に縁りて → 「苦しい」という想いが現れる
− これを対処するために −
無明滅 → 行滅 → 識滅に縁りて → 「苦しい」という想いが滅する
そのための
般若の智慧によって観照された → 実相般若としての
(智慧と)慈悲なんでしょ? 禊健太郎師匠へ ヨロ m(_ _)m >>686
とりあえず上座部系は無視していいと思うよ。
ブッタの教えを、選民化してしまって、
キミが逃げ込みたい気持ちはわかるが ブッタの単なる苦行を否定し智慧を重視した。
それが知ることと実践すること。
世界の仕組み(法)を考えながら、日々実践すること。
それが両輪でなければならない。 結局、おじゃまるは、仏教の知識を使うが、
ただの西洋思想左翼、プラトン主義者だよね。 その先にあるのが魂の浄化であるスピリチュアル。
仏教はプラトン主義と、対極にある。
それが慈悲にもっとも現れる。
>上座部系は無視していい
(仮設としての)
無明を前提としなくてよいのかしらん?
(無明を手放して)涅槃も前提としなくてよいのかしらん?
_ _ _
(上座部系の否定なら)
大乗系の
般若(はんにゃ)
般若の智慧によって観照された → 実相般若としての
>>688 >智慧を重視して
そして(般若の智慧と)慈悲でつね?
実相般若に戻る帰るための方法は? 禊健太郎師匠へ ヨロ m(_ _)m ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています