何も生まれない、無くならないというのは自然が理解できるということでもある
ただそこに在る
それは運動変化の過程として在るだけ

時間は運動変化を直接捉えることが出来ない人間の認識の在り方が要請する
観念としての存在

自然は無矛盾でなければならないというのは大原則