人間は、「生の現実」を直接的に体験・経験しているのでなく、知識でフィリタリングされた
「加工・解釈された現実」を経験しているので、その人の知識のレベルによって、
世界の見え方や捉え方が大きく変わる。だから同じ対象を観察しても、イデオロギーが
違う者たちにそれを解釈させると、その見解や見え方が大きく異なったものとなる。
だから、それを端的に言えば、人は対象を「生の現実」としてニュートラルに見て判断・理解
しているのでなく、自分の知識を対象に投射してモノごとを判断・理解している。

たとえば、数式が理解できない者には、それは、ただの意味不明な記号の羅列で無用な
ノイズとしてしか感受されない。あるいは、それを一種の文様やデザインと見て、そこに
美を感受することがあるかもしれない。

生命でも、塩基配列や染色体、DNAの知識がある者は、よりミクロなレベルで生命を
科学的に理解できるの大して、未開人であれば、それらすべてを「マナ」という神秘的な力の
表れとして理解するかもしれない。