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(誤)「依存して生起したもの」
(正)「依存して生起するもの」


<説明>
 多くの概説書や辞書、事典類に示されている縁起の一般的語義は「依存して生起すること」
「縁って生じること」である。この「こと」というのは、通常、現象が起こる道理、原理、仕組み、
機制など抽象名詞としての意味を表すと考えられている。初期仏教や大乗仏教における縁起
の定義は、ほぼこの「こと」を指す。
 だがアビダルマ仏教においては、「こと」、つまり「現象が起こってくる原理」ではなく、「もの」、
つまり諸存在(諸法)を示す縁起の用例が拡がった。しかも「依存して生起するもの」という因や
縁を表すばかりでなく、「依存して生じたもの」という結果をも縁起という語で表すようになる。
 こうした定義の変遷を踏まえ、その語義の「幅」を示すため、「縁って生起すること」に「縁って
生じたもの」を付加した。これは前著『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(新潮選書)
の説明を踏襲したものだ。
 然るに本書では、他のページで「縁已生法(pratItya-samutpanna dhArma)」「縁已生
(paTiccasamppannA)」という概念を紹介している。これは本文(p.194 )でも述べている通り「縁に
よって生じた事象」、正確にいえば「縁によって生じさせられた存在」であり、要は「縁起の結果」
を指す。確かにアビダルマ仏教では「縁已生(法)」の意で縁起の語が用いられることがあった
が、このまま詳説なく放置すれば、読者の混乱を招きかねないと判断し、現状の「生起した
もの」「依存して生起したもの」を、「生起するもの」「依存して生起するもの」と訂正することに
した。(宮崎哲弥)