現生人類も生物として見れば、他の動植物とたいして変わらないわけです。
所与の或る環境で他の生物の集団や個体はあまり見られないのに、ある特定
の集団の生物が繁殖している、またはいくらかの個体が生存しているとする。
その所与の環境が、その特定の集団またはその特定のいくらかの個体に
比較的に有利であるかどうかは、他の集団または個体はそうではないのに、
その集団は繁殖している、またはそれらの個体は生存しているという事実
自体によって示される。人がその様子を観察しても、その集団やそれらの
個体が、「不利な状況にもかかわらず」他の集団や個体よりも「いっそう
努力したから成功している」などとは微塵も思わない。ところが、
同じようなシナリオを自ら、または自らも属する集団に当てはめた場合、
自分、または自分たちは、他の人々とは比べものにならないほど「特別に
努力したから成功しているのだ」と主張することが当たり前のように
行われる。ここには明らかにダブル・スタンダードがある。しかし、
重要なのは、ダブル・スタンダードを拒絶して、記述をノッペラボー
なものにすることではなく、むしろ、そのようなダブル・スタンダード
がどのように相互に利用されて社会が組織され、動いているのかを
適確に記述することだ。