この世界は巨大コンピューター内の仮想現実
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この世界は巨大シミュレーションゲームで 我々はAIだという米国学者もいる どこか別に本物の現実世界があり ここはそのホログラフィーにすぎない 悲しいよな? 煽りたくても語尾が無くて何買か言い返したくても更に無響な事を晒してしまうってTT 悔しい? 悲しいの? でもね君はバカだからしょうがないんだよ… 自分の人生を受け入れて一生馬鹿にされて生きていくしかないんだよ! ガンバレ 冬休みが終わったらまたバカにされる毎日が待ってるぞw ぎゃはははははあはははははあはははははw うきゃいうoia@poafporqiookrpokpfq,lf ただ親が遺伝子が悪かった、君のせいじゃない 生まれてきたのが間違いだたんだ 何がそんなにプルっちゃったのかが謎である ネック→新潟出身 ↑ このあたりかなぁ… 親が悪いとこうなるという生きた事例としてこのスレは価値があったな 悪口ってのは、自分が言われてショックを受けることを言うからな 何の脈絡もないのに突然「新潟」などと言い出すのはズバリそういうこと 自身がクソ田舎出身というコンプレックスがゆえだろう てか、新潟とか四国のどこが悪口なのか意味わからん こんな島国どこの出でも対して変わらんだろ そこまで言うお前は宇宙から飛来でもしてきたのかと >>711 宇宙から来るわけねーだろうがバーーカwwww新潟はしんどけやwww てかなんで新潟なんだろうね、別に宮城とか佐賀とかでも良い訳でしょう 新潟というチョイスが都道府県を憶え始めの小学生といった印象だな 外国は全てアメリカ、大きなお金は全部100万円みたいな 最近の小学生の間では荒らしに文句をつけることを発狂というらしい こういう会話の通用しない遺伝的に劣った電源ガキの命は絶やさなきゃ ごめんごめん こんな大きなエサ釣れると思わなかったからさ てか、自ら荒らしておいて文句をつけたらブチギレするとか 自分が街を全裸で歩いてるのが悪いのにそれを見て笑った人に全力で襲い掛かってくるようなキチガイやな(笑) 君が新潟出身がコンプレックスってことはわかったからさ もう言わないから笑 こんな電源馬鹿に哲学は不可能でありとっとと自殺して遺伝子を絶やすことが社会的意義 うきゃきゃw 悔しかったら哲学者の10冊や20冊は読んで来いやぁ 冬休みで暇なんだろw こんな子供馬鹿を野放しにしている親や兄弟も悪いね 遺伝の劣ったゴミは親子まとめて焼却炉に放り込め、燃えやすいゴミのほうがまだ価値がある 新潟出身の哲学者wwwwwwwwwwwwwwwwww >>724 到底哲学が可能とは思えない頭の残念さが滲み出る書き込み(笑) 存在自体をブラックホールに捨て去ってバイキンみたいな構成物全てを消し去らなければ気持ちが悪くていけない >>731 俺は太陽に放り込んだらと考えたが日が昇るたびにそいつを思い出して気色悪いからやっぱブラックホールだな こんな自作自演までしてスレッド潰したいとかどんな執念なんだよ さあ話を続けてくれたまえ 何も問題はないはずだ スレ主が新潟出身ってこと以外は この世界は巨大な新潟発のシミュレーションゲームで 我々はAIだという新潟県民もいる どこか別に本物の新潟県があり ここはそのホログラフィーにすぎない(新潟県民予想) マサチューセッツ工科大学教授マックス・テグマーク著「数学的な宇宙」(講談社)によれば、自然のいくつかの側面は数学そのものだということを示唆する手掛かりがいくつも得られている。 たとえば、 1.私たちの物理的世界の基本的構造である「空間」は、その固有の性質として、次元、曲率、トポロジーなどの数学的性質しか持たない。 2.素粒子もまた、その固有の性質は、電荷、スピン、レプトン数などの数の数学的性質のみだ。 3.波動関数は現在、過去、未来のいずれにおいても一つで、ヒルベルト空間中をシュレーディンガー方程式に従って発展する。 そしてこれらの波動関数とヒルベルト空間もまた、数学的対象物だ。 これらから、二つの仮説が導かれる。 1.外的実在仮説:人間の存在とはまったく無関係に(物理的な)外的実在が存在する。 2.数学的宇宙仮説:外的実在は数学的構造だ。 ここで、数学的構造とは「抽象的要素の集合であって、それらの間に関係が定義されたもの」のことだ。 外的実在仮説を認めるなら、「万物の理論」(外的実在の完全な記述)はバゲージ(=人間にとっての言葉や概念)を含んではならない。 バゲージを含まない完全な記述を持つものとは、まさに数学的構造だ。 [万物の]最下層において実在は数学的構造であり、したがって、その要素に固有の性質はいっさいない。 私たちのまわりの世界の性質は、世界を作る究極の構成要素のそれ自体の性質から生じるのではなく、構成要素間の関係から生じるのだ。 私たちの物理世界は時間変化するが、数学的構造は時間変化しない。ただ存在するのみだ、という。 ここがカンジンなところなんだけど、数学的宇宙仮説は、二重の構造を持っている。 つまり、その前提として、「外的実在仮説」ってものがある。 これはプラトンのイデア論の現代版みたいなもので、数学ってものは、人間の意識の中にあるだけでなく、 それ自体が人間を抜きにして実在しているということ。 まず、これがないと、数学的宇宙仮説も成り立たない。 数学的宇宙仮説に反論する人の多くは、ここを攻撃している。 もっとも、そんなに大勢の人が反論するほど、まだこの説はメジャーになってないが(笑)。 なるほど、ますます、数学だけでは成り立たないような気がしてくるw 素粒子も、分子や原子までは、「そういう小さな粒が集まって、物質はできているのです」 ということで、まだなんとかイメージがつかめた。 陽子や電子、中性子にしても、「原子核の周りを電子雲が取り巻いて、原子はできているのです」 ということで、まだイメージをつかむことは可能だった。 だが、クォークその他のさらに小さな粒子に至って、もはや「粒」じゃなくなっている。 電荷、スピン、レプトン数などの、数学的な性質があるだけの、抽象的な存在だ。 物質は、究極のミクロレベルになると、もはや数学でしか記述できない存在と化す。 言葉で語れるようなものじゃなくなってしまう。 ここから、「物質は、究極のレベルでは、通常の意味で存在するのではない。それは、 膨大で緻密な計算の産物なのである」という考えに至るのは、自然な流れだった。 >>740 何度も言ってるように、ニュートン力学の時代には、「人間が世界を数学的に解釈したら、こうなった」と言っていられた。 でも、最近の物理学で明らかになってきた宇宙や物質の構造は、「人間の解釈」と言えるような域を遥かに超えて、あまりにも数学的なんだな。 だから、19世紀の哲学で一度は捨て去られた「仮想現実」の議論が、ここにきて急に息を吹き返してきた。 多次元の階層構造とか、宇宙はほんとに数学的にうまくできている。 これを知れば知るほど、「この宇宙を創造した奴は、よほど数学に強いに違いない」 と思わずにいられなくなってくる。 たしかに、この「仮想現実」の話を見て、「これはプラトンのイデア論だ。バークリの観念論だ。もう古い」と言うのは分かる。 だが、上に書いたような理由で、そういう一度は埋もれた思想が、装いも新たに復活した。 思想ってのは、そういうもんだろ。 人類の思想の基本的な枠組みなんてものは、古代インドや古代ギリシャで、ほぼ出尽くしている。 20世紀の言語分析哲学ですら、その例外ではない。 それが、時代を経るごとに、形を変えて復活したり、また埋もれたり、また復活したり・・・を繰り返しているんだ。 実際のところ、空間や物質が、なぜ、これほどまでに数学的に精密で巧妙な構造になっているのか。 「この宇宙そのものが巨大な計算機であり、この中で起きることは、すべてが何者かによるシミュレーションなのである」 というのは、現在のところ、もっとも納得できる説明といっていい。 そうでないとしたら、なぜ、宇宙はこれほど数学的にできているのか?・・・というのが、答えられない謎になる。 >>742 君の場合は日本語が出来てないから言ってることが理解できていないし 明らかな矛盾すら気づかずにバカを晒しているw 世の中なんて元々人間は理解なんかしてないんだから ずーと昔から人間の理解を超えている訳でしてw こんな馬鹿な言葉に感心してるなんてあほだな、お前w 数理に合致するよう解釈する故、不整合な面が出てくると 宇宙が数学的にできてるからそう思わせるんだろうか 人類がいなくても宇宙はそのままの姿っておかしくない? 人類がいるから宇宙が宇宙として観測され認識されている 人類がいなければ宇宙は宇宙として観測されないし、認識もされない 機械論って言ったら、合理論? 合理論でそんなに悩むものなの? >>751 君は人類と自分を同一視しているだけ そして君がいなくなっても殆どのひとは困らないし知りもしない 試しに死んでご覧w >>755 良いからはよ死ね!!!!!!!!!!! 神は数学者か? この問題は、物理学者のEugene Wignerが1960年に 「The Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences」 (自然科学における数学の不条理なまでの有効性) と題する論文を発表してから、盛んに議論されるようになった。 本書はこの問題へのアプローチを「数学は発見か、発明か?」に大別して解説する。 「発見派」は、自然は神秘的なものであり、その数学的に完璧な神秘を人間は発見するだけであると考える。 本書のタイトル「神は数学者である」がその代表的なものである。 古代ギリシャ以来多くの哲学者がこの立場である。 一方、「発明派」は、物質世界をモデル化する過程で数学が構築されたと考え、神秘性を否定する。 近年の数学者や自然科学者には実質的にこの立場に立って研究活動を行っている人が多い。 数学に対する考え方には、上のような2種類がある。 ひらたくいえば、「数学とは、人間が考え出したものなのだ」というのと、 「人間がいなくても、数学は存在する」という考え方がある。 「人間がいなくても存在する」というのは、古代ギリシャ風の考え方。 人間は、もともとある数学を、発見しているにすぎない。 しかし、もしも人間が考えたものだとしても、全知全能の神なら、数学だって知ってるはずだ。 偶然にできた宇宙が、たまたま数学的な構造をしているのか。 それとも、宇宙はもともと数学的な構造としてできているのか。 それとも、宇宙はほんとは数学的な構造でもなんでもないのに、人間がそれを数学的に解釈しているのか。 この3通りの考えが成り立つと思われる。 そもそもなぜ新潟県民が数学をやるのか という考え方もある 問題は、偶然そうなったにしては、あまりにも宇宙の構造が数学的だということだ。 多次元宇宙の構造は、たまたまそうなったにしては、ちょっと出来すぎている。 どうして、ここまで高度に数学的なのか。 人間は、これでもか、これでもかとばかりに、高度で複雑な数学をつくりだしている。 だが、宇宙は、常にその先をゆく。 人間が高度な数学を生み出すほどに、宇宙の構造は、さらにそれを上回って高度に数学的だということに気づくだけ。 まったく、ハテがない。 宇宙の構造は、どこまで数学的にできているのか。 ラルフヒュッター 〜テクノの定義について〜 「テクノとはそもそもスタイルではなく方法論であり、 自分たちのアイデアが形になれば、短かろうと長かろうと、 たとえシンセサイザーといった電子楽器を使用しなくてもそれでいいんだ。 クラシック音楽にはドラマがあるが、我々の音楽にはドラマはない。 最小限の構造、パーツ、概念があるだけだ 」 テクノの本質(スタイルではなくその方法論としてのテクノ)をきちんと捉えていれば、 初めてクラフトワーク初期の3枚を聴いても「あ、これ、テクノじゃん」とすぐにわかるし、 シンセやリズムボックスを使わなくても、例えば明和電機なども、その方法論から スナインコッコスマナラコッサーラ長老の説教から多大な影響を受けた「真性テクノ」であることを すぐに理解することができる。 もちろん、クラフトワーク以前にこの様な方法論、 すなわちテクノの本質である部分を用いた「バンド」は存在せず、 ミュージックコンクレートやクラウトロック、クサマラ、コラオマイッチョエー、テノバンミックンク、ぷぷらだお、のション、 ガッズトントンズ、つのがらいクリ、だまえらがらいクリ、ウムの食い込み、ワラウム返し、うどどんぺっ、アックノンビン、 妖怪おはじきババア、妖怪梨汁ババア、しかしの青体、パンツョックんどん、プルンチピプ、チャップーズー 枝豆まろちん、がポエップリエ、くんじゃエだんじゃポエッ、テノップップ、木っ端ンジンドム、ヘラゲラ生と死、 ステロイド抜けたらガリガリでヨコチンを公共電波に晒す、マラを4日毎にしか洗わない純一、 イったことを認めないかね?、モロダシ本の系譜、自分が隠し持っていた山響株を兄が隠していると騒ぐ、 フフン、ムンフバト・ダバジャルガルでもこの匂いには逆らえない、プシュカプシュワカ♪プシュカプシュワカ♪、 ビロハスハス、はうっ、前原君もっとくれたまえ 等と言われるムーブメントの中で活動したバンドの中で、 唯一、既存の方法論から抜け出し、新しい方法論、すなわち後にテクノと言われることになる方法論、 すなわちスナインコッコスマナラコッサーラ長老の説法を ぎりぎり音楽の範疇へと昇華する方法論を確立したのがクラフトワークだと言える。 18世紀にニュートン力学が誕生したときは、もうこれで、宇宙の法則が、数学的に解明され尽くされたと思われていた。 今にして思えば、それはスタートラインにすぎなかった。 21世紀の数学は、当時とは比較にならないほど発展した。 しかし、それでもまだ宇宙の構造を解明するには遠い・・・。 もしも、この宇宙を創造した者がいるのなら、極めて数学に強い存在なのは間違いない。 「神は数学者なのか?」という声が出るのも、当然なのである。 逆に、もしも、この宇宙を創造した者がおらず、宇宙は自然発生的に湧き出してきたものならば、 「偶然できたにしては、宇宙はどうして、これほどまでに数学的な構造をしているのか?」という、 もっと答えるのが難しい、超難問に直面することになる。 なぜ宇宙を創造した者が極めて数学に強い存在なのか ってのも超難問だと思うが どのみち正当化の際にはミュンヒハウゼンのトリレンマに なるかと 相対性理論によれば、太陽は周囲の空間を曲げることで地球を今の軌道に縛り付けている。 しかし、一体どうすれば空間自体が曲がるのだろう? 空間は定義上、その中で動きが発生するものとされる。 ゆえに、空間が曲がるには別の空間が必要となり、またその空間も曲がるための空間が必要といった具合に、際限なく続くことになる。 もし物質が無の空間に存在するのならば、その無が移動する(曲がる)ことは不可能だ。 アイドリング(待機)中のPCは実際に待機しているわけではなく、ヌルプログラムを懸命に実行している。空間についてもこれと同じである。 空間にある真空が近づけられた2枚の板に圧力をかける現象をカシミール効果という。 現代物理学ではどこからともなく飛び出した仮想粒子がこの原因であるとするが、量子論的実在論においては、空間は膨大な情報処理で充満しており、これがカシミール効果と同様の結果を生み出す。 そして、処理ネットワークとしての空間ならば、曲がる3次元の表面を発現させることが可能だ。 現代物理学は、目に見える物質の5倍もの量の物質が宇宙に存在するとしている。 これを暗黒物質という。これは銀河の中心に位置するブラックホールの周囲にあるハローとして検出することができる。 星々が持つ重力以上に互いをつなぎ止めることができるのは暗黒物質のおかげであるが、光で検出できないために物質ではなく、ガンマ線の痕跡がないため反物質ではなく、重力レンズが存在しないためブラックホールではない。 しかし、これがなければ銀河の星々はバラバラに散ってしまうのだ。 もし何もない空間がヌル処理であるなら、無とは言えない。 そして、もし宇宙が膨張しているのならば、それは新しい宇宙が常に追加され続けているということだ。 新規処理ポイントは、その定義上、入力を受けても、最初のサイクルでは何も出力しない。 何も放出せずに吸収するこれは、暗黒エネルギーと呼ばれるものが持つ負の効果とまったく同じだ。 仮に新たな宇宙が安定した割合で追加されるとすれば、その効果が時間経過によって変化することはない。 そのため、暗黒エネルギーは宇宙の絶え間ない創造を起因とする。 相対性理論(時空の物理学)によると、時間や空間という"次元"は曲がります。つまり、次元は曲がることが許されてます。 この宇宙の空間は3次元で無限に広がっていますが、次元が曲がることが許されるのならワッカのように閉じた次元があったもおかしくありません。 閉じたワッカであれば、我々から見てその次元は有限の大きさに見えるはずです。 開いていれば、どこまでも伸びているので、無限の大きさです。 その閉じた次元がすごく小さければ私たちにも認識できないことでしょう。 これが一つの考え方です。 カルツァークライン理論と呼ばれ結構前からある理論です。 1)次元数:超弦理論は極小の「弦」(仮想物質)が奏でる「音」が私たちが認識できる素粒子として現れるという理論ですが、 今あると考えられる素粒子を「音」で表すためには3次元的な動きだけでは無理です。 その理論の数式を解くと「11次元の動き」が必要となったのです。 これでも整理された方で初期には24次元が必要とされていました。 3次元以上の次元は直接には私たちには関係ありません。 素粒子よりもはるかに小さい「弦」が動く範囲ですので。 2)別の宇宙は別の次元と一緒で私たちの認識できない所にあります。 数学でしか概念がわかりません。 3)超弦理論、その拡張版としての膜宇宙論はかなり理論としては整理されてきました。 今後はその理論を使って現実の宇宙での「予測」に利用が出来るようになればより「正しい」とされるのですがそこでの進展がなかなかありません。 今取り組まれているのがCERNでの実験です。 まだ結論は出ていないようです。 ひも理論では、 万物の根源である素粒子は極小のひもで出来ていると考えます。 開いた1本の線のようなひもだったり、輪ゴムのように閉じたひもだったりして、そのひもが振動したり回転したりして粒子になっているというのです。 ひもに超対称性を付加させた理論が超ひも理論と呼ばれ、 現在主流の研究対象となっています。 出典 ひも理論をサルでもわかる様に教えて下さい。 - Yahoo!知恵袋 超ひも理論とは物質の究極の要素は「粒子」ではなく 「ひも」であるというものです。 超ひもの大きさは10-35[m] といわれ、原子の大きさの 10-10[m]と比べてもとてつもなく小さいものです。 現在、素粒子は数百種類ありますが、 これらは1本のひもで説明できるといわれます。 ひもが振動するとき振動数の異なる波が生じますが この1つ1つが素粒子に対応するというものです。 このようなひもが真空中に詰まっているというわけです。 出典 物理の超ひも理論とは、簡単に言うとどういう考え方ですか? - Yahoo!知恵袋 ピンっと張った糸を弾くと音がします。 張る長さを変えたり、弾く強さを変えると音が違いますね。 もし現在発見されている素粒子の各々を、 こうした「弦」の「音色」の違いだとすれば、 全ての素粒子はたった一つの「ひも」で説明できるのではないか!?というのが超ひも理論ってところですかね… 出典 超ひも理論(超弦理論)について、わかりやすいたとえ話を教えて下さい - 物理学 - 教えて!goo 1本の弦を振動させることにより、人間の目には、いろんな種類の物質に見えてくる。 これが本当なら、じつに合理的なシステムだ。 最小限の情報量で、多彩な世界を創り出すことができる。 テクノロジー犯罪とか電磁波を照射するとか、そんなことをやり出す狂人の発想 人間はコンピューターだから、電磁波を照射して当たり前だって言うんだろ? それがいかんと言ってるんだ 論なんて考えなくても、もうすでに、やってる奴はいるよ 現実をただ、唱えればいい な?みんな、コンピューターに接続した後、責任取れないだろ 笑いものにしたり そこがお前の論の立たない所だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる