Mariaの真理探求スレ
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人間は人を愛して、正しいことを自分からすすんでやる=天使
人間は欲望のためには何でもやりかねない=悪魔 一度だけの人生だ。
だから今この時だけを考えろ。
過去は及ばず、未来は知れず。
死んでからのことは宗教にまかせろ。 AIは助けてくれない
人間の脳みそこそが宇宙最強なのです 「私たちはまだ解放されていない」日本に謝罪を求める元慰安婦に、
韓国ネットは否定的反応「もう終わりにして」「最近は日本の方が信じられる」 2018年2月16日、韓国・ノーカットニュースによると、韓国の元慰安婦イ・オクソンさんが「私たちはまだ解放されていない」
と述べ、日本政府に心からの謝罪を要求した。
イさんはこのほど、韓国京畿道にある元慰安婦らが共同生活を送る施設「ナヌムの家」で行われたインタビューで、
15年末の日韓慰安婦合意について「私たちに分析する能力はないが、それでも朴槿恵(パク・クネ)大統領は頭がおかしいと思った。
私たち元慰安婦を金で日本に売ったということだ」と述べた。 その後に政権が代わり、合意から2年以上が過ぎた先月9日、新韓国政府は慰安婦合意への対応計画を発表し、「日本政府が拠出した10億円は韓国政府が肩代わりし、日本政府から誠意ある謝罪を受ける」との考えを示した。
これに、イさんは「文大統領を信じる」とし、「大統領が日本に一言でも言ってくれたことがありがたく、今後は政府を信じられる」と述べた。
さらに、文大統領は平昌五輪を機に行われた日韓首脳会談で「慰安婦問題は被害者の心に傷が残ったままでは解決しない」との考えを強調し、日本の「不可逆的」立場とは明確に一線を引いた。
しかし、イさんは「日本と再交渉しなければならない」と主張している。
その理由として「韓国が勝つべきで、負けてはいけない。(日本は)11〜14歳の幼い子どもまで連行して銃や刃物、暴力で殺したが、今もそれを認めていない。
韓国は死んでも謝罪を受けなければならない」と訴えた。 これについて、韓国のネットユーザーからは意外にもイさんや韓国政府に対する否定的なコメントが多く寄せられている。
イさんに対しては「私たちはとっくに解放されている。
歴史を歪曲(わいきょく)するのはちょっと…」「トラウマがあることと国が解放されていないことはちゃんと区別してほしい」「申し訳ないけど、2度の謝罪に補償ももらったのだから、もう終わりにしてほしい」「謝罪はもう受けたはず。
一体何を望んでいるの?」などの声が見られた。
また「過去の大統領が避けてきたことに朴槿恵が向き合い、補償を引き出したんだよ」
「現実的に考えて、心からの謝罪は韓国が日本より強い国にならない限りは不可能。強くなれば日本は自ら謝罪してくる」などと指摘する声や、「正直、慰安婦を信じていない。
最近は日本の言葉の方が信じられる」との声まで。 AI本をさがすと
ジャパンアズビューティフルみたいなのと
教育レボリューションと
格差ァーと
ザ宗教
チャソ写真集
ワシの経営
があるけどどれも買わなくていいの?? >>115
仏教・南妙法蓮華経ですね
南無阿彌陀仏は亡くなった人へのお経ですが
南法蓮華経は生きてる人の為のお経です
生きてる間に幸せになりましょうという
お経です Mariaさんのイメージだと、南無観世音菩薩の方が合う気がする。 『観音経』は法華経のなかの「観世音菩薩普門品第二十五」という一章です。
ここでは、 観世音菩薩が、
私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に際し、観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、
その名前を唱えれば、必ずや観音がその音を聞いて救ってくれると説いています。 >>121
観音様は菩薩の中でもメジャーな存在ですね
人々を救済することから愛されているんですよね
まぁ私のイメージはそんなんかといえば
自分ではそうは思わないですね 観自在菩薩は、
サンスクリット語(梵名)では「アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァ」といいます。
昔から広く民衆に親しまれている菩薩様、観音さまです。
観自在菩薩は、多数の別名でも呼ばれます。
・観音さま
・観音菩薩(かんのんぼさつ)
・観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)
・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
・救世菩薩(くせぼさつ) あまり知られていませんが
京都には霊山観音という観音様が居ます
戦後に戦死者を慰霊する溜めに建てられた観音様です
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=6000059 寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを感じる。
〜ホイットマン 何があっても大丈夫。
天があなたを守っているから。
〜齋藤一人さんの言葉 美しいものを、美しいと思えるあなたの心が美しい。
〜相田みつを 人間の地獄をつくり、極楽をつくるのも心だ。心は、我々に悲劇と喜劇を感じさせる秘密の玉手箱だ。 幕末になると三条から四条にかけては暗殺、晒し首など死体を遺棄する場となった。
そして七条まで下った湿地帯では、毎年のように氾濫し多くの死傷者を出した川でもある。
この付近の河原には、貧しい人たちが集まり集落を作って住んでいたが、
長い間京都ではこれを「恥部」として隠し、また無視し続けてきた。これが崇仁地区である。
雪の降る夜。一升の米が入ったズタ袋と名札を首から吊らされた藤井鉄雄が捨てられていたのは、
塩小路橋のたもとだった。泣き声を聞きつけたのは、廃品回収を終えて家路を急ぐ老母である。
http://www.suzin.com/bank/mitsubishi/fuzii-1.html 「鉄雄、昭和24年2月9日生まれ、満二歳、この子をよろしくお願いします」
雪の降る夜。一升の米が入ったズタ袋と名札を首から吊らされた藤井鉄雄が捨てられていたのは、塩小路橋のたもとだった。
泣き声を聞きつけたのは、廃品回収を終えて家路を急ぐ老母である。
橋の上で耳をすませてた老母は「また、捨て子か」と思いながらも、土手に下りていった。この老母が、藤井鉄雄の養母である。
鉄雄は3人目の子供で、老母は彼を極貧のなかで我が子のように育てたのだ。
養母の家は古びた4軒長屋の端にあった。新聞紙を張り固めた壁に、家の中からでも夜空が見えたという。
この4畳半一間で、養父母は3人の子供たちの面倒を見たのである。
敗戦のショックから立ち直りかけた時代で、日本経済復興の兆しが見えていた。しかし、崇仁地区にその兆しは届いていなかった。
毎日の暮らしは成り行き任せ。地区の大人たちが食べ物を得る手段は肉体労働しかなかった。だが、老いた養父母には無理な話だった。 養父は、声がかかると屠殺場の後片付けに出かけた。
わずかの日銭をもらって、その日の食事代にした。声のかからない日、こちらの方が多かったのだが、老父母は真冬だろうと鴨川や高瀬川に浸かり鉄くずや空き缶の回収に精を出した。
凍えながら2人で働いて、やっと50円か60円を得ることができる。
当時はインスタントラーメンが1個20円ほどで買えた。
日々の生活はどん底の極貧であった。それでも養父母は、自分たちが食べなくとも子供らに食べ物を与えるという人たちだった。
とくに養母は、子供たちだけでなく全ての人に対して暖かい心遣いを示した。
こじきが門口に立つと「こんなものでよかったら」とかす汁を振舞う老母。その日の、唯一の食事である。鉄雄が文句を言うと、老母は次のように答えたという。
「貧乏していても、心まで貧乏になったらいかん」 無学で、字も読めない老母だったが、3人の子供を分け隔てなく育てながら、生き方を伝えていった。
口癖のように鉄雄に言ってたのが次の言葉だ。
「人間、他人を恨んだら絶対にあかん。一生懸命働くことや。働いていればきっと良いことがある。
働いておれば必ず良いことが回ってくる」
ある日鉄雄は、養母にいえない無理を言って姉を困らせた。
「姉はん、わい、おもちゃが欲しい。動く自動車や」
「そんなもの買えるわけあらへんやんか。鉄、買えんけど、そのおもちゃ見に行こか」
鉄雄は、姉に手を引かれ鳥丸七条の角の大きな玩具屋に連れていってもらった。
たくさんのおもちゃが並ぶなか、鉄雄は思わずゼンマイ仕掛けの自動車に触ろうとした。
「鉄! 触ったらあかん!」
姉が大きな声で叱った。
「なんでや?」
「なんでもや。見るだけゆうたやろ、触ったらあかん」 姉は、両手を後ろに回していた。
鉄雄は、おもちゃを手に取っている子供たちをポカンと見ていた。
「お前ら、内浜(現在の崇仁地区)の子やろ、はよ帰り、帰り」
店のおっちゃんが、鉄雄の触った自動車にハタキをかけながら追い出した。
鉄雄が、はじめて体験した差別である。
(七条の子はカネを持っていない。だから、触ると盗むと思われる)
姉はそう言いたかったのであろう。玩具屋だけでなく、菓子屋でもどこでも、手を後ろに組んでそっと見る。
これが地区の子供たちの身につけた知恵だった。 こんなことがあった。養母が風邪で寝込んだため、鉄雄と姉は七条から少し離れた青果店に使いに行った。
ここは買った客にダイコンの葉をタダでくれるからだ。
買い物を済ませておカネを払おうとすると、2人の服装を見ていた店のおっちゃんが「あんたら、七条の子やろ」と言った。
姉が頷くと「葉っぱはタダでやるけど、お金はそのタライで洗ってから払てんか」
姉は、丁寧におカネを洗っておっちゃんに渡した。
「七条の人間は貧乏やからか。だけど、なんでお金が汚いんやろか」鉄雄は胸につかえるものを感じた。
「姉はん、なんであんなことをするん」
「ええがな、何でも辛抱や。お母はん、いつもそう言うてるやろ」
差別の何たるかを知らないものの、
鉄雄は自分たちが世間からどういう目で見られているかをいやというほど思い知らされたのである。(続く) 喧嘩に明け暮れた小学校時代
鐵雄は崇仁小学校が好きだった。
勉強はしなかったが、成績は常にクラスの上位に位置していた。ただ、一つだけ辛いことがあった。空腹である。
給食ではなく弁当だったため、昼の時間になると彼は教室を抜け出した。校庭の隅にある砂場で砂をいじりながら同級生たちが昼食を済ませて校庭に飛び出すのを待つ。
自分の家は人とは違う。空腹とともに訳の判らない不安が彼を襲う。
それを誤魔化し、自分のプライドを維持するのに役立ったのがケンカだった。
強い相手とケンカをして勝つことで、貧しさと空腹を克服できるような気がした。
「鉄、このごろお前喧嘩ばかりしてるな。お母はんが心配するで、やめとき」
鉄雄は姉の言葉に反論した。
「姉はん、わいは国定忠治になるんや」
「なんや、それ」
「わいらみたいな貧乏人を助ける強い人や 小学校に上がる前、一度だけ、どういうわけか養母に旅回りの芝居を見に連れて行ってもらったことがある。
芝居は「赤城の子守唄」だったが、忠治が悪者をやっつける場面に興奮した。
帰り道、養母は「鉄、おもしろかったか」と聞いた。
「うん!」
「お前も国定忠治みたいな男にならなあかんで」
「うん!」
「弱いもんいじめする人間になったらあかん」
ぼそぼそと、目をしょぼつかせながら言う養母。この言葉が、鉄雄の人生を位置付けたといってもよい。
後年、自らヤクザ家業に身を沈めていった鉄雄だったが、自分より弱い者をいじめるような真似だけはしなかった。
小学校時代の鉄雄は、自分より強い者とやたらに喧嘩をしていた。
原因は単純であったが、特に金持ちの子を見ると無性に腹が立ったという。
喧嘩をして家に戻ると、負けた相手の親から苦情が来る。養母は、鉄雄がやっつけた相手の家を謝って歩く。 その頃の鉄雄の夢は、あつあつのコロッケを食べる事だった。コロッケは1個5円だったが、鉄雄には買えない。
インスタントラーメンか、大根葉の雑炊が主食だった鉄雄にとって、コロッケは世の中で1番上等の食べ物だった。
そこで、せめて匂いだけでもと、鉄雄はコロッケ店の前をよく通った。
そんなとき、コロッケ店の前で同級生のAと合った。このAとは、将来にわたって付き合う関係になるのだが、
同じ地区内であっても金持ちの家の子であり、父親は地区の有力者でもあった。
テレビがあることを自慢して、つねに子分を3人ほど連れていた。
Aは、子分たちにコロッケを分け与え、自分も頬張っていた。
「おい、こじきの子、ちんちんするならお前にも一つやるで」
「もういっぺん言うてみい!」
「なんぼでも言うたるがな。こじきの子はこじきや」
瞬間的に鉄雄は相手の胸に頭突きをくらわした。コロッケを落として倒れたAをさらにゲタで蹴飛ばしたところ、
子分たちは一切に逃げ出してしまった。Aは鉄雄よりずっと体格が良かったが、からきし弱くて抵抗して来なかった。
しかし、強烈なしっぺ返しをその夜受けることになる。Aの父親が、頭に包帯を巻いたAを連れて乗り込んできたのだ。 「こらっ、泥棒猫。うちの子のコロッケを盗ろうして殴りかかったやろ。こんな怪我をさせてどうしてくれるんや」
「コロッケなんか盗ろうとしてへん!」
「この、嘘つきめ!」
「違う!」 養母が鉄雄の顔を悲しそうに見て、父親に「すんまへん」と頭を下げた。
「こんなことしたら、お前らの家がどうなるか、わかってんのか」
「すんまへん。鉄、お前もあやまり」
何度も頭を下げながら、鉄雄を促すが彼はじっとして動かない。
「貧乏人は貧乏人らしくしとけ!」
そういって父親は鉄雄の顔を何度も殴りつけた。思う存分殴りつけて気が済んだのか、彼らは出ていったが、
鉄雄は養母に訴えた。
「お母はん、わい、盗ろうなんかしていいひん」
「わかってる」 それでも鉄雄は喧嘩を止められなかった。自分の存在を主張するただ一つの手段だったからだ。
近所の子供が苛められているのを知ると、飛んでいって助けた。
しかし、売られた喧嘩や弱い者を助けるための喧嘩でも、鉄雄が悪者になる点ではいつも同じである。それでも、鉄雄の周りには貧乏人の子ども達が集まるようになっていく。
当時、子どもの熱中する遊びとしてビー玉やメンコがある。鉄雄は、これを見て一つのアイデアを思いついた。
「賭け」だ。メンコめくりやビー玉を賭けの対象にしたのだった。多分にこれは、大人たちが行なっている賭けを真似たものであろう。
賭場は鉄雄の家の前の児童公園だ。テラ銭を取って胴元をやった鉄雄の手元にはお金が入るようになっていった。
ある日、70〜80円の金を稼いだ鉄雄は、念願のコロッケ店に走りこんで2つ買った。
夢にまで見たアツアツのコロッケである。それは想像以上に美味しかった 残ったお金は、養母のサイフにそっと入れておいた。
毎日、サイフのなかにお金が入っているのを不審がった養母が「これ、どうしたんや」と聞くと、
「心配せんでもええで。盗んだんとちゃうから」
「鉄、悪い大人の真似したらあかんで」
そう言ったなり、養母は黙り込んでしまったが、鉄雄が何をしているか薄々感ずいていたはずだ。
しかし、その金でみんなが食べていける。養母にとってそれは矛盾する苦しみであっただろう。
メンコ賭博の参加者は日を追うごとに増えていった。賭けをする子供、見物する子供で公園には200人もの子ども達が集まり出した。大人がだまっている筈はない。
通報されて駆けつけた警察官に、首謀者ということで連行されてしまう。
警察にとっては少年犯罪至上、最年少の逮捕・補導ということになる。だが、鉄雄に罪の意識はなかった。
それよりも、自分の収入が途絶えれば家計を助けられなくなるという困惑のほうが大きかった 4年生になった。鉄雄は小学校を牛耳っていた「ナンバーワン」(番長)グループと対決することになる。
ある日鉄雄は、生徒会役員に因縁をつけているナンバーワンたちと出くわした。
みんなで決めた規則を守れと、役員が注意したことが発端らしい。
彼らは、生徒会の役員3人を壁に追い詰めて脅していた。
この時、他の生徒たちだけでなく先生も遠巻きにしていたが、誰も助けようとはしない。鉄雄は生徒たちをかきわけて生徒会役員の前に出た。
「何してんねん」
「お前、鉄か。チビのくせに度胸あるやないか。表に出ろ」
このときナンバワングループは5人居た。騒ぎを知って校庭に生徒たちが集まってきた。教室の窓からも、みんなが鈴なりになって見ている。
「1人に5人は卑怯やぞ」
「頑張れ、チビ」 生徒たちの声援を受けた鉄雄を5人が取囲む。これまでの喧嘩から、鉄雄は相手を倒すコツを知っていた。
まず最初に1番強いヤツをやっつければいいのだ。
自信満々で飛び掛ってきたナンバワン。素早く身を交わして、相手の腹に飛び蹴りを入れた。
うずくまるナンバワンのアゴをゲタで蹴り上げたところ、相手は唸り声をあげるだけで動かない。
これを見ていたナンバワンの部下たちは、あっという間に逃げていく。
全校生徒から拍手があがり、照れた鉄雄は校庭から逃げ出したが、「崇仁の鉄」の名はこの事件をきっかけに広まっていく。
鉄雄が、決して弱い者いじめをしないことから、鉄雄のすることを先生たちも放置するようになった。
コロッケの件で喧嘩したAも、他の生徒とともに鉄雄のそばに集まるようになった。Aは、家から持ち出した米や野菜、たまには高価な牛肉などをもってきた。
鉄雄はそれらを遠慮なくもらい、養母に渡した。 Aの父親も、年老いた養父母に何かと付け届けをしたらしい。
最初、その行為を気味悪がった養母だったが、その頃養父が寝たきりになっていたので、その好意を受けたという。
鉄雄から見ると、養父の存在は影が薄い。身体が弱いこともあったが、物静かな人だったようだ。以前、この養父は骨身を削って貯めた300円を元手に子ども相手の花火店を始めようとしたことがある。
ところが開店当日、近所の子どもの不始末で、仕入れた花火全部が燃えてしまった。養父はこの時「しゃあないなぁ」と言っただけである。
養父は、鉄雄が来年は中学校という年の暮れ、世間が正月準備で気ぜわしい最中に亡くなった。死因は栄養失調だ。
後年、鉄雄は、養父の生き方に思いを馳せた言葉を残している。
──正月準備で活気づく世界とは、全く別の世界で1人の男が貧乏のために死んだ。この男の人生は何だったのか。
養母と2人で、自分を含めて3人の子を拾い育てる。子どものために、自分はろくに食いもせず痩せこけて死んで行った── 養父の葬式は、Aの父親が采配を振ってくれた。葬式といっても何もない。
棺桶代わりの四斗樽を用意し、遺体を火葬場に運ぶバスを京都市に掛け合って提供してもらった。
Aの母親は、鉄雄の夏服姿を見かねて、Aのお古のオーバーを着せてくれたが、この時鉄雄は、オーバーというのがこんなに暖かいものだと始めて知った。
バスに同乗して火葬場に行くと、女の事務員が「あんた七条やな。待っとり、すぐ焼くから」と、
まるでゴミでも焼くような口調で言ったが、鉄雄たちは無料で焼いてもらう立場なので何も言えない。
ところが、焼き場で働いていたのは、近所のおっちゃんだ。おっちゃんは養父のことをよく知っていた。
「可哀想に。貧乏した挙句こんなに痩せてしもうて」
彼は「金持ち」を焼く上等なところで養父を焼いてくれたのだった。
鉄雄は、死んで焼き場に行っても貧乏人と金持ちの差別があることを知った。 力こそ権力だと知った中学時代
中学校は、七条河原町周辺の崇仁、菊浜、稚松の3学区を持つ皆山中学校だった。
京都市内で一番柄の悪い中学だと言われていた。
入学式。鉄雄はわざと遅れて学校に行った。制服がなかったからだ。
少しでも目立つまいと考えた知恵だった。
ところが、指定された席に着くと、全校生徒が異様なものを見るような視線で彼を見た。
制服姿の中学生のなかで鉄雄は1人浮いていた。
小学生のときから履いている短いズボン。
Aのお古のオーバーと磨り減ったゲタ。それらは貧困の証しだった。
生徒や父兄、教師たちから浴びせられる視線は、鉄雄にとって馴染みのものである。
入学式が終りに近づいたとき、鉄雄の前に5人の上級生が現れた。
その中の1人は制服のボタンを外し、真っ赤なシャツを見せつけていた 「なんや、その格好は。皆山中学をなめてんのか」
「わいにはこれしかあらへん」
「制服もない貧乏人が来る所やないで。帰れ! なんや、そのチビた下駄は」
そういうなり、上級生たちが飛びかかっていた。防ぐ間もなく袋叩きにされた鉄雄は、講堂にぶっ倒れた。
それを上級生たちは代わる代わる蹴りつける。意識が薄れ、気付いたときは職員室にいた。
「このアホ。おい、うじ虫!」
ぼーっとしていた鉄雄はその言葉にハッとした。それは、体の頑丈そうな若い先生から出た言葉だった。
「こいつのお蔭で入学式はメチャクチャや。おい、何とか言いさらせ。
お前ら、あんな汚いところに住んでやがって、学校に入れてもらえるだけでも有り難いと思え」 壁というのは、
できる人にしかやってこない。
超えられる可能性がある
人にしかやってこない。
だから、壁がある時は
チャンスだと思っている。
- イチロー - あのときの
あの苦しみも
あのときの
あの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ
じぶんが自分になるための
- 相田みつを - セトモノとセトモノとぶつかりっこすると
すぐこわれちゃう
どっちかがやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころを持ちましょう
- 相田みつを - 3.ウィルス
ウィルスは英語で「Virus」(ヴァイルス)です。
ウィルスという読み方は、ドイツ語の読みからきているので、英語圏では通じません。
4.トランプ
トランプは本来、「勝利の札」「切り札」という意味を持ち、カードで遊んでいた西洋人たちが「トランプ」と連呼していたため、それを見た日本人がそのカードのことをトランプだと勘違いしたことが由来となっています。
正しくは、「Cards」(カード)ど呼ばれます。 日本語の中で用いられる「エネルギッシュ」は、おおむね「活力に満ちあふれた」「精力的な」「活動的な」「旺盛な」人もしくは様子、といった意味合いです。
活力=energy の形容詞形とか派生語じゃないの、と思えなくもありませんが、英語には energish のような表現はありません。
「エネルギッシュ」はドイツ語由来。エネルギーもしかり。
エネルギッシュはドイツ語の energisch に直接に由来する表現です。
さらにいえば「エネルギー」もドイツ語の Energie の発音です。英語では energy です 脳細胞および神経系そのものに障害がなく、心理的な原因によって
発症する精神障害を、日本では 「ノイローゼ」 という言葉が
使われていますが、これもドイツ語からの借用語です。
米英では "neurosis" (ニューロウシス) 若しくは "nervous
breakdown" (ナーバス ブレイクダウン) という表現が
用いられています 2月22日の「竹島の日」は国が制定して国が式典を主催すべきである。
竹島不法占拠の裏側には日本人拉致と在日犯罪者釈放と特別在留許可がある。 底辺ってコテが自殺したらしい
ご冥福をお祈りします 「この世は地獄だ」* という前提で仏教を作った釈迦は晩年ボケたのか「世界は美しい」とか言い出したけど、
悪のサイド(糞フェミ・糞左翼・糞国)が善のサイドに対して毎日、何兆回も死んで詫びなければいけない犯罪を犯している2chを見るまでもなく、「この世が不正に満ちていて醜悪極まりない」ことは否定のしようが無い。
だからといって、「自分には理想社会が作れる」と言ってる奴は漏れ無くペテン師だけどな。
(松本智津夫も「私はキリストだ」と言ってたのう。嘘を言うんじゃない。キリストはワシじゃ)
* 美輪明宏「地獄極楽は胸三寸」
ポル・ポトや金 正日やスターリンや毛 沢東に虐殺された何百万、何千万の人達は“マイナス思考”だったとでも言うのかい?馬鹿言ってんじゃないよ(´・ω・`) https://youtu.be/agfWNEBTK1E
幸せ 悲しみ 代わる変わるの波
心の不思議が分かりかけてくる
逃げないここから
真実をこの手にする
笑顔も涙も自分の色で輝け 結局恐れや不安
幸せや悲しみ 楽しみなども
全て自分の感情が作り出したもの
全ては自分が現実を作り出す
この世が暗い世界になるのか
明るい世界になるのかは自分次第
どうせなら私は明るい方に物事を考えたい
常にポジティブに前向きに
ネガティブにならず
後ろ向きにならず 常にポジティブであろうとすのなら、
自分が前向きになっているか、後ろ向きになっているかなんて気にせず、
どちらの向きであれ、自分が向いている方が前だと信じることですね しかし恐怖の元なるもの
この世界の情景
あらゆる知識と情報は自分を起源としていない
自分がどう考えようと客体は自分の思い通りにはならない >自分がどう考えようと客体は自分の思い通りにはならない
思い通りにはならない客体に自分がなろうとしたら、モンスター客体になります ポジティブに考えるだけで人生は明るくならない。
そんな簡単なものならそもそも思い悩まない。
残念ながら周りの環境をコントロールする事も大事だ。
そして皆それに苦労し頭を悩ます。 人生はシンプルだ
だからこそ難しい
確かにポジティブ(シンプル)は難しい
ネガティブ(複雑)にしたり考えたりするのは
簡単で物事を前向きに捉えることの方が難しい
物事を複雑にするのは簡単で
単純にするのは難しい
だからこそポジティブ(シンプル)は価値がある 周りの環境に合わせてコントロールするのが
難しいなら
自分がコントロールすればいい
言葉にするのはシンプルだけど
これがとても難しい
何故ならこの世はシンプルだから 悩むということは思考が複雑な状態です
単純にすることで明瞭に明快になります
アインシュタインや湯川秀樹も思考を単純明快にして名を残したのです 雨の日には雨の中を
風の日には風の中を
- 相田みつを - 美しい花を見た
美しい花は美しい枝についている
美しい枝は美しい幹についている
美しい幹は美しい根っこが
ささえているにちがいない
- 相田みつを - どんなにかきたくても足じゃないとかけないものってなに? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています