0901考える名無しさん垢版 | 栗砲2018/04/20(金) 10:42:08.990 「誰が得をするのか(Cui bono)?」という犯罪捜査の基本としてドラマによく 出てくる通俗的な考え方は、哲学的に考慮するなら、出来事(Ergeignis)を 自己化の現象としての「存在の投企」として解釈しようとする試みとして 理解することもできるのではないだろうか。結果として現れた出来事が 「誰に『よい』ものであるか(Cui bono)」により、自己が主体化されて 現象する。