次元実在論者はどの次元から実在するのか証明しなければならない
ゼロ次元、出発点は実在しないし

目の前の自然を理解するために個々の対象の大きさをたとえば木の枝で測ったりする
直接つき合わせるのもひとつの手で、こっちの方が大きいでも良いが
木の枝とか紐みたいな媒介があったほうが動かすのが難しい場合は便利だし
運動もそうで、ある媒介があったほうが便利で、過去の対象もそれを媒介にすれば
理解可能で、それは大きさもそうでしょう
足の大きさでも、二の腕でも良いんだけど、それで測り、後に抽象的な単位になる
それで文化の継承に繋がる

縦そのものは存在しないし、横も奥行きも、物理存在の抽象でしかない
運動量を測るのはある規則的な運動をする自然物であることは一貫している
縦横高さそのものが実在しないように運動そのものも実在しない
それは自然の存在形態であり、時間はその抽象としての次元でしかない

次元はたんに自然を理解するための自然の抽象として頭の中にあるたけ