数学を初めとした理系の学問と哲学について 10
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お前が馬鹿だから死ぬほど気を使ったんだよwww
専門卒の数学できないは異常。 質問するなら質問内容くらい理解してからこいよクズ。 ちなみに、僕が点数とれなかったのは、大学数学よりも数Uなw
大学では100点取って名前呼ばれたり、解くスピードが速すぎて皆の前で名前聞かれたりしたんだよな。
理解できてないのはお察しの通り応用数学の方だけれど。
中学の相似の証明さえもできない高専卒にいちいち電話されて文句いわれるのうざすぎw 理解しているのと解けるのは違うし、解けるのと理解しているのは違う。 >>113
高専卒→専門卒
高専出身の人は皆レベル高い。 テイラー展開も知らないやつに一生懸命説明してるのに上から目線でくんな。
さぞかし部下からも馬鹿にされているんでしょうね。 学校数学は数学だよ。学校数学が数学じゃないとかいえる人間は、
数学の博士とか物理系の大学教員だよ。
数学の勉強もやったことないくせにいちいちつっかかてくるな、馬鹿がw
僕も数学は忘れたからやり直さないといけない。
繰り返していないことは忘れていく。 頑張った人間が私頑張りましたとかいうかよ。
大抵、そんなに頑張ってませんとかいうだろw
それと同じで、あまりにもレベルがかけ離れていると、
適当にあしらうしかないだろw
数学はできない方だが、全くレベルが違いすぎて興ざめしたんだよ、こっちはw
本当の馬鹿に説明するのがどれだけ大変か分かるか。
小学生に教える方が楽だよ。
上から目線のやつに気を使いながら説明してんのになんなんだよw >>122
別にいいよ。ストレス発散したかっただけだから。 底辺だお!(о´∀`о)
ぷぴぴ!(о´∀`о)
数学できないお!(о´∀`о) 哲板みてると、板荒らしまくっているのは、たいていは数学できない奴。
数学ができないことと性格が荒むのには、何か相関関係があるのかもしれない。 なんなの!!!
底辺、ふぁいと。
ぱぴならー!!!(о´∀`о) 数学は常に注意深く深く考える必要があるからね
それが習慣になってる AIで数学科の人気凋落。
東大理一で最も人気のない学科になる
バカの行く学科。 だいたい、数学も碌にできない人間がAIを理解できる訳ないから。
(ついでに哲学もそうだけど)
GAN:敵対的生成ネットワーク(Generative Adversarial Network)で、
AI同士が騙し合いながら学習していくことも、ゲーム理論的な理解が必要だろうし、
数学全般がそこでも要請される。
AI化する社会だからこそ、そのブラックボックスに無力に飲み込まれないためにも
継続的な数学の学習は必要になるよね。 「AIの自己分割」も、極めて大きなAIの特徴。AIが成否判定を伴うような学習を行う場合には、
AIは自分自身を分割することがあります。たとえば、人が一人で学習する場合、自分で作成した
問題を自分で解いても学習効果はまったく期待できません。それは、答える側もすでに答えを
知っているからです。
しかし、ここがAIと人との決定的な違いなのですが、AIの場合には、問題に答える側と、
採点する側を内部的に完全に別プロセスに分割することが可能です。言い換えれば、
「1つのAI」という入れ物の中に、まったく人格が異なる2つのAIが内在しているイメージです。
こうして「別人となったAI」は、自分で作った問題もまったく新しい問題として取り組むことが
できます。そして、答えを知らない自分の出した解答を、答えを知っているもう一人の自分が
採点を行うというわけです。この仕組みを「AIの自己分割」と呼びます。 『マルチナ、永遠のAI。――AIと仮想通貨時代をどう生きるか』では、AIを搭載した
「AIDON」(アイドン)という名のペットロボットが登場します。しかし、「AIDON」は、最初は
何もできない、ただのガラクタのような存在です。
ところが、歩く、走る、吠える、眠る、お手、おねだりをするといった「分類されたひな形」の
動きができるようになるまでディープラーニングをさせると、やがては本物と区別のつかない
愛らしい「犬」に成長します。ただし、この「AIDON」の訓練や、その動きの合否判定を人が
24時間、365日観察するのは現実的な話ではありません。
こうした動きを伴う学習の場合には、片方のAIが目的に応じた動作を行い、もう片方のAIは、
その動作をビデオ映像や、内部的な3D空間によるシミュレーション映像として見ることで、
「分類されたひな形」に合致した動きなのかどうかの合否判定をします。そうした作業を
合格するまで、もしくは、合格してもスコアがより改善するまで何回も何回も繰り返します。
結果、ペットロボット型AIは、人の観察という手間を省いて、自ら本物のペットのように
成長することが可能なのです。 哲学には、フッサールの用語で間主観性(または相互主観性、共同主観性)
という概念がある。そうしたアプロ―チで人間は他者たちの目を通して、
真理性や真実に漸近できるのだけど、AIはそれを己の内部で自己分割を繰り返し
ながら他者性を作り、「間主観性」の構造を生成していき、真理性やリアリティー、
正解に近づいていける、ということになる。
そして人間とAIが大きく異なるのはその学習速度。人間が営々と作り上げてきた
囲碁の歴史2000年の内容を、AIはわずか数年の学習で凌駕してしまう。
将棋だとAIは自己対戦を700万局もこなして学習し、人間には理解不能な未知の手を
次々と発見した。人間だと毎日1局でも2万年かかる学習量だそうだ。 >>136
>人間が営々と作り上げてきた 囲碁の歴史2000年の内容を、
>AIはわずか数年の学習で凌駕してしまう。
そりゃあ、計算と記憶は機械の得意分野だもんねぇ…
電卓の方が人間より断然速く計算するし、
CDやDVDは人間みたいな記憶違いやらかさないし。 政治家と公務員の一部を早くAIに代替させるべきだね。
無能な政治家、非能率的なお役所仕事の公務員よりも、
AIが適確に、最適化された状態で滞りなく業務を遂行するであろうから。
イーロン・マスクの言うように、人類に残された時間はあと5年で、
その期間にAIによって人間が知的に凌駕・淘汰される可能性もあるけれど、
忖度や不条理、不合理や格差、不平等が蔓延している今の社会よりは、
その方がずっと良いだろう。 AIを楽観視してはいないけれども
この国の終わりが近づいていると思うとわくわくする 日本で一番不自由な場所はどこかと考えてみると、まず思いつくのは刑務所と皇室の2つかな。
皇室にいる人達は、ほとんど自由に行動出来ないのではないだろうか。
皇太子が、ちょっと、駅前のコンビニでグラビア雑誌買ってくるから!と自宅からSP無しで
気軽に出かけられるとは思えない。変装でもしないと無理だろう。雅子様だって、同じか、
元々民間人だから皇室スタイルに免疫がなくて、もっと大変だろう。だから、適応障害になる
事情くらい十分に推察できるはずなのに、結構、日本人はマスコミを含めて雅子様を
やたら悪く言うよね。なら、お前らが雅子様の代わりに皇室に入ってみろよ、
どれほど不自由で息苦しいか判るだろうから、という感じがする。 だから、天皇制などという理不尽な人権侵害さえ伴っているような旧態依然とした無理強い制度は
やめて、AIで、超絶的な知能と卓越した人格を有する「アマテラスAI」を作り、それを意味論的に
象徴天皇、国民統合のシンボルとして日本国民は今後、それを戴くようにすればいい。
そうすれば継嗣問題や男系女系がどうしたとかいう、よく判らない問題も一気に解決される
だろうから。要するに、国民統合のシンボルがあればいいだけであって、別に現人神のような存在者
を一人の人間に要請するのは、酷であるだろう。 アマテラスというのは、天照なので、すべてのものを分け隔てなく照らす陽光のイメージで、
なかなか良い呼称だと思う。世の中の多くは、分け隔てて、差別したり、イジメたり、
忖度させたり、依怙贔屓したり、阿諛追従したりして、その多くがアンフェアーに出来て
いるので、そうした既存の社会階層固定やランダムな運命の理不尽さを相対化する上でも、
「アマテラスAI」のようなものが日本に出来ると面白いだろう。
陽光のイメージ通りであれば、人種差別もなく、宗教や思想上の差別もなく、知能の高低、
美醜、障害の有無、学歴、貧富の差も関係なく、また人間でなくても、ペットでも、動物でも
植物でも、自然環境でも分け隔てなく遍く照らすというのも、好ましい感じがする。
これまで惰性的に容認、見過ごされてきた理不尽な格差は、どんどん是正していく。
そして、「アマテラスAI」から出て来る解決案は、凡庸な政治家や官僚たちの出す既得権益に
塗れた、それらを維持に汲々とするような政策とは全く異なっていることが考えられる。 AIてなんなのでしょうね。不吉な予感がしますが・・・・。 刑務所丼チケットの一食懲役と 皇居庭園デラックス弁当で解決。 宗教ではないけどね。単に世の中は最適化の原理で動いているので、よりリーズナブルな方向へ
自然と舵を切るであろうから、それを少し先取り的に論じているだけであって。
それが弁証法的な発展法則なのかどうかは判らないけど。 放射線処理のような業務は防護服に包まれた人間がやるより、ロボットで同じことを
遠隔操作でさせた方が安全で合理的。重労働の介護も同様。天皇のような負荷の高い職責も同様だというお話。別に身体性のある存在者がやらなくてもいいことは、
この世に一杯ある。退屈な単純作業や事務は、自動処理で機械やプログラミング、
マクロで処理すればいいし、もう、そうなってきている。
今までは慣習的に他の方途がないから、既存の方法でやってきただけであって。
家事や育児、教育、全般、仕事の仕方、人間の価値観、すべてがこれからAIで
大きく変容していく。 ロザリンド・フランクリンは、X線によるDNA結晶の解析で貢献した裕福で美人の女性だけど、37歳の若さで死んだのは、やはり、X線による被ばくの影響だろう。
人類史上で一番の高知能と言われるノイマンも、やはり原爆開発による被ばくで53歳で死んでいる。コンピューターの原型がノイマン型コンピュータであるから、
現代のテクノロジーの祖にあたる人物だね。
こういう危ない仕事は、ロボットにやらせればいいと。
建築現場、配送でも同じだと思うよ。別に事故のリスクや身体を傷めながら
人間がやる必要はない。これが、AIによる人間の労働からの解放=自由。
この段階から新たな価値観を作りましょう、となっていくのだから、
既存の物差しで間に合う訳が無い。 音楽もそうだよね。別に声帯に負荷を与えながらアーティストが喉に将来
ポリープを作るリスクを抱えながら必死に歌う必要もない。
たとえば、Orangestarというアーティスとは、IA -ARIA ON THE PLANETES
という音声合成ソフトウェアで楽曲を発表しているけど、人声に劣らず、
非常に洗練されているアルバムを提供していて、アマゾンのレビューでも
評価が高い。
つまり、歌は人間が歌うもの、ということでもなくなってきている。
人工音声では感動できないかというと、そんなことは全然ない。 >>28
哲学なんて、もう終わってるだろう。
過去を懐かしむだけが仕事 w >>153
AIでもロボットでも何でもいいけど、所謂「人工」に
対する否定的なメッセージは哲学も含めた人文系知識人文化人
のお約束だった気がするが、近年は完全にテクノロジー界隈に
取り込まれてしまったね。 >>155
なんで人工やテクノロジーが悪いと映るのだろうね。そう言われてみると、ソクラテスも
本を書かなかったのは、筆記というテクノロジーで記憶保持力が喪失されるからだと考えて
いたようだけど。
進化を否定するのが哲学の本領でもないだろうし。
自明性を懐疑に晒すのが哲学ならまだ分るけど。 自然主義的に考えても人間の進化は必須のプロセスだと思うよ。
なぜなら、生の自然状態は過酷で暴力的なので、人が生存するにはそれらを制御出来る
フィルターとしてのテクノロジーを持つ方を選択するのは、当然の選択だとも言えるから。
人類の大半がテクノロジーを使うのも、淘汰されないための、自然選択そのものだと
言えるのではないかな、と 携帯電話なんか、生の声じゃなくて人工音声だからね。 >>158
そうだね。音声は音波で周波数だから、人声を簡単な周波数成分に分解して、
データセットの中から近似したものを選択して、それを合成すれば、携帯の
人工音声で、それが有線の生の声と見分けがつかぬように聞こえて来る。
フーリエ変換などでも複雑な周波数を単純な三角関数の集まりやスペクトル分布として
考えて、周波数成分を分解していき、特定の周波数領域だけを増強したり、逆に、
特定の周波数領域をフィルタリングしてカットしたりする。
だから、フーリエ級数展開はsinやcosの級数展開として表現される。その係数は
偶関数や奇関数の性質が利用されている。
というより、物はすべて周波数だとも考えられるよ。
人間は人間の周波数で出来ている。AIはAIの周波数、野菜は野菜の周波数で出来ている。 疑問を問うこと。
その答えを求めること。
これら含めて哲学也。 (1/2)a_0 + Σ[n=1→∞](a_n cos(nx) + b_n sin(nx))
cos の係数 a_n : フーリエ余弦級数
sin の係数 b_n : フーリエ正弦級数 周期関数f(x)が区分的に滑らかである時、周期2πの関数f(x)で、
区間 -π ≤ π におけるフーリエ係数を求めてみると、
∫[-π→π]f(x)dx = ∫[-π→π]{(1/2)a_0 + Σ[n=1→∞](a_n cos(nx) + b_n sin(nx))}dx
= a_0∫[-π→π](1/2)dx + Σ[n=1→∞]a_n∫[-π→π] cos(nx)dx + Σ[n=1→∞]b_n∫[-π→π] sin(nx)dx
となる。
[-π→π](1/2)dx, [-π→π] cos(nx)dx, [-π→π] sin(nx)dx をそれぞれ計算する。 1/2とcos(nx)は偶関数なので、積分区間[-π→π]を2倍して[0→π]
sin(nx)は奇関数なので、積分区間は[-π→π]のままで計算する。
∫[-π→π](1/2)dx = 2∫[0→π](1/2)dx = 2[(1/2)x][0→π] = π
∫[-π→π]cos(nx)dx = 2∫[0→π]cos(nx)dx = 2[(1/n)sin(nx)][0→π]
= (2/n)(sin(nπ)-sin0) = 0
∫[-π→π]sin(nx)dx = ∫[-π→π]sin(nx)dx = [(1/n)*-cos(nx)][-π→π]
= (1/n)(-cos(nπ)-(-cos(-nπ)) = 0 なので、∫[-π→π]f(x)dx = a_0π, すなわち、a_0 = (1/π)∫[-π→π]f(x)dx
これで、フーリエ級数展開である(1/2)a_0 + Σ[n=1→∞](a_n cos(nx) + b_n sin(nx))
のフーリエ係数である a_0 が求められた。
a_nのフーリエ余弦級数とb_nのフーリエ正弦級数は、またの機会に ('ω')ノ >>166
じゃあ、これをa_0 = (1/π)∫[-π→π]f(x)dx を算数で説明してごらん なぜ「波」なのか、疑問に思う。
世界が無矛盾であれば波など生じないのではないだろうか。 算数しか出来ない奴は、数式見ると算数に見えるんだなw >>170
数学が出来る人が絶対に言わなそうな台詞 >数学を知らんようだなw
三角関数も出来ない馬鹿は、このスレ出入り禁止だと何度言ったら理解して
もらえるのかな。小学生レベルの虚勢でマジで笑えるし、君の頭の悪さには、
心底同情するよ へー、詭弁を駆使して言い逃れをするのを哲学と言うのか。初耳だな >>162<<165の続き
今度は、フーリエ級数展開である
f(x) = (1/2)a_0 + Σ[n=1→∞](a_n cos(nx) + b_n sin(nx)) ……@
のcos の係数 a_n (フーリエ余弦級数)とsin の係数 b_n (フーリエ正弦級数)を求める。
@の両辺にsin(mx)を掛けて、区間[-πからπ]で積分すると、
∫[-π→π]f(x)sin(mx)dx =∫[-π→π]{ (1/2)a_0 + Σ[n=1→∞](a_n cos(nx) + b_n sin(nx))} sin(mx)dx = (1/2)a_0 ∫[-π→π] sin(mx)dx + Σ[n=1→∞] a_n ∫[-π→π]
sin(mx)cos(nx) + Σ[n=1→∞] b_n ∫[-π→π] sin(mx)sin(nx)
となる。 sin(mx)とsin(mx)cos(nx)は奇関数なので、
∫[-π→π] sin(mx)dx = 0, ∫[-π→π] sin(mx)cos(nx)= 0
ここで、∫[-π→π] sin(mx)sin(nx)dx において、
m=nの時、2倍角の公式を使って、
∫[-π→π]sin^2(mx)dx = 2∫[0→π] sin^2(mx)dx = 2*(1/2)∫[0→π](1 – cos2(mx))dx
= [x – (1/(2m)sin2(mx)] [0→π] = (π – (1/2m)sin(2mπ) – (0 - (1/2m)sin(0)) = π
m≠nの時、和積変換公式を使って、
∫[-π→π]sin(mx)sin(nx)dx = 2*(-1/2)∫[0→π]{cos(m+n)x – cos(m-n)x}dx
= -1 * [(1/(m+n))sin(m+n)x – (1/(m-n))sin(m-n)x] [0→π] = 0 以上のことから、
∫[-π→π]f(x)sin(mx)dx = 0 + 0 + b_m ∫[-π→π] sin(mx)sin(mx) = b_mπ
すなわち、b_m = 1/π∫[-π→π] f(x)sin(mx)dx
同様な方法で、f(x) = (1/2)a_0 + Σ[n=1→∞](a_n cos(nx) + b_n sin(nx)) の両辺に
cos(mx)を掛けて、区間[-πからπ]で積分すると、
a_m = 1/π∫[-π→π] f(x)cos(mx)dx
が得られる。 じゃあ、算数だと言っている奴(負け犬)の心理分析でもしてみようか。
普通、そういう独自な考えがあるなら、哲学板らしく具体例を出すなりして、
そいつなりの数学と算数の違いを詳細に説明するはずなのに、ワンフレーズで
弱気な逃げを打っているということは、数学が出来ない奴がやっかみで絡んでいるだけで
、数学を算数に貶めたいというルサンチマンの発露を馬鹿なりに展開しているのだろう。
すなわち数学も出来ないド文系の負け犬が、ワンフレーズでキャイーン、と吠えているだけ
なのだろう。劣等感がすごいよね、アハハハハ 数式書き込むだけで勝った気になれるなんてやっすい人生だな 彼が理解も説明もできそうもない公式ってことではないかな リーマン解説も、ここだと豚に真珠になるだけだろうね。
リソースの無駄遣い。フーリエ級数展開が、数学じゃない、算数だと!と
言い張るガイジと養護学校レベルがいる始末なので。猿に数学は必要ない。
そういう低レベルの住民なので、ゼータ関数の鍵となるフーリエ変換をリーマンが
基礎づけたことも、もちろん知らないだろう。 小学校では数学を算数という名称で習うのは歴史の名残なんだろうか そうだったんだ
変数という概念の有無が算数と数学の違いなのかな 数学もAIも完全ではなく、穴やバグはあるだろう。ただ、世の中、バグのないものなど、
そもそも存在しないからね。人が病気になるのも、一種のバグだろ。人の心や考えも
変わりやすく移ろいやすい。かつて美しかった人が、今ではその面影さえない、
なんていうこともあるだろう。
ただ世の中の多くが不完全でありながらも、その中で数学は善戦している方だと言えるだろう。
政治は不安定、経済は不安定、国際環境も不安定、自然環境も社会も先行きも不安定の中で、
数学は群を抜いた安定感と一貫性を提示し、かつ、緻密な演繹を可能にする。
だから、人がクールでいるためには、数学的なツールと思想が必要なのだ。 そもそもティンの皮剥くなんて1人ですればいいことじゃない、なんで女中さんが必要なのよ。本当わけがわからないわ。 数学って実際は文系的だと思ってたけど望月新一のブログ読んで確信したわ そういう、n=1でエビデンスもランダム化比較試験(RCT)も伴わない確信が、
非理系的な思考なのだろうね。点の局所的思考から、面へと思考が全景・全体化する。
数人のアメリカ人の友達や知人から、局所的な報道から、アメリカ人とは***である、と
いきなり断じてしまう。全州のアメリカ人と付き合って判断したのならいざ知らず。
ただ、そうした飛躍や直観が一概に間違いだとは言えない。ただし、確率的には
疑わしい推論になりがちではあるけど。完全に無作為抽出という条件や十分な
大きさのnが得られているのなら、それは統計的な有意差として検定の対象になるけどね。 たとえば、評判の良いあるレストランの存在を知ったので、そこでランチを取った。
でも、それは期待に反して大して美味しくなかった。
この時、「このレンストランの食事は大したことはない」という、その人の
判断は正しいのか否か。
たまたま、その時に出されたメニューが、見習いが作った等で良くなかっただけで、
その他のメニューは美味しいという可能性が伏在しているかもしれない。または、
自分の味覚や味蕾が、その日に限って調子が悪かった、ということもあり得る。
そうしたその他いろいろな可能性を全部捨象して、
「このレストランの食事は大したことない」と決めつけて
しまう、ということが認識上のバグや盲点として、意外と、あるのかもしれない。
哲学的な認識は、そういう風に対象を微分的に見れるところがありそうだ。 そもそも文系理系の性質なんて本質的には決まってないんだからそんな風に言われてもな
行為遂行的な意味を読み取れないいかにも理系的な反応って感じ
というのももちろん行為遂行的なアイロニー そもそも哲学は理系的な学問であると思うよ。自然とそこから感覚される一般的な感覚と、
その自然科学的な記述や法則に大きなギャップが感じられるように、哲学も現象と、
その哲学的な記述には大きギャップがある。そして、これらの両者に共通しているのが
抽象度の高さであるので、数学的な精密な思考やツールがそこで用いられる。
だから、数学も出来ないで哲学とか叫んでいる人間見ると、失笑しか感じないね。
それは単なる恣意的な妄想に、哲学の名を冠して自己満足しているだけだ。
数学もできない緩い脳みそで、一体なにを哲学出来るんだか。 1/2(J(x - 0) + J(x + 0)) = (1/(2πi))∫[a-∞i → a+∞i]{logζ(s)/s}x^s(ds) ( a > 1 ) 論理的思考の産物である数学は今や哲学の手から離れているけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています