数学を初めとした理系の学問と哲学について 10
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哲学は回答ありきなので 回答出来ないことを期待した質問は一番やっちゃいけない The Cambridge Companion to Heidegger's Being and Time https://books.google.co.jp/books?isbn=0521895952 Mark A. Wrathall - 2013 - History The early Heidegger's name for the inevitability of that togetherness is “thrownness” (Geworfenheit); the later Heidegger's name for it is “appropriation” (Ereignetsein, Ereignung, Ereignis); and in both cases, that into which man is thrown or ... 自然概念史論: - 371 ページ - Google ブック検索結果 https://books.google.co.jp/books?isbn=9863500550 無疑,「Ereignis」一詞也出現在海コ格之早期著作中。不過,粗略而言, 於《存有與時間》之前的其他著作或講課中, ... 換言之,將「Ereignis」翻譯成「事件」(event)頂多只能適切於早期海コ格。 "Sein ist durch das Ereignis ereignet" "Sein ist durch das Ereignis ereignet" でき(出来)る、ゆえに我あた(能/値/与)ふ >>692 これは、アガンベンの「身体のウソ」に対する私の応答でもあるわけです。 アガンベンは、ハイデガーのドイツ語の著作に対してイタリア語で応答 しているのだし、ハイデガーは、アリストテレスの著作などのギリシャ語 で書かれた哲学に対してドイツ語で応答しているのだから、アガンベンの イタリア語を用いた呼びかけに対して私が日本語で応答していけない道理 はないでしょう。 他者の著作に対して忠実な代弁者として地位を認められようと競い合う などということは、哲学の営みとはかけ離れているし、僭越であさましい ことであるように私には感じられる。イタリア語やドイツ語の呼びかけに 対して、日本語で応答したからといって、それが相手に敬意を欠くこと になるとは私は思わないし、言語の違いを障壁のように利用して自ら の権威を高めようとするより、ポエマー的感性を磨いて、見掛け上の 障壁を解体しようと努めることのほうがはるかに生産的で、呼びかける 相手にも真摯に応えることになるのではないかと思う。 手続や論理は内容の正統性を保証しても正当性は保証しない 論理は哲学の正当性を保障する方程式ですから、齟齬を防ぐには 解釈から抽象化したポエムや思想は哲学の正当性が 議論の外になる故、不適切でしょう 解釈癖より アンチクリスト後の方が大事というわけか。 数学の対象と定理は、物理的な世界がそうであるのと全く同じように、私たちの自由な選択や 創造的行為から独立した客観的存在であるということである(数学的実在論)。 しかし、この結論は、これらの客観的存在とは何なのか、特にそれらが自然界に存在するのか、 人間精神に存在するのか、それともどちらでもないのかを定めるものではない。 数学の本性に関するこれらの3つの見解は伝統的にはそれぞれ「プラトン主義」、「心理主義」、 「アリストテレス的概念主義」と対応している。すなわち、数学的対象とそれらを認識する方法は、 物理的あるいは精神的対象と自然法則を認識する方法と本質的には相違がないという見解だ。 これに反して、真実の状況は次のようなものである。 もし、数学の客観性が仮定されるのならば、数学的対象は感覚的対象とは全く異なるもので なければならないことが直ちに導かれる。それは、次のような理由による。 客観的に見てみると、何かが写ってしまうし、客観系のテストでは、 答えが必要になる。故に主観が常に勝っている。 (1) 数学的命題は、それを厳密に分析すれば、時空世界の現実については何も断定していない。 このことは特に「昨日は雨が降ったか、または、昨日は雨が降らなかった」のような現実命題を 考えてみれば明らかだろう。だだし、この理由はこれらの条件を満たすような数学以外の純粋に 概念的な知識の存在を排除するものではない。 (2) 数学的対象は正確に認識でき、帰納的ではなく演繹的推論による確実性をもって一般法則を 認識することが出来る。 (3) それらは原理的に感覚を用いることなしに、理性によってのみ認識出来る。このことから、 それらは感覚が私たちに与える現実については関与せず、ただ可能性と不可能性のみに 関与しているのである。 哲学は、「劣状にあること(being minor)」を主題化することによって、つまり、 「われ(minor-being)」を前提とすることによって、議論の論点を先取りしては ならないのである。 「私の痛みは他人には分らない」というのなら、自らが経験した過去の痛み も、予期される未来の痛みも感覚として現前していないのだから、分らない はずである。また、「私の痛みは他人には分らない」のなら、痛みだけで なく、同様に私の寒さも暑さも「他人には分らない」はずである。さらに、 その痛みはなぜ「私の痛み」であり、「他人の痛み」ではないと分るのか。 それが「私の痛み」となるのは、他人がそれを感じていないように見える という判断によってではないのか。他人がそれを感じていないように、 それを感じていない状態があり得ることによって、その痛みは私の痛み となるのではないのか。 感覚として現前していない、自らが経験した過去の痛みも、予期される未来の 痛みも分るのなら、他人の痛みも経験から分るのではないのか。 「私の痛みは他人には分らない」というのは、相手の劣情に訴えるためのレトリックである。 私の痛みはあると分かるかもだけど 他人の痛みは行動心理的な情報によって推測することしか出来ない 他人にとって論点さきどりになっているかどうかの判断まではできません だったら、暑い日も寒い日もなく、 「他人の暑さ/寒さは行動心理的な情報によって推測することしか出来ない」ことになる。 人間間の心理障壁が存在しないなら人間はとっくに絶滅してるよ たぶん、デカルトやライプニッツは、数学が完全あることの偉大な保証人に、形而上学的な神を 持ってきているんのだろうね。「数学の哲学」のメイヤスーはデカルトと同様に、数学を絶対化 しようと試みるけど、その方法はデカルトとは違って、非形而上学的に、すなわち科学的に数学を 絶対化しようとするのだろう。メイヤスーの考えは、数学を用いる主体は別に人間でなくてもよくて、 たとえば、それはチューリング機械のような機械であったり、AI、エーリアン、何かの偶発的な知的存在 であってもいいのだろう。そのように数学を扱う主体やエージェントが異なっても、そこで使われる 数学の体系は同じなので、数学の絶対的真理性は、人間不在の宇宙においても不変だと、考えているようだね。 自分は、数学の考え方はゲーデル派なので、数学は不完全であると考えている。ただし、 数学は不完全ではあっても、現象の客観性へと漸近するのには、他にはない強力なツールだと 思うので、数学は不完全だが、完全性への契機を常に伏在させている、とそれを逆説的に 表現してもいいだろう。AIのブラックボックス化なども、この数学の不完全性と整合する要素が ありそうだし、未解決問題(たとえば、ゴールドバッハ予想)の存在なども、数学の完全性には 未だ未知数のあることを窺わせる。 そして、哲学においても数学の有する論理性は重要なので、数学が最も哲学的な思考に 適したツールだと思っているよ。 不完全性定理の「不完全」って言葉の意味わかって言ってるのか 数学応用したような学問、経済学とか経営学とかと哲学は戦うべきじゃないか。 これ以後。 このスレでは数学のできる真人間がなかなか現れて来ないので、集合の直積で、 関係行列でも作ってみようかな。 関係行列は、A = {a1,a2,a3,…,am}, B = {b1,b2,b3,…,bn} とおいて、 R ⊆ A*B の時、(i,j)成分が R_ij = { 1 (a_i,a_j) ∈ R , 0 (a_i,a_j) ∉ R として定義された行列をRの関係行列とする。 A = {a1,a2,a3}, B ={b1,b2,b3,b4} として、 R = {(a1,b2),(a2,b1),(a3,b1)} ⊂ A*B S = {(a1,a1),(a1,a3),(a2,a1),(a3,a2)} ⊂ A*A [すなわち、A上の関係] ここから関係行列Rとその逆関係にある関係行列R^-1、関係行列Sとその逆関係にある 関係行列S^-1を求める。プログラミンで、この関係行列を求めてみよう。 from visual import * R = array(([0,1,0,0],[1,0,0,0],[1,0,0,0])) ; print 'R = \n',R R_2 = transpose(R); print 'R^-1 = \n',R_2 S = array(([1,0,1],[1,0,0],[0,1,0])) ; print 'S = \n',S S_2 = transpose(S); print 'S^-1 = \n',S_2 R = [[0 1 0 0] [1 0 0 0] [1 0 0 0]] R^-1 = [[0 1 1] [1 0 0] [0 0 0] [0 0 0]] S = [[1 0 1] [1 0 0] [0 1 0]] S^-1 = [[1 1 0] [0 0 1] [1 0 0]] となって、関係行列R,R^-1,S,S^-1が各々求められた。関係行列のポイントは、要素同士で 関係がある項は1、関係のない項は0と、1と0だけで2者の関係が行列として表現されること。 あとポイントは、関係行列Xの逆関係である関係行列X^-1は、転置行列で表せる。 つまり、それは行列の(i,j)である行と列を入れ替えただけのもの。だから、プログラミングで transpose()という転置行列を作る関数を使っている。 関係行列を使って、哲学と数学の関係を表すことも出来そうだ。たとえば、両者とも論理性を 要求されるから、その要素には1の値が入るだろうと、いった感じでその関係を関係行列でも 表せるだろうね。 >>723 証明済のものにゲーデル派もくそもないだろ アホかおまえはw >>関係行列を使って、哲学と数学の関係を表すことも出来そうだ。たとえば、両者とも論理性を 要求されるから、その要素には1の値が入るだろうと、いった感じでその関係を関係行列でも 表せるだろうね。 ( ´,_ゝ`)プッ 行列の各行を第1成分、各列を第2成分として考える。 最初のRの場合は、行列の各行が(a1,a2,a3)に対応していて、 各列が、(b1,b2,b3,b4)に対応している。その要素間で関係がある要素には1が入り、 関係ない要素には0が入る。 ゲーデル派というのは、数学における哲学的な考え方がゲーデルと同じと言っている のだよ。つまり、バカは君である。 >>734 なにこっそり修正してんだよ みっともねーw ごめんね、察してあげなくて、悔しかったんだね。 いいよ、キミが三角関数できない馬鹿でも、寛大な心で許してあげるよ >>三角関数できない馬鹿 もはやワンパターンすぎてbotの域 >>721 (それって興味のある人にしか聞いてないんじゃない?) ほざく割には意外と簡単な数列だな。モナドなんて現実逃避 の限界文明のいいわけじゃないか。 なんでこのスレ、数学の出来ないバカとゴミtしか来ないんだろう。 なんか、そういうのを引き付けてしまう要素でもあるのだろうか。 なぜかってそりゃあ哲学と数学を切り離して考える人が多いからでしょ むしろここで燻ってないで色んな場所で情報発信すればもっとあなたにとって質のいい議論ができるってもんだ 数学なんて暗唱なんだからなんで筆記するんだよ。的なことがわからないから 日本に教育の無駄がわからない。書かせてもらってるわけで、書かれてしまっているからね。 >>743 いや、見たところ数学が出来ないだけでなく、荒らしスレばっかりで、哲学的な素養もゼロだと思われる。だから、これらの連中が、なんでここに書き込みをしたがるのか摩訶不思議だよ。こいつらには教える一方で、何も教わることないもん ゲーデル派君は不完全って単語をどういう意味で使ってんの? >>684 自身の解釈が必須。 無ければただのコピペ。 >>696 それはその通り。 ただ、解釈は具体的に示されなければならない。 >>745 これは仕方のないことかもしれない 恐らく原因は「需要過多」 哲学的素養の供給側がこのテーマに興味を持っていない可能性が高い >>698 客観的存在とは仮定的存在である。 イデアを見つめる視点は、その系の外に有る、という前提がある。 その前提自体が仮定。 >>696 論理って言葉の意味わかってるか? ソクラテスは人間である 人間は死なない よってソクラテスは死なない この論証は論理的だが間違いだぞ ちゃんと理解できていないのに雰囲気で書くから指摘された時に慌ててこっそり修正といういつものパターン 早く、数学と哲学が両方出来る真人間が来ないかなあ このスレには、両方出来ない奴ばっかりだからなあ。 正直者で素直である事は人として大事 指摘されたら間違っていたことが納得できたら認めるべき 納得できないなら納得できないことを伝えて暇潰しか愛ゆえか分からない罵りを受けながら反省しよう 待ってるだけじゃダメだよ 真人間はこのスレの状態を見て察してさようならだよ >>754 お前がその真人間のいる所へ行けばいいじゃん このスレでよく見かけるのはブランショの超劣化コピーのような連続スパム、 訳の分からないポエム、板違いを連呼する哲板常駐の荒らし、 要するに、学問への愛が著しく低そうな連中がのさばっている訳だ。 なんで学問嫌いなのに、学問板に来ているんだよ。バカ共が 荒らして構ってもらいたいのだろうけど、バカ過ぎるからな バカがバカの相応しいとこに行くべきだろ 「悪貨は良貨を駆逐する」、ってホントにあるんだな >>759 理解できないから精神勝利しようとしてますか? ボクちん数学とプログラミング出来るんだぜ?すごいだろ?ほめてほめて! ↓ はぁ?哲学板で何言ってんの? ↓ さ、三角関数も出来ない馬鹿(涙目) このパターン何回やれば気が済むんだろう?w プログラミングなんか小学生でもやるよ。そんなことに劣等感を刺激されるほど、 お前は根源的な低能だということ。さすが、三角関数さえ出来ない低能だけあって。 お前、荒らししか出来ないのに、なんでこの板に居座るんだよ、生きた粗大ゴミ。 だから何?としか言いようがないものを得意気に連投して教えてやってる気分になれるんだならお安いやっちゃな 哲学板では趣旨が数学にある話をしてはいけない このスレの趣旨はスレタイを見る限り「数学を初めとした理系の学問」を含んでいて、また「哲学」と並列関係に置いてよい つまり、このスレで数学の話をすることは哲学板のルールに違反しているがとスレタイのルールには違反していない >>関係行列を使って、哲学と数学の関係を表すことも出来そうだ。たとえば、両者とも論理性を 要求されるから、その要素には1の値が入るだろうと、いった感じでその関係を関係行列でも 表せるだろうね。 >>765 じゃあ、お前の哲学、聞いて上げるからここに幾つか書いてみて? ほら、荒らしてばかりでなく、1万回に1度くらいなら、奇跡的に内容あること 書けるだろ。それさえもできないの? お前、無知無学で何にもまともなこと書けないから、やっかんで荒らしているだけだろ。だから、板違いとか連呼するしか出来ないし、それがお前の荒らしの哲学だろw >>766 必死すぎて日本語になってないよ 書き直し ここはいつからおれ哲学を開陳するスレになったんだろう? スレタイも読めない奴は困るなぁ >>770 逃げんなよカス。そうやって逃げ続ける底辺ライフを一生送ってろ 哲学板では数学の話をしちゃダメ にも拘らずスレタイでは「数学を初めとした理系の学問」と「哲学」が並列関係で結ばれてる 数学の話はせざるを得ない 時として高圧的な態度が発言内容の印象を悪くする 数学が悪いのではなく数学を語っている人に問題があることを認識してほしい >>776 馬鹿です 馬鹿でも分かるように言わないと分からないかもよ 理系の学問と哲学についての「と」を、並列と読み取るバカがいるとはwww こういうやり取りみても分かる通り、こいつらって数学にも哲学にも基本的に興味ないんだよな。 ただ、じゃれあいたいだけで。だから、下らない書き込みをバンバン飛ばしてくる。 他人に何も期待していないから、別にそれでもいいけどさ >>778 ごめんなさい じゃあどんな意味なんです? >>他人に何も期待していないから、別にそれでもいいけどさ さんざんファビョった後にリセットしようとする奴 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる