この世界は巨大コンピューター内の仮想現実
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この世界は巨大シミュレーションゲームで 我々はAIだという米国学者もいる どこか別に本物の現実世界があり ここはそのホログラフィーにすぎない ほんとスピリチュアルな話が好きな奴ばっかりだなぁ なんでこんなに馬鹿なんだろうかw >>475 わかった、わかった そんなにファビョるな、少しは落ち着け 少なくともどういう原理で精神が発生するのかくらいは書けよハゲ 科学が進むからそうなるに決まってるとかマジでドラえもんだな(笑) >>479 精神て発生するんですかw 凄い発想ですねw こういったところも思考が劣っているんだよねw 精神とは何か? それが哲学ってなもんだ ぎゃははははははははははw ドラえもんが精神と言い出したんだろキチガイかなのかこいつは 科学が進歩するからそうなる、って実際何の議論にもならんよな 子供と会話してるのと変わらない 人間は様々なことを実現させてきた プログラムが今よりも何万倍も進んだら心だって生まれるに決まってる ロボットに心があるというのは手塚治虫やら、SFでも良く題材にされるテーマでしょう そういうことにリアリティを感じてしまうということは、イデアの観念をもちいるなら潜在的にそういうことは 実現してしまうことを既に知っているということ 「こんなことを言われたら、こういう風に反応する」というプログラムを緻密に組めば、心があるのと変わらないだろ。 実際、人間の心がそういう反応の束であるというのは、ヒュームも言ってたことだ。 現に心がなくても人間のように振る舞ってたら心があるのと変わらない 人を愛するということは投影だから、対象に心があっても無くても本質的にはどうだっていい 心がある、ないということは信仰と同様に主観的な問題で客観的に定義しうる問題ではない 予想通り観念論におちたかw 此れだからバカは哲学できないって言われんだよw 心とか精神とかwww 赤ちゃんにはフクザツな感情がなく、上機嫌と不機嫌の2種類くらいしかない。 AIにも、まずは上機嫌と不機嫌を教える必要がある。 まあ、必要かどうかはともかく、人間に近づけるためには、まずはそこから。 「機械が心を持つようになるか」という質問を受けた時には、「エンジニアリングとしては、機械が心を持つかどうかではなく、機械に心を持たせたいか、持たせたいとしたら、 何のためにどういう(部分的な)心を持たせたいか、を考えることになる」とお答えしてきました。 たとえば、将棋ソフトの研究は、(敵に勝つための策の網羅的な探索というような)軍事研究に直結しうるわけですが、「人を殺すためだったら計算したくありません」というような擬似的な心を、 改変できないような巧妙な方法で人工知能に組込んでおく、などという研究がありえます。 それに賛成か、反対か、これは意見のわかれるところでしょう。 AIを作る人たちの複数の心、AIたちの複数の心(?)、およびAIを使う人たちの複数の心が、相互に作用して、 ある種の複雑系を形成し、創発的に予期せぬ事態(良い事態と悪い事態の両方)を引き起こすことになるかもしれません。 しかし、人間をタンパク質で作るのも、ケイ素化合物とかで作るのも、本質的な違いはないのではないか。 脳だって作れるだろう。 人間が個人の意思をもち、自律的に動くシステム。 宇宙や地球にとっては、全員を直接操作するより、遥かに効率が良いのは確かだ。 そのために、人間に自我意識を持たせたとも考えられる。 共感能力を持たせたいの? 痛覚とかをもたせたいの? そんなもんが思考なのか、心なのか 湿っぽくアホで非科学的な話しかできないお馬鹿さんが多くて困るw 痛覚を持たせることにより、人間や動物は、自分で自分の身を守るようになる。 「生き延びたい」という、生存本能も必要だ。 「死にたくない」という生存本能を、すべての生き物に標準でプリインストールしておく。 そして、快楽と苦痛をプログラムしておく。 そうすれば、長く生きるにつれて、感情が発達してくるのも不思議ではない。 怒りも憎しみも、これらの本能から派生する。 人生でさまざまな経験を蓄積することから、フクザツな感情が生まれる。 この世界は仮想現実である もの凄い唯物論的な考え方だな もしくは馬鹿 極端な唯物論は、極端な観念論にだんだんなってくるんだよ。 北極と南極が似てくるのと同じだ。 世の中わからないことだらけ。 でもってわからなくてもいいことだらけ。 >>504 このスレは、ちゃんと読めば分かるはずだ これでも読んで覚醒しろ 疑いようの無い事実だ こんにちは。この時代の方々と交流してみたいです。 [無断転載禁止]©2ch.net http://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1498790349/ この宇宙そのものが計算機であり、この世界は仮想現実である。 その計算機に名前をつけるなら「無」あるいは「ループ」であろう。 そこなんだよな。 「この世界はコンピュータ内のシミュレーション」というから、 「そんなデカい計算機なんか作れるわけないだろ」となるわけで。 そうではなくて、この宇宙そのものが巨大な計算機なんだ。 そこに気づくと、「この宇宙では、なぜ、何もかもが数学的な法則で動いているのか」という、 最も根本的な疑問の解答が、おのずから明らかとなる。 唯物論を馬鹿にするレスがあるな。マルクスを 否定するのか? 数学的な法則で動いている……? 動いているのは物理で数学は理解するためのものでしかありませんが…… この宇宙が計算機って要はPC本体って事でしょ 全てが幼稚 実に情けない想像力と知性のゴミ共ですね >この宇宙が計算機って要はPC本体って事でしょ そう、要するにそういうことだな。 すべては、0と1の二進法でできている。 それが、有と無の二元だ。 計算機とはつまり、「プログラム可能な機械」ということだろうか? もし、そうならその源流は19世紀の「階差機関」の考案者、バベッジにまで遡ることが出来、また、最初のプログラマーはバイロンの娘、エイダにまで遡れるという。 もっとも、バベッジの計算機は機械仕掛けで蒸気機関駆動を想定して作られていた。 現在の様な計算機の隆盛を生むアーキテクチャーは基本的に半導体技術の進歩無くしては語れない。 非常に初期の電子計算機は真空管で作られていて、ごく簡単な回路を組むのにも部屋一つくらいの面積が必要で、まともな計算機を組み上げようと思ったら、それこそ体育館くらいの大きさの空間が必要だった。 このような状況を救ったのが、大規模集積回路技術、LSIである。 この技術を使えば、回路をあらかじめ基板の上に描いておくだけで望み通りの回路を組み上げることが出来る。 後から配線する手間は一切無いのだ。 しかも、絵を描くことさえ出来ればいいのだから、事実上「印刷できる最小の大きさ」で回路を組むことが出来る。 最近の計算機の進歩とは突き詰めればいかに小さく回路が作れるか、という絶間ない技術的進歩そのものだったと言っても過言ではない。 小さければ小さいほど、安くて高速な計算機が作れるからだ。 しかし、物事には限度というものがある。 回路を描くための線をどんどん細くして行けばいずれ、物質を構成している最小単位である「原子」のレベルに到達してしまう。 「そんなおおげさな」と言うも知れないが、原子の大きさは、たかだか、1ミリの一千万分の一しかないのだ。 回路の中の配線の太さと原子の大きさが同じくらいになる日はもうそこまできている。 実際には限界は、配線の太さが原子の太さになる前にやってくる。 計算機の基本である電子回路を司る法則が普通の電気回路の法則から量子力学の法則に移行するからだ。 量子力学の世界では配線の中を流れる電子が隣の配線に「にじみ出て」しまう。 つまり、配線のどこにどれだけ電気が流れているのか解らなくなってしまうのだ。 これでは、回路なんて組めるわけが無い! だが、よくしたもので人間には「災い転じて福と成す」という能力がある。 それなら最初っからそういう前提で回路を組めばいいではないか、というわけだ。 量子力学の原理を使って普通の電気回路の計算を越える演算が出来る回路を作れないか?」と考えた人がいたのだ。 その原理は簡単にいうと「いままでは一度に出来なかった計算を一度にやる」というやり方だ。 量子力学の世界では、配線のどの部分に電子がいるのか区別できない。 これは、逆にいうと「配線のどこにでも電子がある」ということだ。 あるいは、「回路に電気が流れている状態の全てを重ねあわせた状態」と言ってもいい。 普通の電気回路では足し算と引き算を同時にすることは出来ない。 なぜなら、足し算のときと引き算のときは電気の流れ方が異なるからだ。 だが、量子力学の電子回路では「引算の時の電気の流れ方」と「足し算の時の電気の流れ方」を両方同時に計算できる。 このやり方を使うと今までとは比較にならないほどの計算を一度に行うことが出来る。 この原理を取り入れたのが量子計算機である。 さて、ここまで読んできて賢明なる読者の中にはどこかおかしい、と感じられた方がおられるのではないだろうか。 「全ての計算を同時にやったら答えも同時に出てくる。つまり、答えもいろいろな答えの重ねあわせの状態になってしまうのではないか?」 1足す1と1引く1を同時ににやったら答えも1足す1の答えの2と1引く1の答えの0との重ねあわせで2と0の混じった回路の状態が出てくるはずだ。 これからどうやって1足す1の答えの「2」と1引く1の答えの「0」を分離するのだろうか? 実際、これこそが、量子計算機実用化の最大の難点だった。 実は最近、量子計算機が注目されている理由は、現実にこの困難を回避できる素晴らしいアルゴリズムが発見されたことによる。 このアルゴリズムを使うと、非常に難しい問題とされていた大きな整数を小さな数の積で表す問題(例えば、1547=13×17×7とか)をごく短い計算時間で行うことが出来るのだ。 大きな整数を小さな数の積に簡単に分けられるようになると、これからの計算機+ネットワーク社会で印鑑や鍵の役割を担うと思われている計算機暗号が簡単に破られてしまうのである。 人や物が写真になるということは それはすでに死んだ過去のもの かつての夢は今の思い出 この世が計算機であるというなら現実世界とは何かになる。 現実世界をシュミレートしているのなら現実世界もこのよと同じということ。 何かを明かそうにもすべてがシュミレートされている以上は何も証明できない。 全てが虚構なんだから。 そしてすべてが虚構だというならシュミレートだという根拠もつかめないというパラドクスに陥り、パラドクスに陥るがゆえに根拠のない妄言だと判断できる。 つまりこの世がシュミレーションだという言及自体が矛盾であり根拠がないという事になる訳だ。 もしもこの世がシュミレーションだというならそれ自体をシュミレートしている存在が直接的に語りかけて来なければならない。 つまり神との対話。 という事はこの議論は宗教板に言ってやってくれ。 分かったな? >という事はこの議論は宗教板に言ってやってくれ。 勝手にしろ(笑) >>532 クスクスクス アホガマタバカニサレニキタw >>534 相変わらずつまらんな、お前の煽りは(笑) 頭が悪いだけでなく、ツッコミのセンスもない 人気のアクションゲーム『グランド・セフト・オート』シリーズや、ものづくりゲームとして人気の『マインクラフト』など、 最近のビデオゲームはビジュアル表現にも優れ、ゲームの舞台となる世界もきわめて広く、まさに“第2の人生”を送れる場所になっている。 またオンラインゲームであれば他のプレイヤーとコミュケーションすることもできることから事実上、ゲームの世界の“住人”になれるのだ。 スキーのゴーグルのような装着型のディスプレイ機器を用いたVR(バーチャルリアリティ)技術も着々と開発されているが、 ゲームの世界にリアリティを追求すればするほど、当然のことながらゲームは現実に近づいていく。 ……とすると、この“現実”もまた何かのシミュレーションゲームの舞台かも知れないと考えるのは飛躍し過ぎであろうか。 しかし驚くべきことに昨今、この「シミュレーション仮説」は哲学や脳科学の分野で真剣に議論されている。 この世はビデオゲームの世界と同じだといういうのだろうか。 先頃アメリカで放送されたテレビ番組『Closer To Truth』では、各界の著名人が登場してこの「シミュレーション仮説」についての考察を語っている。 番組の司会を務めるのは企業コンサルタントで投資家で脳科学者でもあるロバート・ローレンス・クーン氏だ。 彼もまた『The Mystery of Existence』などをはじめ宇宙論や存在論についての著作も多い、この問題のエキスパートである。 そのクーン氏が今回、各方面の識者に「この世はフェイクですか?」と質問したのだ。 番組の中ではまず、英・オックスフォード大学のニック・ボストロム教授が、“フェイクな世界”を「技術的にとても進んだ文明によって、豊かで微に入り細に入り作られた人間シミュレーションソフトウェアなのです」と説明している。 ボストロム教授のこの「シミュレーション仮説(Simulation hypothesis)」は我々以外にも知的文明が存在することを前提にしていることになるのだが、この説に立脚すれば次の3つのシナリオのうちのひとつが真実であるというのだ。 1、ほとんどの文明は技術的に成熟する前に絶滅した。 2、十分に成熟した技術を持ったほとんどの文明はシミュレーション装置を作る興味を失った。 3、我々人間は実際にコンピュータ・シミュレーション上で生きている 今後人類は、超高度なシミュレーションソフトが作れる技術水準に到達する前に絶滅してしまうのか、それとも今後じゅうぶんな技術力(シンギュラリティの超越)を獲得するもののシミュレーションソフトを作る意欲を持たないのか、 あるいは現在すでにコンピュータ・シミュレーションの世界で生きているのか、いずれにしても心中穏やかになるものではなさそうだ。 もしすでに我々がシミュレーションの世界の住民であるのであれば、そのシミュレーションソフトの“作者”は、我々には存在すら感じられない超越的な存在であることになる。 我々人類は、水槽で飼われている観賞魚のようなものなのだろうか……。 AIに主観性は備わらない、水槽の中にいるのは全てモノだ >>539 哲学が既に2000年以上前に過ぎ去った地点 結果考えても無駄、わからないから唯物論に至る訳だ 目に見え、触れるものの中で生きて行けば良いんだよ 結局仮想現実の中で生きているなんてのは神様が世界を作ったという 宗教観と何ら変わらない 学者も宗教や迷信が好きだから真剣に楽しんで遊んでるんだよ 君等みたいな無知な馬鹿と違って分かった上っで楽しんでいるんだよw ぎゃはははははははははははははw なんでその“作者”もシミュレーションの世界の住民かもって 発想しないの? 階層を一回しか遡らない理由は? >>543 楽しんでるという割には、妙に必死だな(笑) テンパってくると この世界は仮想現実である って言う奴いるよね 何の病気なんだろう この手の話ってプログラミングのいたとか言って話せばいいのに 哲学的には嘘じゃなく本当に二千年以上前に終わってる話だし 実際AIとかSFも神話からネーミング取ってるだろ シミュレーションなら実際自分で組んでやってみればいいやん でもそういった事は全くできない無能で話も理解できないから 実にレベルの低い曲解した妄想を垂れ流すだけ 本当馬鹿にされる為に態々書き込んでいるとしか思えないんだがw >>551 わかった、わかった、ご苦労さん!!(笑) 人類は永遠には続かないだろう。 いずれにせよ、人類は宇宙から消えることになるだろうが、その前に詳細なまで鮮明な人間としての体験をエミュレートできる十分な計算能力を集めようとするかもしれない。 哲学者や物理学者は、すでにそれがあり得るかどうか考え始めている。 我々はコンピュータシミュレーションの中にいて、経験する現実はただのプログラムの一部なのかもしれない。 現代のコンピュータ技術は非常に洗練されており、量子コンピュータの到来で、さらに洗練されていくことだろう。 より強力なマシンで、我々は完全な生命体(人間でさえ)を含む複雑な物理システムの大規模シミュレーションを実行することができるだろう。 しかし、どうしてそこでやめるのか? その考えはそれほど馬鹿げているわけではない。 ある哲学者は、我々がコンピュータハードウェアの最終的な複雑さを認めるなら、我々は既に「アンセスター・シミュレーション」(人間の過去の仮想施設)の一部である可能性が高いと主張した。 その一方で、原子核物理学者らは、あらゆる科学的なプログラムは仮定を単純化しているという考えに立ち、この仮説を検証する方法を提案している。 もし、我々がシミュレーションの中に生きているなら、その考え方は、これらの仮定を検知するための実験に利用できるだろう。 しかし、これらの論理的かつ実験結果の見方として、我々が違いを見分けることができず、シミュレーション内に生きているという可能性を残している。 確かに、提案されたシミュレーション実験の結果は、可能性としてシミュレーション世界に住んでいないことを説明できるかもしれない。 とはいっても、疑問が残る: 我々はシミュレートされた人生を生きているのか生きていないのかどうかを知る手段はあるのだろうか? 私たちを取り巻くあらゆる物には確たる現実感が伴っているように思える。 しかし、この世界が超高度なシミュレーションなのではないかと疑う科学者の数は増えている。 このシミュレーション仮説を巡る議論はここ数年大いに熱を帯びていたが、 アメリカの天体物理学者ニール・ドグラース・タイソン氏はこの議論に終止符を打つべく、 あるいは少なくとも実際に検証する方法を明らかにすべく、専門家に声をかけた。 私たちを取り巻くあらゆる物には確たる現実感が伴っているように思える。 しかし、この世界が超高度なシミュレーションなのではないかと疑う科学者の数は増えている。 このシミュレーション仮説を巡る議論はここ数年大いに熱を帯びていたが、 アメリカの天体物理学者ニール・ドグラース・タイソン氏はこの議論に終止符を打つべく、 あるいは少なくとも実際に検証する方法を明らかにすべく、専門家に声をかけた。 アメリカ、ニューヨーク州ニューヨーク市にあるアメリカ自然史博物館では、毎年、アメリカを代表するSF作家アイザック・アシモフの追悼記念討論会(アイザック・アシモフ・ディベート・シリーズ)を開催している。 パネリストの1人、MITの理論物理学者ゾホレ・ダブディ氏は、「数的シミュレーションとしての宇宙の制約(Constraints on the Universe as a Numerical Simulation)」という論文の著者である。 論文で論じているのは、もしこの宇宙がシミュレーションであるならば、シミュレーションであれば必ず伴う性質に起因して存在する、ある予測可能な物理的制限を計測できるはずという説である。その制限が発見されれば、私たちの世界は現実ではないということになる。 これについて怖くはないかと問われたダブディ氏は、「ちっとも。むしろ楽しくなるアイデアね!」と返答した。 「クォークの動きを観察すれば、それを司るルールは完全に数学的なことが分かりますよ」と発言したのは、同じくMITの宇宙学者マックス・テグマーク氏だ。 彼の疑問は、同じ疑問を抱いたゲームのキャラクターは、いずれ自らの住む世界が完全に堅牢な数学的世界であることを発見するのだろうかということだ。 メリーランド大学の理論物理学者ジェームズ・ゲーツ氏は、シミュレーション仮説を信じたくはないが、数学的にはそう思わざるをえないと話した。 数年前にクォークとレプトンに関する等式を解いていたとき、ブラウザが機能するコードを発見したという。 「クォークとレプトンと超対称性について研究していたのに、なんでまたそんなものが等式の中に? それでマックスのような人たちの頭がおかしいわけじゃないと気づいて慄然としたわけです」とゲーツ氏。 ちなみに世界がシミュレーションであるという説と、宇宙がホログラフであるという説は別物なのだという。 ホログラフィック原理は、薄い、振動するヒモから宇宙の重力が生まれたと主張する。 そして、このヒモは、単純で、平な宇宙の中で発生する事象のホログラムなのだという。 また、空間体積についての情報(人間や彗星など)については、平な宇宙の”現実版”の中に隠されているとする。 例えば、ブラックホールでは、落下したすべての物体が表面変動の中に完全に保持される。 これはちょうどチップの中のコンピューターメモリのようなものだ。 より広い意味において同理論が示唆するのは、宇宙全体が”宇宙の地平面に投影された2次元構造”、すなわち映像に過ぎないということだ。 この場合、遠くにある地平面で働く物理法則を理解することが、現実を知ることにつながる。 >>548 テンパってるのは、ここではお前ひとりだ(笑) それにしても、なんで、そんなに必死なんだ? >>551 2000年前にシミュレーション仮説なんか、有るわけないだろ。 コンピュータがない時代の人間のアタマに浮かぶ発想ではない。 どこまでバカなんだ、つける薬がないな(笑) 世界があまりにも数学的かつ整然とできていること。 それが、シミュレーション仮説の大きな根拠になっている。 その点に関する解釈が、鍵をにぎっているようだ。 数学は人間が創り出したものであり、宇宙が数学的に見えるのは、人間の意識の投影であるという考え方もある しかし、それは19世紀の思想。 量子力学や、超ひも理論がすべてを変えた。 >>566 その通り。 君は無知で愚かで貧弱な発想力と想像力が無いから反論すら出来ない馬鹿なんです。 哀れなほど滑稽にみんなからバカにされ続けて生きていくしかないんです。 ぷっw >>573 いや、少なくとも、お前よりは確実にアタマが良い(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる