数学を初めとした理系の学問と哲学について 9
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遠近法において捉えられる対象物を時空間との関係で論じた哲学の論考には
どのようなものがあるのだろうか。日常生活で対象物は、「時空間の中にある」
ものとして無時間的に捉えられているが、遠近法において認識されている
ことが自覚されることで、対象物自体が時間的に捉えられる。歩いてきた
道の振り返って、遠くに見える建物が「さっき通った所」として、つまり、
過去として認識されるように。 「時空間の中に無時間的に存在しているかのように」捉えられることが、
「物体として」認識されることであると言えるのではないか。 「静物画」という喩えをどのような意味で用いているのか不明で、
静物画は、事物が「時空間の中に無時間的に存在しているかのように」
描くものでもないので、いい喩えとは思えない。
より単純に数学に関連して述べるなら、作用を物体として捉えることは、
数えられる数があらかじめ存在すると考えることに似ている。数える
ことなしに1はなく、1を数えることがなければ、他の数も存在しないが、
あたかも他の数の中の1つとして1が存在しているかのように、つまり、
あらかじめ数えられる「もの」が存在するかのように数を捉えること
が、物体を認識することと似ている。 そうかな。静物画を例にとるなら、事物を描くのに同質のものを同質に
表現するなら、事物の同一性を表現することにはならずに、逆に時空間的
な性質を表現することになってしまうことを考えてみるといい。
そこにチーズの塊があるとして、そのチーズの塊に全体的に均質性が
認められるとする。しかし、それを均質の色と質感で描いたのでは、
描写はべた塗りのようになってしまい、チーズの塊の均質性ではなく、
空間的な平面性や、時間的に止まったような感覚が表現されることになる。
均質性の物体がグラデーションで描かれることは、均質のものが
見る者に対して均質に現れていないことを示すが、むしろ、その
ことによってチーズの塊の均質性がうまく表現される。 誤:事物の同一性を表現する
正:事物の同質性を表現する >>「静物画」という喩えをどのような意味で用いているのか不明で、
おまえが言うな 物体であると認識されることと数えられることは当然、結びついている。 アウフヘーベン
《名・ス他》あるものを、そのものとしては否定しながら、更に高い段階で生かすこと。矛盾するものを更に高い段階で統一し解決すること。止揚。揚棄。
▷ ドイツ Aufheben >>54
今日、図書館で畑村洋太郎の「直観でわかる数学」のページをめくって見たけど、
やっぱり同様の図による説明があったな。螺旋におけるiとか-1の位置とか細かい
ことは抜きにして時間軸とその圧縮として説明されているが、同じことを説明
している。数学の教育で三角関数とか虚数軸とかは、特に躓きが生じやすい
ことなのだから、透明の筒を利用してそこに紐を巻くとか、線を書き入れるとか
して、e^iθ=cosθ+isinθをもっと直観的に分りやすく説明すればいいのにと
思う。妙に虚数を神秘化された中に浮いた概念として教えるから、数学の解法に
関心のない生徒はみんな無関心になる。 >>妙に虚数を神秘化された中に浮いた概念として教えるから、数学の解法に
関心のない生徒はみんな無関心になる。
虚数の神秘化しされた菜かに浮いた概念として教える?
仮におまえの教師がそういう教え方をしたとしてなぜ他の学校の教師がそうだとなぜ言えるんだ? https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20161004-00000000-ted&utm_source=taboola&utm_medium=exchange
神谷明日香:私が小学生なのに特許をとったワケ
理系脳の切れ味の良さ。さすが頭良さそうな顔している。
哲学板は文系脳が多いのが弱点かな。
テクノロジー、IT音痴も多そうだな。 偉い子がいるもんやな。
身近なモノに着目してその関係性に基づいて工夫したら特許とれたてか。 数学の説明はやっぱりさっぱり分らんな。
関数の説明をしていたかと思うと、突然、弦をはじく話になったり、
その振動の時間的変化の話になったりして、数学と物理や物質の性質
が何の根拠も示されずに唐突につなげられる。数学的な線ははじく
ことができないし、長さや形を変えれば同じ線ではないし、物理的に
線状のものでも、楽器の弦ではなくて、蕎麦なら力を加えたら折れる
だけだし、なにをどう数学として説明したいのか意図が分らなくなって
しまうんだよね。 背景含めたストーリーを把握してないからじゃないの? 自分が頭がわるくて理解出来ないのを他人のせいにしてるだけの話 数学の説明は手続きを記述するだけになっていて、その手続きをなんのために
行うのかという意図の説明ができていない場合がとても多い。意図が不明な
まま、最終的にご褒美がもらえるから手続きに従いますというのでは、芸を
仕込まれる犬と変わらない。数式の操作に説明されるべき意図などないと
考えている数学者も少なからずいる。それは、自らが言葉で表現する能力が
ないことを、操作に意図がないことと混同しているだけだ。足し算や引き算で
数式の項を消すような単純な操作であっても、消さずに残した項の関係性を
独立に表現するという意図がある。当たり前すぎて言葉で表現するまでもない
と考えられている操作でも、言葉で表現してみるなら、今まで気づかなかった
操作の意味に気づくこともある。 数学者が気づかなかった「操作」を自分は気づいたと思えるその思い上がりはどこから来るのかね >>83
>数式の操作に説明されるべき意図などないと考えている数学者も少なからずいる。
例えば誰のことだ?具体的に名前を出してくれ 現代人に必須の能力・ビジネススキル
数学、IT,AI,プログラミング、データサイエンス、統計、視覚情報を駆使したプレゼン能力、etc 逆に、不要な能力はなんだろうか。
営業的な接待、冗長な文語表現、情動的な自己啓発、根性、スポ根、精神論。 まあ、でも安倍総理とか見ているとトランプ大統領とのゴルフ接待とか
している訳で、人間の心情や信頼感というのは、単なる合理性で
割り切れないものなのだろうね。ただ、韓国の女優さんとか、
枕営業みたいなのを強いられて自殺してしまったり、なんか前時代的な要素を
感じるよね、性接待って。
日本人のおもてなし精神とITの合理的アルゴリズムは、そのままでは相性が悪いので、アルゴリズムの実装の中に、そういうおもてなしの精神を導入するのかな。
ただ、日本品質は不正のオンパレードが暴露されているのが現状なので、
まずは、まともな良き信頼できる製品を作ることから始めないといけないね。
SNSが出てきて内部告発がしやすい環境があるから露見しているだけで、
昔から、結構、そんな感じであったところもあるのかもね。
いや、目先の利益に囚われない職人的なところが、古き良き日本にはもっと
あったはず。 はっきり言って、ユーザーの立場だと、どの国の製品でも別にいいんだよね。
日本製品などに、全然、こだわりはない。中国製品は未だ雑で不良品が多い
イメージが完全には拭えないけど、もう、日本とさほど変わらなくなっている
のかな。中国はAI投資も莫大な額を投じているので、日本はIoTでも中国の後塵を
拝する形になるのかな。ただ、中国の食品は怖いな。アメリカの遺伝子組み換え
食品なみに。
数学やアルゴリズムには国境と国籍がないので、良きアルゴリズムを実装すれば、
それは日本だけでなく、世界中の役に立つ。 でも、IT化でかえって野蛮なものへと回帰する現象が、今後見られるだろうね。
たとえば、日本での投票をスマホから出来るように法改正がなされるとする。
多くの人々は、B層で思考能力が低いので、電通的なポピュリズム勢力が台頭すれば、それに安易に投票してしまって、テクノロジーによって投票率が上がることで、
かえって怪物的な衆愚政治が台頭する、ということは十分にあり得るだろう。
だから、AI化されても、未来はバラ色という訳でなく、プラスマイナスで考えると、
トータルでは現在と、さして変わらないかもしれない。新しいテクノロジーに対する
素朴な楽観論というのは危険だし、かといって、保守的な懐古主義では単なる
無能だろうし。 マクロな思考で考えれば消費するにもお金が必要
海外製品勝って日本製品が売れなければ経済は落ち込み買うお金が無くなる
サラリーマンや学生は自分自身も作手・売る側の立場もあるという認識が少ないんだろうけど
視野が狭く偏った立場で考えるからこういった考えが物事の全てだと思い込んでしまう
経営者と従業員の立場の不平等はまた別の問題としてあるけど
経済をマクロで考えれば概ね買い手側は作り手側でもあるって事 >>93
其処から先は自分で考えたらぁ?
お馬鹿さんw >>94
理系の学問と哲学の話に続くんでしょ?
さあさあ https://youtu.be/VeGaT7rWv_g
https://youtu.be/-z09mlA2mLU
トヨタ自動車は1月8日、米ラスベガスで開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)で新たなコンセプトカー「e-Palette」を発表した。そこからは、
“プラットフォーム企業”に生まれ変わろうとするトヨタの決意が透けて見える。
単なる移動手段ではなく、AI(人工知能)などテクノロジーの急速な進展によって
その姿を急速に変えている自動車。ライドシェアや自動運転、都市の渋滞解消など、
既存メーカーの垣根を越えて熾烈な競争が繰り広げられている。その中で、
トヨタ自動車は「未来の自動車とは何か」という問いに一つの回答を提示した。
1月8日、米ラスベガスで開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショー
(CES)のキーノートに臨んだ豊田章男社長は商用の新たなコンセプトカー、
”e-Palette”を発表した。 分業が進んだ世の中で理系の知識や技能を習得しようとするのは、
コスパが悪いことが多い。特に理系の専門職に就くのでなければ、
口先がうまく、上司に気に入られる振舞いを身に付けることが、
世の中で成功する最も大きな条件となっている。 理系の場合は成績順に就職先が決まって、生活もそれに応じて安定するのでは? これから、自動運転車、走るソフトウェアのコネクテッドカーになってくると、
車とそれに乗車している人間自体がハッカーのハッキング対象になる。たとえば、
「Automotive Grade Linux (AGL)」は、Linuxベースのコネクテッドカー向けの
完全にオープンなソフトウェアになっているので、オープンソースだから
アジャイル式の短期開発や拡張性には優れているけど、オープン性ゆえに、
誰もがソースコードを自由に利用・改変できるので、そこに脆弱性が発生して、
車ごとハッキングされたり、テロリストや誘拐犯、愉快犯のもとに遠隔で
誘導されたりするかもね。これからの計画的知的殺人犯は、ソースコードを使う。 >>100
現在のような求人倍率が高いときはそうだが、失業率が高いときに文系は厳しい
民主党政権の暗黒時代はそうだった >>101
「ハイテクベンチャーを創業しよう」というような大志はないのか? リバネスなんかはテクノロジーベンチャーだと思うけど。
ハードものではないか。 英語でのニュースだと、「Crypto Currency」の
急落なり、banとして報じられているのだけど、日本人は英語が苦手な人が多いので、
Crypto Currencyをすぐに正しく訳せないだろうし、正しい翻訳で記事が報道されていない
ので、物事の本質が伝わらない。
ハイデガーとか、ラテン語かギリシャ語まで
遡って、その単語が表す語義を示そうとする
のだけど、日本人は表層のイメージと戯れる、
踊らされるのみで、言葉を正確に使うという
意識が低い。だから、ネットスラングが
やたら好まれる、阿呆な国民性が随所に見られる。 ハイデカー 解釈癖。ニーチェとは折り合わないから、二つに一つとるしかないだろうな。対決はってる? 折り合いをつけるとは、互いに折れて辻褄が合うようにすることである。
互いに折れても合わないのが、折り合いがつかない状態であるが、
交互に折れることを繰り返すとユークリッドの互除法となる。
1回で折り合いをつけようとするのが誤りなのであり、
何回も互いに折れることを繰り返すと、
共有することができる単位が近似として現れる。 ユークリッドなんて何時のはなしをしてるんだ。
折口信夫の方がいいに決まってる。
数学板もだいぶ更新されてるし。理系は、物理がひどいな。 自ら折れる、つまり、ポーカー・ゲームのフォールドだ
折れたら負け、賭け金を失う?
いや、人生、負けるが勝ちということも知る必要がある 逃げることができないから 負けるが、価値は男の世界では、賭け事を介しても、
後世の評価を待つしかない。死んだあとが大事ということだ。 カリというと鳥皮思い出すなあ。焼き鳥ももう時分じゃない年頃。
砂肝か軟骨のから揚げが、東京の思い出となっている、。無頼派のウイスキーと。 仮想リキシと仮想イアンフのあいだで感想文かくおしごとみたいなの~ 仮想テロとテロの間に違いがあるとも思えんが
だって、仮想テロは、それを現実と信じ込ませることを目的とした現実のテロだろ 阪大物理の作問の失敗は入学者は気づかなかったのかね。
医学部以外なら、
気づいてたら辞めて東大か京大か東工大を受験するべく勉強し直すべきだったろうに。 10年ほど前に数検一級で模範解答の誤り(というか多分出題ミス)があった時は、直後から2ちゃんの数検スレは協会に指摘したり大学教授と作戦練ったり、秋山仁(当時は協会のお偉いさん)に直メで見解を求めたり、祭り状態だったな。
秋山仁へのメールでさすがに協会も誤りを認めたが、出題ミスとは認めなかったため、受験者はむちゃな問題に泣くかたちで決着してしまった。 海外で「Crypto Currency」と報道されているものを日本のマスコミは「仮想通貨」と
訳してしまうので、物事の本質が伝わらない。今の韓国での取引停止騒動を見よ。
「暗号通貨」と正しく訳してこそ、その本質が伝わる。暗号であれば、それが
ブロックチェーン技術とつながると鮮明にイメージしやすいし、Crypto Currencyは
暗号化されたコンピューター上のデータなのだと分かる。
コンピューター上のデータだから、それは簡単に失われることもあるし、改ざんされたり、
ハッキングの対象になるモノだということも想像しやすくなる。
仮想通貨という呼称だと、人はそれを安全な通貨と同じようなものだと勘違いする。
暗号通貨であれば、それはただのデータであると正しく理解できる。 コンピューター誕生の黎明期、そもそもコンピューターは何の目的で作られたかを
人々は知らない。当初コンピューターは戦争のために作られたので、微積分を使った
複雑な弾道の軌道計算や暗号解読の用途などに用いられた。
だから、暗号通貨と正しく訳せば、それが戦争にまでつながるものだと、そこに
正しい理解や認識が得られる。つまり、Crypto Currencyは、戦争と関わる要素まで
帯びているのが分かる。現に北朝鮮は、そういう目的で、ハッキングしたり、
ウイルスを散布したりしているのだろう。
レベルの低い日本のマスコミが、それを仮想通貨と平和ボケした視点でそれを誤って
訳してしまうと、そういう理論が見えなくなってしまう。 >>124
>>125
「通貨」という呼称が問題。通貨ではない。
しかも、仮想も暗号もどうでもいい。
情報貨幣とか、そんな呼び名で十分。 いや、暗号という性質は大事であって。AIで問題になるのが、その内部状態の
ブラックボックス化で、人はその不可視な領域で行われている高度な演算なり、
アルゴリズムの全容を補足出来なくなっているということ。
プログラミング言語でも、その言語が分らないと、そこで何がなされている
ことが理解出来ないという意味では、その外部者には暗号の如く閉じたものに映る。 #include <stdio.h>
#include <stdlib.h>
#include <string.h>
int main(void)
{
char sophia[] = "ABCDEFGHIJKL";
memset(sophia + 7, 'x',4);
printf(" 配列変数sophia : %s\n", sophia);
return 0;
} これを実行すると、
配列変数sophia : ABCDEFGxxxxL
という風に実行結果を返す。C言語のmemset関数を知らないと、なぜ、こうした
出力結果が出て来るのかブラックボックス・暗号化されてしまい理解出来ない。
知っていれば、これはmemset関数のmemset(sophia + 7, 'x',4)の部分が、
配列変数sophiaの"ABCDEFGHIJKL"を+ 7で7バイト先に進めた位置で、
文字'x'を4バイト分書き込むという記述であることが判って、それで
ABCDEFGxxxxL と配列が書き換えられたことが理解出来る。
こういうものが高度化・複雑化すれば、それは立派な暗号で、それは外部者には
理解出来ない不可視の仕様や暗号としてクローズドされた状態で振る舞うことになる。 暗号化とAIのアルゴリズムの複雑化は意図も趣旨も違うだろ 英文の記事で、Crypto Currencyの記事を見ていたら、日本に仮想通貨少女という
怪しいアイドルグループがいる、ということを今、知った。有名なのかなぁ、
TV観ないから、その辺は疎い。
https://cin-academy.co.jp 今さらながら気が付いたけど、こうやって表現してみると、
cos(x)とi*sin(x)って、式に現れる正負の符号が1つ違うだけなんだな。
(-1/2)*(-1/(-1)^(x/π)-(-1)^(x/π))=cos(x)
(-1/2)*(1/(-1)^(x/π)-(-1)^(x/π))=i*sin(x) >>137 訂正
こうした方がよかった。
(1/2)*(1/(-1)^(x/π)+(-1)^(x/π))=cos(x)
(1/2)*(-1/(-1)^(x/π)+(-1)^(x/π))=i*sin(x) 半径1の円筒の円周に沿って斜め方向に進む直線を遠近法を無視して上方から
見ているか、側方から見ているか、前方から見ているかという違いだけでしょう。 sincosとか実際に3dで描画してみると直感的にわかりやすいよ
小学生の頃ベーシックで3d迷路とか作っててそう思った どうだっけかな
昔過ぎてよく覚えてないが基本的に座標求めるのに使ってたな
ここで符号入れ替えたりすると図の向きとか変わる
単純なプログラムだ >>143
向きはいいどさ、sincosがどう3Dになるのかと
Z座標はどうしたの? 自分で調べて
もう二十年近くプログラムから離れてて今更調べるのもめんどい
唯覚えてるのは実際に画面に描画する事でわかりやすかったなという事くらいだ 立体として表現することで必然的に現れる遠近法を無視するように
概念的に平面化して捉え直すことが鍵じゃないかな。どうせ再び
平面化して捉えるなら、最初から平面としてだけ見ればいいじゃないか
というのは、誤った考え方だと思う。 私は、>>141ではないが、sincosではなくてcosとisinだろうね。 そもそも、数学の考え方では、cos(x)とisin(x)のセットで考えることがごく自然
なのに、暗記させる公式でも、わざわざcos(x)とsin(x)のセットで覚えさせるために
isin(x)の数式をiで割った表現で覚えさせて、むしろ、三角関数と指数関数の
関係を直観的に捉えにくくする結果となっている。 単純に公式として暗記させるにしても、
(1/2)*(e^(ix)+1/e^(ix))=cos(x)
(1/2)*(e^(ix)-1/e^(ix))=i*sin(x)
として覚えさせておけば、sin(x)は、そこから自明に
sin(x)=(1/2i)*(e^(ix)-1/e^(ix))
として導かれるのだから、わざわざ、関係を分りにくくする
sin(x)の公式として暗記させる理由がない。そういうところが数学教育の
極めて不可解で、人々に嫌悪感を抱かせるところなのだろうと思う。 さらに、その説明に「不思議」だの、「神秘的」だのといった形容が入ると、
底の浅いイカサマ師の口上のようで、虫唾が走るとすら言いたくなる。 人間の幸福に関係しているのは、脳の機能や作用なので、AIを研究することは、
そのまま人間の幸福を高めることや人類の幸にもつながる側面を持っている。
それを逆に言うと、不幸な人間は脳の働きや作用が悪い、鈍っている、鈍磨、
退化していると言えるので、幸福や不幸は、その人の脳の状態のバロメーター、
パラメータにもなっているとも言える。それを簡単に言うと、不幸な人間は
頭が悪いということだね。 (cos(1)+isin(1))^x=cos(x)+isin(x) ド・モアブルの定理と言うのか。
例示の仕方によっても直観的な把握のしやすさに大きな違いが出る。 数学の学校教育には、数学を理解してもらおうとか、公式を覚えてもらおう
とする工夫が完全に欠落しているんだよね。 cos(nθ)+isin(nθ)=(cos(θ)+isin(θ))^nとして一般化された表現によって、
具体例はすべて含まれるのだから、それでいいと考えるのは誤りだと思う。
nθのnとθに何を代入する練習問題をやったところで、それは代入の操作に
慣れることにしかならず、1とxの場合にように自らの行為に直結して感じられる
具体性が欠けている。 意図の不明な行為を繰り返しさせられることは退屈で苦痛だ。
例えば、単純にエクセルに数字を入力する作業であったとしても、
その入力する数字がどのような意味を有し、最終的に何を計算する
のかが分っていれば、つまり、数字を入力する行為の意図が分っていれば、
それほど苦痛を感じずに済むが、物理的にはまったく同じ作業であった
としても、何の数字を入力しているのか、何を計算しようとしている
のか不明なら、すぐに作業を続けることにうんざりさせられる。 さらに、>>152における(cos(1)+isin(1))^x=cos(x)+isin(x) という表現と、
ド・モアブルの定理として示されるcos(nθ)+isin(nθ)=(cos(θ)+isin(θ))^n
という表現を比べて見ると、後者の表現の方にむしろ奇妙な制約を感じてしまう。
このことは、言語表現にして解釈してみると直ちに明らかとなり、
ド・モアブルの定理の通常の表現の方がむしろ一般性を欠いているのではないか
とすら感じられる。 nθという表現においては、θがラジアンを表し、nはその倍数を表す。
したがって、cos(nθ)+isin(nθ)=(cos(θ)+isin(θ))^n という表現は
されても、cos(nθ)+isin(nθ)=(cos(n)+isin(n))^θという表現は
されない。しかし、nθ=xという数値は、それ自体がラジアンを表す
数値なのであり、そのことは、 例えば、cos(x)+isin(x)=i^(2x/π)と
表現した場合に累乗の指数の分母にπが現れることに依存している。
したがって、ラジアンとしてのθが存在して、その倍数があり、
それがド・モアブルの定理により累乗の指数として表されると考える
より、ラジアンとして表された数値は、すなわち、累乗の指数と
解釈され得ると考えた方が自然ではないのか。 cos(-i*log(x))+isin(-i*log(x))=x ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています