時間とは何か 23
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ツールとは“熱”なんだよ
世界は熱からできている
人間社会の衝突も、触れ合うことの温かさも
すべて摩擦熱を原因としてる
炎を産み出さなければ、
この世界は存在すらしなかっただろう 世界は常に揺らいでる
一つの恋が揺らいでるように
一つの量子が揺らいでるように
それは炎が揺らいでるように >マントルが饒舌に火を吹き上げて
>捨てられた野に立つ人を祝うよ
>静かな静かな娘の視野で
>見知らぬ都に灯が灯りだす
by「白虎野の娘」 意味が薄れるということは、エントロピーが拡散するということだ
では、意味の秩序を保つためには、意味を生み出すためには、
空孔が必要になる 明らかに、空孔は冷たい
逆説的だが、熱は冷たさから生じる 神は冷たい
なぜなら過去と未来の時間の経過を“予測”できるから
それはもはや予測とすらいえない静止画の絵巻だろうが
予測できればできるほど人は冷たくなる
映画を無限回見れば、
驚くような場面でも怖くなる場面でも
それで感情が揺れ動くことはないだろう
感情がなくなるということは、
熱がなくなっているということだ 人が、科学が予測したがるのは、
神のようになりたいからだろう
その能力は神の能力に依拠しているから
むろん、決して神にはなれないだろうが そろそろ、頭を冷やす必要がある
頭を冷やしたいなら、黙って考えることだ
感情的になることは時間に身を任せることだ
饒舌になって文章が洗練されなくなることは
意味が容易になるほどに詰まらなくなる
だから、
思考によって時間の流れを変えることだ
冷たくなる
冷えるとまた思考が洗練される
その文章は理解が難しくなるが
無に近づけば近づくほど、「私」は空になる
そこから、時間を動かすエネルギーを得る
よって、時間は何も無いところから生まれる 宇宙を作る。
Nelson GoodmanのWay of Worldmakingに従って、Way of Universemakingとしよう。
とりあえずひとつのversionを作らねばならない。
このversionでは空集合{}が出現しなくてはならない。
フォン・ノイマンはどこから{}を持ってきたのか、それは不明であるw
集合論的にはなにか集合の部分集合をとればよい。
圏論的には対象であり、自己射を持たねばならない。
このversionでは記号システムそのもの、すなわちversionそのものが出現しなくてはならない。
出現する「前」の状態を考えてしまうと、まだ組み立ててもいない「時間」が現れてしまう。
単純に、それは「前」なのではないと考えればよい。
出現後の宇宙からアクセス不能であればなんでもよい。原理の投入である。
その原理とはそのものが記号システムでもありversionである。
versionはなんらかの発展(あるいは変化)する仕掛けを持たなくてならず、「無」もversion内になくてはならない。
ここでいう「無」とは、単に「初期状態」のことである。それでいいのだ。 んhkでこんな番組がある
NHK・Eテレ「Q〜こどものための哲学」
http://www.nhk.or.jp/sougou/q/origin/schedule/
#1 「なんで勉強しなきゃいけないの?」
#2 「カッコイイってどういうこと?」
#3 「便利って本当にいいこと?」
#4 「死んだらどうなるの?」
#5 「みんなで対話しよう」
#6 「ルールって本当に必要?」
#7 「なんでウンコでみんな笑うの?」
#8 「なんでお母さんはいつも怒るの?」
#9 「そもそも自分らしさって何?」
#10 「良いこと、悪いことってなに?」 >>118
勉強したらどんな良いことがある
この手の教育番組は必ず勉強にはメリットが有るって結論になるから馬鹿馬鹿しい
勉強しなくても良いとは口が裂けても言えないからな 年末年始のTVをみながら宇宙を作成中。
細かいところを作りこんでいくと、Wolframの2,3TuringMachineに似てくる。
ひさびさにWolframのサイトを訪問してみるが、いまだに説明に間違いがある。
2,3Turing Machineは、とてつもなく不毛な宇宙を生成する。
実際の宇宙もそのくらい不毛なのかもしれない。 Wolframの2・3チューリングマシンは、よーするに「波」である。
テープを横軸とみれば、原点から左右に波が拡散し、その波のなすパターンはすべての可能性を取る。
2つのヘッダの状態と3つのテープの色と6つの実行ルールを持ち、一次元の両端へ無限に伸びるテープが必要となる。
初期状態も忘れてはならない。
初期状態を「無」とするならば、「無」もルールによって実行され、テープを形成するセルが作成されねばならない。
テープはセルの連なりであり、事前準備されているものではなくルールの実行によって生成されるとする。
このチューリングマシンにおける「時間」とはテープではない。しかしもうひとつの「次元」としてのテープに記録することはできる。
まだ検討はしていないが、ルールの実行に可逆性があれば「時間」をテープに記録する必要はない。
「可逆性」とは保存則である。
保存則がなりたっていれば「時間」は記録しておく必要が無い。
ここで暴力的に結論を出してしまうならば、「時間」とは「保存則」である。 ルチアーノ・フロリディ (著)
「第四の革命―情報圏(インフォスフィア)が現実をつくりかえる」
のamazonレヴューでチューリングでてくるよ インフォスフィアとは面白そうですね。レビューにもあるように前半だけwは読む価値がありそう。哲学としてもね。
正月休みに「宇宙」を実装テストしながら、ついでにWolframの2・3チューリングマシンも(ほぼ同じ機構なので)実装して動かして酒飲みながら眺めてみた。
1. 波が拡散している。それも我々が思っている過去と未来へ伝播している。
過去があって未来があるのではなく、過去と未来が現在から発生しているわけだ。
2. 「無」とは初期状態であり、「始まり」など無いのだとはいわれるが「無」があれば、それが「始まり」となりうる。
「無」が「ある」などといってしまうと「始まって」しまうのである。なのでうっかりと「無」などと語ってはならない。
3. すなわち「語る」ということが「ルール」の実行である。
「無」から「有」を作ってしまう。
4. 「語る」とはどういうことか。
わたしはこれを、(「無」ではなく)「空」に求めたい。「空」であることが「語り」をうみだす。
まあ、「無」を語ったものが「空」なわけですから、すでに「語り」は始まっているわけです。
5. 「語り」とは「自己同一性」のことである。
「自己同一性」こそが「煩悩」の根源であり、この宇宙を、うっかりとつくってしまった原因であるw 科学は自然を無矛盾に理解することが目的
それを失念しているからこそ今日の科学の混乱がある
静止を科学は徹底的に排除する
有、つまり運動は、無、静止という否定で理解する
自然の存在形態は運動であり、それを実在しない静止理解する
このことによって不確定性原理、つまり有を無で理解することの自然の裏づけであり
また量子力学のエネルギー保存則の破れが、有を無で理解、つまり破れ自体は
なんら自然の問題ではなく、認識理解する側の問題であることを示している
無、つまり静止はどこにも実在しない かなり前にビッグバン仮説論者の宇宙論読んでいたら、この仮説でなにもかも上手く行くと述べてありました
うーん、ここ言い切るのは良い度胸です
背景放射も信じきっている人が多いのは秀才たちのこの断言によるところが大きいのでしょう
わたしはプラズマ宇宙論仮説が保存則を破りませんし、光速度一定の原理もそうですし
新定常宇宙論、ビッグバン仮説のように基本的に無理がないと感じています
それは幾つか確証されていないところもあるのですが、それは二つの仮説同様ですが
周転円を重ねている仮説よりこちらに傾きます
新定常宇宙論支持科学者が時間が存在しない可能性を示唆していましたが、この仮説から
時間非在説は整合性から言って導けるのかどうか疑問だったりします
いや、予感だけですが、非在説は注目に値するのではと思っていますので 自然を無矛盾に理解するためには矛盾が必要となる。
その矛盾とは「原理」や「公理」などと呼ばれる。
これら原理の本体は、自然の体系の外側にあり、われわれからはアクセス不能である。
それゆえに本体などと呼んでよいのかどうかすらもわからない。 プラズマ宇宙論は、ビッグバン仮説をうみだした元となる現象をなんら説明できない。
それゆえに非主流の仮説である。 それよりバリウム検診2回とCT検診したので
被爆率300倍受けてもた!💦
😩 反復とは自己同一性のことであり、科学も哲学も自己同一性という煩悩なしにはなにもできない。 >>134
1回で被爆率がレントゲンの300倍です。👰 >>138
それすなわち哲学は心理学から逃れられていないということ。
精進しなされ。 美魔女↓
∧_∧
(`∀´) バリウム光線 ウリャッ
⊂二 \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ ) ) < 逃れられてないのは 貴方だけ。👰ブッ
/ // \_________
|||
(_)_) 「色即是空、空即是色」の本当の意味をわかること。
はたして中村元あたりでも本当の意味をわかっていたのだろうか。
そう考えてしまうと、「仏性」というものの本当の意味がとても怖いものであるということがわかる。 いろいろなversionの宇宙をつくってみては壊した。
versionというもの、そのものも自己同一性を持つ。
自己同一性は存在であり変化でもあり保存則でもある。
そう考えるとおもしろい。
時間が存在ではないのだとしたら保存則でもない。
時間は保存されない。一方向なのではなく保存されないのだ。
保存されないものは存在ではない。
もしかしたら光速度不変の原理も量子力学も、数学全般すらも、保存則ひとつで突破できるのではないだろうか?
そのためには、そのために必要なものは。(架空の)パンドラ構造体。
以前に考えていたパンドラ構造体を実装する方向で再検討してみる。 変化すること自体は変化しないというのは自己同一性でもあります
光速度はたしかに保存則を意味しますね
量子力学も導きます
数学の性格も導きますし 何も生まれないし、無くならないというのは次元の否定ですからねぇ・・・
光速度は運動が自然の存在形態であることを示します
それは数学が静止という否定で理解することも意味します
有限と言い換えていいわけです
量子力学は運動が自然の存在形態であることになりますし
光速度一定の原理は保存則の一つの表現なのか
はたまた逆なのか 対象である自然は運動変化している
このことは自然が無限であることを示します
保存則はこの自然の無限であることから導かれます
わたしは自然の存在形態が運動であることから、光速度、保存則が導かれるのではと
>>143氏のを読んでそう理解しました 運動は保存則に従う。
変化というものも保存則に従う。
保存しないという理由がみあたらない以上、保存則が最上級の原理となる。
「変化」とは何か、保存則に内在するものなのか、と考えたとき、
「変化」がなければ保存もへったくれもないのだ、と思い当たる。
保存則は原理ではなく、もしかしたら「変化則」こそが原理なのか?
この原理を実装するモデルとしてパンドラ構造体を考えているわけだw
変化する理由。変化しない理由がなければ変化する理由になりうるだろうが、われわれが変化によって考え・生きている以上、変化しない理由がないような状況は考えられない。 二重否定の問題だ。変化そのものが、変化しない理由の否定を成り立たなくさせてしまう。
突破口になりうるのは不動点定理なんじゃなかろうかと。
一つ一つ吟味するにしても不動点定理は山のようにたくさんあってたいへん。 不動点定理の中でも、不動点コンビネータを扱うのが簡単そうだ。
不動点コンビネータを対象とするversionの宇宙。
はたして哲学的に語りうる宇宙となりえるのか。 時間は単なる認識に過ぎず実際に存在するのは構造と運動だけ
運動を記述するのに時間という概念を利用すると便利なので使っているだけ >>150
便利じゃなくて必然でしょう
次元で理解するが次元は方便であり必要ということ 基本として科学は自然を無矛盾に理解しなければならないと理解している
これは遵守すべきだということ どうやら何も分かって無いな。
何も無くならないし、生まれないなら、全ては在り続ける。
この世界の持続、それが時間だ。 弁証法の諸問題
基本の矛盾は決定不能ということでしょう。
これはクレタ人でしょうか。
量質転化の法則は、終始が実在しないことということでしょう。
どこから始まって、終わるというのは座標原点の否定で指示できない。
否定の否定は地動説の認識論的分析でしょう。
座標原点という実在しない観念的存在によって理解し、そのことを指摘しているのが地動説です。
静止という否定によって運動を理解し、その静止がまた否定されるということです。
残るのは相互浸透の法則ですか。
これも単純なことなんでしょうが、今のところはわかりそうでわかりません。
三浦さんの案内で迷宮に入った気がしますが、自分なりの解答というか回答が八分がた出来たと思っています。
弁証法と形式論理の架け橋になるのもわたしの一つの課題でもあります。 基本の八分がた、ですね
理数系の多くは弁証法を無視しますが、弁証法論者の使い方も問題だったりする
理数系は無視することによって、自らの学問の発展の可能性を閉ざしている
論者は理解を深めないから弁証法の価値を貶めている
科学の発展は弁証法的認識論を求めている 弁証法
三浦さんの案内で導かれましたが、矛盾が直接理解できるのは彼の表現論でしょう。
だからこそ三浦さんは自然科学の場合論理の在り方をついつい自然に押し付け、運動は矛盾だとした。
運動は静止で理解するから決定不能となるだけで、対象である自然には矛盾が実在するわけではない
カントの二律背反理解とビッグバン仮説批判も一貫していないのでは?と思わせる節がある
三浦さんは皮一枚突破できなかったが、それは言ってもしょうがないし、弁証法の有効性を示した功績は計り知れないでしょう
彼がこのことを学問で示さなかったら、三浦学派もなかったわけです
板倉氏、南郷氏、滝村氏と道は分かれていますが、源流は三浦さんです
三浦さんの学問に感謝してもバチはあたらないでしょう 昨日東京にヘリ十二機が飛んでいた
みんな見上げていたけど、なんだったんだろうな 結局、自己同一性を突き詰めていくと順序対に行きつく。
これが「関係」である。
この「順序対」をどこに求めるかで哲学のxx論が区別される。
「順序対」をめぐる取り扱いの違いが数学と哲学の違いである。
「順序対」なくして時間という概念はなりたたない。
そもそも哲学すらなりたたない。 弁証法というと、自己弁護に仕えるぐらいで、醜い言い訳と変わらない。
わけではない か。
他人のために弁護するもんだけど見つめられると、確かにくるもんだよ。
順序といいう次元が古典世界にあったかしら。 順序対というものを考察してみると、集合のありかたである。
もっとも、集合論的な順序対を考えたのだからあたりまえである。
集合論的でない順序対も考えねばならないのだろう。
順序対は遺伝的である。とりあえずここまでで置いておく。
問題は「集合」だ。「集まり」とは何か。なにしろ空集合でさえ集まりなのである。
そう考えると、「無」とは集まりではなく、「無」を集めると「空」になる。
集めることによって「存在」となる。
「集める」ってなんなんだ? しかも、対象は無いのだから「無」を集めるのだ。
「集める」といってしまうと語弊がある。「集まる」のかもしれない。
いや、どのみち集まるものは「無い」のだ。集めるものも「無い/いない」。
これは数学では解決できない。哲学の出番だ。 AI問題再び
これはマックがウィンドウズを、またはその逆を、ということになるのかな
いろんな進化系が出てくるが、人間の認識を置き換えたという基本は覆らない
さらなるシステムをAI自身が産み出したら、機械は考えると言って良いのかもしれないが
それが出現したことはないし、コンピューターはソロバンの本質となんら変わらないという認識は変える必要を認めない 宇宙は遺伝的である。遺伝的宇宙である。
集合という概念があって順序対を捉えるのではなく、順序対があってそれが集合という抽象概念を生む、と考える。
そうすると遺伝的集合でない状態が「無」であり、遺伝的集合が「有」になる。
いまのところ漠然としているが、「遺伝的」であるということは無と有を区別する。
フォン・ノイマン宇宙的な遺伝的宇宙という前提である。
時間や空間というものは認識的ツールであり、存在ではない。
「遺伝的」ということが時間や空間という認識的ツールを必要にさせる要因である。 遺伝的宇宙において、空集合{}は単独では存在しない/存在できない。
どのような形で生まれるのか?
予想としては
{{},{{}}}
のようなものになるのではないか?
クラトフスキーの定義から、この順序対を考えるなら、
({},{{}}):={{{}},{{},{{}}}}
である。 まだ証明もできていないが、
{{},{{}}} という構造には名前がついているのだろうか?
とりあえず、仮に、{{},{{}}} をパンドラ構造体と呼んでおこう。
{}は外延性の定理からひとつであり、2か所に現れているように表記されているのは単に技術的問題である。
パンドラホールか? 消失点であり、かつ、生成点である。
とすれば、消失点と生成点を要素とした集合がパンドラ構造体=パンドラ集合である。
ひとつの存在としてみればパンドラホールである。 >>172
定義もしないやつに、証明とか、知嫡傷害の照命な、頭執そのもの (-1)^(x/iπ)においてxとして認識される変数? いや、(-1)^(x/π)においてxとして認識される変数かな? いや、それとも、時間とは、1^(z/2iπ)においてzとして認識され、
1^(x/2π)においてxとして測られるものであると言うべきなのだろうか。 と定義する、とか書いておかないと定義と理解できないんでしょうなぁ。 生かされている間に存在するのが、時間
死んだら、空間だけになる
全ての物体がその繰り返し
宇宙自体もその中にある
この宇宙の外側も全く同じことの繰り返し {{},{{}}} とは、ようするにペアノの公理である。
{}=0とすれば、{{}}=1であり、{{},{{}}} =2となるわけだ。
3つめである{{},{{}}} =2が宇宙の核となる(仮称)パンドラ構造体になりうるのではないか、ということである。
0,1,宇宙 なわけだ。
括弧であらわされている集合が「空間」であり、遺伝的な順序が「時間」である。
この{{},{{}}} から、さらに遺伝的(時間的・因果的)に時空間が広がって行く。
とりあえず、「遺伝的」ということから「集合」や「時間」や「空間」や「自然数」をうみだすことができる。
ただし、これらの「」内の言葉の意味はわれわれの使う言葉の持つ意味とは異なる。
より抽象的なものなので新しい別の言葉を使うべきだろう。
宇宙の問題を「遺伝的」というところまで追いつめることはできた。
これが煩悩の根源であり、煩悩の根源にはいろいろな説があるけど、それを「渇愛」であるとするならば、「遺伝的」とは「渇愛」である。なんのこっちゃ?
これがキリスト教的な「愛」とは異なるのである。
(キリスト教的に)すべての根源は「愛」である、などとするのも面白いのだが...
仏教的な「渇愛」は煩悩の親玉なのだ。 宇宙=1、2、3…無限大
ではなく
0,1,宇宙
3つめには宇宙ができる。遺伝的でさえあれば...
もし、過去も遺伝的に発生するとしたら...
}{ が反空集合であろう。反集合には反元(反要素)が...
反ZFCを考えるのも楽しい。
反選択公理なんてのも魅力的だ。 宇宙のタマネギって、NHKの宇宙論学者の番組があったこと思い出した
それはそれとして
AI論
人間の子供は親が考え出したことを、根本的に変えることが可能だ
歴史の展開はそういうことが可能であることを示している
AIは自身の根本的なシステムを変えるようなことを産みだせるのか?
それが可能なら機械は考えるという主張は受容できる
上にも書いたが、ウィンドウズはマックを、またはその逆を、みたいな話
たしかに学者さんというのはとんでもないのを発明することはたしかなんだが
根本的に違うAIシステムをAI自身が人間と独立して提出できるのだろうか?
はなはだ疑問ではある 人間でもAIでも、遺伝的宇宙にいるかぎり、根本的に変えることはできない。
「根本的」というクラスの問題である。
弱い根本的であれば、人間もAIも変わらない。
AIが人間と違うというのは、単に、「主観」と「根本」の混同ではないのか? 議論は互いに高めあうためにしたいものだが、科学者みてもわかるように
それは理想論なのかなと思ってしまう
基本自分が信じているものを覆されるのは感情として受け容れがたいものがある
自然を合理的に理解できればという感情から出発した科学は、この意味では感情を抑えるべきなんだろうが
歴史はそれがはなはだ困難であることを示している
第三者というか、後世の人たちが裁断を下すんだろうな
たぶん今世紀中だと思うけどね、宇宙論、時間論の決着をみるのは
予想しなければ予想外のものも出ず、その予想外の事象が何を意味するのかわからないとは著明な科学史家の予想の重要性を語ったときの言葉 人間の認識を置き換えたのがAIという理解
その認識を改めたり否定したりして、新たなシステムを自ら創出するAIが出現するかどうかでしょう 自らの前提を変えるAIの登場は可能か?
今までに人間の認識の置き換えの中でAIは働いている 科学者が発見事象を妥当に理解しているかどうかは別です
天動説がそうであるように
天動説的理解は人間の理解に付き纏うわけです
AI科学者もまたその理解は怪しいのではないのでしょうか わたしに言わせれば、地動説の意義は未だ理解されていないわけです
いろいろと ま、人間の認識の置き換えの中でAIは働いている、という前提が間違いなんでしょうね。
と、AI技術者でもあるわたしが語るわけです。 >>193
それは生きているから
死んだら空間しか残らない 存在者の存在が存在者の不在なしに在りえないからでしょう。 人間がいなくても、時間と空間はある
ただし、時間が長いか短いか、空間が大きいか小さいかを決めているのは、人間の尺度 もしも、人間の身長が15mから20mの間くらいだったら、世の中の道具のすべては、
それに合わせたサイズで作られたことだろう
ペットは犬や猫ではなく、ゾウになったであろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています