孝明天皇は極度に外国人を恐れ、攘夷主義者でした。彼の即位直後からの
反外国感情は、終生変わることはなかった。外国人が一人でも日本の土を
踏めば、八百万<ヤオヨロズ>の神々がどんなに怒るかと考えていましたから、
幕府の開国政策には激しく反対します。ペリー来航の知らせを受けた際は、
七社七寺に十七日間にわたって一刻も早く日本から去るよう祈願させた。
またタウンゼント・ハリスと幕府の間で日米修好通商条約が結ばれたこと
に激怒した際は、天皇をやめるとまで言い出したのです。もちろん外国人
に会ったことなどあるわけがない。ところが、明治天皇は即位(※16才)後、
わずか一年経つか経たないうちに外国人に会っている。

奥の女官たちは、天皇が外国人と会うなどもってのほかと泣き叫んで激し
く抗議します。なかには、侍医が天皇の発熱を心配しているからと理由を
つけて延期を画策した者もいる。しかし、彼はそれを無視して外国人に会
っていました。