>>477
その抽象化による認知コストの節減とは結局のところ知的不誠実に過ぎない
抽象化能力こそが人間の自由な思考の根源であると同時に人間の思考の陥穽でもある
>>475で言っているように抽象化を否定しているわけではない
抽象化の利点を強調し抽象化の欠点を見落とすべきではないと言っている
こだわって恐縮だが端的な例が判例法理で事案が抽象化され判例が適用される時リーガルマインドは矛盾する
リーガルマインドにおいて人間は誰でもない甲や乙として扱われることになり具体的な人間としての山田太郎や鈴木次郎としては扱われない
つまり憲法が重視する個人の尊厳という思想と矛盾する
抽象的世界としてのリーガルマインドにおいては個人が存在しないが具体的世界には甲も乙も存在しないのである
特に民法においては第2条「この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない」と規定されていることを見逃すべきではない
>>477の「コンピューターでも同様」というのもほぼ同じで認知の節減という点に注目することで人間の認識や思考とコンピュータの情報処理との差異が隠蔽されている
つまり人間の認識や思考とコンピュータの情報処理とが同一化されることで個人の存在や憐み等の人間の感情が考慮の外に置かれてしまう
コンピュータ上では人間は誰でもない統計的なものとして扱われるが具体的世界には誰でもない統計的な人間は存在しない
経済学や心理学や社会学もまたそうであると言ってもいい
これらは抽象的世界を語っているに過ぎないのに具体的世界を説明した気になっている
我々は抽象化能力の可能性を認めながらもその限界を確定しつつ抽象化によって考慮の外に置かれたものを再度思考の中に取り戻さなければならない
それこそが誠実な知性であるし抽象的思考の新たな可能性を開くつまり新たな論理(理論ではなく言葉と言葉或いは命題と命題のつながりのこと)の在り方や思考法へ向かっていくことになる
あくまで観念論の立場を維持しているので抽象化能力を進歩させていけば具体的世界を認識することができると言いたいわけではない
要はもっとちゃんと考えろということ