千葉雅也30
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千葉雅也@masayachiba
ガブリエル千葉対談は『ニュクス』に掲載予定です。NHKのカメラも入ってたので、番組でも映るかも。
21:55 - 2018年6月15日 本田由紀 @hahaguma · 10時間10時間前
米ハーバード大、アジア系の入学志願者を差別か http://www.afpbb.com/articles/-/3178768?pid=20227801 …
「アジア系の学生は、人種が問われなければ全体の26%、学業成績のみで判断されれば43%を占めるはずのところが、ハーバード大学の指針に基づいた結果、わずか19%だった。」 おいだれも
AIを搭載した男性型セックスロボット、その名も「ヘンリー」が教えてくれたこと|WIRED.jp
https://wired.jp/2018/06/10/henry-the-sexbot/
この呟き誰も拾わなかったのか? >>616
東大の表象批判の流れで小林康夫とか鈴木泉とか名指しでディス(具体性はない)
まずいと思ったのか即ツイ消し ちひろ @chihiromion · 2014年12月27日
4日間の表三郎師の名言集
Disneylandは犯罪ただの公園拡大版
英文科教授は95%アホ
阪大卒はホームレス多い
砂粒は10^n
ネラーは喋っても無駄な奴等
ハゲ増すの嫌い
センター授業無駄
おれ漬け物の本書く
野蛮ゴリラ
ドラゴン死ね
amorous intimacy!! LN BB-45 @BB45_Colorado · 2013年6月7日
返信先: @tigercatver2さん
@tigercatver2 「浅田彰は燃やせ」By 表三郎
Koji Matsui 松井孝治 @matsuikoji · 2010年7月21日
「人の人生は、どのような「問い」を持って生きてきたかで決まる。」 表三郎 同 >>627
サンクス。
なんとなく想像つくな……。 渡部は当然最悪として、栗原の気持ちよくなりっぷりもまぁすげぇなー。
なんでそんなに気持ちよくなれるんだろう。
DD論を唱えたいわけじゃないんだが。
まーくんはこんな泥沼とは無縁で生きて欲しい。 318番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (JPWW 0H8f-HtAK)2018/06/21(木) 02:53:08.91ID:6fV5qYqdH
今の日本という国家のあり方を素朴に受け入れ
「日本を愛してる!」なんて叫べるRADWIMPSみたいな奴らは
控えめに言って気が狂ってるだろう 28番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (アウアウエー Sa4a-ehQV)2018/06/20(水) 19:10:30.78ID:3pAj3PTwa
だから英語が流行ってる
逃げるために
そんな連中が一番信用できない
なぜなら逃げるから >千葉雅也『メイキング・オブ・勉強の哲学』発売中
>@masayachiba
>ともかくも、昔の世の中は荒っぽかった。いまより90年代は。90年代より80年代は。
>そこからの「近代化」が必要だというのもそうなのだが、そのために失われるものもある。
>僕の場合はゲイ当事者として、かつての雑な社会だから可能だったマイノリティのあり方が
>失われつつあるという観点がある。
>世の中が総体としてベターになるのなら、「昔は良かった」ということにしがみつく者は、
>犠牲になるべきなのか。マジョリティで昔にしがみつく者は保守として批判され、
>回心を迫られる。では、マイノリティならばどうか?マイノリティとしてのあり方の本質が、
>昔の社会状態と関わっている場合は?
興味深いツイートだが、
「はい、犠牲になるべきです」としか言いようがない。社会のために。
見世物小屋に出された障害者が、その人なりの充実した人生を送り、それで良かったと仮に思ったとしても、
そんな文化は残すべきじゃない。今を生きる障害者のために。
あるいは被差別ゆえの輝きがあったであろうかつての黒人文化、それを愛惜するのは結構。
でも現在を生きる一般黒人からすればそんな愛惜に一文の価値もないだろう。
愛惜は心の中だけに留めてもらいたい。 速いw 千葉さんから即レス。驚きの速さ。
千葉さんは抵抗するとのこと。勿論それはそれでオーケーと言うしかないけれど。 >>638
こういう左翼?ポリコレ?思想って「社会全体」とかいう絶対に立ちようのない立場が実在してそれを自分が考えうると思い込んでるからこういうこと言えるんだよな
結局それはただの幻想で「自分の正義では〜」というのを主語を社会にしてるだけ
なんの権利があって「昔は良かった」という人を犠牲にしろと言えるんだ >>641
そういう薄っぺらなポリコレ批判って世間から三周くらい遅れてると思うよ。
見世物小屋はいささか極端な例として出したんだけど、
それでも「障害者を見世物にしちゃいけない」というのは現代社会の普遍的価値観でしょ。
「自分の正義」じゃないよ。「社会全体の正義」だよ。
例えかつての見世物小屋に、単に悪だと言い切ることのできない
濃厚な人間文化があったとしても、そして心の中でそれを愛惜することは自由であるとしても、
その存在は現代社会の正義のためには犠牲になってもらうしかない。
いや見世物小屋は本当に極端な例だけどね。 昔は良かったなんていうのは、美化された過去の個人の感想なので、
思想的にはどうでもいいことなんじゃないの。むしろ、思想的に大事なのは、
昔の酷かった状態から解放される運動なり、プロセスであって。
ヘーゲル持ってきてもいいけど。 マルクスや蟹工船なら、搾取されて虐げられた労働者の状況からの解放としての
思想が成立するし、フーコーなら、隔離された精神病患者みたいな抑圧からの
解放を謳う思想として意義がある。
そこには、いずれにしても以前の劣悪な状態からの解放なり、進歩を探索するような
思想的な動きがあるのは自明でしょう。そこに思想の意義があるのであって、
昔は良かったなんて、王政復古なみのズレた発想。 あと、LGBTはマイノリティーのような括りで語られるのだけど、本当に
この人達はマイノリティーと呼べるのかが疑問。昔からそういう傾向の
人らはカミングアウトしないだけで大勢いただろうし、文学者であれば
三島由紀夫や折口信夫の同性愛とか有名で、フーコーもそうだけど、
別に極端に少数なグループという訳でもないだろう。勝間和代のような
世代さえ、カミングアウト出来るようになった。つまり、普通の存在に
なりつつあって、マイノリティーと呼べるかは疑問。障害者についても
同じ。障害のある人間なんて世界中に幾らでもいるし、むしろ、生涯を
通じて障害と完全に無縁でいられるような人間こそ、真のマイノリティー
だろう。
思想家であれば、せめて、このレベルで考えていかないとね。 >>645
「マイノリティ」という言葉をわざわざ「極端に少数なグループ」
「普通の存在」ではない人々と解釈して
批判するただの藁人形論法 「普通」って言葉使う時点で思想じゃないんだよなあ
千葉さんスレだし動きすぎてはいけないもう一回読み直せば? >>645
>生涯を通じて障害と完全に無縁でいられるような人間こそ、
>真のマイノリティーだろう。思想家であれば、せめて、このレベルで考えていかないとね。
こういう薄っぺらな逆説うんざり。御本人からの応答もある名物スレなんだから、
こんな低レベルな書き込みでスレを汚さないでくれと言いたい。 君の批判こそ無内容で薄っぺら過ぎだよ。自分が指摘したことは、マイノリティーは、自分たちが自意識過剰に思い込んでいるほど、別にマイノリティーでないだろと述べただけ。逆差別という言葉があるけど、マイノリティーという要素を
アイデンティティとして掲げて、それを過剰な権利として振り回すような主体のあり方は、逆におかしいんじゃない、と言ったまで。
Twitterとかでも、私、LGBTです、なんてプロフよく見かけるし、つまり、
それらの人たちはマイノリティーというほどの存在ではない。
それなら左利きもマイノリティーになっちゃうよ、くらいの話にあえて
縮減f正常化しているの。 千葉さんの思想はよく知らないけど、現代社会にはドゥルーズ=ガタリが批判した
ような父権的一意決定-抑圧システムなんて、もはや存在も機能もしていないからね。
だから、そこからの逃走線なり、アンチテーゼとしてのマイノリティーを掲げる
思想的な戦略というのが、さして効果的だとも思えない。
むしろ、マイノリティーという概念は妄想だくらいにみなしておけばいいんじゃない。
これをテーゼにするなら、「全ての人間はマイノリティーである」
トランプ大統領はマイノリティーである、芸能人はマイノリティーである。
オリンピック選手もマイノリティーである。マツコデラックスもマイノリティーである、
汚職する者、犯罪者はマイノリティーで、美人もイケメンもマイノリティーで、と、
正常と非正常の二項対立の再構築くらい、フランス思想の人だったら、簡単なんじゃないの。 >>649
いや、左利きはマイノリティとして苦労している人たちの典型だろ。
社会的な地位というより物理的な面倒が中心だから
思想的な問題になりにくいだけの話。 >>651
差別問題にも、アパルトヘイトみたいに少数が多数を支配差別する場合もあるし
女性差別のように同数が同数を支配差別する場合もある。単純な力関係を考えれば
多数が少数を支配差別する場合が一番多いから、そういうケースを
マイノリティに対する差別と呼んでいるだけ。 だから、ユニバーサルデザインのように、マイノリティーに配慮することは
当然、大切だけど、過剰に配慮し過ぎることで、逆差別へと転倒するのも
また拙いだろう、という指摘。だって、それはマイノリティーによる、マジョリティー
への抑圧として作動しうるんじゃない。乙武君がレストランに入室拒絶食らった
事件あったでしょ。あの体重を抱えて階段でシェフに運ばせるのは、逆に危険
な行為にもなるんじゃないかな。腰をおかしくする可能性もあるし、転んだら
責任も取れないでしょ。
あと、マイノリティーの存在は、生物の多様性の観点から言っても、種全体としての
生存戦略としても、むしろ、正常な状態なのだから、変に異質性や差異を強調して
それに訴えかけるのでなく、逆に全の点においてマジョリティーになっているような
平均人間の方が、むしろ稀な存在なのだから、ということを述べているだけだ。
性的マイノリティーが社会的な地位を獲得しづらいという問題があるのなら、
それは企業で障害者の雇用が一定率で義務になっているように、そういう
理由で雇用や昇進の機会がスポイルされないくらいの配慮というか、共通認識、
啓蒙活動であれば必要だろうし、今後、そういう意識が醸成されてくるだろう。 LGBTが性的マイノリティとして特徴づけられるのは
単に少数派で肩身が狭いということ以前に
LGBTが正常ではない一種の病気として捉えられてきた
歴史があることを忘れちゃいけない。
人種など他のマイノリティ問題と違って
マイノリティと呼ぶこと自体に偏見を是正する意味があるんだよ。 もうツイ消ししちゃったみたいだけど、たしかに最近の某界隈の京都学派の無批判の受容とそこに現代の魔法使いを味方に加えている様子は思想的に素朴すぎるし後退だよなあ
消さずに某氏が顔真っ赤にして反論してくるのも見たかったけど にゃんか、年末恒例の現代思想思弁的実在論特集で
京都学派を持ち上げる対談が行われてたにょだけは
記憶してるにゃ… 哲学は人生相談ではありません
哲学を語る人がなぜ他人に人生のアドバイスをしたがるのか、
その意味を考えてみることは哲学的に意味があるでしょう。
他人の親身になって、自分と同じ過ちをおかして欲しくない
と願っているから?それとも、他人の人生にアドバイスを
できるほど自分は賢明であると他人に認めてもらいたいから?
他人の人生のことなど分るわけがないし、自分の人生で
すら、別の選択をしていた場合にどうなっていたか、
想像することはできても、確実に知ることなどできない。
それに、親でさえ子供の成功を妬んで邪魔しようとするのに、
他人に失敗して欲しくないと心から思うほど親身になれるもの
なのか?しかし、たとえ本当にそのように親身になれた
としても、他人へのアドバイスが哲学になるなどということはない。 哲学は自らを映し出す鏡である。その限りにおいてのみ哲学は人の役に立つ。 ユニバーサル建築や地区はそんなに広いスペースはいらないでしょう。日本ではね。 そんなに広いスペースはいらないよ。でも、米国とかの基準で考えたら常識外の
小さな家で暮らしても、都会の新築一戸建て暮らしたら贅沢だと思われかねない
世の中。別に土地に縛りつけられているわけではないから、地方都市に家を
建てたら、はるかに大きくて快適な住宅が建てられるだろうけれど、やはり
住み慣れた土地を離れて、新しい地域で暮らすというのは人間関係が面倒
くさそう。特に現状で面倒な人間関係がない場合には、どれだけリスクが
生じるのか、そのリスクが回避可能なのか予測不能だからね。 結婚や仕事などで先に人間関係ができて、住居を別の土地に移すという選択肢
はありだろう。でも、先に住居を移して、そこで生じる人間関係に対応しよう
というのはネガティブな面ばかり想像されて面倒だ。 ソーシャル・メディアには他人に人生のアドバイスをしたがる人々が溢れているから >>645 >>649
君はLGBTについて
「昔から有名人にもいた」「極端に少ないわけではない」
「最近は著名人のカミングアウトも増えている」
という、そこだけを取れば間違っているわけではない部分を都合よく繋ぎ合わせて
ハリボテの詭弁を垂れ流しているだけ。
そして「LGBTはマイノリティというほどの存在ではない」
「左利きと大して変わらない」と堂々と主張するわけだが…
考えてみて貰いたい。誰もが生きていく上で向き合わなければならない、
家族や親類との関係でどのような困難が生じるかを。
同性のパートナーを親兄弟が承認してくれるか。
同性のパートナーを伴って親戚の法事に出席できるか。
「左利きのパートナーを親兄弟が承認してくれるか」
「左利きのパートナーと親戚の法事に出席できるか」などという問題は
生じようがないことからも如何に「LGBTの抱える問題」と「左利きの抱える問題」が
質の違う位相にあるかが分かるだろう。
部外者が言葉の遊びで
「LGBTなんて自意識過剰でマイノリティーを気取っているだけ」
「LGBTがマイノリティーなら左利きも同じだよ」
などと言うのは勝手だが、当事者からすれば容認できるものではない。
「薄っぺらい」と書いたのはそこだ。
自分はLGBT当事者として真面目に書いた。
反論するならはぐらかさずに真面目に答えてほしい。 それが自意識過剰と言っているだよね。他人は、他人の性的志向などに興味はない。
詮索的な田舎気質の住民が住む場所なら、多少は他者の視点が気になるのかしれない
が、基本的には気にしても仕方ないこだろう。
世の中には、身体障害で小人みたいな人がいる。でも、普通の身長にしたい思って
も無理だし、他人の珍しがる視線を防ぐことも同様に無理だから、受け入れるしか
ないだろうね。要するに、大変なのはLGBTだけではないだろう。盲目の人なんか
もっと大変だろう。君は視野が狭いんだよ。困りつつ生きている人たちなんて、
世界中に幾らでもいる。難病の人の方が余程大変だろう。故ホーキング博士を
見てみろよ。あれだけの重度の障害に負けないで、その生を全うしただろ。 >>668
重度の身体障害の人と比べてどうという話は元からしていない。
それはもちろんLGBTより重度障害の人の方が大変だろう。
しかし貴方の出した例は「左利き」だよね。それが不適当だと言っている。
もちろん左利きにも相応の困難があることは分かる。
しかしLGBTと左利きを同列に並べることは如何にも馬鹿げている。
その論法で行けば「近視」も「運動音痴」も「下戸」もすべてLGBTと
大して変わらないという主張さえできる。ありえない。
>他人は、他人の性的志向などに興味はない。
他人ならそうでしょう。しかし親兄弟、親戚となるとそうはいかない。
「親にカミングアウトできるか」「親がそれを受け入れるか」
「同性のパートナーを伴って親戚の集まりに出席できるか」
これらの問題は、興味があろうが無かろうが、必ず生じている。
赤の他人の問題じゃないよ、絶対に逃れることのできない親兄弟の問題だ。
ここが左利きなどと全く違う問題だという所以。
薄っぺらな詭弁家には何を言っても通じそうにないが。 へえー、今時、そんな親密な家族圏を生きている人達がいるんだね。
都市的な家族圏だと、家族間でも疎遠になりがちなので、たとえ、親、兄弟でも
今後は、そんなに問題視されないと思うよ。これからは核家族化や少子化、未婚化が
さらに加速するので、ますます他人の性的志向なんて、どうでもいいと感じられる。
近所付き合いがなくなると同様に、家族間、親戚間の付き合いも今後、ミニマム化
される。その意味は、個人の自由なり志向、嗜好を尊重していく社会になっている、
という意味だから、LGBTくらいで、あまりギャーギャー騒いだり、仰々しく
悩まなくてもいいでしょ、と言っているだけで、深刻になる程の問題ではない。
君が自意識過剰で、問題をいたずらに拡大視しているように見えたので、
あえて左利きくらいの問題に矮小化してあげて、バランスを取っただけだよ。 >>670
>たとえ、親、兄弟でも今後は、そんなに問題視されないと思うよ。
「今後そうなればいいだろう」という話と「現在がどうか」という話とが
区別できてないんでは。
LGBTが随分周知された現在ですら
「親戚の集まりに同性パートナーを伴って出席する」ということは
ほとんど「想定外」といっていいほど、有り得ないこととされてますよ。
それとも貴方の親戚や周囲ではそういうことが一般的なんですか?
貴方の会社には同性パートナーと暮らしている人がたくさんいますか?
会社はそれを福利厚生面で異性パートナーと同じ扱いにして認めてますか?
自分の周囲で実現してもいないことを、
「いや、もう一般社会では普通にLGBTを認めてますよ」などと言われても
「いや、現実は全然そうじゃないですよ」としか言いようがない。 にゃんか、読む気力をなくす大量の書き込み…
千葉しゃん… 中島ワクチンなんて表現されちゃうと東洋思想フォビアな俺も読んだほうがいいんかな、なんて思ってしまうな なんかLGBT の人は、感覚が保守的過ぎるんだよね。今時、同性愛ごときで
ドン引きする連中の方が時代錯誤の知恵遅れの変な奴なのであって、だから、
それ君の自意識負っている要素が実は多いんじゃないの、と指摘まで。
同性婚が法制化されれば、当然、福利厚生でも異性愛者と同じになるだろう。
小説だって、漫画だって、動画だって、同性愛のテーマなものいっぱいあるじゃん。
ホリエモン彼女は、女子みたいな容姿の男の人でしょう。別に、社会にそれで
迷惑かけているのでないから、全然問題ないし。人間失格という古いドラマを
見たけど、そこでも同性愛がテーマの一つにあったけど、かなり昔のドラマだよ。
それに、単なる同性の同棲パートナーに福利厚生が出る訳ないだろ。
LGBTなんて、ある意味、時代の先端行っているくらいに考えておけばいいんだよ。
そんなのを異形視するなんて、そっちの感覚の方が遅れ過ぎてて笑える。
明治時代じゃないだからw
LGBTレベルなんかで留まっていないで、AIをパートナーとして、AIと結婚する
くらいの先端的未来像くらい考えてくれよ。君の感覚は、遅れ過ぎている。 >>679
>今時、同性愛ごときで
>ドン引きする連中の方が時代錯誤の知恵遅れの変な奴なのであって
>そんなのを異形視するなんて、そっちの感覚の方が遅れ過ぎてて笑える。
貴方がそこまで「進んでいる」人なのであれば、俺としても特に言うことはない、
というよりそこには完全に賛同するわけだが…
しかし現に「進んでいない」状況の中でLGBTの人の抱える困難があり、
この困難自体は一つ一つ解決していかねばならんわけで、
一足飛びに将来の理想状態を提示して「まあいずれこうなるから」と言うのは違うと思う。
イジメやセクハラ、ブラック労働等で困難な状態にある人に、
「そんなの向こうが時代錯誤の知恵遅れの変な奴なんだから、笑い飛ばしゃいいんだよ」と
言われても解決にならないのと同じ。
まあここは当事者でないと分かりにくい部分があるわけだが…
取りあえず貴方には、上の引用のような考えが基本にあることは分かった。
今日はここまでにします。 >>679
さっきから君の書き込みは千葉雅也の思想と関係ないから
君はLGBTって単語で連想ゲームしてるだけ
お母さんにでも言ってろ フランソワ・ジュリアンは読んだような気もするけど、読まなかったような気もする。
たぶん、飛ばし読みして、一応は目を通したのだと思う。
なんというか、スタイルは違っても、井筒と同じように人畜無害の安全マークの付いた
思想系だったような気がする。 「日本再興戦略」ねえ… ことのほか怪しげだがw
しかも内容は身分制の肯定とか。それをまた奇妙に持ち上げて、
「身分や階級というのも、有限性の問題である。身分や階級の必要を言う議論は、
主体化と有限性の関係について考えている、と抽象化できる。」と、日本人の百人中百人が理解できない
晦渋な表現で煙に巻くいつもの千葉節。インテリが奇を衒ってトンデモに着地してしまう好例。
(本音を書いてしまい正直スマンカッタ) >>683
晦渋なのは否定しないが、有限性ってのは千葉がずっと言ってきたモチーフだしいちいち説明する義理もないだろう。
落合本に留保を示しつつ、自分の関心とリンクしうるラインを示したって話だろ。そんで、身分制というポイントを指さしたわけだ。
あと、晦渋とかそういうのを超えて一連のツイートが仮にマジで落合ヨイショに思えるなら深刻な読解力不足だから、素直に大学受験の現代文の参考書から取り掛かるのをオススメする。 下へも上へも身分の移動が制限されていう=人間の自由の非意味的切断=有限性
主体化はフーコー的な意味で言えば、権力に対して「主体的に」従属しているような状態、だから基本的には権力の転覆とかも従属した人間の考えの枠組みにそもそも入らなくなる
ここまで言えば身分とか階級っていうのは人間の有限性を主体化したものであることがわかるでしょ
上の書き込みにあるように落合批判の文脈ってことが読めないのはマジでやばいと思うけどね https://twitter.com/omnivalence/status/1010221843498717184?s=21
こいつ本当に恥ずかしくないのかなあ
ガブリエルの来日にも一ミリも関われず、関わった國分さんとか大河内さんに嫉妬する。國分さんに至っては小林秀雄賞受賞にもヤジ飛ばして千葉さんにたしなめられてる
自分もテクノロジー実装してないのに落合陽一とちょっと喋っただけで自分もテクノロジー実装してる人間の気分になってるし 哲学者が語る民主主義の「限界」 ガブリエル×國分対談
https://www.asahi.com/articles/ASL6L42BML6LUCLV007.html
(1)実際には行政権力が強大な力を持っている現代の政治体制で、
どのように民主主義を構想すればよいでしょうか
(2)立憲主義と民主主義の関係をどう考えればよいでしょうか
(3)主権に統治は可能でしょうか。
主権によって政治コミュニティーを統治することはできるでしょうか
(4)現代政治が主権の限界に直面する一方で、
主権を求める動きが日増しに高まっているこの状況をどう考えればよいでしょうか >>686
でも擁護する余地があるとすれば
そのクラスタは文春の編集者も含めて思想雑誌の囲い込みを優先してる所があるでしょ
介在してる編集者の存在が見えにくいからそう見えるんじゃないかな
独善的だったら教授のアカポスもらえてないし >>683
それほど晦渋とも思わないけど、あらゆる人間的事実は良いことも悪いことも
「主体化」と「有限性」によって説明できてしまう気がする。おまけに「抽象化」しても
いいんだから何でも来いだ。 千葉しゃん、落合しゃんとつるんでるにょ???
大丈夫かにゃあ 哲学や心理学が人間の理性の非均質性と限界を指摘しても政治や社会の制度は人間の理性に対する信頼をもとに構築されている
その人間の理性をめぐるミスマッチをどう解消するか
それへの答えとして身分制が出て来ても不思議ではない
人間の能力の非均質性と限界と人間の政治的社会的活動の非均質性と限界をニアリーイコールにすることが非合理であるとは思えない にゃんか、「昔は良かったというにょは心のなかだけにしておけ」といわれてるにゃ…。 「昔は良かった」という言い方は間違いなんだろう。
「昔はまだ希望があった」と言う方が多くの人々の実感に近いのではないか。
その希望がたとえ幻想に過ぎなかったとしてもである。 没落を実感することは、いつも繰り返されてきた。
没落が不可逆であったとしても、それが私的な世界の破滅であったとしても、
それは世界の終りではない。 私的な世界の持続可能性を世界の持続可能性と等号で結び付けるような
思考は幼稚だ。生物学的な人類が滅亡したところで世界が滅びることはないし、
他の動植物がすべて消え去るより、人類が消え去ることの方が確実に先だ。 人類が滅亡した時点で、環境破壊問題は消える。
環境破壊問題というのは、人為によって意図せずに自分たちに住みにくい
環境が生じているというだけの話に過ぎないのだから。 清水高志
日本文化の源底は、明恵だろうが空海だろうが道元だろうが宣長だろうが西田だろうが小林秀雄だろうが、
皆一つのところに繋がっている。
『古事記』の欠史八代はなんであんな断絶を孕んで綴られているのかとか、
それになんで宣長が感動しているのかとか、「文学は絵空事か」から虚構のまことを説く
晩年の小林までがどう繋がっているのかとか、
最近のガブリエルやラトゥール、ハーマンの虚構存在のオントロジーは何なのかとか、
全部根は一緒なのである。で、日本で本当に一流の教養人ならそのグルントに気がつくべき。
2018年2月11日
まぁ自分が意識してきた系譜と言うのは、もともと日本人がアニミズムや仏教を通じて考えてきたことと、
西田、そして梅原や吉本、中沢という流れかな。
でも西田の読み方も今度書いたものはこれまで現れたものとは全然違うものになっているんだよな。
2017年4月27日
今のインテリで、ドストエフスキーについては割と語るのに、
キリスト教その物とのつながりでトルストイとかワイルドとか、
あるいはヴェルレーヌでもなんでもいいけど、そういうものに全然繋がっていかないのまったく理解できない。
丸山真男とか、あんなもの読んでも読まなくても世界基準で
本当にどうでもいい。ただものを知っていることが下らないことだという鉱脈に辿り着かないと、
枝を払っていくという意味での教養では全然ない。
2018年6月5日
西田、シェリング、ジェイムズあたりは時代が変わっても哲学として今日性あるなぁと思う。
やっぱりベースとしてその辺を押さえておかないと。
2018年6月11日 言ってることが空虚すぎてすごい
誰かへの当てつけにしかなってない 男性間だってハラスメントは起こりうるよ。
ゲイの学生を教える機会だってありうるだろうに。 ハラスメントの問題をなぜセクハラに限定しようとするのか? デジタルネイチャーはたくさんの例を取り扱ってて興味深く印象に残ったが、脱近代とかメディアアートとか定義ぼんやりしててなぁ
ベンチャー投資家にはああいう文章が受けるのかな、と思った 社会科学的なメカニズムについてはほとんど知識がない(社会学とか経済学とかの古典は読んでるのかもしれないけど)ので結構素朴に技術ドリブンで世界が変わるって話に終始してるんだよね
千葉さんが言うように、人間そんな単純じゃねえw 社会哲学の必要が十分に理解されていないのは、社会哲学が統治権力に都合が悪い
ために学(ディシプリン)から暗に積極的に排除されて、イデオロギーによる訓化に
すり替えられてしまっているからなんだよね。別に「社会哲学」などという哲学
分野が特別にあるわけではなくて、哲学をしていれば、それは自らが生きる社会
の仕組みについての反省にならざるを得ないはずなんだけど、それが「哲学」と
いうディシプリンから「邪道」であるものとして排除され、なおかつマルクス主義
などの思想の研究という形でイデオロギーに包取され、イデオロギーによる訓化
からは哲学が排除される。 極めて単純な図式的な社会哲学としてはノルベルト・エリアスがあるわけだけど、
それすらまともに検討されることがなく、ノルベルト・エリアスの優れたところ
というのは、まとめられて整理された図式にあるわけではなく、それを構成しよう
とした取組みが別々のディシプリンを横断する開かれた性質のものであること
にある。 まず重要なのは、現状がどうあるのかという記述なんだよ。記述を厳密に
して、納得のいくものにするために哲学が必要とされる。問題に対する
個人の対処法としての答えを出すのが哲学なのではない。 学(ディシプリン)そのものが哲学を意図的に排除するための手段として
意識的に偽装して用いられている。いわゆるダブル・バインドという
やつだ。無論、ダブル・バインドである以上、それがダブル・バインド
であることを認めるような当事者はいない。 で、世の中の知識人は、「私が正しい答えを知っている、あなたは間違っている」
系の人々で溢れかえるわけだ。まあ、世界がどのようであるかを記述しようとする
態度ではないわな。 世界がどのようであるかを記述しようとする取組みには容赦がない。
それは、例えば、化学の実験を行って、その実験結果を記述しようとする
取組みに容赦がないのと同じことだ。しかし、化学の場合、サイエンス
として化学にコミットしている限り、結果が自分の期待どおりでは
なかったとしても、容赦なく結果を忠実に記述することには、
原理的には何の問題もないはずである。それどころか、期待に背く
結果を恣意的に記述から排除したとすれば、不正な記録を行ったと
される。ところが、世界の記述の場合には、そうはいかない。
容赦なくありのままに世界を記述しようとする取組みそのものが
不都合なのである。だから、常に「手心を加えて」記述できる範囲で
差障りのないように記述することを迫られる。しかも、その記述
の成功を評価されようとするなら、むしろ、あらかじめ差障り
のない記述しかしないことを目指すことになる。だから、
その記述は、評価されることの成功においてあらかじめ失敗を
運命づけられることになるのだ。 評価されることを目指す限り、世界を記述しようと試みることはできないのである。 サンキューまーさん。落合本の最大の副読本だわ。
ニックランドとかに補助線を張ってくれたおかげでさすがに読んだほうがいいのかってきになった。 たとえば小泉義之は落合本にどういうコメントを打つんだろうな。
そういうのを考えたら読み進められそうな気がしてきた。 バーチャル天皇制みたいなのは丹生谷がなんかで言っていたような気がする。
連投スマソ。 >>686
この人の選民意識の高さはどこからくるんだろうね まあ落合vs千葉でやるなら
この人もおもねるんだろうけどねw We're in the wrong place. 『亡霊のジレンマ -思弁的唯物論の展開-』 (2018/6/22)
カンタン・メイヤスー、千葉雅也 著, 岡嶋隆佑、熊谷謙介、黒木萬代、神保夏子 訳
1 思弁的唯物論のラフスケッチ
2 潜勢力と潜在性
3 亡霊のジレンマ:来るべき喪、来るべき神
4 形而上学と科学外世界のフィクション
5 『賽の一振り』あるいは仮定の唯物論的神格化
6 減算と縮約:ドゥルーズ、内在、『物質と記憶』
「メイヤスーの哲学は、ポスト構造主義から引き継がれたテーマ、キーワードを、
人間的意味を徹底的に無化する方向へとラディカライズしている」(序文:千葉雅也)。
来たるべき神と全人類の復活を謳う表題作から、議論を呼んだマラルメ論、SF論まで。
『有限性の後で』では表れなかった、メイヤスー哲学のもう一つの相貌。 一般化して批判すると、具体的な引用がないからダメだと拒絶し、
具体的に引用して批判すると差障りがあるからダメだと拒絶する。
これを繰り返すだけの単純なアドバイスが指導w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています