大人について教えてくれ [無断転載禁止]©2ch.net
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大人は空気読む人のことじゃん?
2chは子供になれるから皆んな好きなのでは? 空気読んだり他人を気にするってめんどくさくないか?
それが大人なら嫌じゃない? >>3
みんな自然とやってんだろ。やってないように見える人でも。 空気読むくせに不満めちゃくちゃ持っているやつは嫌いだけど。 普通のやつは人を傷つけるようなこといわない。普通のやつはね。普通じゃないやつもいっぱいいるけど。 責任が発生するってことだな。で、それに見合うようになるってこと。 大人とは一定の年齢になること。それだけ。
一定の年齢になっていても他人の悪口は言う、責任もとらないやつもいる。
政治家はだいたいそう。トランプがいい例。 身体的にも精神的にも停滞している状態のこと。
大人は悲しい。
学ぶことが得意なひとしか学べなくなる。 人間は年と共に無造作に何者かになるのではないというのが事実であってこの範疇こそ精神に最も厳しく対立するものなのだ
むしろ精神の場合には年と共にひとりでに何かを失っていくというのがごくありがちなことなのである
おそらく人は年と共に自分の持っていたわずかばかりの情熱、感情、想像力、わずかばかりの内面性を失う事だろう
そしてひとりでに卑俗な人生観を抱くに至る事だろう
この「改善された状態」はもちろん年と共にやってきたものだがそれを人間はいまや絶望的にひとつの善とみなし〜中略〜
一体何故ソクラテスは青年を愛したのであろうそれは彼が人間を知っていたからの事ではなかったか 人生をゲームに例えると
なんか大人ってのはグラフィックだけ凄いゲームみたいなんだよな
そこで使われてる技術とか映像とかは明らかに昔より進化して凄くなってるんだけどゲーム自体の純粋な楽しさは反対に失われてるっていうか 生活費、携帯代でお困りの時は、是非ご相談下さい。
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詳しくはHPをご覧下さい。 大人とは
何事においても責任を持てる
他人の手を借りずとも生活のできる
自立して行動することができる
常識のある
成熟な生殖器をもっている
これらの条件をすべて満たしたものだけが、大人である。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
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TRCQF 本来、生きていく上での知恵は親から子に受け継がれてきたものだが、若さに無類の価値を置く
進歩的と称する団塊の世代が上の世代の言うことを聞かなくなり断絶が生まれてしまった。
結果、親と子、大人と子供の境界が曖昧になっていったのが今の友達のような親子関係につながっている。
子育てをテクニックで捉える前に、まず親として、大人として振る舞うとはどういうことかを考え直さなければならない。 道徳教育なんかをいくら上から借り物の言葉で教えても何の効果もないよ。
やって良いことと悪いことの違いは、駄目なことは駄目ときちんと叱ること、
どんなに嫌なことでもやらなければいけないことはきちんとやらせるという意志を
家庭・学校が身をもって示すことでしか個人の倫理観は生まれない。 大人はチンチンの皮がズルムケになることだ
チンチンが長くて、カリが張ってきて、
堅くて、強くって、暴れっぱなしになると大人だろうな どんな場所でも利権構造があるから、偶発的に他所者に首を突っ込んで
ほしくないというだけの話だよ。工作が発覚したら困るじゃないか。
それを防止するための工作を実行しなきゃならないのもとても面倒。
正常性バイアスで他所者を悪者ということにしておけば楽でしょ。
長年やってきたボランティア活動を邪魔するなとか、まあ、宣教師が
魂の救済にとても熱心だったのは確かだろう。 既存の利権に配慮して、忖度する姿勢を最初から示していれば、どんなところに
出入りするのもスムーズに行くでしょ。そういうものだ。 単純に分け隔てなく話を聞かれると困る、これなんですよ。 重要なのは、最初から結論を明示すること。
話を聞く前からね。 話を聞く前から結論を提案する
すると、その提案に賛同して金を出してくれる
スポンサーがつくか、つかないかが問題
スポンサーがつけば、いろいろと便宜が図られて、
最終的に提案通りの結論を出し、
つかないでもやろうとすれば、
徹底的な妨害が入る 結局のところ、シンクタンク(think tank)がやっているように推進したい
政策に合わせたロビー活動のための言論工作を隠れて代行しているような
もの。 大人とは、対応力がある事。
経験がある事。順応性がある事。
理解力が高くなる事。
視野や見識が広まる事。
知恵や引き出しが多くある事。
子供のままで良い部分は、好奇心や興味や関心や行動力。
こういう物は、大人になってもあった方が良い。 自分の行動の結果は自分一人で引き受けること。
風当たりを弱めるために、人をなじったり第三者の同意を得たりして優位に立とうとしないこと。
自分がやりたいからやるんだ、という倫理を徹底させれば、
自分の落ち度が明らかになっても、自分を責めたり卑下したり他人に転嫁することもない。 慰安婦騒ぎと老婆エステのあいだでよく頑張った 感動した!! 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。 今まで言ってきたことを簡単にまとめると、
お前なんか全然大した人間ちゃうわ、あんま調子に乗んな、ってこと。 自分に課すハードルは能力の振れ幅の下の方に設定しておいた方がいい。
勝負にこだわるのと縛られて身動きが取れなくなるのとの違い。
と言ってそう簡単にいかないのが世の中なわけで。 >心は鉄でできてるわけじゃないからね。
ハート・オブ・ゴールドですね 心こそが、媒体として物象化して認識された間主観性でしょう こんな誰でも思いつくようなことさえ誰も指摘することがないのは、
英語の"mind"を日本語の「心」として訳すなんて愚か極まりないことを
いつまでも続けているからだ。 Let's change our mind, shall we? No, you can change your mind, but never your heart.
You can only have changes in your heart. It is not you who changes your heart.
Rather, it's your heart that changes you.
With a new heart you will be born again. 心が伴はなければ、すべては幻想に過ぎない。
心なしか(Maybe it's just my imagination, but)そんな気がします(I feel that way)。 よくある反応が、「誰がそんなことを言っているんだ(きちんと権威を
引用しろ)!」と「そんな当たり前のことをなぜわざわざ言うんだ!」の2通り。
誰も言わないからこそ、敢てわざわざ私が言うんですよ。 大人になるってのは童貞捨ててガキ作る事だよ
それに伴い女とガキを養う経済力の確保
あとは自然と周りと社会が責任を取らせるように仕向けてくる
悩んでも無駄
慣れろ 少し世の中をなめすぎた意見だったかもしれない・・・ >>50
誤: you who changes
正: you who change 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 お前の夢って宝くじに当たるとか
採点ミスや手違いで東大に受かるとか一流企業に採用されるとかだろ?
努力してないのにカスが何言ってんの?w 家財を整理してたら、小学1年生のときに色鉛筆で書いたとても小さな絵が
出てきた。年令の割に特に上手だというわけではない。小さい子供はみんな
人を正面から描くことが多いのに、なぜか後ろから描いていて、背景の詳細
を描き込み、遠近法を使っているわけではないのに空間の遠近を描き出して
いる。我ながら奇妙なガキだったんだなと思う。 当時は、とても一生懸命描いて、うまくできたと自分では思っていたのに、
まるで評価してもらえなかったことにひどく落胆したのだろうという気がする。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 >>81
天は人の上に人を作らずっていうように
人の人生に責任を持てるなんて思いあがって
る人は人の下で従ってくれてほうが
いい。 上下関係の垣根をとっぱらうことで、立場に見合った責任の重みを自覚することから逃げる人間は信用できない。
立場が上の人間の為すことが必ずしも正しくないからこそ、上は下からの突き上げを真っ向から受け止め、
下は上が従うに足る人間であることを見定める必要がある。民主主義だのグローバルだのはその後の話だ。
世間に対抗する言葉が見つからないのなら無理に自分を合わせる必要はない。
ただ、個人の規範倫理としてそこを軽く扱うのには、
どこかに何かをごまかそうという心理が働いていることは押し付けるでもなく指摘しておく。 ま、よくよく考えたら俺には全く関りのないことだな。
多分俺の人生に全くかすりもしない問題。俺とは関係ない。この感覚は大事だな。
矢面に立たされる人は気の毒とは思うが、自己判断で動いてもらうしかないな。 傷つくことを恐れる気持ちは誰にでもあるが、受けた心の傷の痛みを薄めようとしないこと。
痛みを痛みとして感じることができるのは人間にとって幸せなこと。 心が高揚しそうな時ほど手元に引き付けておく必要性。肌感覚を手放さないという問題。 時の流れを自分のものにするためには、まず自分の空虚さを受け入れること。
欠点は克服するものではなく受け入れるものだと分かれば、さらに生きる意志につながる。 信頼とは共に積み上げ共有したものの高さによって決まる。
自分を守るのは人との距離感のみ。 何を信じ何を遠ざけるかの判断は受け身の関係性からは生まれない。
相手の腹の中を自分からまさぐっていかないと、上っ面の好悪、立場を超えた関係は見つからない。 人間は他人に迷惑をかけずには生きられない。
逆に言えば他人から当然のように迷惑をかけられながら生きるしかない。
どちらの可能性も引き受けること。 人から理解されようとしないこと。
やりたいことの為ならどんな理不尽な汚名を被ってもいい。 社会の作り出す強迫的な空気感に無条件で乗せられない。
乗せられるのなら乗せられているという自覚を持つ。
時代の只中を流されるにせよ、どこかに一人の人間として時代を対等なものとして眺める態度は必要。 他人に迷惑をかけることを嫌がらないこと。
そこを踏まえないとやって良いことと悪いことの違いも身に沁みては分からない。 目的にまとわりつく余計な感傷を削ぎ落すこと。
それらは自らの意志をぼやけさせるだけ。 行動の主体をごまかさない。
自分が自分の為にやっているという感覚に他人を混ぜ込んであやふやにしない。 自分の言動の広がりに対して自分がけじめをつけられる範囲を意識する。立場を踏み外さない。 どんなにウザい相手でも反発したり立ちふさがって態度を硬化させる前に、相手の背景を理解するよう努めること。
譲らない自分が明確にあれば、殊更それを人に押し付けることもない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています