私には、数学や物理のことはほとんど全く分らないのですが、それでも「遠近法」
というのは、日常的な感覚に基づく隠喩であり、分りやすいものだと感じています。
なぜ、そこまで拒否感を抱くのかむしろ不思議に思います。例えば、ビッグバン
の理論について、私は物理学的な観点からはほんのわずかでも理解しているなど
と言うつもりはありませんが、それが爆発のようなものであったと想定されている
のなら、やはり指数関数的な変化の観察に基づいているのでしょう。ところで、
その指数関数的な変化の観察が、私たちの理解のための「遠近法」的なものの見方
に依存していると考えてみたらどうでしょうか。指数的な変化でも、e^(2iπ*n)
という見方では、遠近法は消去され、2iπの周期で同じ円周上を回転しているよう
に認識が切り換えられることになる。ところが、同じ円周上の相対的な位置だけを
問題にするなら、出来事を理解することはできない。というより、同じことの
繰り返ししかないのだから、出来事は生じ得ない。そこで螺旋軌道の隠喩を用いて
遠近法により暫定的に相対的な視点が生じるというモデルを提案したわけです。
その暫定的な視点を絶対的なものと取り違えることにより、どこかに絶対的な
始点を設定しなければならないかのような錯覚が生じる。