時間とは何か 23
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いずれにしても社会が答えを出すでしょうね
アタリの本はどんなんだったかな
テレビ放映時には図書館は予約が一杯で
今だったら大丈夫かな 基本労働者の権利、団結はあってしかるべきでしょうが
社会主義はさまざまな国で実験してことごとく失敗していますからねえ
共産党あたりが労働組合牛耳ったりするから、思想幻想をもたない若者は離れていくのは当然で
資本主義の補完勢力にしかなっていないのは皮肉ではありますが
創価学会どうよう、思想自体は信じず出世できるからと入党する人が多いそうです
いろいろなことがわかっていますから、政権をとることは考えられないでしょう 「カムイ伝」育ちなんで w
教育というか本がそのまま真理だなんて思っていた若い時のことを思うと赤面します
いずれにしても認識の正しさは社会で決まるところが大きく、活字は人の認識であり
その人が媒介になっているのであり、多数であっても真理ではないし
社会主義も禁酒法どうようにもっともらしくても人間社会には合わないということでしょう 肯定的に考えれば、人間は伸びしろがあるということでしょうか >>417
前妻が亡くなった時に誰かに出した手紙に
過去も現在も未来も区別がない不思議な自然とか書いていたんじゃないのかな
あやふやな記憶ですまない 本来、この宇宙は幾何学的な純粋な四次元なんだよ。
でも、我々の知覚がその一つの次元を時間と認識して観測しているだけなんだ。
一つの証明として多次元立体を我々は認識することも考察もできるが、
それを生活レベルの知覚で認識することはできない。
学問とか修行はこの宇宙の真理と人間の感覚をすり合わせていくことなのだろう。 四次元で理解しているだけでしょう
次元で出来ていないことを科学は示している 娼婦もAI+バーチャルリアリティーでなんてことにならないかな
先年ニーチェが少女売春婦で梅毒になったというレスがどこかであったけど
しかも前もって警告されていて、それを無視しての結果だと知って驚いた
どこかにナポレオン軍が梅毒撒き散らしたんで慰安婦的なのが軍に必要になったとのことを書いてあった 病院づとめの人が梅毒は不治とか言っていたんだが、ある段階までだったら完治するそうだと聞いた
いや、不治だったらけっきょくもっと蔓延しているんじゃないかと疑問に思っていたので
昔は旦那が外からもってきて奥さんがという場合もあって、金子みすずもそうだったと聞いた
貞操観念はやはり必要ではあるんだろうな
フロイスの日記には日本女性の奔放さが記されていて、網野さんはまさかと思ったが
史料をあたって、それが事実であることを認めざるを得なかったと書いている 次元実在論者はどの次元から実在するのか証明しなければならない
ゼロ次元、出発点は実在しないし
目の前の自然を理解するために個々の対象の大きさをたとえば木の枝で測ったりする
直接つき合わせるのもひとつの手で、こっちの方が大きいでも良いが
木の枝とか紐みたいな媒介があったほうが動かすのが難しい場合は便利だし
運動もそうで、ある媒介があったほうが便利で、過去の対象もそれを媒介にすれば
理解可能で、それは大きさもそうでしょう
足の大きさでも、二の腕でも良いんだけど、それで測り、後に抽象的な単位になる
それで文化の継承に繋がる
縦そのものは存在しないし、横も奥行きも、物理存在の抽象でしかない
運動量を測るのはある規則的な運動をする自然物であることは一貫している
縦横高さそのものが実在しないように運動そのものも実在しない
それは自然の存在形態であり、時間はその抽象としての次元でしかない
次元はたんに自然を理解するための自然の抽象として頭の中にあるたけ 位置も運動量も正確に測れるはずがない
対象は運動しているのに測るということは静止が必要だから
運動という有を静止という無で理解するから当然でしょう
不確定性原理は必然ですらある
そしてこのことは量子のエネルギー保存則の破れと理解されることが
なんら自然の問題ではなく理解する側の問題であることを示している
自然は運動変化するエネルギーの無限の海としてあり、その生成過程としてすべてはあり
何も生まれないし、何も無くならないというこになる
数で理解するのだが、その数は対象である有を無で理解しなければならない
つまり精確でも正確でもありえないし、どこから生まれようにも消えようにも無い
わたしたちは自然をそのままには理解できない 現象として保存則の破れはミクロの世界であればあるほど付き纏う
しかしそれは理解する側の問題でしかない >>439
取り敢えず、次元の出発点がゼロ次元な事を証明してね。 時間とは何かは難しいね。
時間を量的に表現するのは近代の発明ですね。 >>444
不治だとしたら、もっと現代まで続いていたような
子供もそうなるんじゃなかったかな
新聞で両親が梅毒で、娘さんが結婚しようとしたら梅毒でというのが載っていた
ペニシリンは抑えるだけで根治はしないのかな 次元は自然の抽象で、時間も諸次元どうように実在せず
実在の運動量を測る、人間の頭の中にしか存在しない道具でしょう
運動しないものはなにも無い
四次元である時間が実在するのなら、どんなに短くとも三次元が無限に実在することになる
そして三次元そのものは運動しないから自然には実在しない
実在しないものをたとえ無限に集めても実在に転化するわけではないでしょう わたしが誕生するというのは物理状態の変化です
死もまたそうです
そして物理的状態が変化しないことは自然には存在しない
生=死であり、福岡氏が語るように生きつつ、かつ死につつあるのが生命ということです
つまり決定不能ということです
クレタ人の逆説は対象をその否定で理解するから決定不能になるのですが
運動をその否定の静止で理解するからこその、存在すると同時に存在しないことということになります
ヘーゲル論理学の矛盾の正体は決定不能ということです ここからも保存則の破れがありえないことがわかります
つまり座標原点、始点が無いということは量子力学の現象対象の生成の始点もまた実在しないし
また他の状態になるという終点も実在しません
わたしたちは対象を静止で理解していますが、わたしが同一であることはありえませんし
そのことは位置は正確には指示しえませんし、そのことは速度も正確には知りえないことを示します
近似値でしか認識できないのは当然ですし、不確定性原理は認識の在り方の当然の帰結ですし
また量子力学の保存則の破れは、この認識の性格から当然のことでなんら認識対象の量子世界の側の問題ではありえない 無限にゼロに近いがゼロではない、としなければならないのは
静止、無で運動、つまり有を理解しなければならないからです / / / / / ヽヽ \
l / / // / ヽ! ヽ
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| | l| 十' ¨´ `¨卞 |. ! またまた いつものご冗談を…
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' | | |{ハ ', {: ./ / ノ /`}
_,ノ j | い、\'、 ' ノイ /`} /`!
/ / l \\_ ` ト-―- ァ 八 / / / /
´{ / | `Tゝ ヽ __,ノ /l / / / / .、
V / | | | | > ー /ヽ_| }`V / / //丿
ー' / | | | | ≧ァr< l ヽ__,/ 丿 ノ / /' /
ー/ | | |‘〜'T´ ̄{ } ̄フ7 | / } イ ' 〈 / 冷やかしと野次しか言えなくなっている某氏
実に惨め w 禊氏の解説は参考になりました
AIと人間の関係がどう展開するかは、社会が答えを出してくれるでしょうが
短期で捉えると誤るかもしれませんが 科学者というのはいろいろ工夫して豊穣な実験観測結果を示してくれますが
その理解は必ずしも正解であることを意味しないことを天動説は示しています
それは科学の歴史に常に付き纏っています
近くは酸素を発見した科学者の理解がそうです
宇宙背景放射もそうですし、赤方偏移も一つの現象で起きるわけでないとアープは観測結果を集めて示しています
現代科学もまた天動説の段階を克服していないのではというのがわたしの理解です わたしは数学者もまた数とは何かを理解している段階ではないと理解しています
不完全性定理もまたその正当な理解は自然観の確立から為されるのだと考えています
哲学の諸難問もまた >>445
そのと〜り!
近代以前の本来の時間は太陽の動きや季節の変化だった。
物理的な時間は量ではないよね。 ローウェルの火星に運河を「発見」したのはそのことを戯画的に示している
ここでいろいろ教わったが、たんなる勝ち負けではなく互いの研鑽に役立てれば良いわけでしょう
その意味では感謝すべき人たちがいることはわたしの幸運です 空軍か 陸軍か ってことでしょ?なかでは海軍が優秀。 時計によって計られる「何か」が時間であると知られているのだから、
その「何か」が「どのように」時計によって計られているのかを
記述すれば、時間とはどのようなものかを記述することになるだろう。 時計によって図っているが時間は時計で可視、可知覚的なのではなくて
時間は流れているゆく蛍(恒)川の中で、テールランプステーキ
を食べると、もはや時間はなく、在((有))るだろう。
→
↑☯。↓回転中。太極と陰極が、時間の起こりで、原始であろう。
←
太陽であった 女性 平家塚 雷てう=堕天使 エイヒレピラフなんてまだありますk。 時計が進むことができるためには、数を数えることができなければならない。
したがって、「何か」が時計によって計られることの前提には、数を数える
ことがある。 >>463
→
↑☯。↓
←
は、時間の遠近を圧縮して前から見た図だろう。横から見れば螺旋の軌跡が表れる。 複素空間に螺旋の軌跡が描き出す2πカウンターとしての時間。 そうなんだ。確かにアンドロメダ信仰の幻―認〜知覚映像は少し立体的に見えたけど。
有限の、宇宙官軍鳥炎無頼派の羽ばたきグラビンドも彩りたい。1.OOoch s.a.bei nhttps://www.youtube.com/watch?v=u7K72X4eo_s
https://www.youtube.com/watch?v=JDlf9wy0OQY
勝負の あや学部 哲学科 アリスちんのは時間は現在の集まりということ
過程ちんの前提も同じ
そこから別れるわけ 不信心の現実が有神論的タイム。ロマン的な主神達への裏切りが、無神論で、時間的。 昼と夜が交替することの繰り返し、月が満ち、月が欠けることの繰り返し、
それが時計となり、暦となる。
そのように計られることによって時間が現れる。 時間や空間は生き物
時間がオス、空間がメス
時間と空間の出逢いの場が宇宙 深海魚にとってのクロックは心臓のパルス
クロック数の記録とその外部化はしていない(数えていない
境界が曖昧なパルスの影響範囲という身体性
温度は相対しかない メビウスの ( わ ) ←?? のポスト、ホスト、ホステス構造主義ですね。 メビウスは2分の一スピン
オスはベクトル、メスはスカラー 飛行石っていいロマンスターだったよね。科学力はまあさておいて。 時は目安。まず時間があって時刻があるのではない。
日数と月の満ち欠けがあり、暦と時刻がある。
丑三つ時、草木も眠っている。時刻と時刻の間が時間である。 月の満ち欠けは地球中心の星座平面より、プラネタリウム的、星々の空間
の広大さから、演算というものをするようですね。 >>457
時間が量として普及したのが産業革命以後。
分単位の労働管理が求められた。
現に、物理学においても、アインシュタインは時間より速度が基準であることを示した。
光の速度を元に速度は決められる。
あとは、エントロピーの増大。
この宇宙の不可逆性。
時間は進む。光の速度と相対的に。 物理としての始りは自然では観測できない
実在すると証明できたら降参する 始まりが体内にあるかというとたぶんないと思う。生物学の方が優秀だ
と思うけど。生物の中では、闇鍋将軍がゆで時間を決めているらしい。 存在者として1があり、そこから遡れば、始源には、存在者が消失する無として
0があったと考えることが錯覚に過ぎないのだろう。時間が螺旋を描く軌跡で
あるとすると、遠近法によって消失点として0が存在するかのように見えるが、
遡れば螺旋は無限に後退することになり、後退した時点においてやはり存在者
として1があり、そこから消失点としての0が存在するかのように見えるだけ
なのかもしれない。 >>483
産業革命前の時間は都市毎にマチマチで、太陽が真上に来たら正午だった。
しかし、産業革命で蒸気機関が発明され、鉄道が普及すると、様々な問題が起きた。
そこで遠く離れた都市間で時刻を同期させる多数のアイデアが考案され、様々な特許が登録された。
その時、特許局で働いてたのがアインシュタイン。 時間とは生きることに終止符を打つためのquestionだな 「無」は「無」ゆえに存在しない。
存在するのは「空」である。
しかし、「空」単体では存在する「場」が無い。
存在には「場」が必要である。
自分自身が「場」であり「存在」である。
この二重性がすべてである。 >>492
まぁ強引だけど、ざっくり纏めるとこうなる。
当時の列車のダイヤは、出発する都市の時刻で書いてあったから、利用者はかなり混乱したみたいだ。
更に線路も単線が多かったから、時刻の混乱から、列車の正面衝突もかなりあったらしい。 人々が量としての時間を知るのは、
工場労働でしょう。
一日が規則正しく時間で区切られ、繰り返される。
起床時間から出勤、労働、昼食、仕事終わり、夕食、睡眠 >人々が量としての時間を知る
老いもそうかも、ヘイフリック限界 的な。
今後のバイオテクノロジーで、細胞の劣化コピーが操作可能とか
iPS細胞系移植技術発展とかになったら、人の思想は変わりそう。
なんせなかなか死なないという… 例えば銀河と似たような形態の台風
台風の物理としての始りは自然では観測できるか否か
濃淡の海の渦潮 濃淡の海 自体の物理としての始りか、、なんだろね
わかりません 科学者が宇宙の始りまりはあともう少しに迫っているなんてことを語っているのを読んだことがあるけど
徒労に終わると思う
身の周りの自然、そして自身の始りだって、辿り着けないし どこから人間に成り、どこから他の何かに成るのか
位置は精確に指示しうるのか
速度は精確に測りうるのか
究極的にいうとすぺては近似値に過ぎない
運動という有を静止という無で理解している
此処からの此処、静止としての此処などどこにも無い
自然の生々流転の中にすべては存在し、何かから何かに生成され
また何かに生成されている過程 同一としてのわたしも自然も何処にも実在しない
生々流転している、運動している対象、不同一の対象を同一で捉える
だから運動量で理解しなければならない
時間の正体はこの認識の在り方が要請する次元であり、実在しない わたしはわたしであり、わたしではない
運動は存在すると同時に存在しない
運動する対象を静止、つまり否定関係で理解する
クレタ人の逆説が示すように、弁証法の矛盾の正体は決定不能ということだ 次元など実在しない
四次元である時間もまた
実在すると主張するのなら、それは光速度一定の原理の否定でしかない
そしてその展開である量子力学もまた崩壊する 地動説、進化論、光速度一定の原理の共通点は
認識の在り方だろう
それは認識する立場は自然には実在しないということを示している
認識する立場を意識して、地球からはこう見えることは否定しない
そうみえるから、地球は不動だ、動物ではない、絶対座標は実在するとすることが誤謬になることを示している
自然に於いて何ものも特別なものは実在しない、つまり自然は無矛盾であることを示したのが一連の科学革命
重力も諸力も最小単位も実在しない
それらは加速と生成に必要なエネルギー量でしかない
次元は理解に必要だが、実在しない
自然は極めて単純だ 数は部分を持たない
ゼノンの逆説はその数が実在するとなると運動は不可能であることを示した
クレタ人の逆説は自然と論理の関係を示し、決定不能であることをしめした
カントの二律背反は、自然を理解するのに必要な次元の問題
ヘーゲルの運動規定、矛盾は決定不能
量子力学は自然が一であると理解するパルメニデスを指示する
また不確定性原理は自然という対象とそれを理解することからくる齟齬でしかない
それらは論理と自然との関係を示している
現代科学は論理がそのまま自然を反映しているという素朴反映論であり天動説的認識論でしかない 光速度一定の原理は科学の究極というか前提とも考えられる
そこから量子力学の展開も切り拓かれるし、自然観の確立が出来る
また論理の性格、限界も認識できる
それは運動が枠であるということだろう
それを否定することはできない
ふとと、社会と論理みたいなことを連想した
禁酒法にしても社会主義にしても、どんなに論理として筋が通っていても
実社会というか人間には合わないということだと理解している
ある方はどんなに論理的と思えたことでも実験でダメならそれは真理ではないのだと語る
光速度一定の法則でも、どこかに座標原点があると思うのは論理的だろう
しかし自然が無矛盾で無ければ理解できないという枠組みからは排除されてしまう
論理が対象のそのままの反映ではないというのは前提だろう
不同一の対象を同一で理解するというのはそういうことでしょう 武道の名人の境地がとても不思議だったが、ディープラーニングは
その理解の一助になる可能性があるというのは面白い
認識論的に検討する価値がありそう それは人間の可能性の新たなる可能性を示すものかもしれない
わたしは天才と言われる人たちの能力の生成過程を理解する可能性が出てきたような気がする
肉体が四民平等であるしことを示したように、時期の問題はあるにすれ
人間の能力もまた展開というか修練次第でかなりの境地になる可能性を
このディープラーニングは示しているのかもしれない 人間の能力の新たなる段階の展開が可能な社会がユートピアなのかディスとピアなのか
なんか後者くさいかも知れないが、人間の知恵はそれを克服してきたというある物理学者の言葉を信じたい >>496
工場労働は大きな要因の一つだろう。
産業革命により工場が建ち、機械が人間社会に入り込み、沢山の人が工場で働く。
機械式の時計が発明され、一般に広く普及していく。
産業革命は人類に機械文明をもたらした。
そして機械的な時間が一般化した。 元々特別な人などいない
それは環境と人間の関係が創りあげた作品ではないかと 環境もまた人間自身がその関係で創りあげるものでしょう
その可能性を展開させるのは人間自身でもあるのだと エントロピー学説にはラーナーが疑問を呈していたけどな
具体的な反論を「ビッグバンはなかった」で展開していた
個別理論の適用範囲の問題でしょう 一般相対性理論もまたそのようなものでしかない
光速度一定の原理は認識の自己言及という側面がある
静止は実在しないが、静止で理解しなければならないのだと 機械、すなわちAI的には認識論的宇宙でも存在論的宇宙でもどちらでもかまわない。
どっちに傾くかは実験しながら考察する。
「わたし」としての{}は認識論的でも存在論的でもない。
「わたし」の始まりとしての{{}}は認識論的か存在論的か。
存在論的認識論か認識論的存在論か。
「わたし」の「宇宙」の始まりとしての{{},{{}}}はどちらなのか。
これが超ひもであれば振動している。存在論と認識論の間での振動。
(ただし、認識論は非人間的「対象」に拡大させて「関係論」として扱う) >>515
エントロピーの増加と、ビックバンは関係ないでしょ。
ビックバン説はエントロピーの増大の原因として、考えられているだけ。
そしてエントロピーの増加とは、この宇宙では乱雑さは増えていくという不可逆性を物理的に表現しただけのこと。 乱雑さの増大を、人は時間という概念で量化している。
時間という概念を用いて、この宇宙の現象を表現しえていることが、乱雑さが増大していることを示している。
一つの架設としては、光の速さという固有数をもって、ビックバンから宇宙が広がり続けているために、
この宇宙の乱雑さ増大の原因ではないか。
すなわち時間が流れる原因。 物質、すなわちエネルギーの量が変わらずに、宇宙の大きさが広がれば、当然乱雑さは増す。
そしてやがて、エントロピーは無限大になり、この宇宙内の秩序、星やその運行は解体し、全くの均一な状態になる。
いや今度はエントロピーは減少に転じて、今と逆に時間は流れる? 時間を流れると表現する時点で感覚の次元でしかないけどね この世界ではすべてのものは崩壊しつつている。
人で言えば老化。
すべての物質は老化し続けている。
机の上の本も、鉛筆も刻々と老化している。
それを人は時間として表現する?
しかし物理学には不可逆性はない。 崩壊と形成のサイクルだよね
老化だって人間の都合で表現される状態でしかないし 秩序には意図がかかわっているということでしょう
意図に沿わないものは秩序が乱れている
補正のしようもなく秩序が乱れているものは、崩壊している 無秩序から秩序が生まれることはあります。
自己組織化とうとう >>
系の外部からコントロールされることなく、自然のプロセスだけで自発的に秩序が形成、つまり創発されることを自己組織化といいます。
名称の由来は、外界から注入された特定の箇所(ベナールセルでは鍋の底または地表)に遍在していたエネルギーが系全体を流れて外部に散逸(散らされ逸)していくことによって、秩序構造が自己組織化(創発)されることによります。
このように、注入されたエネルギーが外部に散逸している系で動的な秩序構造が創発されることを理論的に解明し、これを散逸構造と命名したのはベルギーのイリヤ・プリゴジンです。
ベナール対流はエネルギーの流れによって作られますが、高いエネルギーを持った物質が流れ込むことによって生じる散逸構造もあります。
例えば、渦潮(うずしお)は、潮の高低差によって入り江に入り込んだ海水の流れが作り出す散逸構造です。
また台風は、湿った空気が常に低気圧の領域に流れ込むことによって作られる一種の散逸構造です。
ベナール対流や渦潮などの動的な秩序構造(散逸構造)が存在している系に注がれているエネルギーおよび物質の供給を止めれば、それまでに存在していた秩序構造が次第に消えていきます。
このように、エネルギーおよび物質の出入りがない系――これを孤立系と呼びます――では秩序が壊されていきます。
これが、熱力学で定められている「エントロピー増大の法則」(別名:熱力学第二法則)です。
エントロピーとは、無秩序の度合いを表す物理量です。
外部とエネルギーや物質をやり取りしない孤立系ではエントロピー(無秩序の度合い)が増大する、すなわち秩序が消滅することが熱力学の基本法則なのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています