>>24
>>25
幸せとは「失った時にその価値に気づける性質」を持つという事はより多くの人の同意を得られるものだと思います。あって当然のものが無くなると喪失感を覚えるのは多くの人が感じた心理だと思います。
これにより快楽(依存性)とは異なるものだと言えるでしょう。

さて、他にも「幸せ」を感じられる・認識できる場合はあるでしょうか?
それとも、たったこれだけ???

それと、私は「幸せは快楽の延長である」とは考えてはいません。誤解です。

むしろそれが別物ではないかと疑問を抱いたのです。「幸せ」の将来を巡って、そこに本質的な幸せとただの快楽が混淆されたままではいけないと思ったのです。我々が見定めようとする将来が悲観的な世界になるのか、或いはそうならないのか、それは分かりません。
しかし、そもそもの「幸せ」とは何かというレベルすら合わせられなければそこには意見の対立が起こるだけです。だから問いました。
問題意識はつまりこういうことからです。
読みにくい文章で申し訳ない。