キリスト教の哲学は何故ショボいのか???
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しょうがないよキリスト教を信仰するのって馬鹿しかいないんだから。 まず、最強でも最弱でもない、一兵卒を戦う。
次に最強の一兵卒で戦う。
次に最弱の一兵卒で戦う。
それで敵の強さの索敵をして、残りの兵士全員で相談して作戦を練る。
強い作戦は知の平等の最賢の多重層結界の作戦だが、それを作る連絡通信情報網ができていないので、
みんなで相談して作戦を練ってれば、それはそういう作戦だからだ。
その作戦であとはみんなの本音と良心を信じて戦う。
それだけで負けても日本は幸せになる。 問題は三位一体と
罪を被ったという理屈
http://seishonyumon.com/words/3715/
例えばこの解説は
キリストが進んで殺されたということを
状況としては説明できているが
人類の罪の生贄という話につながるのは意味不明
わけわからんがキリストの気持ちはそうだったと思う、
と言えばいいだけ キリストの後世に生きる人の
犯罪やらしくじりが
個人の自殺行為ひとつでどう変化するのか
全く理解不能 >>8
でもそれだと救われるの意味が
はっきりしない
救われないとどうなるん? シドッティは新井白石に軽く論破されてるくらいだから。 >>10
外国人相手に漢語混じりの難しい日本語話で勝利宣言しただけだろ
はい論破wとか言ってるレベル 1873年のパーナドゥラ論争でプロテスタントの牧師はスリランカの僧侶に論破されてる。 キリスト教は第一に信じなければならないことが多いからな
その前提を指摘すればいくらでも論破できる スリランカの僧侶が凄いというより、キリスト教がショボいと言うしかないな。
インドとか向こうの宗教は、論破してねじ伏せるスタイルだから。
スリランカのテーラワーダが特別じゃないし攻撃的でもない。攻撃的なのは、インド宗教全般に言えること。 人間のバカな頭で理解できることなど何もない
世界は神秘に満ちている 逮捕や磔刑がドラマティックで、最高潮かというと、
また違う。不可能事な失敗でもないし、とばし読みでもよいぐらい。 神学大全ってめっちゃ大部なんじゃないの?
聖書の影響か?
って感じなんだけど。 日本語訳で45巻
原点回帰はトマスが著作放棄したので未完 唯一の神が三つの位格(ペルソナ)においてご自身をお顕しになったということは、人間の理性から生まれた事柄ではなく、神ご自身の決断と方法によって、ご自身を明らかにされた「啓示」なのです。
永遠なる神が、有限なる世界にご自身を明らかにされるとき、それを受け止める人にとっては、矛盾と思えることも起きます。
なぜなら、人は永遠なる神を充分に理解できないからです。 >>25
じゃあ、駄目じゃん。論破されまくるだろ。 カントも議論の最後には唯一神持ち出すからな
まさに機械仕掛けの神w 2: 神なんて実在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 310 (820)
3: 【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 210 (42)
4: 【イエス】 私たちは主の民Part18 【キリスト】 (393)
ずっと稼働してるね
これらの無職スレ けどお前ら全員そのキリスト教徒に植民地支配受けてるじゃん 千年の間に書かれた66冊の集成に矛盾がありえないとでも思ってたのか
随分と純な人だな 論破されまくってるのがキリスト教。同じセム系のイスラムにまで矛盾を指摘されてる。 キリスト教はセム系宗教とは言えない。
キリスト教の最たる根幹教義である「イエスは神の子である」ということはユダヤ人の発想からはでることはなかった
ユダヤ的に「神の子」と言えば、創造された天使達であり、あるいは神を保護者、養育者として呼ぶ「父」と相対して、保護される、養育されるものとしての「子」という意味でしかない
その「神の子」を本当に神との肉親関係の意味で解釈したのはギリシャ的な発想であり、ユダヤ的ではない。
実際に、新約のすべてがギリシャ語を原典としているし、1世紀で初めてイエスを神と表現したのはアンティオキアのイグナティオスだが、アンティキアはまさしくシリア最大のギリシャ都市だった
ギリシャ的な発想を元に、セム的なものである聖書を解釈して発展していったのがキリスト教 「イエスは神の子」であるといういキリスト教の大前提は、ユダヤ的な「神は惟一である」ということに反する。
その矛盾を解消するために生じた有力な説が三位一体説やアレイオス説などであり、結局三位一体説が勝利して、最終的にキリスト教=三位一体説という形式ができあがった。
現代においても、三位一体説を取らないキリスト教宗派はユニテリアンやエホバの証人といった極少数派にすぎず、カトリック、正教会、非カルケドン派正教会、アッシリア教会(景教)に至るまでほぼ三位一体説派。 本当にセム的キリスト教と言えたのは、イエスの弟(あるいは従弟)ヤコブが主宰していたエルサレム教会が主導系を握っていた間のみ
それも第一次ユダヤ戦争のときに壊滅して、この系統は早くも途絶えてしまった でパウロ教ってどうやって生まれたの?
つまり先行する思想はあったの? イエス自体は聖書ではそんなたいしたことは語ってないから。 その通り
イエスの真価は昇天後に天界から送り続けているヴィジョンにあるわけで
それなくては福音書も理解できない しょぼい弾。なのかな、ピースメーカー メギドファイア 闇の弾丸
光の弾丸 クリスチャンもカソリックで関わりました。
テンプラナイト か、凶心者。の出世でどう? トマス・アクィナスの神学大全は、何が言いたいのかよくわからないな。
中公クラシックスの神学大全を読んだ感想なんだが、屁理屈をただひたすら述べているだけに感じるな。
○○しなくてはいけない、○○である、○○だから、○○は△△である。
こんな感じのことがひたすら書いてあるな。
そう言えば、欧米人が理屈っぽいのも元を辿れば神学大全あたりに行きつくのかな。 クィア神学の論法みたが
屁理屈というか飛躍の訓詁学だったわ
そんなの頑張るくらいなら
そもそも聖書に頼るなよw キリスト教の聖書の矛盾は、イスラム教からも指摘されてるくらいだから。
何とか矛盾に答えようとして出来たのが、神学とかスコラ哲学だろ。
ところが、現代になって誰でも聖書が読めるようになると、やっぱりキリスト教の教えては、オカシイよねってことになってその結果が信者の教会離脱。
キリスト教は、かつての求心力はないんだよね。 河出文庫の「史上最強の哲学入門」によると、トマス・アクィナスは哲学と宗教を融合させた神学者として書いてある。
古代ギリシャのアリストテレスの著作がラテン語に翻訳された入ってきて、キリスト教の教義と矛盾したみたいだね。
ところが、アリストテレスの哲学で理性を働かせれば働かすほど、キリスト教の教義に懐疑があふれでてくる。
このままでは、信仰の崩壊を招きかねないってことになって。
そこで、考え出されたのが二重真理説。
それが、許せなかったのが、トマス・アクィナスで彼が導きだした結論が。
「理性の範囲外にある真理については、神学でしか回答を出すことができない。それは神の啓示でしかしることができないのだ」。
この回答に納得できるか?俺は納得できない。神の啓示でしかしることができないってことは、神のみぞ知るって
ことと何が違うのかわからない。
俺には、トマス・アクィナスの回答は一生懸命に考えた屁理屈にしか感じないな。 アリストテレスの哲学が翻訳されただけで、信仰の危機になるキリスト教ってどんだけショボいんだよ。 あいつの能力半端ないじゃん
そりゃ宗教ぶっ殺せるレベルの理性だわ 本当に信仰の危機になるなら異端として禁止されている >>ONE PIECE Luffyさん
>学問的にイエス・キリストの存在が証明されないのなら、イエス・キリストは架空の人物で間違いないね。 この発想そのものが不勉強な証拠です。
何度も言っているように、そんな基準が成り立つなら、お釈迦様やソクラテスなども、架空の人物になってしまいます。 認識論を考えましょう。
>聖書って聖典じゃないの誤りがあっては困るでしょ。 「誤り」って言葉を単純に、一元的に理解しているから、そういった見解になるんです。 時間的前後関係、地理的な記述、細かな筋立て、などには、人によっては「誤り」だという部分はあります。
現代人が要求するような正確さを、昔の人は考えないからです。それを「異同」なのだと理解する人もいますが、「誤り」は「誤り」として、ではなぜそうなっているのかを考えながら
研究するという人もいます。 それでも「聖典」「正典」として、機能するんですよ。 あなたが知らないだけです。?? おいおい。これじゃあ。辻褄があわないだろ。
こんなの他の宗教と議論したら、論破されまくるだろ。
>>現代人が要求するような正確さを、昔の人は考えないからです。それを「異同」なのだと理解する人もいますが、「誤り」は「誤り」として、ではなぜそうなっているのかを考えながら
研究するという人もいます。 それでも「聖典」「正典」として、機能するんですよ。 あなたが知らないだけです。 絶対神は人間がアタマの中でこしらえた観念だけど
キリスト教の伝統的な教えに強く共感します
だからキリスト教文化を大事にしていきます
っていえないんだもんなあ
舐められて当然 キリストの邪教は本当に人を殺しただろうか。ジンはテロに何時でも間に合っているとも思う。
幻声 幻視、幻近くの類は、いつでも逆らっている。 論破で敗れる敵が数万の隊でないと。伏兵も含めて4. オーディーンの酒 トールの槌か。似たような仕事はあるが。 >>そういうまとめ方をしますか! 驚きです。 少し精読するということを知ってほしい。単語だけに反応せずに、拡大解釈をしないで読むことは、大事なことです。
詳細にみれば、聖書の中にも誤りはあります。しかしそれは古代と現代との齟齬のようなものであって、人間の言語である以上、仕方のないことです。
しかし、信じるに足りないという意味ではありません。
ましてやデタラメだなんて、誤読にしてもひどい。 『私たちにとって聖書とは何なのか──現代カトリック聖書霊感論序説』(和田幹男、女子パウロ会)を読んでくれれば、わかります。?? クリスチャンに言わせれば、聖書は昔の人が書いたから矛盾があっても仕方がないって意見らしい。
>>詳細にみれば、聖書の中にも誤りはあります。しかしそれは古代と現代との齟齬のようなものであって、人間の言語である以上、仕方のないことです。
しかし、信じるに足りないという意味ではありません。 戦争があり虐殺がありキリスト教も神の名のもとに殺しに殺しまくった
不条理理不尽救いもなく沢山の人が苦しみ死んだ
聖書の中では神が慈悲を持って沢山の人を救う。奇跡を見せる。んで、その聖書を見せて「どう神って素晴らしいでしょ?」ってそれ本じゃんw
本の中だけじゃなくて現実にも神が降臨して戦争止めたり津波跳ね返してみせろよ
全世界の人が神を崇めるぞw
現実は神も救いも無い。歴史的に神を観測したことも無い。
最近5歳の女の子が虐待死した。あの子が何をしたんだよ!アフリカでも赤子がバタバタ死んでる。
俺は神がいるかいないかは分からない。死後があるかも分からない。ただ神を信仰する事は絶対に無い。
何が言いたいかと言うとですね。
「神は慈悲深い」とか「神は背負えない試練は与えない」とか「神に愛される」とか言う奴
全員苦しんで死ね!!! https://youtu.be/BCQqeYxwszg
この動画のコメント欄の鹿取信二って奴は馬鹿じゃねえの?。コピペにマジレスしてるよ。マジで笑える。釣りなのに、本気になって返信してるよ。 認識論は学問じゃないのか?。
>学問的にイエス・キリストの存在が証明されないのなら、イエス・キリストは架空の人物で間違いないね。 この発想そのものが不勉強な証拠です。
何度も言っているように、そんな基準が成り立つなら、お釈迦様やソクラテスなども、架空の人物になってしまいます。 認識論を考えましょう。 >>鹿取信二
>学問的にイエス・キリストの存在が証明されないのなら、イエス・キリストは架空の人物で間違いないね。 この発想そのものが不勉強な証拠です。
何度も言っているように、そんな基準が成り立つなら、お釈迦様やソクラテスなども、架空の人物になってしまいます。 認識論を考えましょう。
>聖書って聖典じゃないの誤りがあっては困るでしょ。 「誤り」って言葉を単純に、一元的に理解しているから、そういった見解になるんです。 時間的前後関係、地理的な記述、細かな筋立て、などには、人によっては「誤り」だという部分はあります。
現代人が要求するような正確さを、昔の人は考えないからです。それを「異同」なのだと理解する人もいますが、「誤り」は「誤り」として、ではなぜそうなっているのかを考えながら
研究するという人もいます。 それでも「聖典」「正典」として、機能するんですよ。 あなたが知らないだけです。?? キリスト教の魅力は、悪いことをしたことを罰せずに見逃してやるという約束を
手に入れることにあります。「あんさん、悪いことしたやろ。見てたで。家族に
バラしたろうか。警察につきだしたろうか。うん?それとも、ワイの言う通りにするか。
そうすりゃ、あんさん、あんたのことを見逃したるで。」この誘惑こそが
キリスト教の中心的メッセージです。
自らの犯した罪は自らが償うべきだと考えて、批判と罰を真正面から受ける
決意をするか。それとも、「見逃してやるで」という甘い誘惑に負けて、心ならずも、
他人の言うままになる決意をするか。キリスト教信仰を受け入れるということは、
その後者を選択するということに他なりません。 キリスト教の魅力は、悪いことをしたことを罰せずに見逃してやるという約束を
手に入れることにあります。「あんさん、悪いことしたやろ。見てたで。家族に
バラしたろうか。警察につきだしたろうか。うん?それとも、ワイの言う通りにするか。
そうすりゃ、あんさん、あんたのことを見逃したるで。」この誘惑こそが
キリスト教の中心的メッセージです。
自らの犯した罪は自らが償うべきだと考えて、批判と罰を真正面から受ける
決意をするか。それとも、「見逃してやるで」という甘い誘惑に負けて、心ならずも、
他人の言うままになる決意をするか。キリスト教信仰を受け入れるということは、
その後者を選択するということに他なりません。 宗教は依存だろ
子供が親に依存するのと同じ
子供が下らない嘘を付いて自己嫌悪に陥っても自分の不出来さに落ち込んでも嫌な事があっても親に許されて愛されれば全てが救われる感覚
良い言い方すれば拠り所だね
宗教の信者は幸せだと思うよ 人と人が殺し合うような自種自殺行動はよくないなあ。 戦争や差別・拷問などを宗教の所為にしてはいけない
全て人がそうしたいと望んでやった事だ
過去も現在も罪は人に帰する
神の言葉は己の願望を表している >>68
いやキリスト教の方針としてキリスト教が主導で行なってただろ
ってか罪って誰が何を基準にして判断するの? わたしは大いなる王で、わたしの名は諸国の間で畏れられている、と万軍の主は言われる。
(マラキ書 1:14)
わが僕モーセの教えを思い起こせ。わたしは彼に、全イスラエルのため、ホレブで掟と定めを
命じておいた。(マラキ書 3:22)
あなたたちはもう一度、正しい人と神に逆らう人、神に仕える者と仕えない者との区別を
見るであろう。みよ、その日が来る。炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行なう者は
すべてわらのようになり[燃え尽くされる]。しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。(マラキ書 3:18-20)
旧約聖書における「契約」とは、神の与えた律法を順守すれば神の祝福が、
その律法を守らなければ呪いと罰が、人々に与えられることを指しますが、
「契約」と言っても、絶対王たる神が一方的に人間に押し付けたものです。
キリスト教は、人類の始祖は神に反逆して罪人となった(原罪)ので、その子孫は、あたかも
罪が遺伝するかのごとく、すべて罪人として生まれてくるようになった。また、罪の結果は
死なので、人類の始祖およびその子孫は死ぬものとなった。また、神に反逆した
罪の結果として、神と人間との間に断絶ができた。要するに、キリスト教は、人類の始祖の
罪の結果として、人類はすべて罪を犯さざるを得ないような存在として生まれてくる、
ということが言いたいわけです。そうすることによってキリストを受け入れることの必要性や
意味が生まれてくるからです。
旧約聖書には、もちろん、そのような原罪思想はありません。原罪思想は創世記の物語の
特殊な解釈として生まれたあたらしい思想(「世々にわたって隠されてきた、秘められた
計画を啓示するもの」ローマ人への手紙16:25)です。この失楽園物語を原罪思想として
解釈しなければならない論理的必要性は、教祖の死という一大事件に直面した
イエスの信者達の中から生まれました。彼らは、「自分たちの教祖の死は、敗北ではなく、
罪をあがなう犠牲の死であった」という解釈をすることによって、教祖の死という最大の危機を
乗り越えたわけです。もともとユダヤ教は罪を許してもらうために羊や牛を捧げ物として
神に捧げる宗教なのですが、イエスの弟子達はそれを彼らの教祖の死に当てはめたのです。 イエスの死後、かれの追随者の中から、教祖の死を人類の罪をあがなう犠牲の死として
解釈しはじめたグループのことを、現代聖書学では「キリスト・カルト」などと呼んで、
イエスの教えを宗教的実践の理想としていた初期の「イエス運動」と区別しています。
キリスト・カルトにとって大切なのはイエスの教えやその実践ではありません。
彼らにとって大切なのは、キリストが死んで復活したという事件、そして、その死と復活によって
人類に救いがもたらされたと信じる信仰です。
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと
信じるなら、あなたは救われる・・・(ローマ人への手紙10:9)
ここにキリスト教の神髄があると言えます。すなわち、人は善き行いによって救われるのではなく
むしろ、善き行いはこのキリストの死と復活への信仰による救いから生まれるものである、
ということです。
なぜ、人は善き行いによっては救われないのでしょうか。それは、人は善き行いをすることが
できない存在(罪人)だからです。では、なぜキリストの死と復活を信ずれば人は
救われるのでしょうか。それは、まず第一に、イエスはアダムの失敗をやり直したからであり、
第二に、人は信仰によって義と認められるからです。イエスがアダムの失敗をやり直した
というのは、イエスが自らを犠牲としてアダムの罪の償いをしたということですが、
アダムは神の意志に反逆したがイエスは神に従順であった(死にたくないのに
神の意志に従って死を受け入れた)というようなことも含まれます。信仰によって義と認められる
とは、要するに、人は善き行いをすることができない存在(罪人)ですから、人は
神の恩寵によってのみ救われる(したがって、人はそれを受け入れるだけ)ことを意味しています。
このような、教祖の死を「救いの業」として解釈するキリスト・カルトの思想的営みの中から、
人間はアダムの犯した罪のおかげで、罪を犯さざるを得ないような存在(罪人)として
生まれてくるのだ、という原罪思想が形づくられていったと考えられます。
つまり、アダムによって人類は罪人となり、キリストの死によって贖われると解釈する
ことによって、彼らの教祖の死が、犬死にではなく、大変有意義な死となったわけです。 聖書においては、秩序を乱す「悪なる行為」としての罪は、同時に社会の秩序を支える絶対王に
対する「反逆行為」としての罪でもあるために、悔い改めは、単なる自己の行為に対する
反省だけではなく、絶対王(神)に対する従順を表明するということになります。
絶対王(神)への従順こそが聖書における信仰だからです。悔い改めとは、
反逆者から従順者へと回れ右することだと言えるでしょう。キリスト教(新約聖書)においては、
神とキリストへの従順は現実世界における権力者への従順とさえなっています。
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威は
すべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに
背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。(ローマ人への手紙13:1-2)
主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと
あるいは、悪を行なう者を処罰し、善を行なう者をほめるために、皇帝が派遣した
総督であろうと、服従しなさい。(ペトロの第一の手紙2:13-14)
さらにまた、キリスト教に関して言えば、悔い改めとは、自分が罪を犯さざるを得ない存在
(罪人)であることを自覚すること、そして、そのことによって、自己の救いを神の恩寵に
ゆだねる信仰に至ることを意味することになると思います。つまり、悔い改めとは、
キリスト教的に言えば、自分の力を信じる倫理的道徳的努力をする者から、
神の恩寵を信じる(神への従順)者へと、回れ右することだと言えるでしょう。 キリスト教は哲学に謙虚に哲学から聖書を引かせ、哲学の真理、信仰を
相互にフォローアップした歴史があります。キリスト教に哲学はなく、
ラディカルな価値の傾倒がある、救済的、信仰の力強い言葉があって、
今の哲学を守護し、士気を高めています。歴史的に変容を得ながら。 聖書の中のイエスの言葉がある福音書はイエス死後、40-70年も後に書かれたものです。
福音書の中には、イエス自身の 言葉ではないものが多分に含まれている、というのが
多くの現代聖書学者の通説になってます。
カトリックは聖書ではなく、元々のイエスの教えがどのようなものだった、に立ち戻りました。
イエスは、コヘレトにあるような仏教的思想だったのではないか。
http://www.geocities.jp/todo_1091/religion/028.htm
神を完全に知る事を「悟り」
キリスト教の言う天国というのは仏教の言う「涅槃」に近い概念。
死後の世界観は、
生きている間、愛に生き、死ぬ瞬間にも愛の内にいた者は、
神と結ばれ、永遠に愛の内に留まります。
これが天国の正体です。
教皇ベネディクトXVI世の回勅『希望による救い』より〜
天国、地獄などという場所があり、そこに至ったり、
落ちたりするものではないと考えるのが主流です。
人は死ぬと霊魂は物理学的な宇宙を去ります。
相対性物理学によると宇宙は「時空」と呼ばれ、
空間(場所)と時間(過去と未来)が合わさった存在ですので、
死後の霊魂の世界には場所の概念も時間の概念もありません。
「ここ」も「あそこ」もなく、「過去」も「未来」もありません。
それがどのような世界なのか…宇宙に閉じ込められた我々の創造を絶していますが、
現代宇宙論でも146億年前に宇宙が生まれる前はそのような状態だったと言っています
そのような状態こそ聖書で言う「永遠」だと言われます。
聖書には確かに「信じない者はどうかなる」ような書き方があります。
でもその「信じない」は「愛と救いの力を信じない」という意味であって、
キリスト教という宗教を信じないという意味ではないのです。
キリスト教と仏教というのは親和性のあるもので
イエスの言葉の多くが釈尊の教えに近い。 聖書じたいが論理矛盾してるんだよなあ。
「私のほかに神はない」と創造主は仰るが、その一方で
「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」「ヘブライ人の神」
といった「〇〇の神」という言い方、「全能の神」「妬む神」と
仰るなら「〇〇以外の神」「全能でない神」「妬まない神」も必然的
に存在することになるじゃないか。「あなたたちの神、主は神々の中
の神、主なる者の中の主…」(申命記10:17)とかどう見ても格下の
神々の存在を認めてるじゃん。つまり、天地を造った全能の三位一体
の神以外の神々を含めた広義の普遍的な神の定義がどうしても必要になる。 「天空に置かれた監視カメラが、これまでもこれからもあなたがたをくまなくつぶさに常時監視している。」(神ヤハウェ) 無条件の愛は存在しない。ただ、勘違いするな。条件付きの愛なら存在する。証拠だと?自分の人生をよく思い出せ! 「私はポルノを見ない」と、信仰心の厚い人たちは言う。しかしデータは
冷徹だった(研究結果)
https://www.huffingtonpost.jp/2016/07/07/religious-people_n_10853940.html
ポルノを見たいのって健康である証拠なのに、嘘まで吐いてクリーンなクリス
チャンのイメージを作らなくてもいいのにね 自分からの視点と神からの視点の二通りを想像出来るキリスト教は凄いよ
日本人だと自分からの視点だけだからね ってかさ、僕(しもべ)とか女の胎を開いた、入れたとかの描写をみると
とても納得できるお話しでは無いよね
よくよくあなたがたに言っておく >>75
日本語で解釈するからそうなるんでしょ
唯一神=法
神々=万法 俺は、モルモンの信仰深い讃美歌が好きだな。ケルティックウーマンの聖歌も良いぞ。
やっぱりカトリックの典礼聖歌が懐かしい。 日本では神を偉人や人間のご先祖と考え、西洋では全能の創造主で
唯一絶対の存在と考えているが、どちらも神の本質的な定義ではない
神とは人間を生かすも殺すも自由に扱い摩訶不思議な能力を持ち
永遠に生きる者のこと 神の荒ぶる性質が旱魃や水害、地震として、
穏やかな性質が田畑の豊かな実りなどの形で人間世界に現われる
これは日本神話も聖書も変わるまい
イザナギとイザナミは矛で海をかき混ぜて島を作った
セックスして日本列島や木や草、風の神を次々と産んだ
イザナギは目や鼻を洗うだけで神々を産んだ
アマテラスとスサノオも誓約で口から神々を産みだした
ニニギは天から地上に降りて来た
ヤマサチヒコは海の中で窒息しないで生活できた
こうした神々はニニギが降臨して179万2470余年以上も
経って誕生した生身の人間である天皇の前にも現れた。
キリスト教徒はなぜ日本神話の神々は全知全能でないにせよ、
ヤハウェがモーセの前で海を割ったりイエスが水をワインに
変えたり盲人の目を開けたりしたような奇跡を起こしている
ことに気づかないのか
つまり神とは当時の人間にできない能力を持つと信じられた者
のことなのだ。古代は科学が未発達だったから神を使って説明
する神話は何かと便利だったのだ 案外子供が見る漫画やアニメからイメージされる
神の定義が正しいんだろうな ..l,.l, l | l ! .l l .! .!.!.| | .| .| .| l ! .l .l゙ l゙ | l / / ! l
l . l l ..l, .! .! .! ,-、, -y'⌒ v-、_ .| .| !,! .!│.! l ,! l l ,! !
.l .l,.l ..l. (⌒ ( / f´ V Y レ'V⌒! .!│ !.! .!│.! ! ! l゙ ,! .l゙ .,!
゙l、 l.! .l ヾ ヽ( ヽ{ Y 介v ) }│l !.! .! | .l ,! .,! ! / .l゙ .l゙ .l゙
, .l .'l .l, |\ ヽ込 ゞ`l|/ Y )/ Y ! ! .l゙l゙ l .! .! ! .l゙ ! .! .l゙ / !
.l l ! .l.! .! .ヾヽ戈∧||( y/( ノノ .| | γ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ
l l,│ .| .! .! V:::}l{:|| ::,','/// .l | .l゙l 苧疾壺玖嵯夷於饅壺雅簾喜軟蛇予!..|
.l..l l.lL .! .! .! }ヘ}i{ || ////!.| .!.l 乂.___________________ノ
l.l l. ゙{ l l .! .! }ゞ=====彡.| .!,! .!,! !.l .l゙.! .! ! l .l゙ ,! / l l
゙l,.l l l ! .l _{ l || l| || liリ_:!.! |.! .!,! !.l .l l .l゙/ l / / / l
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.l.l,.l, l../:::" ヽ .|} !.! .l゙l゙ l ! .!/ l .! ,! / .
..l. .l.l..l. ,i :: -=ニ=- -=ニ=- i // .!.! .| ! | ! l l .! ! /
.l,ヽ l.l l, \.. / ー-' ヽ. // l.| !l゙ l ! l l ,!/ ,! i.
l, l l. ..l.l l. .l\::.| ト‐=‐ァ' |.:./ ウエッヘッヘッヘッヘェーーww♪.
\ `二´ '/| .!.,!,! l.| l゙l゙ .l゙.! l / / l /./
:::..l. ,r――--、,,_ノ r、 三 η L___,,..-―‐-/ ! !.! .,!,! ! /./ l
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::::::::ヽ `ヽ、 ⊂ニpikarrrニ⊃ ,r'' /,/ノ゛.!.! .|/ ! l゙|.!
:::::::::゙ヽ } ` ー-ヾヽ// ヽヽ〃ー‐''7 /i/,l゙ .!l゙/ l!
:::::::ヽ .{ ι' 三 ヽ) {. //'",-/ . l,!/ l . l >>92
割とそう思う。「優れた者は仕える者のようでありなさい」 ちなみに勝手に聖書読んで勝手に気に入っただけで、
教会とかは従兄の結婚式でしか行ったことがない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています