社会契約説は論理的におかしくないか? [無断転載禁止]©2ch.net
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最初の社会契約が有効になるには「交わされた契約は有効とならねばならない」って契約Zがその前になければならない
でもその契約Zが有効になるにはさらにその前にその契約を有効とならせるような契約Yが必要
そしてさらに契約Yを有効とさせる契約Xが必要…
ていう感じに永遠と「第一」の契約が続いてしまうことになる
だから社会契約なんてのは不可能だし、我々が日常的に行ってる契約も何の根拠も無いものに基づいてるってことになるのではないか? 契約は有効とされねばならないという前提が先にあるんじゃなくて、約束を守らなければ互いにとって不都合であるという状況が生じて
初めて契約が要請される >>1
いやいや、君の論法だと、社会契約と同様に、そもそも「契約」自体が「ない」ということになるでしょ。
でも、それは、現実にそぐわない、ナンセンスな論法でしょう。
だって、君は、どこぞの会社と契約を結んで、インターネット回線につないで、ここにレスしてるわけでしょう。
契約がないと君は、ここにレスできていないはずだから、君自体がここでなにがしかのレスをしてる時点で、
現に契約は「ある」わけでしょう。
そもそも、社会契約論というのは、原初状態では、社会は誰にとってもままならない。
そこで、社会をより善い状態にするための約束事つまり契約(のようなもの)があるのではないか、
あると考えれば、社会がうまいこと説明できるという、ある種の説明のための手法(技法)というような
ところなんだから、個々人が厳格に明言した合意があるわけでもないし。 >>4
約束とか契約とかそういったものを守りましょうか的な雰囲気みたいなものを「社会契約」と名付けただけ
「契約」という言葉とそれで表されるものの中に「交わされた契約は有効とならなければならない」という前提が含まれてる 社会契約が有効とされるのは契約を有効とするような契約なり規定なりが存在するからというよりは自由意志のもとに納得して契約に合意したつまり自ら義務を負うことに同意したことじゃなかった?
だから論理的にはおかしくない
おかしいとすれば自由意志や主体概念などの前提だね 社会契約説とは、客観的論証の場として仮設された状況を提示し「人々はいかなる選択肢を取りうるか」を
考証する政治理論であるから、歴史的事実について矛盾を問うホッブズ問題みたいなのは最初から話にならない >>2-8
だから約束の中には約束を守らねばならないという論点先取が入ってるって話だろ
お前ら馬鹿なのか
>>1が正しい
批判にも何にもなっていない
社会契約説自体は論理的におかしいのは自明だ オカシイのはお前の頭だ、守られる状況的必然があることで既に論証となってるんだよ
飯を食う食わないは自由だけど生存を維持するには飯を食うしかないという必然がある
しかし、飯を食わなきゃいけない理由はないみたいなドアホウの考える難癖 人間Aと人間Bが「この契約は有効である」と合意すればその契約は有効となる。
契約は契約自体で成り立つわけではなく、あくまで人間が成立させるものだからな。 論理的にあくまで論理的にとことん論理的に考えなはれ 子どもに対して/子どもが初めて約束をする時に
事前に約束を守らなければならないという約束をする必要はない。
系統発生に関しても同じ。 「このお年玉はお母さんが預かって、ムッちゃんが大きくなったときに返してあげるわね。いいわね。」 論理的という言葉の意味を勘違いしているのでは?
論理的である≠命題は真である
だよ 論理は論理的ではない
論理が正しいことは論理的に示されない 反対論者は、現に契約が機能している事実をどう解釈するのかを言わなきゃ
難癖つけてるだけじゃアンフェアだぞ >>9
いやいや、それもう、社会契約云々の次元からかけ離れてくる話だぞ。
まず、君は、説明不足だから、補強するけど、要するに君が言いたいのは、
約束に拘束力を生じさせるためには、「約束」に拘束力を生じさせる「約束」
が必要になるという論点先取りがあるということを言いたいのだろうけど。
これは、別に「約束」と言おうと、「契約」や「合意」、「決まり」と言おうと
まぁ、言葉の違いであって同じことだよね。
そうすると、例えば、数学というものがある、そこでは、数式はこのように表すという
「約束」があるわけだよ。でも、君の理屈で言うなら、その「約束」には、「約束」に
拘束力を生じさせる「約束」がなければならないけど、これも論点先取りでおかしくなるよ。
これは、「決まり」と言っても同じわけだよ。その「決まり」を守らなければいけない「決まり」
がなければならないわけだからね。
もっといえば、りんごを「りんご」と呼ぶには、そのように呼ぶ「決まり」がなければならないが、
これも同じ理屈で「決まり」を守らなければならない「決まり」が必要なんだから、論点先取り
になってしまうね。
君の理屈で、社会契約がおかしいと言ってしまうと、我々は、りんごを「りんご」と呼ぶことすら
論理的におかしいからできなくなってしまうわけだが、これは、最早、別次元の問題だろう。 契約はそれ自体が履行される為に授けられた契約に依って成立するのではない
契約を守ったほうが有益であるか、或いは守られなければ不利益になるという状況的制約が成立させているのであって
いかなる要因にも起因しない契約のための契約、純粋契約みたいのは存在するわきゃないし、約束を守る積極的理由を
何もさらなる契約に求める必要などないだろう
刑法の存在根拠を考えても、私達は罪を犯してはいけないという合意が先にある訳ではなく
罪を犯せば刑罰を受けるという利害感覚に依って治安が維持されるし万人にとって有益だからこそ
法による拘束とその正当性について互いが合意している訳だ >>20
うーん、なんかそれね。まさに、それこそ社会契約論に対する歴史的な批判の対象になる
ような主張に見えるんだけど。
だって、刑罰なんて出して来たら、一部の支配的な力を有する人間にとって有益なものが
刑罰とされていたなんてことは、実際にあったわけでね。
歴史的に見て、そんなきれいな契約論を持ち出せるような状況的制約なんてあったんですかねぇ
なんて批判が来るんじゃね? 社会契約は歴史的事実について考える学説ではなく
人々が君主による統治を受け入れる根拠は何かと言う根拠を合理的理由によって
解明しようとするもので、事実については考古学や歴史学に任せておけばいい 契約が契約書の効力だけで成り立つかのように考えてるのがそもそも間違い
現実の人間は二者の間にある信用からでも契約関係を作れるっていうか作ってる
それを後から解釈の食い違いで揉めないように事前に取り決めを明文化しようってのが契約書であって順序が逆
契約書が契約を作るんじゃなくて人が二人いれば契約は生まれる とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
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I9HUK >>1
「交わされた契約は有効とならねばならない」って契約Zがその前になければならない
ここが間違い
契約はそれで自体で有効であって他の何かがあって有効になるわけではないから
>>9
約束を守らねばならないという論点先取が入ってるって話
これも間違い
約束は守らなければならない、のではなく、守らなくてはならないものが約束
主客転倒してる
>>23が正しい 森のなかで偶然に出会った2人の自然人どうしが交わす約束には、それに従わせる何者の強制力も存在しない
約束が破られないためには、各々がどこの誰であるかを認知していることと、互いが社会的制約のもとで
生存しているという前提が必須。人間社会は約束のために存在する訳ではないが社会が成立するという
必然のもとで契約の履行は保証しうる 「2人の自然人」だけでも約束をやぶったら信頼を失うという程度の
拘束力は存在する ある約束の信頼性の高さは社会環境の充実と比例するってことだろう その最小単位が二人の人間だけでも成り立つということ 成り立つ可能性もあるけど、法も行政も治安組織も存在しない森のなかで
契約を反故にした場合に担保するものはごく限られているので
それは限りなく「破られる可能性が高い約束」だ 論点は、契約が有効であることを保証する根拠は一体どこから来るのか?という点だろ
となると契約を履行させるための根拠をさらなる契約に求めるって考えに縛られることがすでにおかしい
約束の保証は我々が現実的にやってるように暴力、権力、圧力、信頼などでも良い訳だ
ていうか、これは元々ホッブズ問題といって広く認知され議論さてきれた課題なんだが 1はそもそもなんで契約Aが有効になるのぬ契約Bが必要なんて思い出したんだろうか
契約書一枚でも書いたことあるならその契約書が有効になるのに他の契約書が必要だなんておかしいと分かるもんだが いくら契約が成立しないと訴えても社会がある種の合意で成立している現実は受け入れなければならんだろうな
原始的な状態では、契約を交わしたことを裏付けるペーパーが存在した訳じゃない
だから原始的な社会が誕生した最初にあったのは合意なんだよ
合意は双方がそれぞれの判断基準で自由に交わしても良い訳で反故にされる可能性が存在するから
合意が成り立たないなんてことは現実にはないんだろう まあ社会契約論なんてルソーが専制君主、絶対王政に反対するものとしてぶち上げたものであって原理としての社会契約なんてフィクションだからな
自然にある人間は自由であるけれども、人間が共同するためには共同体に自己を捧げる「契約」を少なくとも一度はしなくてはならなかった、なんて第二篇以降の自説を述べるためのフィクション
この原理によれば家族でさえ、子供が成人、独立すれば家族関係が続くのは自由意志による約束でしかないとか言うからな
この世のだれが「約束」だからって親子関係続けてるんだって話
つまり社会契約論とは絶対王政に対するアンチテーゼなだけであって、事実として述べられたものではない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています