穢れ(氣枯れ)はやはり山の中を歩くのがいい
この季節は既に秋終焉
山から沸き出たせせらぎの傍にはクレソンの若芽
少しだけ摘まんでその力(りょく)を頂く

さて昨日の逍遥派の思索
光の道を歩む男と女について考えた
ネットでは出会った二人は最終的には結ばれるとある
しかしこの結びが生活に伴った結婚生活であるとは限らないともいわれる

深く考える
たしかに才長けて能ある二人が出会えば強く惹かれあうのは必然的
だがここに生活という基盤が生じた時その力関係は脆くなりやすい

二人の才女を思う
晶子とかの子
どちらも煌めく彗星、明星となりにけり
かたや光の子を産み育て、もう片方は太陽の子を産む

最初はどちらも夫を立てる役割であったが
いつしかそれが逆転

その期間にかの子は仏の道に開眼し
晶子は女性解放運動の道を往くこととなる

夫たちは世上で名を馳せてはいるが
逆転後はかいがいしく妻の世話をしたり、妻に養ってもらうこととなる

しかしこの二組の夫婦は紛れもなく光の道を歩んだ夫婦なのである