山内さんの指摘は、田川建三さん、時枝誠記さん、三浦つとむさんの指摘と同質だな
田川さんは新約聖書学者の若手が文献解釈の大変さはわかるが、問題はそこから先なのだと語っている。
ある著名な物理学者は、大学院生でとてつもなく優秀なのが散見したが、その人たちは何もしなかったと語っていたことを思い出した。


>問題設定と課題設定がなければ、こんな本にはこう書いてありましたというう要約にしかならない。
学者としての資質は、要約のうまさではない。問題を解こうという、こだわりと粘り強さと思い込みという
強度の有無が分かれ目だ。まじめな勉強家だけでは学者に向かない。


その通りのような気がする。