数学を初めとした理系の学問と哲学について 12
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AIについてのこれまでの簡単におさらいしよう。 まず、AI化する社会とは、ポストヒューマン社会のことである。 ポストヒューマン社会とは、人間が不要になりつつある社会のことで あり、知的レベルにおいては、現在のペットと人間に間にあるヒエラルキーが ペット化された人間、あるいはAIの制御下、監視下にある人間という風になって、 AIによって人間や社会が高度にコントロールされていく社会をイメージ 出来る。 知的レベルでは、たとえば動物は人間のやっていることをほとんど理解 できない。なぜなら、そこには知の隔絶があるからだ。この関係を 人間と知的に高度化、もしくは汎用化したAIへと敷衍すると、上記のような 構造が推論出来ることが分かる。その時人間は、AIが何をしているのかが 殆ど分からない。ただ従うのみ、あるいは、反抗するのみ。 神の存在や不在の問題も、上記の構造で理解すると興味深い。 仮に全知全能の神が実在していても、その振る舞いなり、機制や 目的を知的に不完全である人間は殆ど理解できないことであろう。 だから、殆どの宗教はフィクションであることが推論できる。なぜなら、 それは不完全な人間が憶測で神について言及したもの、あるいは人称的に 物語化したものであるので、神の本質なりにアクセスしたものとは感じられ ないからだ。だから、人間的な視点で人間化された神の記述は、すべて その本質にアクセスしていないと思われる。否定神学的な記述も同様だろう。 古来から宗教戦争が絶えない理由もこのことからも分かる。 つまり、ここで言いたいことは神の存在の是非ではなく、知的に隔絶した 上位レイヤーにあるものは、正しく認識するのが困難だという意味になる。 動物は、人間の営為を正しく認識できない。人間は、シンギュラリティ 後のAIの振る舞いを神と同様に正しく理解出来ない。 https://toyokeizai.net/articles/-/225451 「宇宙から見た都市」の何ともすさまじい絶景 フォロワー60万のインスタグラマーが映す 俯瞰的に物事を見るのが大事なのは、それが抽象度を上げた状態で物事を見ることと 等価にもなり得るからだ。オルドスのゴーストタウン(中国)の画像は、巨視的な視点で みれば集積回路のようにも映る。つまり、地球や宇宙そのものが巨大なコンピュータ、 かつアルゴリズムが実装されている、という風にも解釈出来る。AIが出てきたのも アルゴリズムで、白いトンネルが出てきたのも最適化する世界や構造の動きの一つ。 抽象度が低い人間=原始的な人間は、具体性との対応関係の中でしか思考し得ない。 抽象度が高い人間=数学的-理知的な人間は、真の実在へのアクセスを求めていく。 抽象度だけで原始的か理知的かに分類してしまう抽象度の持ち主は単細胞? 少なくとも、揚げ足取りと詭弁とポエムしか書けない奴は単細胞とは言えるだろうね 人間の場合は疲れたり、病気になったり、忖度や選好でその差配が恣意的となったり、 セクハラ、パワハラ、イジメ、注意散漫等、純粋な最適化の観点で考えて見ると、 不合理な要素や非効率的な要素が多すぎるんだよね。 だから、未来の社会では価値ニュートラルのAIの実装で自律的・自動的に社会を 人間の凡庸な一般意志とは切断された状態、もしくは、超越した状態で 自動生成し始めたら、その未来の社会は、従来の人間的価値観を根元から 覆すような社会となるだろう、という未来へのイメージがある。 その未来では、人間の再定義を余儀なくされる自体も発生することだろう。 https://gigazine.net/amp/20180621-eu-link-charge-copy-right?__twitter_impression=true ハイパーリンクを貼るだけで著作権料がかかる通称「リンク税」がEUで導入されようとしている EUで著作権法の改正議論が進んでおり、中でもインターネットのリンク(ハイパーテキスト)の 提示行為にも著作権料の支払いを請求できるとする通称「リンク税」の是非をめぐって 議論が活発に行われています。そんな中、リンク税導入を含むEU改正著作権法案が EUの著作権を審議する委員会で可決され、いよいよ欧州議会で法案について評決が 行われる見込みになりました。 EU MEPs vote to approve maligned copyright law changes https://www.siliconrepublic.com/enterprise/eu-copyright-memes-vote ‘Disastrous’ copyright bill vote approved - BBC News https://www.bbc.com/news/technology-44546620 2018年6月20日にEUの改正著作権法案が欧州議会法務委員会で可決されました。 これによって、いよいよ2018年7月の欧州委員会で可決されれば、EU改正著作権法が 正式に成立する見込みになりました。EU改正著作権法案については、 インターネットにおける自由な情報流通を妨げかねないという懸念の声が世界中から 挙がっています。主として問題とされているのが法案の11条や13条。 日本の思想関係が今ひとつ物足りないのは、それが文学に堕してしまっているからだと 感じられる。文や理路を修辞的な安易なメタファーで糊塗して、厳密に理論を 構築、追究出来ない。その理由は、日本の思想家は文系が多くて、数学力が弱い という点にもあるだろう。厳密な論理構成を形成出来ない。文系思想家なので、 翻訳なら出来そうな人がいるだろうけど。 AI.化する社会で必要なのは、理系からの哲学だ。 未来というものがどのように作られる、あるいは到来するのかを考える時、 過去の存在が、過去から派生する現在と未来を必然的なものとして、ある意味、 物理学的な決定論的な機制で線形的に現在と未来を形作るのか、それとも そこには未知の要素XやY、Zが現在と未来、あるいは過去との間に介在して、 過去とは違った系やレイヤーにあるような真の意味で未知の未来が生じるのか、 といった感じで考えることも出来そうだ。 また、心理学や行動心理学的な側面から考えると、現在の時制や時点における 未来に対する人々の予想とそれに基づく行動が、未来の在り方自体に強い影響や 作用をもたらすことも考えられそうだ。たとえば、あと1年で地球や宇宙が 滅亡すると人々が本気で科学的に予期しているという条件の世界を仮構してみよう。 この地球滅亡の条件で、明日も朝から苦痛なる満員電車に揺られて学校や会社に 通常通り向かうという人達は少なくなるのではないかな。なぜなら、人類に残されて いると確信的に予期されている残り1年の人生をいかに有効に有意義に、あるいは 満ち足りた状態で過ごすかを考えたら、資本主義の駒や工場の部品の一つとして そのまま今まで通りの人生を過ごすという人たちはずっと少なくなることだろうから。 つまりここで言いたいことは、未来の社会は現在における人々の未来の予想と それに基づく行動によっても影響を受ける、被るだろうということ。つまり 人々の現在における未来の予想を変数にたとえれば、その変数の種類によって、 その変数に影響されうる未来の姿も連動して、あるいはその作用を受けて 未来が変わるということ。だから、未来を良きもの、あるいは望ましいものに するためには、人々の現在における未来予想やその変数に対して、そうした 予想変数を調整する方向での影響力や作用を行使すればよいということになる。 ちなみにAIは未来を予想することによく使われる。だから、適切で、かつ 望ましい予想をAIが高い精度で算出できれば、人々の行動もそれによって 最適化される。なぜ、犯罪なりセクハラ、パワハラ、イジメや過労による 暴力や自殺が、絶えないのか。それはその悪行を為す主体が、自分らの悪行為は 決して公にならない、問題にならないだろうと間違った予想をしているので、 そういう非道な行動を安易に選択してしまうのだ。 もし、この行為をしたら確実に捕まる、あるいは、のちに公になってバッシングされ職や 地位を失う、あるいは企業の信用が大幅に失墜し、事業が傾くと高い精度の確率で予想 出来るAIの技術が将来確立されれば、大半はそうした行動を利得で考えて選択出来なく なるはずだ。ここでは破滅・自滅願望がある主体や犯罪者のことは除外して考えておこう。 そういう予期や予想の精度が大幅に上がるAI化された社会では、今述べたような 観点で、未来の人々の行動パターン自体が大幅に変容する可能性がある。つまり、 AIによって人々の未来が制御され、粒子のように整流化され、最適化される 未だかつてなかったようなアルゴリズム型の社会が到来しうる可能性があるだろう。 578 : 第三の波平(ただのリーマン) ◆kpxxLE2Sh. 2017/03/02(木) 00:27:43.97 0 >>574 数学は人間が作り出したゲームでしかない。 なぜそれを使って人工衛星が作れるのか 数学はもともと建築手法として考え出されたから。 人間の認識は進化を得て生き残るために、現実の物理現象と密接な関係がある。 逆に人間は建築手法として以外の認識は生み出せない。そのように進化したわけだから。 わかる?難しい? 勉強しな。 未来の方が存在している確たる足場に立っているように思うけど。 未来の方が存在している確たる足場に立っているように思うけど。 未来の方が存在している確たる足場に立っているように思うけど。 第三の波平(ただのリーマン) また、三角関数も出来ない人が入ってきてる。 お前が勉強しろよw 数論において、フェルマーの小定理は素数の性質についての定理であり、 実用としてもRSA暗号に応用されている定理である。 p を素数とし、a を p の倍数でない整数(a と p は互いに素) とするときに、 a^p−1 ≡ 1 (mod p) すなわち、a の p − 1 乗を p で割った余りは 1 であるというもの。 有名なフェルマーの最終定理と区別するためにあえて「小」定理と称されている。 この定理はピエール・ド・フェルマーの名を冠するが、フェルマーの他の予想と同じく、 フェルマー自身によって証明が与えられていたことが確認されているわけではない。 この定理に対する証明はゴットフリート・ライプニッツによって初めて与えられた。 リー群は群構造を持つ可微分多様体で、その群構造と可微分構造とが 両立するもののことである。ソフス・リーの無限小変換と連続群の研究 に端を発するためこの名がある。複素数平面において中心 0、半径 1 の 円周は複素数の積に関してリー群である。 G を台集合とする実リー群とは、G には実数体上有限次元で(多くの場合 無限回微分可能という意味で)可微分な実多様体の構造が定められていて、 G はまた群の構造を持ち、さらにその群の演算である乗法および逆元を 取る操作が多様体としての G 上の写像として可微分であるもののことである 群演算が可微分写像となっていることを「群演算が可微分多様体の構造と 両立する(可換である、あるいはうまくいっている)」といい表す。 このような構造が入っているという前提の下で、通常は「G はリー群である」 というように台を表す記号を使ってリー群を表す。また、実数(実多様体)を 複素数(複素多様体)にとりかえて複素リー群の概念が定まる。 リー群の定義を圏論の言葉で述べれば、リー群とは可微分多様体の圏の 群対象のことであるということができる。 841考える名無しさん2018/06/24(日) 14:53:39.500>>843 >>816 わかんないかなぁ〜 位置は、観察者が認知しているんだよ。 観察者無しに位置が存在するわけじゃない。 たとえば計算で2点を通過する曲線が描かれたとしても、 それは2点に横たわる線だ。 もちろん、必要に応じて点が生成されることがある。 だが、最初から、観察者無しの点が、線を形成していると考えるのは 非常にナンセンスだ。 観察者が5つの点を認知していれば、線下に存在するのは5つの点だけだ。 必要に応じて3つの点がプラスされたら、合計8個しか点は存在しない。 計算上、必要な点が存在しているだけだ。 たとえ1ミリの線でも、点は無限につけることができる。 0.00011、0.00012〜、という風にだ。 もしも水滴の落下する直線が、点の連続によって出来ていると考えるなら、 その水滴は永遠に落ちない。 たとえば水滴の落下する行程に、すべて点を打て、という問題が出てきたときに、 0の次の点すら、打つことが出来ないだろう。 なぜなら、0.0000000〜 で、どこが次の点か分からないからだ。 仮に0.0000001に次ぎの点を打ったとしたら、 0〜0.0000001の間の点の連続を 見逃していることになる。 点の連続で線が成り立っていると考えるのは、非常にナンセンス。 それは時間が点で進んでいると考えるのと同じだ。 そういう風に考えると、やがてその点としての時間の幅を 割り出さないといけなくなる。 線を構成している点の幅を割り出さないといけないのと同じだ。 >>222 時間スレにあった、このレスは、なかなか有意義だよね。デデキント切断を 連想させる。この理路に基づいて点から線を構成するのであれば、たしかに 線は出来なそうだ。ただ、点の話は、あっちでするか。 デデキント切断、あるいは単に切断とは、リヒャルト・デデキントが考案した 数学的な手続きで、実数論の基礎付けに用いられる。 全順序集合 K を、一方が他方の全ての元よりも小であるような二つの組に分けたとする。 K = A ∪ B, A ≠ ∅, B ≠ ∅; a ∈ A, b ∈ B ⇒ a < b. このような組 (A, B) をデデキント切断という。 以下では全順序集合Kとして有理数をとり、「切断が一つの数を確定する」ことを 公理に採用して有理数の"隙間"を埋める形で、実数を構成する。仮に上記のA,Bを それぞれ下組、上組としておく。有理数の切断を与えることで、切断に対応する 実数をただ一つ定めることができる。 一般に全順序集合の切断には、四つの場合が考えられる。 1.下組の最大元と上組の最小元がある。 2.下組には最大元があるが、上組に最小元がない。 3.上組には最小元があるが、下組に最大元がない。 4.下組の最大元、上組の最小元ともにない。 有理数の場合、稠密性から任意の二つの有理数の間に無数の有理数が存在するため、 切断1は不可能である。切断2および切断3の場合は、それぞれ下組の最大元、 上組の最小元にあたる有理数に対応し、切断4の場合は、無理数に対応する。 上記の方法による実数の定義は、実数の連続性と同値である。 実際、 上記の方法で構成された実数に対して切断を行った場合、切断4は不可能となり、 切断2もしくは切断3のいずれかになるため、対応する境界の元がただ一つ定まる。 これをデデキントの定理と言う。 実数というのは無限にあるので、たとえば、0~1の範囲に任意の実数xが、 ある値を取る確率は常に0になる。でも、任意の実数xが、この0~1の間の ある範囲内にある確率であれば、0以外の確率で求められる。 0≦x≦1 だと、xがある値を取る確率は1/∞なので0になるのに対して、 xが、0≦x≦1に存在する時、0≦x≦0.5 の範囲に存在する確率なら0.5と いう0でない確率の値を求められる。だからxが、0≦x≦1に存在する時、 0.5≦x≦1 でも確率0.5になるし、0.25≦x≦0.75でもxのその範囲における 存在確率は0.5になる。端点は含んでも含んでいなくても同じ結果になるので、 ≦の部分は、<にしても構わない。 いまさらゼノンのパラドックス持ち出して何がしたいんだ 別スレからコピペまでして無理やりこのスレで数学語り さすがに寒いわ >>226 数学板に居場所がないからここでやってんだよ 言わせるなよ 数学的に表現すると、点は集合の元としても表せる。そして、この幾つかの 点や元がどんな関係を有しているかによって、その集合の構造が規定される。 数学が苦手な者は、元を個人に置き換えて考えるといいだろう。 ある個人が属性や意味を持つのは、その個人の単独性によるものではなく、 他の個人との関係であったり、社会的な文脈という解釈項や関係項がある ことによって、初めて、その個人はしかじかの者であるという風に、事後的に 措定されることが出来る。 つまり、数学は数学内だけで純粋に閉じているのでなく、哲学的な認識へと 敷衍・拡張出来る要素があるし、哲学を抽象的にモデル化出来るので、 いまどき哲学をやるなら最低限、三角関数や微積分くらいは出来ないとヤバいだろうね。 つまり、ここで言う集合の点=元は、それ自体としては固有の性質を持たない のだけど、そこに関係Rという解釈項や背景、文脈が入ることで、初めてそれは ある構造形成を担う要素としての性質を帯び始めるということ。つまり、 それ自体としては固有の性質を持たない点=元は、関係項Rによって、 固有の性質を持つ構造を形成しうる。 「人間の本質とは、個々の個人の内部に宿る抽象物なのではない。それは、その現実の 在り方においては、社会的諸関係の総体(アンサンブル)なのである。 マルクス」 数学はエレガントへの収束で ポエムはエレガントの発散だ 数式に反応を示さない人種もいるしそんなものに数学ができないというのは よくない差別だろう。そんな人には君たちの数学は役に立たないし、もし役に立つ ようであっても謙虚な姿勢が大事だろう。 純粋数学は目の前の問題に5時間10時間あれこれ考えて次の日の朝起きてふとした時に 急に糸口が見えてきたりする 詩でいいなと思ったのは、ポーの詩集くらいかな。でも、ポーは探偵小説を 書ける人だから、論理性は非常に高い人だ。頭脳明晰なのに、破滅型の人格破綻者で あったのが惜しいところ。ラカンは、ポーの「盗まれた手紙」を題材に使って講義して たよね。盗まれた手紙は循環構造に入っている、ということだよね。つまり、 数学で言うと巡回群の構造にあるもの。 そして、無限巡回群にあるのが、この宇宙の構造だね。すべて数学が絡んでくる。 >>238 差別できるのも人間の証だし、それほど数学を愛して哲学をしたいというのだから哲学の形ではあるのだろう。 性的マイノリティのようなモノとして受け入れれば、なんということはなかったりするしね。 この世界は仮想現実である、というスレちょっと読んでみたけど、それはないよね。 だって、ゲームはそのプレイヤーが死んでも何度もリセット出来るけど、この世界では、 一度死んだ人は戻って来ないでしょう。つまり、一度分解された人間は、もう、元通りには ならない。それが機械と人間の違うところ。マトリックスであれば、復元可能だけど。 この間、勇気ある行為で亡くなった新幹線殺人事件の犠牲者や自殺した東大卒電通女子も 元通りにはならない。つまり、生き返らないので、この世界は仮想現実ではないだろうね。 死者がゲームのプレイヤーのように復元、再生出来るのなら、そういう現実もあり得る かもしれないけど。 まあ、この宇宙の根元構造が、そう簡単に明かされるような単純な構造にはなって いないだろうことだけは推論出来る。 https://www.youtube.com/watch?v=8EBF0qOKpns The Tenth Sentiment / 10番目の感傷(点・線・面) この作品は、プラトンの洞窟の比喩を連想させるものがある。私たちが、 この世界で実体だと思い込んでいるのは、真実在イデアの影にすぎないと。 ただ、この作品を見れば分るように、影にも大きな臨場感や存在感がある。 というより、むしろ背景に潜むべき影の存在が、存在を際立たせていること が理解できるだろう。ちなみにこの作品は、文化庁のメディア芸術祭で 優秀賞になった作品。 点と線と面だけの抽象的モデルで、世界を表現している。 仏教でも、この世の存在には実体は無く、空とみなすけど、それは別に この世界が仮想現実である、ということを述べている訳ではないだろう。 存在は、因縁によって一時的に仮構されている暫定的な生成物に過ぎない、 このことを空だと表現しているのだろう。人間だと、人間の脳や諸感覚器官 の介在によって、人間に感覚・表象される現実が一時的に成立するに過ぎない、 という思想だね。つまり、存在とはシャボン玉のようなもの。 美人も老いてまで美人であることはないだろう、ということ。 でも、数学はこの仏教の存在論に対する見解に反駁を与えることが出来る。 1+1 = 2 という数学的な存在は、一時的、暫定的にだけ成立する無常なる性質ではなく、 恒久的に存立し得る実在ではないのかなと。仮に人類が滅びても、数学を解する 他のエージェント(主体)が、たとえばAIなどが、数学を有用だと判断して数学を 用い続ければ、1+1 = 2 のような数学的な実在は、恒久的に存立し得るものと なるだろうから。 つまり言いたいことは、仏教の言う無常も、メタ認知で見れば、その無常説が解体されて 通用しなくなる場面が出て来るのではないかなと。仏教の理論全体も、無常で解体される よ、という指摘だ。 相対主義もそうだよね。これにメタ認知を付与すると、相対主義自体も相対的に解体されて しまう訳で、仏教の無常も相対主義も、暗にその自説で自己言及をすることを回避する ことで、己の理論を絶対化して成立させているだけなので、メタ認知を通すと、つまり、 自己言及的にその理論を己に適用すると、それらの説もそれ程、明証・無矛盾的では ないことが分る。ゲーデルによると、数学自体もそうした矛盾とは無縁ではいられないけど。 >>248 実例として 「クレタ島人のパラドックス」が有名だ あるときクレタ島にフィールド調査をしにやってきた学者に対して 現地のクレタ島人がこう言った 「クレタ島人は嘘つきです。すべてのクレタ島人は嘘つきだから気をつけて」と しかしここで「すべてのクレタ島人は嘘つき」だと言ったのもクレタ島人だから このクレタ島人の言った忠告は「嘘」になるということになる。 つまり自己言及的な矛盾が出てきてしまうというのが論理学においても指摘される このパラドックスは「ゲーデルの不完全性定理」とも関係するが なんのことはない このクレタ島人は客観的な第三者的立場から発言しているので そこが理解できればじつは問題は解決する よくある話に過ぎないのに「ある集合」との関係性に着目できないと こうしたことがパラドックスだ!と騒ぎ立てるような無様なことになるという 意味もゲーデルは言いたかったらしい >>249 構造が持つパラドクスだけでなく、それが再帰的な入れ子構造にも なっている点も興味深いと思うよ。自然数の再帰的な定義について、 このスレで前に説明したけどね。また仏教を例にすると、 たとえば、「真理は空(0)である」、と定義する。【命題A】。 次に、この命題に対して、この命題自身を適用してみると、 「「真理は空(0)である」という真理は空(0)である」 その次は、「「「真理は空(0)である」という真理は空(0)である」という真理は空(0)である」 ・ ・ ・ のように以下、この入れ子が無限に続くと考えればいい。これを 無限後退や無限遡及と考えてもいいだろうけど、 「真理は空(0)=真理に実体はない」という最初の命題は、 その命題を自己自身に適用すると、その命題自体が無化されて、 無効、すなわち、その命題自体の否定¬Aを帰結してしまう、という機制 があるということ。 >>251 はい、ハズレ。数学は概念でもあり、かつ、実在でもあるが正解。 数学が実在であると考えられるのは、それが人間による創造的な 抽象的構築物ではなく、端的に元々存在=実在していたもので、 人間や数学者はそれを事後的に発見したという理路になるからだよ。 だから、微積分はニュートンやライプニッツの発明ではなく、彼ら 天才による発見だと表現できる。 近代哲学においてはベルナルト・ボルツァーノは概念そのものの観念的な対象が 実在することを主張し、科学的実在論の立場からはゴットロープ・フレーゲは 科学的に構築された理論、論理記号を制約する独立した普遍的な対象が実在する ことを主張した。 >>253 どんなに君が馬鹿でも、せめて三角関数ができる程度には努力しないとダメだよ 真理というと、どこか胡散臭い響きを伴っているので、真偽で考えてみようか。 コンピュータの設計に欠かせないアルゴリズムにブール代数がある。 ブール束(ブール代数)は、集合の束(そく)が条件で、それに加えて分配律を満たし、 かつ最大元(1)、最小元(0)が存在し、かつ補元が存在するものがブール代数となる。 1と0は単なる記号的な表現であって、数を表しているものではない。 ブール束(ブール代数)は、たとえば、A = {a,b}の部分集合全体をρ(A)とすると、 ρ(A) = {φ,{a},{b},A} で表現できる。Aとφがそれぞれ最大元と最小元に対応している。 空や0はφと考えればいいだろう。すなわち、空=0は存在する。 あと、空集合φは、すべての集合の部分集合にもなるので、やはり、 空や0の存在は仏教においてだけでなく、数学においてもキーに なっている概念や実在だということが想像される。 >>258 実在論をどうやって実証するんだよ、馬鹿 >>247 無常は世界自体の性質を指している。 世界が散逸し、全てが等価となりてなお、 1+1=2に、何がしかの価値があるというのか? >>249 ラッセルのパラドックスに気がつきましたか。 よろしい。 高級ソフトヌード コンピュータ自体の。もいいんじゃないの? 高級ソフトヌード コンピュータ自体の。もいいんじゃないの? ラッセルのパラドックスは集合概念の不備性を表している 実際問題として フレーゲは偉大だと思うけれども ラッセルはそれほどの大哲学者だったとは思えない とくに政治思想が糞すぎた ウィトゲンシュタインも何が凄いのか全くわからん >>252 君は「1台の車」の1が実在してるとでも言うのか? 実在してるのは車で1は概念にすぎない。こどもでもわかることだ。 ラッセルのパラドックスは集合論の不備性を表している ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を書き上げて それをフレーゲにも私はそうだが 数ページ目を通したらその場でゴミ箱に投げ入れたそうだ 理由は 「論理学の約束事が最初からなにひとつ守られていいないから読むに値しない」 というものだった ラッセルは 「とにかく何を論じているのか分からないけれども、なにやら凄そうな論文のような気がする」 という変テコで曖昧な評価をして「天才だ!」と持ち上げた ちなみに生涯に渡ってラッセルにはウィトゲンシュタインの考えが全く理解できなかった 1+1=2が正しい「理由(わけ)」 石川友太郎 http://ji-sedai.jp/school/application/post_137.html なぜ「円い四角」は存在しないのか。数学と論理学から人生の意味を辿る旅。 内容紹介 円周率πは存在しないのか。数学は矛盾の塊りなのか。 人々が生きる理由を見失った19世紀末は、数学が正しい理由も見失われた時代だった。 世界が戦争の世紀に突入する中、一人の哲学者の思想が復活する。 彼の名はゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ。 その思想は今世紀のコンピュータ社会へと通じているのだ。 混沌とした現代文明の源流を探る一冊。 数学におけるハウスドルフ空間とは、異なる点がそれらの近傍によって 分離できるような位相空間のことである。これは分離空間またはT2 空間 とも呼ばれる。位相空間についてのさまざまな分離公理の中で、 このハウスドルフ空間に関する条件はもっともよく仮定されるものの一つである。 ハウスドルフ空間においては点列(あるいはより一般に、フィルターやネット) の極限の一意性が成り立つ。位相空間の理論の創始者の一人である フェリックス・ハウスドルフにちなんでこの名前がついている。 ハウスドルフによって与えられた位相空間の公理系にはこのハウスドルフ空間の公理 も含まれていた。 X を位相空間とする。X 上の任意の相違なる2点 x, y に対して、U ∩ V = ∅ であるような x の開近傍 U および y の開近傍 V が必ず存在するとき、 Xはハウスドルフ空間であるといわれる。 上の定義と同値な以下のような条件のいずれかによってもハウスドルフ空間の 特徴付けられることが知られている: X における任意のフィルター(または有向点族)の収束先が高々一つである。 X の任意の一点からなる単集合はその近傍群の共通部分になっている。 直積集合 X × X の対角部分集合 Δ = { (x, x) | x ∈ X } が直積位相に関して 閉集合になっている。 実数の集合は、その上に通常定義される位相構造によってハウスドルフ空間になっている。 さらに、幾何学などで扱われる位相多様体や距離空間、あるいは解析学などで扱われる ノルム空間やその上で弱位相を考えた空間など様々な空間がハウスドルフ空間になる。 離散位相空間もハウスドルフである。 一方で、代数学におけるザリスキ位相を考えた代数多様体や、可換環のスペクトルなどの 位相空間はしばしばハウスドルフ空間にならない。 ハウスドルフ空間の部分空間や直積空間は、ハウスドルフ空間になる。他方、 ハウスドルフ空間上で同値関係を考えたときに得られる商空間はハウスドルフになるとは 限らない。実際のところ、任意の位相空間はハウスドルフ空間の商として実現できる。 ハウスドルフ空間はT1空間であり、その中で一点集合は閉集合になっている。 さらに、ハウスドルフ空間のコンパクト部分集合は閉集合である。ハウスドルフ空間に おける2つの交わらないコンパクト部分集合はそれらの近傍によって分離できる。 >>275 これみると、数学の哲学的な解釈の歴史的変遷なり、現在の計算機科学までの 流れが分りそうだね。自律的にプログラムが走ったり、生成されるような AI化による、すべてが自動・無人、すなわち非属人的に速やかに処理されて いく今後の社会像のイメージも得られる。 これまでの人間の恣意性なり忖度、あるいは既得権益の継承、固定や拡大を もたらす人間中心主義の世界観から、数学が中心となった、 アルゴリズムベースの世界の到来。と言いたいところだけど、こうした 計算機科学の先端システムを有しているのは巨大企業であったり、既得権益に まみれた組織であったりもするので、それらのエージェントによる恣意的な運用 によっては、従来通りの不平等な世界が維持される可能性もあるだろう。 そのため、これらの問題を解決するシステム構築が求められる。つまり、空気の ように地球上の誰もがフリーでアクセスできるものへと、数学的アルゴリズムで リソースを平等に分配していかなければならない。これは、物などの 定量化できる対象のみならず、権利など概念上の対象に関してもそうだろう。 そもそも集合論で数学を基礎づけようとするのが間違い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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