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論理哲学論考について
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0029考える名無しさん
垢版 |
2018/12/08(土) 21:26:08.100
「さく」が離れるというイメージで用いられる場合というのは、現代語で
言えば、「遠ざかる」とか、「仲を引きさ(裂)く」とか、「さ(避)けて
通る」とかでしょ。そのような場合にもやはり、「引き離す(/離れる)ように」
という「さく」のイメージのインデックス性が利用されている、または
少なくともそのようなイメージと矛盾しないような用法で使われていると
考えるのが妥当ではないのか、と私は思う。で、問題は、一律に「離れる/
放つ」などと解釈されている、古語における「〜さく」が一律にそのように
用いられていると考えられるのか、ということだ。
0030考える名無しさん
垢版 |
2018/12/14(金) 20:21:50.460
788 :神も仏も名無しさん :2018/12/04(火) 05:06:42.70 ID:9iUKMS+5
サティは善いことをたくさん語るが、それをやらない。
サティは悪いことをたくさんやるが、それを語らない。

『サティの論理哲学論考』
七. 悪いことについては、語らず只やる。
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