数学を初めとした理系の学問と哲学について 9
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
俺は数学の用な物は信じないけどね
ツールとしては利用するけど
数学から論理作る奴はバカだよ >>748
人間の可能性はまだあるよ。ただ癌と死を克服したあとだよ
先ず癌を克服して次に死を克服するそして若さを手に入れる
炭素生物が死ぬ時点でおかしいのよ。原因がある
不完全だよ人は youtube動画で一般認識からズレた奇っ怪な言動繰り返すなよ >>807
数学の作る世界観を信じないのなら、どうしてツールとして使えるのか バイポーラーを煩っていると自己が生存している意味すら疑わしくなる。
つまり学位を取ってから全世界配信でそれを言うのか貴様はまったく。 頭のいい人って、たいてい数学くらいできるよ
逆に、バカはたいてい数学が苦手
IQテストなんて、基本的に数学の能力と論理性を計るテストだからね
ただし、人生の成功はIQだけでは計れない
その証拠に、世間ではIQの低い成功者や金持ちなど幾らでもいる
モチベーション、打たれ強さ、鈍感力、直観力、運の良さ、EQ、異常性、
オプティミズムなどIQ以外の要素がそこには色々介在しているだろう 頭弱いから哲学板で数学語るっていう板違いになってんだろ 早速、数学も出来ないで低知能で、俺、哲学出来るよとほざく特大の馬鹿が一匹釣れたよw 逆に哲学できないのに
よく哲学板で勝手にスレ立てて居座れるよな
さすがはみそけん 占い師ギルドに入れるのは実家が裕福な子だけってのがなぁ 性質の形容は反転する
鉄が熱い
さて、熱いのは、鉄に触る側なのか、鉄なのか 聳え立つ高い山に登る
下方を見ると目が眩み、
空中に懸架されているように感じる
suspended high
あしひきの山
しかし、いつの間にかその反転は忘れ去られる
はて、「あしひきの」とはどのような性質だったのか?
山だけ眺めていても答えは得られない 物事の性質を対象にだけ求めて、性質の記述を厳密化しようとする、
そのような態度では、世界を理解することはできない
そのような態度を自然なものと思い込ませるように教育するために
数学が用いられるなら、数学は洗脳の道具となる 数学は対象というより対象間の関係を扱う。
性質とは関係における意味論的ものである。
危険なのは、そこにいるはずの思考者・観測者(そして人間および生命から環境という世界)の存在を忘れてしまうことだろう。
警鐘を鳴らすべき事態を察知するのは哲学の役割だ。
哲学者は数学や物理学や生物学などからも最新の知見を有していなければならない。
なんてね。 >数学は対象というより対象間の関係を扱う。
数学は「対象というより『対象間の関係』」を「対象」として扱う その2つめの「対象」や無限連鎖wする「対象」が「数学的対象」ですね。
そう考えると「数学的対象」とは意味論的ものなのかもしれません。
「哲学」との違いを考えれば、対象間の関係を扱うのが「哲学」であり、
対象間の関係を対象として扱うのが「数学」であるといえるかもしれません。
より正確にいえば、「哲学」は「対象間の関係という対象」を内側から考察し、
「数学」は「対象間の関係という対象」を外側から考察しているのかもしれません。
同じものを異なる方向から考察する。
そうすると、立ち位置としての階層も異なる。数学が抽象的なのはそういうことかもしれません。
あくまでも「かもしれない」ということであって、まだ考え中。
「立ち位置」が重要なのではないかと。それがホログラフィック理論につながるのかどうか。
「視差」という情報。うーん。考え中。 >>824
ありがとう、「対象」を追加してくれたおかげで、抽象的・具体的という問題が少し進展しました。
なにか「仮想的」でありなぜそれが必要なのか。
対象としての集合を内側からみるか外側からみるか。
外側からは内側につながるものを利用しないと内側にはアクセスできない。抽象的。
内側からは、その内側にある兄弟たちの豊饒な情報を活用できる。具体的。
その階層のもっとも内側にあるもの。それがもっとも外側と同一であるとすれば...
ま、ホーキングの最後の論文がでまわってから考えるとしましょう。 紀伊国屋の洋書の紹介を見ていたけど、洋書が店舗に並んでいる環境はいいよなあ。
関西は翻訳
ばかりで文化が進んでいるけど、韻律や音韻まで訳せているものは少ないし、
洋書が注文しなけりゃ手に入らない状況でいささか不便だ。また東京に行く日も
遠からず。醤油ラーメンもいいけどねえ。 それが「対象」であれ、「対象間の関係」であれ、それらの表れは、
観測者の立ち位置だけでなく、その観測者の有する感覚モダリティに依存する。
だから、数学が真なる命題になるのは、正常な人間の頭脳においてだけであって、
メダカや蟻にとって、数学は、別に真でも客観的でもない、そもそも認識に
入らないものだと考えられる。蟻がスマホの上を歩いているとしよう。
その蟻にとっては、スマホはただの動くための地面の代わりに過ぎない。
たとえ、人間であっても知的障害があるだけで、数学的な認知が不可能になる。
「ニューロモーフィック」は、人間の脳の省エネ設計回路を集積回路として模倣して
作った状況に最適化された非ノイマン型の設計思想で作られたチップになるけれど、
それらの有用性は、十分な知能のある人間の脳にしか認知出来ない。
そして、この数学スレの価値は猿レベルの脳の連中では単なるノイズや板違いと
してしか感覚されないというのも、同様の事情から来ているね。 頭脳というとハイパー古典の古い概念だな。現象学を経て、人間は脳の個物感より、外の現象、環境状態を気にするようになってきているのです。 なんか違和感あるな
この違和感の正体は
数学=対象間の関係を対象として扱う=外側=抽象的
哲学=対象間の関係を扱う=内側=具体的
という構図に対して
哲学は具体的か?
対象間の「関係」を扱うのに?
そもそも数学は抽象的なものを対象しているから「抽象的だ」と認識してしまうのでは?
つまり数学においては例えば具体的な数学と哲学という対象間の関係ではなく抽象的な代数Xと代数Yの関係が対象となっているということ
抽象は言語的手続き的操作の結果にすぎないのであって内側や外側の区別なんて意味がないのでは?
また
>数学は対象というより対象間の関係を扱う
という定義も
>物事の性質を対象にだけ求めて、性質の記述を厳密化しようとする、
>そのような態度では、世界を理解することはできない
と矛盾するのでは?
数学の定義はソシュールの言語学的な意味での数学と数学以外の関係を扱わなければならないのでは?
そうすることで数学は抽象的なものを対象しているから「抽象的だ」と認識してしまうのでは?というトートロジーも解消される
という疑問だと思う うんうん。最初から抽象的、あるいは抽象化あるいは量子化あるいは第二量子化によるものかもしれない。
それを対象との関係の立ち位置における階層の違いに求められるのではないかとちょいと考えてみている。
はたして、抽象化の逆操作としての具体化というものはあるのか。
というと、イメージからの具体化というのはよくやっている行為である。
そうすると「モノ」というものがあらわれる。
この場合の意味での「モノ」とはなにか。さらには「数学的モノ」とはなにか。
それは「対象」である。振り出しに戻る。
「具体的対象」と「抽象的対象」の違い。それは立ち位置としての階層の違いに求められるのではないか? 考え中。
位相空間上での貼り合わせなどと考えてしまうと「数学」になってしまうのでそれは避けるw
なぜ「立ち位置」かといえば、哲学は「わたし」(という架空かもしれない存在)から出発すべきだと考えるからだ。「わたし」なくして「公共性」もありえない。 冷たい雨が降っている
冷たいのは雨なのか、雨が私に冷たいのか?
でも、雨は私にだけ冷たいのか?そうではないだろう。
私に雨が冷たいのは、冷たい雨が降っているからだ 「冷たい」というクオリア。
クオリアであれば所有物かもしれない。
機械にクオリアを持たせるとしたら。
などと考えてみたら、答えが目の前にあった。
「冷たい」という言葉、それが「クオリア」(の表出。あるいは言明。あるいは...)だ。
もちろん「言葉」といっただけでは足りない。
「冷たい」という言葉を主体とした「宇宙」。それが「冷たい」というクオリア。
それが「わたし」を主体とした「宇宙」とどのような関係にあるのか。考え中。 無限なんて酷使しないで、有限有罪に割りなさい。民法上で十分だけど。 数学が抽象的だと、兵士の廃止や欠落を見落とすし、具体的にというと、
むかしのことだが、抽象概念という感じでもないから下門の学問だ。 BTS (防弾少年団) '血、汗、涙 -Japanese Ver.-' Official MV
https://www.youtube.com/watch?v=7OX7dIRReSA
UNIVERSAL MUSIC JAPAN 抽象的というと、こう昇っていく感じがして、表象の昔だわな、
ラフター カフカ もいたけど、具体的というと、現実がちがちの交渉なんかを思い出すよね。 ふがい・ない
何がないのか?
「ふがい」とは、「かひ」がないことであり、
「ふがい・ない」とは、
「『かひ』がない(ことが)(このうえ)ない」ことだ 「ふがい」とは「甲斐」が無い、のではなく、
「腑甲斐」のことです。ここに否定的な意味はありません。
「腑甲斐」が無いのです。 Don't blame me, blame the world
It's not really an effect that you're seeking, but
just an hallucination hate is eat. not iz hitei kei の mistaken. >>738
>やはり文系庇護に回るよね。これ事態私が証明したいものの一つ
理系 vs 文系 (文系人の終焉について…)
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/philo/1379781492/
理系 vs 文系 (文系人の欺瞞について…)
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/philo/1385815618/
哲学板では、もう4年以上も前に、上記のスレで文系の愚かさは
すでに語り尽くされているよ
数学が出来ないと、上の幾つかのレスに散見されるように、愚劣な言葉遊びや
ポエム、ポモ・フランス文学風の修辞とレトリックの戯れに逃避する人間に
なってしまうのだ。だから、数学の学習は大切だと思うよ 440 :考える名無しさん:2014/01/02(木) 05:35:05.82 0
文系は、対人的関係をベースに構想するのに対して、
理系は、対物的関係をベースとして構築する。
文系が、システマティックな視点を欠くことがあるのに対し、
理系は、対人的なユーザビリティー の視点を欠くことがある。
消費者やユーザー置き去りで、マニア向けの独善的な製品やシステムを
開発する傾向に問題がある。両者の適度な相互浸透が、お互いの弱点を
補完し、そこに滑らかな共存を生み出せる。だから、文系と理系が
分断された状態での業務や研究が進むのは、本当は良くない。
そして、その両者とも専門化が進みすぎ、包括性というものを欠いている。 441 :考える名無しさん:2014/01/02(木) 06:17:49.86 0
俺の独自理論「人間のとる全ての行為は己の身体構造の比喩としての表出である」ことに
繋がる解釈だな。 最終的な宇宙の表現は、自己の構造の深層の記述。脳で考える以上、
その宇宙は脳の構造。
だから必然的に有能者優遇、優生学支持、能力者の出力を期待する、という流れになる
のだけれど、 人と人との関係となると、社会と政治の問題で面倒だから、
面倒を起こさないように、 特殊な入試で、 そういう人達だけを集めた教育機関が、あったりするんだよね。
でもその事実は生徒には知らされないよ。 で、多分、日本には無い。
浅田彰氏が学長をやっている大学がそれに近いことをやろうとしているが、
本場ですら逸材発掘に苦労しているのもあり、まず形だけ真似ている指導要綱のうえ、
日本の義務教育を終えてきた画一的な平凡な学生しか出願してこないのならば、
初めから次年度待ちの消化試合の一年間が始まる。
そんなマンネリ気味だろう。で、IT土方かアニメーション土方の仕事場斡旋して終わり。 450 :考える名無しさん:2014/01/03(金) 00:41:12.16 0
文系の時間軸の特徴 :
過去⇒現在⇒未来
と、前進的に不可逆的に事物を捉えて進める。歴史・経験論的な方法論。
判例・前例踏襲主義。 伝統志向。
理系の時間軸の特徴 :
未来⇒現在⇒過去
と、物事を逆進・可逆的にも構想出来る。遠い未来を分析して、
そこから逆算して現在の中へそれをプロットする。
エンジニア的な発想。前例や過去(歴史)にはあまり囚われない。未来志向。
だから低環境負荷等と、等を入れて書いてありますよ。よく読みましょう。 まあ、モデル論ですね。
純粋数学がなにやっていようと応用しなければ隔離されているしw
応用には倫理が必要であって、その部分は哲学にがんばってもらわねばね。 いや、別に数的な大小でもいいんですよ。
大小という性質は、対象、または対象の関係という対象が有するものなのか、
それとも大小の感覚として所有されるものなのか? >>857
そこは哲学も同じで、実用的に利用しなければただの形而上学。
総体に還元するのだ。 そのようなモデル化が破綻するとすれば、何がどのように考え直されるべきなのか、
ということでは? >>861
そうですね。
で、破綻はどのような形で現れるのか。 例えば、冷たい雨が降っている
しかし、雨に冷たいという性質が備わっているのではなく、
その冷たい感覚は、私のものであると考えてみる
そこで、冷たいという性質を雨が備えているのではないと想定する
次に、雨が上から落ちてくるという性質や、当たるという性質など
についても同様に考えてみると、
さて、雨が備えている性質として何が残るのか
その残った性質を備えたものを雨と呼ぶことができるのか Then, what objects can be said to exist objectively? つまり、偶然性が必然となる意味に於いて
非理由ですよね🎵😌 >>863
そう問う事で、なにを見出したいんだい? import tensorflow as tf
hello = tf.constant('Hello, TensorFlow ! ')
sess = tf.Session()
print(sess.run(hello)) About TensorFlow
TensorFlow™ is an open source software library for numerical
computation using data flow graphs. Nodes in the graph represent
mathematical operations, while the graph edges represent
the multidimensional data arrays (tensors) communicated between them.
The flexible architecture allows you to deploy computation to one or more
CPUs or GPUs in a desktop, server, or mobile device with a single API.
TensorFlow was originally developed by researchers and engineers working on
the Google Brain Team within Google's Machine Intelligence research organization
for the purposes of conducting machine learning and deep neural networks
research, but the system is general enough to be applicable in a wide variety
of other domains as well. >>868
物理的性質というものは人間の感覚から捨象されたものではないか?
という話だろ 冷たくて、落ちてきて、人間に当たるものは
もちろん必然的に雨であるわけではない 今日、AI社会について書いた自分の少しブログがバズってた。というより、
誰かが人工知能、ウェブスクレイピング、クローラを使って自動アクセス、
取得して、さらに、その内容を自動で解析、批評しているようだった。
やはり、そういう時代なんだな、と。哲板では、まだ右翼がどうしたとか、
左翼がどうしたとかの化石世代が蠢いているようだけど、完全に時代遅れの
知的に哀れな連中なのだな、と感じるよ。 そして完全に人間的な感覚から捨象されたものは
物理学的対象として成立するのだろうか? 人工知能の研究で有名な東大の松尾研究室が、最近、Jupyter Notebook形式で
作成された全15章の演習コンテンツを無償提供しているよ。
http://weblab.t.u-tokyo.ac.jp/gci_contents/
データのセットアップから解析、可視化やモデルのアウトプットまでを
一気通貫で学べるという。データサイエンスの主要言語Pythonの基礎から学べるほか、
統計的数値計算や機械学習に関する技術、SQLやMongoDB、分散処理フレームワークの
Sparkなど、ビッグデータ解析に関する技術も学習できる。
個人で学習する目的のみで無償で利用でき、講習会や教室などでの利用は不可。
クリエイティブ・コモンズの「CC-BY-NC-ND」(表示-改変禁止-非営利-一般)
が適用されている。 自分もJupyter Notebookは、たまに使っているので、早速、ダウロードして、
そこでサンプル開いてみたら、分りやすくて、結構、いい感じだったので、
あとで一応、ちゃんと目を通して置こうかなと。でも、Jupyter Notebookは、
かなり色々なことができるのだけど、少し動作が重く感じることがあるね。
初心者には、慣れるまで多少、敷居が高いかもしれない。
情報も、良いAIや深層学習のコンテンツだと、こういう感じで、バカを
排除するフォーマットの仕組みで今後は、提供されてくるのかな。
それについていけない連中が右翼がどうしたとか、左翼がどうしたとか、
愛がどうしたとかいうバカ向きのコンテンツで回収していくのだろうね。 純粋数学というものは物理学的対象とは無関係に
それ自体で成立していることに矜持を持っていたわけだが
それはすなわち人間的感覚を徹底的に捨象することにより成立する体系であることに由来するわけだ
ところが物理学に開発された数学が純粋数学に組み入れられるようになり
物理学における人間的感覚の捨象が純粋数学並みに進んでいるのではないか?
ということが推察される すなわち
物理学が人間的感覚を徹底的に捨象しても成立するのであれば
物理学とはいかなる身分の学問なのか?
と問うこともできる ビッグデータの対象が必然的に人間であるわけではない
という主張も成立するわけだ 人工知能やビッグデータを駆使すると、このような問題はどのように解決されるのですか?
https://magazin.spiegel.de/SP/2018/8/155843615/index.html
Bahn
„Klassischer Schwarzbau“
Die Trasse zwischen Dortmund und Köln soll ausgebaut werden. Doch offenbar
fehlt es an notwendigen rechtlichen Voraussetzungen. 人工知能は、人間の知能のように創造する能力はない、
ただ、膨大なデ−タを確立的に処理し、最大公約数的な最善の方法を提供するだけであり、
人工知能は、プログラミングの指令通りに動く操り人形にすぎない。プログラミングを設計する
人間が善人であれば良いが。 これから社会の広範な領域で浸透するAIの存在を「眼鏡」や「コンタクトレンズ」に
たとえている人もいるよ。つまり、目が悪い人にとって、眼鏡やコンタクトレンズが
なかったら、QOLが下がって不便だし、なくてはならない物だよね。
AIもそうした人間にとって不可欠なツールになるということ。その人、いわく、
天使や守護霊のように、目には見えないところで人を支えてくれるような存在だってさ。
そういう風に専門家は割と善意に穏便にAIを捉える傾向がある。あと、人間にとって
AIは常に制御可能だろう、と彼らは楽観的に言う。 でも、そういう人工知能の専門家たちの見通しは、甘いと思うんだよね。
原発事故などで放射性物質が漏洩したら、人間では制御しきれない核分裂の連鎖反応で
大変なインシデントになるように、もし、AIが自律性や自己意識を帯び始めて、
自己複製しながらウイルスのように世界中に伝播、拡散して、
多くの人々のIT機器やAI半導体に侵入して増殖していったら、かなり制御に
苦心すると思うよ。それで金融システムがダウンしただけでも、
社会に大混乱を与える。長時間の停電なら、尚更そうだ。 つまり、科学的な認識で大事なのは、既存の枠組みと経験値だけでものを見ないことだね。
既存のフレームに収まらない現象など、組み合わせ次第でいくらでも生起して
おかしくない。この点で、ヒュームの態度こそ、真に科学的だと言える。
経験値に収斂しないような事象など、いくらでも発生しうる可能性があるから。
もしかしたら、宇宙環境の重大な大異変で、明日以降、太陽は上らなくなるかも
しれないし、西から太陽が上り東へ沈むように見える軌跡を取るかもしれない。 ルーティン(典型問題)に慣れすぎず、
突発的事象(難問)に対応できないといかんちゅうことですな。 というよりも、科学の正しさというのは、再現性が保証されることだからね。
だから、小保方STAP細胞は、彼女一人にしか再現性がない細胞なので
非科学とされた。
「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待することだ」と、
アインシュタインが言ったことも、それを裏返して表現しただけで、同じ意味の
ことを指している。でも、ヒュームは、こうした再現性から帰結される
科学的な認識の客観性の正体が、実は単なる慣習的な認識(一種の惰性)であって、
そのように人々が誤認しているだけではないか、と正しく洞察できたことに、
哲学者として面目躍如たるものがあった、ということだろう。
このヒューム観点をさらに敷衍すると、現代や未来というのは過去の蓄積や
歴史の延長線として存在するのでなく、そうした慣習や歴史、経験値だけでは
捉えられない飛躍なり、根源的な未知性や断絶を有している、という風に捉えて
いたのかもしれない。
こうしたヒュームの認識は、真の意味で科学的で洗練されていると思うよ。 「モノ」は自己同一性がわかりやすい。
「コト」は果たして「同じ」ことなのか。
「コト」の自己同一性。「再現性」という問題。
「一回性」もしくは「一回生」との関係。
「再現性」とはxの問題である。変数。
xの発明。それはいつどこで誰が? 既存のフレームのおさまらないことが時間性としてめぐる。
経験値は人にあたうるものであって、ほとんどが自分が獲得するものではない
。狂気より狂言のお国柄で、狂言は正確で狂っている。
未来予測できるかというとまず無理だろう。レスポンス、リアクション芸 レスペンシビリティーというか、そういう態度がヒュームにはないな。 齋藤氏:「街を変えていきたい」。——これは僕がライゾマティクスを設立してからずっと
あたためてきた思いです。従来の街づくりではなく、街を「ゆっくりと動いている生物」と
捉えて街を変えていく、それもできるだけオンデマンドに近い形で変えていければと
考えています。テクノロジーの力を借りれば、そのスピードはより早くなるんじゃないかと。
久世CTO:それは、街をテクノロジーで制御するということでしょうか。
齋藤氏:いえ、そうではなく、街に意思をもたせて、自分自身の意思で変えさせていく、
というイメージでしょうか。僕は大学で建築学を専攻し、一度は建築の道を志したんですが、
途中でやめてしまいました。その理由は「建築はスピード感がないから」です。
ニューヨークの建築事務所にいたとき、エレベータの機械室を5cmずらすことになったん
ですが、たった5cm動かすだけでものすごい量の図面書き直し作業が発生して、
気が狂うかと思いました。
レスポンスが遅すぎる建築の世界は自分には向かない、そう考えて、広告の世界に
入ったんです。しかし、学生時代に建築を理論的に考えるモフォロジー
(morphology、変形学)を研究していたことから「もしも建築物が生きていたら
何をするだろうか、もしも街が生きていたら何を話すだろうか」ということを
ずっと考えていたんです。建築を離れてからも、その思いはずっとありました。 久世CTO:なるほど。テクノロジーが飛躍的に発展した今だからこそ、街と対話する
というプロジェクトを再び見直してみたいというわけですね。対話ならコグニティブな
Watsonがとても活躍できそうです。
齋藤氏:そうなんです。たとえばWatsonの性格分析機能(Personality Insights)を、
街の性格分析に応用したりすると面白いんじゃないかとか、いろいろアイデアがあります。
例えばあるビルに対する意見をリアルタイムにマッピングしたり「ここの自動販売機は
ほとんど使われていないから、撤去したほうがいい」といった指示を迅速に反映したり。
街のあらゆる部分にAIを機能させることが、今ならできる気がします。2020年に
は東京オリンピックが開催されますが、大会の盛り上がりとともに街全体が
人々の感情を受けてぱーっと明るくなるとか。街に感情表現させることも
不可能じゃない。こうした街づくりをぜひ日本IBMとコラボレーションしたいと
思っています。 久世CTO:私も以前、自宅近くの坂でひったくりに遭ったことがあるのですが、
事件前からいつも「このあたりはもっと街灯を明るくしたほうがいい」と
思っていたんですね。そういうニーズをリアルタイムに街が汲み取ることが
できれば、AIネイティブな街が誕生しそうですね。非常に興味深いです。
久世CTO:ところでなぜ齋藤さんは“CityOS”の実現に強く興味をひかれるように
なったんでしょうか。学生時代に学ばれていたというモフォロジーがやはり
大きな理由ですか?
齋藤氏:街という存在は非常に図体が大きく重たいもので、どこかひとつ変えようと
するだけでもお金と政治が動く——。そういう先入観は今も根強いです。しかし、
これは建築だけの話ではなく、そろそろ日本はそういうモノづくりのアプローチ、
つまり大金をかけて何かを作り上げて、終わったら簡単に捨ててしまうという
やり方は改めるべきだとつねづね思ってきました。街づくりも、
お金をかける部分はあってしかるべきだけど、それとは別に、未来予測をしながら
バックキャスト的な発想で作り上げていくスタイルも求められているのではないかと。 久世CTO:そもそも日本は歴史的に、きちんとした都市計画のもとに街を作り上げて
いくという発想が希薄でしたからね。おっしゃる通り、その場限りで箱モノを作り、
その後は使いみちがなくて放置、というケースが多すぎて、オリンピックが
近づいている現在、日本全体が考えなくてはいけない課題だと私も思います。
ただしAIによって街の変化のスピードを速くするには、より多くのリアルタイム
データが必要になります。そうしたデータを収集する際のコンセンサスをどうするか、
これはIBMにとっても大きな課題のひとつです。大量のデータは必要ですが、
セキュリティーやコンプライアンスは絶対にクリアしなければならない。
データを収集するための規制はないほうがいいという意見もあり、実際のところ、
規制が強すぎると収集データにバイアスがかかるという問題もあるのですが、
やはりわれわれIBMとしては“正しいやり方”を貫く必要があります。
この問題の解決にも関係しますが、「生活音による行動分析」という研究分野があります。
家の階段を降りる足音、冷蔵庫に向 かう足取り、冷蔵庫の開閉音、
そうした“音”だけを収集して「今日はいつもより冷蔵庫を閉める音に勢いがない」
「いつもと違った時間に頻繁に冷蔵庫に向 かっている」「足取りがいつもよりゆっくり」
といったことがわかるようになると、サンプル家庭のプライバシーを守りながら、
健康状態と食事の関連など今までには見えなかった因果関係が見えてくると期待
しています。 齋藤氏:久世さんが今おっしゃった“因果関係”というワードは、AIにおける
重要なキーワードだと僕は思います。ライゾマティクスという社名は
「リゾーム(rhizome)」から由来しています。簡単に説明すると、
AとBという一見無関係なもの同士が、実はある因果関係で結ばれている、
という考え方を意味しています。この因果関係は複雑な場合も多いのですが、
AIならば速く、正確に因果関係を解き明かすことができるはずです。
CityOSを実現するためには、一見どうでもいいような、ニッチな因果関係を
たくさん拾い上げる必要がある。交差点で停まったクルマに対して
「こういうクルマを運転している人は、奥さんの誕生日にバラを買うタイプ」
みたいな因果関係をCityOSのAIが瞬時に判定できるようになれば、
人の行動も街のあり方も、今までとはずいぶん変わってくるのではないでしょうか。 もうひとつ、僕がAIに期待しているのは「共振性」の発見です。
最近、歳を取ったせいか、ねぶた祭りなどの日本伝統の祭りを見ていると
感動して涙があふれるようになりました。
なぜねぶた祭りが強い感動を与えるかと考えると、たくさんの人々が
同じ方向を向いて、同じ強度で、同じことをしているとき、非常に強い共振性が
生まれるからなんですね。そしてある瞬間、すべての動きがぴたりと同調したときに
最大のエネルギーが生み出されます。多数のバイオリズムが同じ波長で
重なり合うことで生まれる膨大なエネルギー、この共振性の発生をAIが
数値化し分析できるようになると、たとえば市民の合意形成や市街地の
動線管理などにも効率的に応用できるのではないかと思っています。
久世CTO:非常に面白い街のあり方ですね。ただ、AIはきっちりとした因果関係を
見つけ出すのは得意ですが、あいまいな因果関係というか、直感的に
「もしかしたらAとBはこう繋がっているんじゃないか」と想定するのは、人間のほうが
優れていると思います。人間とAIがうまく共存していけば、CityOSもより賢く成長して
いきそうですね。
齋藤氏:これからの子供たちは“AIネイティブ”な世代として、AIと共存して生きていくことが
当たり前になっていくはずです。ただ、僕は逆に、AIが生活の中に入ってくればくるほど、
人は、より人間的な原風景への回帰、たとえて言うなら“小津安二郎的な社会”へと
戻っていくようなイメージを持ちます。
先ほども触れましたが、きっとこれからの子どもたちは、AIができることを理解して上手に
使いこなすようになるにつれて、ひとつの専門性を特化させていくよりも“クオンタム指向”が
強くなるんじゃないかと。バイオも、ロボティクスも、アートもある程度理解できる、
そういうマルチな子どもたちが増えてくると思っています。
そうなると、たぶんこれまでよりも自由な発想でモノづくり、街づくりが可能になるはずで、
だからこそより、人間でなければできないことを探し始めるんじゃないでしょうか。
AIは世間で言われているほど、人間の可能性を奪いはしないと思っています。 なんか、この>>891>>896の議論だとAIが因果関係を正しく導出できるかのような話になっているけど、
AIが導出できるのは因果関係ではなく、相関関係だよね。たとえば、そうした
誤謬推論の単純なモデルを出すと、人々が厚着をしているとインフルエンザが増加する、
という疑似相関をAIが導き出してしまう可能性がある。つまり、インフルエンザ増加の真の原因は
冬の気温の寒さであって、厚着が増えたこととは何の関係もない。これが疑似相関。
それが因果関係なら、人々が薄着をすればインフルエンザが減らなければならないのに
AIが導出しているのは単なる相関関係に過ぎないので、まだ、人間の常識的な判断は
必要になる段階なのかな、と。 擬似相関(Spurious relationship, Spurious correlation)は、2つの事象に因果関係がないのに、
見えない要因(潜伏変数)によって因果関係があるかのように推測されること。
擬似相関は、客観的に精査するとそれが妥当でないときにも、2つの集団間に
意味の有る関係があるような印象を与える。
2つの(確率)変数間の擬似相関は、第三の原因変数を導入することで生み出される。
換言すれば、A と B の間の相関を見出す。従って、考えられる関係としては次の3つがある。
・A が B を発生させる
・B が A を発生させる
・C が A と B を発生させる
最後の関係が擬似相関である。そのため、「相関関係は因果関係を包含しない」と
よく言われる。 3/26(月) 11:14配信
NHK、ニュース番組に“AIアナ”導入へ 同局初の試み
NHKは26日、都内で記者会見を行い、4月より『ニュースチェック11』
(月〜金 後11:10)に“AIアナウンサー”を導入することを発表した。
AIで発話するアナウンサーが同局の地上波ニュースに登場するのは初となる。
【参考画像】スマホARに登場した「ニュースのヨミ子さん」
同局の放送技術研究所が開発した平昌五輪の「ロボット実況」にも
使われた技術がベースとなっており、アナウンス室の監修の元、
AIによる音声合成で発話する「人造アナウンサー」が新たに開発された。
デザインは、人気キャラクター「コップのフチ子」の原作者・タナカカツキ氏が
手掛け、「ニュースのヨミ子さん」と命名。当面は、同番組の専属リポーターを務め、
毎週水曜日のコーナーに登場する。NHKは「新人なので最初はたどたどしいと思いますが、
“読み”“動作”など1年掛けて、成長(機械学習)していきます」としている。
現状、思考能力などは備わっていないといい「将来的には、考えて会話ができ、
疑似感情を持つ、真の意味での“AIアナウンサー”を育てていきたい。
そして、全国の番組へ羽ばたいて、活躍してもらいたい」と期待を込めた。
「より多くの人にニュースを届けたい」との思いから開発された「ニュースのヨミ子さん」。
番組外では、「スマホAR」への参入や、スマートスピーカーで最新ニュースの読み上げなど、
視聴者の手元に直接届くようなサービスを展開していく。 テクノロジーを徹底して否定する哲学者はもういないのか?
皆、テクノロジー界の連中に取り込まれたか… >>896
>多数のバイオリズムが同じ波長で 重なり合うことで生まれる膨大なエネルギー、この共振性の発生をAIが 数値化し分析できるようになると、
たとえば市民の合意形成や市街地の 動線管理などにも効率的に応用できるのでは
ないかと思っています。
*この市民的な共振性の抽出が大事で、これを適切に抽出することで、
AIがルソーの「一般意思」のようなものを体現させることが理論的には可能になる。
いや、それは多数派専制によるファシズムや衆愚政治ではないの?という意見も
あると思うけど、特定の権力者の意向や忖度でその一般意思が誘導さえされて
いなければ、むしろ、そうした帰納的に導出されたAIによる市民の一般意思の
抽出と、それに基づいた政策の制定と実行は特定の既得権益だけを優遇する
談合政治や土建屋政治、社会階層の固定などの弊害を、根源的に打破していく
可能性があるだろう。
だから、未来の政治に必要なのは、公平・公正なAIとAIの政治家。 なんでここ学問のスレなのにAIのことばっかやってんの? 駒澤大学経済学部准教授の井上智洋氏に聞く
AI時代への適応は社会人でも遅くない
AIネイティブにはなれない今の社会人が、問題発見力と問題解決力を
磨くことはできないのでしょうか。
井上:AIと共存して生きるうえで、人の「感性」と「悟性」を磨くことが
重要になると思います。このうち、感性はイメージしやすいと思うのですが、
悟性とは思考力のようなものだと言えます。その悟性を磨くためにうってつけの
学問が3つあります。
まず、コンピューターサイエンスです。問題を定義し、解法を考える上では
アルゴリズム的な思考が大切になります。文系社会人でも、真剣にプログラミングを
学べば、ある程度のプログラムを作れるようになります。ただし、
スキルとしてのプログラミングは忘れてしまってもよいと思います。
1回経験しておくと、アルゴリズムとはどのようなものなのか思考法が理解できる
ようになります。AIが何に使えて何に使えないのか明確になり、AIの的確な使い所を
見つけることができるようになるでしょう。
次に経済学です。大学の授業で行っている経済学の授業では、世の中で起こっている
さまざまな現象をモデル化し、それを土台にして問題の本質を見抜いたり、
解決案を導いたりします。このモデル化ができるかできないかで、能力の大きな差が生じます。 最後に哲学です。過去の偉い人が考えてきた問題とそれを解決するための
思考パターンを数多く蓄積した学問が哲学です。哲学が発達しているフランスなどでは、
一般の教育にもかなり熱心に取り組んでいると聞きます。日本では軽視されている
ように見えますが、考える力を養うため、もう少し注力した方がよいと思います。
AIと共存する力を得る方法として、仕事の中で養う勘や経験より、むしろ考え方を
体系化した学問の重要性を説いている点に意外性があります。
井上:多くのデータの中から傾向を抽出する作業は、AIが最も得意とする作業です。
頭の中にモデルを作って、それを基にイマジネーションを膨らませる作業は
人間にしかできないことであり、これこそがAIにできないことなのです。AIには、
「もし私が鳥だったら、どんなに自由を感じるだろう」といった事実に反する状況
に基づく空想、つまり反実仮想ができません。ところが、この作業は未来に対する
ビジョンを作り、先回りしてビジネスを立ち上げるためには欠かせない能力です AIと人がうまく共存しながら価値のあるビジネスを営むには、経営者や
マネージャーにも相応の心構えが必要になりそうです。
井上:日本企業は、AIに対する取り組みが遅れているように見えます。
経営者の若返りも大切ですが、経営者の方々にはせめてAIの重要さに気づいて
いただきたいと思います。もはや、AIのインパクトが及ばないビジネスなど、
存在しないと考えた方がよいのです。AIは、開発するにも利用するにも
莫大な資金が必要です。「AlphaGo」を開発したディープマインドは、
グーグルの傘下に入って資金とデータを得て、他社を圧倒する開発力を身につけました。
形だけの組織を作って取り組む姿勢を見せるだけでは、効果は得られません。
AIの技術や応用を担う責任者に、権限とお金をドンと渡す器量が求められます。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。