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「神は存在する」という文の「神」と「神」の定義「ホニャララ」を入れ替えた「ホニャララは存在する」という文が真かどうかは日本語の文法に従って自動的に決まる
この決定プロセスが神の存在証明である
ある文化において歴史的プロセスの中で形成されたものではない言葉の定義は論理的なものではなく全く人間の意思に基づく恣意的なものである
例えば、「ある三角形のそれぞれの頂点をA,B,Cとおく」や「集合{2,3,5,80,109}をXとおく」や「自分の机の上の消しゴムを太郎くんと名付ける」というようなものである
神の存在証明によって扱う「神」をある文化における歴史的プロセスの中で形成された言葉ではないとすると「神」の定義は神の定義を決定する一個人によって恣意的に決定される
よってこの場合、神の存在証明は人間の意思に対応した結論に帰結する
では、神の存在証明によって扱う「神」がある文化における歴史的プロセスの中で形成された言葉としての「神」とするとどうであろうか
この場合「神」の定義は一個人によって恣意的に決定されるものではなく、その文化を共有する人々の「神」の意味の共通理解であるため、神の存在証明は文化に対応した結論に帰結する
よって神の定義も神の存在証明も恣意的な神の定義(重複は全て同一とする)と文化(共有する人数は2人以上)の数だけ存在し、神の存在証明の様態は「神」の定義に対応する
では、普遍的な「神」の定義とはなんだろうか
普遍的な「神」の定義とは全人類の「神」の意味の共通理解である
しかし「神」は日本語なので今のところ全人類がその意味の共通理解を持つものではない
よって今のところ普遍的な神の定義は存在しない
よって普遍的な神の定義に対応する神の存在証明も存在しない 神は存在しますか?
物理界を超える霊界は存在しますか? 神のイデアは存在する
存在とは認識であり、認識とはイデアである
よって神は存在する ttp://asahi.2ch.net/test/read.cgi/news★plus/1503706577/
動画:https://youtu.be/39YQbv6vEFA
オランダの新興メディア「De Vrije Media」のインタビューに応じたのは、オランダ人のロナルド・ベルナルド氏(オランダの金融会社「de blije b」の創設者)。
もともと企業家として財を成したセレブだったが、成功への欲望はそれで満たされることなく、 “マイナス100度の冷凍庫に良心をしまって”金融業界に参入。
出所の怪しい金のマネー・ロンダリングなど違法な業務に、最高レベルで5年間携わりながら、世界金融の仕組みを学び、
銀行・各国政府・諜報機関・テロ組織がいかに結託して世界のマネーを回しているかを理解したと語っている。
その間、ロバート氏は冷徹無常な“サイコパス”になる訓練を受け、たとえ携わった業務の影響で自殺者が出ても、同僚と笑い飛ばすような人間になっていたそうだ。
「私たちは、人々を見下し、嘲笑っていました。
人もモノも単なる商品、廃棄物であり、全ては無価値なゴミです。
自然、地球だってそうです。全てを燃やし破壊したって構わないのです」(ベルナルド氏)
金融業界でかなりの実力者となったベルナルド氏は、クライントの紹介で悪魔崇拝者の秘密サークルと終身契約を結ぶことになる。
ベルナルド氏曰く、彼らの教会では、まるで映画『アイズ・ワイド・シャット』の1シーンのような異教的で官能的なミサが開催されており、ベルナルド氏も大変楽しんだとのことだ。
しかし、終わりは突然やってきた。
ベルナルド氏が良心を取り戻す事件が発生したのだ。
それは、生贄を捧げる儀式に立ち会った時のことだという。
「それでは、今回私がインタビューを受ける理由となった出来事をお話しましょう。
それは海外で開かれた、生贄を捧げる儀式に招待された時のことです。
これが、限界でした……生贄にされたのは子供たちです」(同)
「彼らはこんな儀式を何千年も続けているのです。
私はかつて神学を学んでいたのですが、聖書にはイスラエル人がこういった生贄の儀式をしている記述があります。
イスラエルの最初の10部族がバビロンで捕囚されたのも、子どもを生贄に捧げるこの儀式のせいです」(同)
http://tocana.jp/2017/08/post_14250_entry.html >>12
おまえばかだろ、霊界は常に主観的存在、
つまり客観的証拠など100%不要なことすら理解できないのか。
知的障害なの? 面白いね、変な奴らに荒らされてるのがもったいないスレだ 神の定義を存在するような定義にすれば神は存在する
神の定義を存在しないような定義にすれば神は存在しない
それじゃトートロジーだ 毎月のお支払い、生活費、携帯代でお困りの時はご相談下さい。お金の悩み、相談はエス ティー エーで
詳しくはHPをご覧下さい。 定義1. 子は父により身ごもり、母から産まれてこの世に来るものである。
定義2. 一人の人は一つの人格(Person)から成る子である。
定理1. 真そのものはそれ自体で有る
証明
真は無いと、する。 すると「真は無い」という真が有ることになってしまい、「真は無い」は偽りである。ゆえに真は有る。この必ず有る真そのものは他のものによらずにそれ自体で有る(証明終)。
定義3. 真そのものを「神」と呼ぶ
と、定理1.により
定理2. 神はそれ自体で有る。
人において真そのもの(神)は、理解するものとして人の精神に有るから、
定理3. 神は人の精神に有る。
ここで、人の精神が無くても定理3.が成り立つためには定理2.により
定理4. 神は人の精神である。
人の精神は人に有るから、
定理5. 神は人に有る。
ここで、人が無くても定理5.が成り立つためには定理2.により
定理6. 神は人である。
従って、
定理7. 神はこの世に子として来る。
(「人」の定義に、この世に子として来ることが含まれる)。ゆえに
定理8. 神の実在(existence)は人である。
この世に来る前の神は「可能態としての人」として有る。ここで「人」はこの世に有るとは限らないということだ。
ミツバチ、コモドオオトカゲ、トゲネズミ(哺乳類)などは父がこの世に居なくても単為生殖で子が産まれる。だから「父」はこの世に居なくてもよい。しかし、「母」はこの世に居なければならない。では、神はどうであろうか。そこでここでは一つの公理を示そう。
公理1. 父も母も神でないならば子は神でない。
系1. 子が神であるならば父または母が神である(対偶)。
神がこの世に子として来るとき母はすでにこの世に居なければならず、母は神ではありえない。ゆえに系1.により、
定理9. 子が神ならば父が神である。
神がこの世に子として来る時、定理9.により父は神である。神がこの世に子として来るよりも前に神はこの世に居ないから、神である父はこの世に居ない。つまり、
定理10. 神がこの世に子として来るとき、父はこの世に居ない。 『神との対話』シリーズの神。
どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
思索的な哲学書として読んでも面白い書物だと思います。
イエスの事も「イエスは最高のマスター(師)の例だが、イエスだけが聖者・マスターではない」と。
今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。
この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
35F26 自分が全知全能になるとどうなるのか。
過去も未来も全て鮮明に知っていて、全てを思い通りに操る能力がある。
そうなると、非常に退屈になるような気がする。実際に体験せずに言うのもあれだが。
何らかの方法で退屈を克服すると、今度は自分が生きているという実感が無くなりそうな気がする。
あるいは自分が存在している事すら怪しくなる。
「全知全能」と「意志」は両立しない、という仮説。 >>26
定理3に不備、定理4以降に論の跳躍があり、定理7以降は無効となる。
定理2「神はそれ自体で有る」で意味する「有る」と定理3「神は精紳に有る」という「有る」ということが同じ意味であることを前提に以下論が進んでいるが、このことは自明ではない。
前者の「有る」とは「それ自体で」と言われるように実体的な「有る」を意味しているが、後者では「精神に有る」と言われてるように場所的あるいは状況的な「有る」であり付帯的な「有る」である。
そうすると、定理2「神はそれ自体で有る」とされているので、その存在は人の精神の有る無しは関係なく「有る」のであり、「人の精神が無くても定理3.が成り立つため」に定理4が導入される必然性はない。
それゆえに定理3から定理4「神は人の精神である」ということは導かれない。
定理5「神は人に有る」も同様に当てはまる。
もし定理4、5、6が成り立つとしても(つまり、神が実体的に人の精神なので神は人である)、精神は人を構成する部分に過ぎず、部分をもって実体の全体を表わすことはできない。
(たとえば人の爪を以て人そのものとすることはできないのと同様に精神だけを以て人とすることはできない)
ゆえに定理6「神は人である」ということは、定理5からは導き出されない。
以下残りの定理の矛盾点を指摘する。
定理7「神はこの世に子として来る」。子または父ということは相関的なものであり、子だけ、父だけということはない。「この世に子として来る」というならば、それと同時に「この世に父として来る」ということがなければ父も子も存在しない。
定理8の付記「この世に来る前の神は「可能態としての人」として有る」。これは定義3「真そのものを「神」と呼ぶ」に反する。なぜなら真なるものとは須らく現実態でなければならず、可能態のものは真とは呼ばれえない。神は真であるので、可能態であることはない。
定理10「神がこの世に子として来るとき、父はこの世に居ない」は定理9「神がこの世に子として来るよりも前に神はこの世に居ないから、神である父はこの世に居ない」に対応していない。
「子である神がこの世にいないから、父である神がこの世にいない」なら、それに対応するのは「この世に子が来るときは、父はこの世に居る」である。 >>29
>そうなると、非常に退屈になるような気がする。
これは逆でしょ
全く知らないものを楽しむことはない。
少ししか知らないもの、浅くしか理解できないものは小さな楽しみでしかない。
多く知ること、深く理解すればそれだけ大きな楽しみである。
これらを踏まえれば、限度なく知る、すなわち全知となれば計り知れない楽しみということになる。
全知とは退屈ということは絶対的に無縁ということになる。
「非常に退屈になるような気がする」と感じるのは、「全知」ということが人間の理解から遥かに遠いものであるから、そのように感じるのであろう >>32
連れてこい
見せて!!
いうだけじゃなく 日本は脱米軍、脱原発と、両方成し遂げる必要あり。脱アホ政権は、むろんのこと。
https://twitter.com/いwakamiyasumi/status/1013126251375046656
杉田 水脈
国を愛すること。愛する国を、愛する人を守ること。ヒーローの原点です。
https://twitter.com/miosugita/status/1012205595489853440
杉田 水脈
自民党が強姦犯罪を揉み消した事実はありません。なにを証拠に仰っているのですか?
https://twitter.com/miosugita/status/1012912251517353984
御茶萬蔵
ご自分のお子様が被害に遭ったとしても、同じことが言えるのか?
杉田 水脈
もし私が、「仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、
介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性」の母親だったなら、叱り飛ばします。
「そんな女性に育てた覚えはない。恥ずかしい。情けない。もっと自分を大事にしなさい。」と。
それが母親というものです。
https://twitter.com/miosugita/status/1012936419159883777
周防介
ただ、山口氏の行為は決して誉められたものではありません。
しかし、それが犯罪かどうかは別問題です。検察も検察審査会も起訴出来なかった案件を、
あたかも有罪の様に仰る皆さんは、一体どんな証拠を掴んでおられるのか?
もし証拠が無いのであれば、そろそろ黙ったら如何ですか?
https://twitter.com/merdeka2670/status/1013066690937085954
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 神は存在以上。神は自分を誇示しない。神は隠れていることもある。
神が存在することは神以外にとって自明。神が存在
人間は存在できない。人間は卑小な存在であるにすぎない。神の存立を前にしては。
神と会うことは神の存在証明にならず、神がいることは、神の存在が先だから確認する必要もない
。 秘匿された神を仮象として意識して恍惚の眩暈がするとか。 パンセは宗教書だね。哲学にも受け入れられたが、パスカルの対象の世界が
そうであって、感動を呼ぶ宗教書に編纂されている。 パスカルというモノを介した他者が間違っているのではなく、
アナタとの世界に差や違いがあるだけで、どちらが正しいとは言えないが、
二つの世界が一つに出会うことの不可能さと希望について考慮してみるとよい。
パスカルというパスカルに限らないが、そういう他者のようなよきめぐり逢いがあればね。 宗教文学 宗教哲学 を うまく編んだようなものがこれからはやるだろうな。 神がいるから人間は知覚が続いているわけで、神から見た視点から、
人生を体験できるわけだ。神が不在 無神論 神のしもべ 有神論
などを経験して、ロマン と リアル を行き来したらいいのでは。神性をわずかでも
分けてもらえれば幸い。その
ために。一つの神を信仰するべき。多くの神を遍歴すべき。 神じゃないものが世界のはじまりで会っていいわけ。世界戦争を終わらしたのは
神も多いけど。神を知るから神に会いたい。神がいないから神を希求する。
神が死んだら、新しい神が生まれる。 オオ カ(キ)ミ ウ(ェ)ルヴ ドイツと日本には幸いいるらしい。 神もいいけど、神と交わるものもいるわけで、神最強全知説も疑わしい。
全知ということは過去にしかなく、神は欠落欠乏していて余剰があるといえる。
神が最強かというと、神の原因になったものや神の子孫、神の天敵、
神にすら出会えない、有名無名の存在も考えられた。 魔王 魔神 マガミ(新) とか 妖魔 なんかも人気だ。
魔獣や、妖精はあったことがある。たたかったというか。 形而上学というと神、神学に拘泥していないが、アリストテレスとは限らない。
神を遅らせるべきでなく、神に依存もしないほうが。 OH MY GOD FATHER!みたいな生活が、あれば、クリアできてる。 女神 というほうが 神より現実的である。男性にとっては。 >>54
ガゴシアン落ちてんじゃね?
芸大完全に凍ってるしw >>53
綺麗に消して落としたねぇ、、
1確
心よりお祝い申し上げます。 >>54
いずれにせよ、どっちから追いかけてもこいつに当たることは確かだ。
村上隆も完全に喰われちまったなぁ。。
ウォーホルからも蹴り入ってるもんなぁ、 >>57
結局あんたがこのスレ使って1引くってオチだろw
提 供
学術
ご覧のスポンサーでお送りしました。
終 >>60
>>61
いいか、ウォーホルが村上蹴ってるってことは、ボナーミが沈んだってことだからな。
おまえ、それがどれだけの事かわかってて言ってんのか?
哲学が悟性を芸術に委ねなければならなくなった時代がはじまったってことだ!
それがわかんねぇ馬鹿が煽ってんじゃねぇよ!10年ROMっとけ。 twitter上にて芸術領域から神の存在証明の成立が示唆される。
↓
読み合わせ、示し合わせにより>>53の1が確定。
↓
証明の真偽解析←いまここ
しかし、
【芸術は芸術の証明である】
ここでコスースが張っている以上ほぼ真確定。 全能で善の神は存在しない。
なぜなら人間は臭いうんこをするから。 >>66
もし、うんこが美味しそうな香りをしていたら食べてしまうだろ
それは人間とって困るだろ
だから、そんなことが起きない様にくさい臭いがつけある
プロパンガスに玉ねぎの腐った臭いをつけて漏れたらわかるようにしてるのと同じだよ >>64
時間かけてじっくり読ませてもらったよ。
要は、証明が真ならば文句なしに1確定。
反証されたとしても〔ART BECOMES TANGIBLE GOD.〕という定義において「予想」が成立し、1確定。
どちらに転がるにせよ1以外はありえない。
故に、2がない。
というのが証明真偽解析までの現状把握ということでおk? >>68
そうゆうこと
後はどこが拾うのかってだけの話。 >>62
って事はだよ、南極までの話が漏れてるって事じゃねーか!
おまえ南條だろ。
5ch使って逃げてんじゃねーよ!
ダイチと仲良く首吊れや!馬鹿野郎!
氏ねじゃなくて本当に死ね! >>70
ですよねぇw
ほとほとこっちも迷惑してんのよ。
こいつ>>53ドラッグ1で浮いてんのw
こちとらそれ知ってドン引いた筋ですわw
心配ないからw
南條含めドラッグで示唆振ったとかほざいてきた馬鹿達、もう死ぬしかないからw
ちなみに月に並んでる連中も完全に逝ってるよ。 >>71
すんげぇえええええええええええええええええええええええ!!!
朝っぱらから声だしてワロタw
普通に疑ってすみませんでした。
いや、普通にすげえわ!
いや、普通って何だw
もう言葉がないw
ご無礼お許しください。としか言いようがないw
あんたに言ってもしょうがないw
とにかくすげえ! >>72
気にしないでいいよw
俺も絶対に許す気ないからw このままだと、争点がクーンズになるということは避けられそうにないね。 >>64
>>68
【芸術は芸術の証明である】
とするならば、反証された時点で芸術とは言えなくなるのではないだろうか?
だとすれば「予想」という概念は芸術たりえるのだろうか? >>75
そうなると結局哲学領域において補完されるんじゃね?
その事態も十分に考えられうる。
つまりは芸術、哲学どちらの領域においても1が確定してるってことだろ? よくわからんがすげえw
アカギ読んでるような気分になるw ざわ... ざわ...
ざわ... ざわ...
ざわ... ざわ... >>74
シミュレーショニズムが破綻せざるをえないならば、クーンズは確実に沈む。 現状の把握が追い付いていないんだけど、
>>76が示すように芸術、哲学の両領域において1が成立しているということは、
少なくともこのスレで晒されているような、例えば>>1、>>26、>>30 のような証明の前提が覆され、
反証されているという認識でよろしいのでしょうか? >>76
拾った牌、河に戻しな。ウチは喰い変えは認めてねーんだ。
ざわ... ざわ...
ざわ... ざわ...
ざわ... ざわ... >>81
今まで神の存在証明とされてきたそのほぼすべては、結局カントに帰結せざるを得ない。
カントから伸びていくのであれば4種類の存在証明の真偽は確実に問われるだろう。
つまりは『純粋理性批判』からの体系が論駁をうける可能性は極めて高い。 ざわ... ざわ...
ざわ... ざわ...
ざわ... ざわ... >>67
椹木さんのことですね?
ええ、わかります。 >>87
他の学問領域についての影響をいかがお考えですか? ざわ... ざわ...
ざわ... ざわ...
ざわ... ざわ... >>92
哲学は豊かな土壌となりえる。
それだけは確かなのではなかろうか。 >>92
比較社会学をめぐるコミューン思想は大きく動かざるを得ないだろう。 >>92
西田哲学以後の哲学
チョムスキー以後の言語学
フレイザー以後の社会科学 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています