哲学は人生相談ではありません
哲学を語る人がなぜ他人に人生のアドバイスをしたがるのか、
その意味を考えてみることは哲学的に意味があるでしょう。
他人の親身になって、自分と同じ過ちをおかして欲しくない
と願っているから?それとも、他人の人生にアドバイスを
できるほど自分は賢明であると他人に認めてもらいたいから?

他人の人生のことなど分るわけがないし、自分の人生で
すら、別の選択をしていた場合にどうなっていたか、
想像することはできても、確実に知ることなどできない。
それに、親でさえ子供の成功を妬んで邪魔しようとするのに、
他人に失敗して欲しくないと心から思うほど親身になれるもの
なのか?しかし、たとえ本当にそのように親身になれた
としても、他人へのアドバイスが哲学になるなどということはない。