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陽子に対してクォークはどれくらいの大きさなんですか?
クォークは点という風によく言われますが、全く理解不能です。点だとしたら、陽子に対して無限に小さいとなってしまい、訳が分かりません。 ベストアンサーに選ばれた回答
無限に小さいよ。残念ながら。 そのほかの回答
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sen********さん
陽子の質量は 1.67262158 ×10^-27(kg)
大きさ(半径は)約1.2 × 10^-15(m)
クォークの大きさは10^-17(m)より小さいというところまでしか分かっていません。
(現在の加速器実験の能力ではそこまでしか確認出来ません。)
クォークの質量は陽子の1%程度です。
原子核内を飛び交っている多くのグルーオンやエネルギーも含まれて、
そのためクォーク自体の質量が小さくても陽子の質量は大きくなります。
但し、
この陽子のサイズには疑問を投げかける結果も出ています。
長年、陽子の半径は0.8768フェムトメートルとされてきましたが、
「陽子の大きさは想定よりも4%小さい(かも知れない)というものです。
(レーザ技術を工夫して、今まで計れなかったミューオン原子のレベルをはかれるようにした結果、半径0.8418fmに・・・「2010年7月のニュースより」。)
標準理論ではクォークやレプトンは大きさがない点状粒子として扱います。
点状粒子はどこまでも近づくことができるため紫外発散の困難がつきまといます。
その後、広がった素粒子として、超対称性を備えた超ひもが登場しました。
ひもの長さは 10^-35(m)ほど。 小さいスターがあって小さい世界があるのかなあ。そこは空洞になっていて
小さい命の発芽があるのか。 かつては、「物質を分割すれば素粒子になる」と考えられていた 素粒子の内部は空洞になっている
これは人類の世界観を揺るがす重大な事実 それも、ピンポン玉みたいに、外に殻があって、中が空洞・・・というわけではない 3Dの立体映像みたいなものだ
本当に何もない
+と−の電荷があるだけ 手が机に触れる
手の表面の電子と、机の表面の電子は、マイナス同士で反発する
それを、脳が「手が固いものに触れた。これは通り抜けられない」という情報に変換して、自分の意識に伝える
そんな風にして、単なる立体映像を、現実に存在するかのように見せかけている 素粒子を追求する上で、中心的な役割を果たす「光子」「電子」「クオーク」。名前は全く異なりますが、追求していくと、共通点も多い。光子と電子、クオークの関係を整理しておきたいと思います。 □光子は粒子ではなく「素量子」
光子という言葉からイメージするのは「物質」ですが、どうやら光子は「物質」では無さそうです。アインシュタインは光子の事を「素量子」と呼んでいますが、素量子とはエネルギーの塊を意味しますので、光子とはエネルギーの塊である。という事です。
このエネルギーの塊がどのような運動をしているのかに関しては螺旋運動253405などが提起されていますが、もう少し追求する必要がありそうです。 電子、クオークは「素粒子」
電子やクオークは、「エネルギーの塊」ではなく、質量が観測出来る等、物質としての性質が強なり、「素粒子」と呼ばれる様になります。
電子、クオークの共通点としては、共に、「電荷」を持ちます。また「スピン運動(肉眼では未確認)」と呼ばれるなんらかの運動をしているという事です。 素粒子がスピンしているというのは、よく知られている。
しかし、実際には、スピンが具体的にどういう動きなのかは、わかっていない。
なんらかの動きをしているということだけが判明している。 光子と電子、クオークとの関係性
「エネルギーの塊」である光子と「素粒子」である電子、クオークとは切っても切り離せない関係にあります。 @光子と電子
まずは、光子と電子の関係ですが、
・電子と陽電子をぶつけると光子になる。
・電子は光を当てると軌道を変える(励起状態) 励起状態から元の軌道に戻る時に光を発する。(クォンタムジャンプ)
などの性質があります。電子が光子になったり、電子から光子が出たり入ったりするという事です。
この事から、【電子の構成要素は光子ではないか?】という事が考えられます。 A電子とクオーク
続いて、電子とクオークとを結びつける特長的な性質として、
・β崩壊により中性子が陽子に変わる時、電子を放出する。
という性質があります。陽子と中性子の構成要素はクオークですので、クオークから電子が放出されている。という事になります。
とすると、クオークと電子は本質的には同じものだという事が言えます。
電子の元が光子だとすると、クオークの元も光子ですので、【電子、クオーク共にその元は同じで、光子である。】という事が考えられます。 □光子⇒電子、クオークへの移行は相転移
エネルギーの塊がなぜ物質としての性質を帯びてくるのでしょうか。先程表記した様に、光子のエネルギーを表す式は「E=hf」で表記されます。
また、光が長波長の時=エネルギーが小さい時は、波としての性質を示しやすく、短波長の時=エネルギーが大きい時は粒子としての性質を示しやすいという性格も持っています。つまりエネルギーが大きくなると粒子としての性質を帯びてくる。という事です。
この事から推測すると、【量子があるエネルギー限界点を越えると、相転移(氷⇒水⇒蒸気の様に、エネルギー量に応じて、状態が変化する事)して、エネルギーの塊が素粒子に転換する。】という事が考えられます。 以上の事をまとめると、
・電子、クオークの元は光子である。
・光子の運動や集積度に応じて電子やクオークなどの性質の違いが現れる。
・エネルギーの塊(素量子)が相転移を起こして素粒子になる。
という事が推測出来ます。 要するに、光子は、粒子というよりエネルギーである。
その光子が、+と−に分かれて、クオークと電子になり、それが物質となる。
エネルギーが十分に増幅されると、そこに物質が出現する。
・・・というわけだ。 もし神がいるなら
不完全性定理について聞いてみたい 留守にすることができないなら、居ることもできないだろう
居るためには、場所が必要だ
しかし、特定の場所に居たり、居なかったりする神とは
どんな神なんだろう スティーブン・ホーキングいわく
「神は完全なギャンブラーであり、しょっちゅうサイコロを振っている」 エネルギーも、もともとゼロだったものが、+と−に分かれることにより無限に生み出される しかし、素粒子には実体がない
立体映像のような構造になっている 神は、すべてを決定したりはしない
何もかも、サイコロを振って決めている この宇宙は、原理を知れば知るほど、バーチャルリアリティーそのもの それはともかく、原子核の内部構造は、まだ解明されていない 原子よりもさらにスカスカな、単なる空洞でした・・・という結論になりそうな予感 原子核は原子と比べて非常に小さく、たとえば最も小さい水素の原子核(陽子)の大きさはおよそ半径 0.8751(61)×10−15 m(直径にして約 1.75×10−15 m = 1.75 fm)である[1]。 サイコロを投げる神が、その運動の背後にいるのではなく、その運動自体が神なのだ
だから、サイコロを投げない自由はない
だから、偶然は必然的である
宇宙の根源的な偶然性をきらい、それに対抗して永久に変わらない必然的なものを求めるのは、むしろ、人間の方である 人間は変化を嫌う
もし宇宙を作ったのが人間であれば、人間は変わらない宇宙を作ったはずだ
だが、宇宙は変わる
これは、人間とは異なる他者がいる証拠である
よって神は存在する 変化を嫌うなら、サイコロの目を全部同じにすればいい 神にサイコロを振らない自由は無いが、サイコロの目の出をコントロールする自由はあるのか?
たとえば、前回のサイコロの投擲の結果は、次回のサイコロの投擲に影響するだろうか?
そうやってサイコロの投擲同士が干渉し合い、何回も同じ目が出ること、それが習慣か?
神は宇宙に根付いた習慣を、違うサイコロの目を出すことで、破る自由はあるのか? 昔から決まってる面と、振ると変わる面があると思う。決まていそうでちょっと変わる。 キミは、坂部恵の『「ふれる」ことの哲学』を読みなさい ふれるとは、ふるでも、ふられるでもない能動とも受動とも言えない無作為的な作為の境地であり、
だからこそ、人はそれに陥っていても気づかない 狂気は、世界の急激な変化により人間が自己を揺さぶられたときの一つの態度だな
世界=他者と歩調を合わせることができない自我が、すでに失った自己のさらなる継続を望めば、世界という土台を失った宙に浮いた心の状態だけが残る
それを「気がふれる」というのだろう そうしたフワフワした境位においては、その空白を埋めようとして、悪魔のささやきがやってくる
人種差別思想や、過剰な性的放埓や、奢侈、いじめは、そうした自己の空白からやってくる 狂気?正気を保とうとする、あるいは
正気でいるからズレるんじゃないか。気質的には当たり前のことだよ。
次の段階に入っている。意識のね。でも前段階かもしれないよ。 キモイオタクが
アイドルを偉そうに語ったところで
一番の目的はオナニーだよ
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄"\
/ ノ^ヽノノノノ^ヽ、 ヽ ):::::::ノ
| / へ へ ヽ | ,):::::::ノ
(| ┫◯┣┫◯┣ |ノ (:::::::ノ
| ノ(、_, )、 | ノ::ノ
| ,r=ニ=、ヽ ━━Ц
|∴∴ `ー'∵∴ | ギャグ係だけど、こんばんは
ヽ、∴∴∴∴ /
/ ̄  ̄ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__う人 ・,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ | |
| 。 | /
| ヽ、__炎_,ノ |
| (U) |
| / ヽ | 社会的な狂気は、神を信じると止む
狂気は、絶望を自覚しているが、自己自身でありつづけようとする絶望のうちに宿る
それは、キルケゴールが規定する絶望の二段階目に対応している 神を信じること、それはこの世界を作った背後的な意志的存在者を信じることではない、それは、オカルトだ
むしろ、キルケゴールが言ったように、「全てが可能である」ということを信じることなのだ
神とは「全てが可能である」の言い換えでしかない 俺がいう世界=他者は、知覚の構造、共通感覚としての他者ね
それに休らってるあいだは自我は安定するんだよ(一段階目)
ただ、この構造が壊れるときがある
ドゥルーズが『原子と分身』でトゥルニエのロビンソン・クルーソーを分析したときに言ってるように、無人島の生活ではその他者性が次第に消失する
その反動で、他者を再度絶望的に復元しようとして、狂気や妄想がおそいかかる(二段階目)
神への信仰は、この妄想との闘争の次にやってくるのだ
「全てが可能である」の無の世界では、もはや知覚の構造としての他者は必要がない! 必要がないというか、そこまでいくと自分で他者=知覚の構造を作ることができる
知覚の構造とは、世界を眺める仕方であり、それを自力で生み出すということは、世界の眺め方を自在にコントロールできるということだ 知覚の構造はひとつではなく、無数にあるからこういうことができる
そこでは犬の知覚の構造に自分を寄せていくこともできる >>254
寛容的に「気が『触れる』」と書くわけだし、どうせ坂部恵のことだから、
「気がふれる」の「ふれる」を「触れる」と解釈して、能動でも受動でも
ないとか論を進めているんだろうということは、容易に想像がつくけど、
「気がふれる」の「ふれる」は、予測不能に気の振幅が増幅することを
表現しているんだと思うよ。
https://www.duden.de/rechtschreibung/erschuettern
https://ja.glosbe.com/de/ja/ersch%C3%BCttern
https://de.wiktionary.org/wiki/ersch%C3%BCttern 物質には実体がない
それは、一種の電気信号にすぎない 素粒子の構造を調べていくと、なかは空洞だった
最後は、大きさの無い、+と−の電気信号みたいなものしか残らない この話を物理学者から聞いても、世間の一般人は、「へえ、そうなんだ」で済ませる
その事実がもたらす衝撃を、マトモに受け止めることがない もちろん、ここで、このように言うことは可能だ
「だから、どうだっていうんだ。俺にとって、物質は存在する。お前にとっても、存在するんだろ?
だったら、それでいいじゃないか」
こういうのを、「共通了解」という 少なくとも、物質が、日常的に考えられているレベルで「存在」しないことは、もはや明白だ
あとは、その事実をどう受け止めるか、どう解釈するかの問題でしかない 問題は、実体の無い物質を、「本当に存在している」と人間に思わせるシステムが、あまりにも巧妙かつ精緻であることだ
普通の人は、まず、死ぬまでそれに気づくことがない
そこに、どうしても、何者かの作為というか、意図を感じずにいられない
もしも、宇宙が偶然の積み重ねで自然発生したものならば、こうはならないだろう 物質には、実体がない
それは、まったくの空虚であることが明らかになった
これに対する最も賢明な対応は、上に書いたような「共通了解」だ
「ボクにとって、物質は存在する。君にとっても、存在するんだろ?
だったら、それでいいじゃないか。物質は、存在する。そういうことにしとこうよ」
これこそ、賢い大人の対応だ
それに比べて、「物質には実体がない」ということの意味を、徹底的に問い詰めてみようとするのは、愚かな子供の反応だろう
ヴァカだ、アフォだと言われても仕方ない
気にしなければいいだけだ(笑) やはり、この宇宙は、何物かが意図して創った世界
人間に見せるために創られた、張り子の虎みたいな宇宙だ
・・・それ以外に、無理のない自然な答は見当たらない しかも、その宇宙を創造した何者かというのが、数学に極めて強いのは間違いない
それ以外のことは何も分からないが、少なくとも、数学に極端に強いのだけは明白だ
でなければ、こんな宇宙は創れない こういう話をすると、怒り出す人が必ずいる
「人生という現実から逃げている」とかなんとか言い出す
しかし、それは的外れな反応だ
「物質が存在しない」ということと、「人生に意味がない」ということとの間に、直接のつながりはない
というより、ハッキリ言って、この2つはまったく無関係な別問題だ 問題は、「素粒子のレベルでは、物質は空洞であ
り、そこには何もない。強いていえば、大きさのない
+と−の電極みたいなものがあるだけ」という事実
そして、そんな空虚な「物質」を、本当に存在していると
人間に思い込ませるための巧妙な仕掛けが、驚くほど精緻に
張り巡らされているということだ
そこに、なんらかの「意図」というか、「演出」を認めないのは、あまりにも不自然
ニワカに信じがたいことではあるのだが、それしかないだろう その「大きさの無い、+と−の電極みたいなもの」が、じつに巧妙なシステムによって、立体映像のような電子雲を生じさせている
それこそが、われわれにとっての「物質」の正体だ
ついでに、質量、つまり、重さも生み出される
まさしく、電気信号によるバーチャルリアリティー もしも、この宇宙が、偶然の積み重ねで自然発生したものならば、こんなに「物質」らしくする必然性がないのではなかろうか?
物質がなくて、エネルギーが飛び交っているだけの宇宙を想定するほうが、遥かに自然だ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / ̄ ̄ ̄\ \
/ / / \ ヽ
f / /| ヽ |
| | / ヽ | | フフ〜 フフ〜
| |/ __\(\ | | フフ〜 フフ〜
(V / `ーーV) フフ〜 フフ〜
| ヽ●) (●ノ | 汚陳陳荒輪内小室酸杜合体肢体!
人 ( ノ
∧ (__人__) ∧
| \  ̄ / |
| /\___/\ |
// 人 ゚・。。。。・゚ ノ \
( | \___/ |
| | Y | | 「この宇宙は、偶然できたにしては、あまりにもうまくできすぎている。やはり、創造主が存在するとしか考えられない」
・・・というのは、「目的論的な存在証明」と呼ばれ、カントによって退けられた、古くからある論法のひとつでしかない。
しかし、現代の宇宙論において、昔の人々の予想を遥かに超える宇宙の仕組を前にして、この論法は息を引き返している。 しかし、人類にとって本当に重大な衝撃は、「神が存在するかどうか」というよりも、「物質は素粒子でできている。でもって、素粒子の内部を調べてみたら、何もない空洞でした」という事実、それ自体ではなかろうか。
この、日常生活を送る上では堅固な実体としか思えない、物質。
これは、じつはイリュージョンであった。
ニワカに信じがたいことではあるのだが、実はそうだった。
とてもじゃないが、「へえ、そうなんだ」で済ませられるような問題ではない。
もっと深刻な衝撃を受けていい(笑) 素粒子の内部に何もないといっても、正確には、+と−の電荷を持つ、大きさのない点のようなものならある。
+−の電極が、必ずセットでそろっている。
+同士、−同士は反発するが、+と−は引き合う。
この性質をうまく利用して、物質をバラバラにしたり、整然と配列したりすることができる。 そんな電極を並べて、光を反射させれば、摩訶不思議にも、そこに物質があるように見える・・・という仕掛けだ。
このように、物質は、まったくのイリュージョン。
電光掲示板を立体映像にしたようなものでしかない。 「電極による立体感覚」といったって、モノには重さもあるし、固さもあるじゃないか・・・と言うかもしれない。
しかし、それも仕掛けがある。 手が金属に触れたとしよう。
金属の原子は、規則正しく配列されている。
電子のもつマイナスの電荷の斥力によって、適度な距離を保ちつつ並んでいるのだ。
それでいて、ガッチリとスクラムを組み、手が通り抜けるのを拒んでいる。
手の表面の電子と、金属の表面の電子は、同じマイナスだから反発する。
それを、脳が、「手が硬いモノに触れた。これは通り抜けられない」という情報に変換して、自分の意識に伝える。
このようにして、「そこに物質がある」と確信するようになっている。 結局のところ、そこに物質など存在しない。
プラスとマイナスのエネルギーが、あるいは規則正しく、あるいはバラバラに、並んでいるだけだ。
それが光を反射すると、アラ不思議。
人間には、そこに物質があるように見えてくる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています