自由意思はないかもしれないよね?
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
本能的に否定する人多いけど人間は有機物でできた精巧なカラクリ仕掛けにすぎないかもしれないんだよ?
脳はただの複雑な有機物回路とも言えるかもしれない。
これ厳密に否定できないよね?現時点では 、_,i|::::::::::|:::::i::::::::|:::i:::::i::::::|::::::::i//.::::::::::::::::/.::::::ヽ._ノ
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l ヽ、ヽ ノ !
l ^ 入! ! ぴちぴち梨汁ブシャーーーーッ
゙. __________r´_|______ !
Y゙´ ̄`゙'ー-=ニ ∞ _ニ=‐-'^ ̄ ̄ ̄Y
'. `丶、 γ'´ !
'. ^「こ:r′ |
'. |⌒| |
゙. | | . | 動物としての本能に縛られない完全な自由意思が存在するなら
人間社会は娯楽でも学問でももっと幅広い種類の創造に満ちているはず
だから完全な自由意思は存在しないと思う
一方で動物的本能(この言葉の定義も曖昧だけど)に一切の判断と決断を委ねて行動、生活している人も恐らくほとんどいないだろうから
不完全ながらもヒトは地球上の生物の中で最も強い自由意思を有しているとも言えるかもしれない
或いはそれは「不完全」なのではなく本能との「調和」「均衡」なのかもしれない 本能も理性も区別できないものかもしれないので
>>3もまるっきり的外れかも知れない
フロイトだったかユングだったかが言ったような
イド、自我、超自我みたいな区別があるとして
イドの抹殺、自我と超自我による精神の完全制御を成し遂げたとしても
それが「自由意思」を意味するか否かは分からない 自由意思がないって考えると思考が停止してくるのはなんでだろう なんか自由意思がないって考えると自分の考えていたことや体験したことすべてが幻想に過ぎないわけだからやっぱりなんか辛くなる 人間皆誰かしらの思想や意見に影響されがちで、
純粋にオリジナルな意見など持てないかもしれない。
でも、他社の考えを踏まえたうえでのそうした蓄積の上に
何とか頭をひねり出して自らの考えを付け加えるしかないのだと思う。 自分がただの機械にすごないのかなって感じる時はなくはない。脊髄反射とか。 人間なんて複雑なだけで、信じられないかもしれないけど確率とDNAによるプログラムに支配された存在だということを否定することはできない。 しかしAIは角柄礁に勝ってないんだよなぁ
戦わずにもう人間を超えたのは明白とかぬかして逃亡したw >>14
そんな単純だと思ってるならお前が何も知らないだけだよ >>17
確率とDNAによるプログラムが単純か?俺は「複雑」と書いたがこれでも単純と捉えるなら人間にはどんな「神秘」があるんでしょうかね?どうせ説明できなくせにふざけたこと書いてんじゃねえよ。人間の「神秘」とやらを知ってんなら学会に発表でもしてこいよ。 >>19
持論も説明できないで火病ってるようじゃこりゃ議論以前だね バカだなあ
自由意志はあるんだから、人間は肉体だけの存在じゃないってことだよ フリーメイソンの愚民化政策に乗せられていると、お勉強家の坊ちゃんは人間に自由意志はないかもと真顔で言い出す
お前らが読んでいる本をどういうグループが出しているかよく調べたほうがいいよ >>18
いや、残念ながら角柄礁を無視して勝手に人間に勝利宣言したAI側が逃亡者だよ。 AI が「自由意志はある」と言えば、自由意志はあるのかどうか? 議論やるにも前提となる知識が共有できなければすぐに破綻する
自由意志の問題だったら神学は必須だろうけど あるにはあるが働いているときは少ない。自分の自由は他人の不自由だから。 人間にも動物にも細菌にも自由意志がないのならこれから先の未来は全て決まってるよね 自由な意志なんてもんがあったら
キチガイまみればっかの世界になってるだろ 初めて哲学知った中学生みたいな発言して突っ込まれるとキレる
これで本人は賢いつもりなんだから世話ねーよな >世界は回り続ける
回転椅子で悪戯に遊んでいるとよくあるよね ふっと浮かんで消えるような、夢みたいなものかもしれないな。 >>33
むしろ自由意思とそうでない部分の均衡が崩れてきているんじゃないか
一方にバカッターみたいなキチガイじみた行動の事例があって
もう一方には何となく自由がない、抑圧されているような閉塞感、無気力、無関心な傾向がある
何かが狂ってるような気がする >>1は自由意志をなんだと思ってるのか
決められた通りに動くコンピューターにだって自由意志はある
ただし人間はその自由意志を尊重していないが 人間の一生の人生傾向を出す術、みたいのがあるやん。あれ当たってるか検証してみたら? >>17
人に何も知らないだけだと言っているこいつは何を知っているのだろうか >>39
その自由という状態がどういうものなのか説明できるのか?
人間の「意識の有無」は脳外科の臨床で「大域的アトラクター」として外部から確認できる
※大域的アトラクター=脳全体に電子の渦が蛍光灯のように点滅している状態
その点滅の「滅」のときに
脳外科医 浅野孝雄は「自由」があるといっとるが、きちんと説明できてない
↓
貼れないのでググってくれ→「心はいかにして生まれるのか―脳外科と仏教の共鳴」 ある書き込みをみて「低学歴」と感じてしまう意思に自由はないだろう >>43
言いたいだけじゃね?どうしても自分が優位に立ちたいんだと思われ >>47
「低学歴」という言葉にに過剰反応して「こいつに自由はない」とかいう論理の飛躍をしてしまう時点で完全にバカであることは間違いないんだよなあ
低学歴かどうかは知らんけど >>49
想定したレスまんまでワロタw
いくらなんでも単純すぎだろw >>51
>>20
同一人物じゃね
あわれだな
みんなから総攻撃浴びて必死になってるわ >>49
日本語不自由なチョンに何言ったて通じないぞ >>51
49だが
自分が論理の飛躍をしたことに気づいてないのか? >>54
日本語というより論理的思考ができてないみたいだ >>51
必死こいてマウント取ろうとするのはもう可愛いと言っていいレベル 反論するときに単純と使ってくるような奴に自由はない >>17
>>51
「単純」って言葉好きみたいだね
同一人物かな? >>65
チョンしか言えないとか日本語できないのはお前だろ 自由意志が何であるかに関わらず今自分が試行している事実に変わりがないのでどちらでも良いし自由意志の定義を定める事が無意味
例えばAIに意思があったら殺してはまずいかどうかにおいても人類は相手に意思が有る無し関わらず敵対的・利害関係に応じて殺害・束縛・奴隷としてきた
無意味な問いだ 自由意志がないなら犯罪も奴隷も存在しないことになるし、
独裁政治と民主政治の違いも錯覚だということになる。
それでいいの? 北朝鮮に比べて米国のほうが自由な国だと思うのは錯覚という結論になるよ。 >>78
自由意志の有無に関わらず犯罪とされてきたし奴隷も存在してきた
事実として今までの歴史がそうであった
つまり意思の有無など関係なく因果関係としてそれに対処するだけの事だ >>78
わしらは自由意志があるような感覚を感じているけれど、実際のところどうなんやろなあ 北朝鮮の国民よりもアメリカの国民のほうが自由だと思うのは
アメリカ人の錯覚、我々西側の国民の錯覚かもしれないね。
洗脳されているだけかも。 >>80
そもそも「犯罪」というのは「事実じゃない」よ。
犯罪というのは法や道徳のバイアスによって事実を価値づけたイデオロギー。
犯罪というものが事実として裸で存在するわけではない。
犯罪というのは「事実を悪いか善いか」によって振り分けた価値付なんだよ。
事実とは違う。 偽善を利用した支配と露悪を利用したゴリ押しによる権益強化を両輪としてうまく使う必要がありそうですね 哲学やってる奴で自由意思があると思ってる奴って何を勉強したの? ものごころをつくメカニズムって
未だに不思議なんだけど
これなんなの?詳しい人! 周囲の波長に共鳴して波長が合うことが増えるってことじゃないかな? どういうときに、どのようにして、「ものごころがついた」ことが分るのか? >>85
横からすまんが「犯罪」そのものではなく「犯罪とされてきた」というのは事実だと
>>80は言ってるんじゃないか?
んで犯罪とされる以上はそういう「因果関係としてそれに対処するだけ」だと >>91
「犯罪とされてきた」というのは純粋な事実ではなくイデオロギーの所産だということ。
だから「因果関係としてそれに対処するだけ」だという結論はそこから自動的に導かれない。
無反省に事実として受け入れられるものではなく、イデオロギーの問題、倫理の問題として
論じなければならないだろいう、ということだよ。
自由意志に関係なく犯罪と考えられてきたということはそもそもどこにあるのか?
奴隷は犯罪と考えられてきたわけじゃない。厳密にいえば、殺人がすべて犯罪だったわけでもない。
それを言うならむしろ「自由意志が存在しない」なんて考え始めたのは最近のことだよ。
新しい思想だ。歴史を学べば人々が自由意志を信じてきたことがわかる。
自由意志がなければ「罪」という概念も存在するわけがない。すべて神が悪いという結論しか導けない。 >>81
統合失調症の患者では逆に自由意志の感覚よりも誰かに操られている感覚のほうが優位に立つね。 >>92
自由意志があったとしても神が全て悪いんじゃないか? >>94
神が悪いんじゃないかと言えるんじゃないか? >>85
もしも自由意志がないのなら、犯罪が自由意志の
所産でないのと全く同様に、刑罰も、
法も、倫理も、道徳も、イデオロギーも、政治も、人類の歴史の一切がすべて自由意志の所産
ではなく、因果関係に従って生起する
「単なる事実」だということになるだけです。
自由意志というのは「神様」と同じように、
世界の外側に張り付けるレッテルか、
世界に被せる風呂敷みたいなもので、
存在してもしなくても、世界の中身と
実質的な関係はないというしかありません。 人間の精神は、何によって支配されているか?
スピノザによれば、感情
マルクスによれば、生産−労働関係
ニーチェによれば、畜群道徳
フロイトによれば、無意識の抑圧 人間は、自分では自由に物事を考えているつもりだが、それは錯覚にすぎない
束縛され、限定された範囲内でしか考えることはできない >>100
ソシュールによれば、使用する言語
・・・を追加 自由意思はわずかだよ。ない時も多い。他者が圧倒的にいるからね。 >>103
社会生活が他人の影響を強く受けるのは当然だけど、問題は、自分の心の中でさえそうだということ。 もっと他人が変わるのを期待するより自分が変わる方が世の中がよくなると思う。 心の中までのぞけるのはテレパシーとか特殊な能力者に限られるんだろうか。
その場合の他者の心はどう見えるんだろう。 学術が自宅警備員なら、私はさしづめ自宅経営者だろう。
エコノミーとは本来、自宅経営のことであった。 >>92
そもそもその考えが西洋的すぎる
しかもキリスト教的で中世以後の考え >>110
社会思想として罪は規定される
それはなによりも歴史的事実だろう
君の言ってることは言葉としておかしい
難しい言葉を使っているだけで筋が通っていない
イデオロギが変遷しているというならわかるがイデオロギーが事実ではないとは意味不明な物言いだね
もうちょっと整理して考えて批判して欲しいところだ
頭悪いんだからよく考えてからレス返してくれ 全てがラプラスの悪魔によって計算され過去の因果から未来の因果までが決定ずけられているなら罪もまた最初から決定付けられている
西洋好きの馬鹿に合わせて親切にわかりやすく言うなら原罪として罪を受け入れろ ゴー・ノーゴーを決める自由選択(Free choice)はあるだろ
じゃないと強迫神経症の治療とかできないことになる 自由意志を生み出すために人は犯罪を発明したんだよ
ドストエフスキーの罪と罰はこの逆説のはなしだ だから犯罪が無ければ自由意志は存在しないのだ
リンゴを齧る前のアダムには自由意志は無いからね
悪への加担が先にあり、遡及的にそいつに神に背く原因としての自由意志があったとされる
だが、それはニーチェがいう遠近法的倒錯というもので、
本当はリンゴを齧ったことが自由意志の原因なのだ だから、リンゴを齧った原因は存在しないが正しい
だが、この回答は常識的で事実にとらわれすぎている
本当の正解はこうだと思う
人間はリンゴを齧ることで自由意志を作りたかったのだから、人間は自由意志を欲する生き物だ、だから人間の世界では原因としての自由意志を認めるべきだ 事実に基づいた正解と、人間の欲求に基づく正解ね
我々は科学の世界ではなく人間の世界に生きているので、人間が願う世界に生きるべきだと思うね
自由意志をみんな欲しているよね
人間はそういう性質なんだね 意志は存在しない
人間を裁くためにねつ造された概念
この行為はお前の「意志」でやったのか?それとも、やらされたのか?
言語もそのために歪められて中動態が消えて能動態と受動態とになってしまった アルコール依存症を考えるとよい
患者は依存症になろうと思ってなったわけではない
自分の意志ではないのだから、自分の意志で治すことは不可能 したがって、神の意志は存在しない
よって、神は存在、しない アル中という例えは院卒者にはまさにぴったりだね。
中卒も酒の席ではそこそこ働くし。ヒャヒャ。 院に入れるほどの集中力を発揮するなんてある意味異端だよ。普通は他にやる仕事が沢山あるのだから。 一般的には平均年収500万+嫁の稼ぎで子供2人だろ。
大学院なんて言いだしたらどうなるか想像つくだろ。 人間に必要とされるような、必然的に生まれてくる人っていうのはいて
そうじゃないその他大勢の人は人生適当なところでなるようにしかならないものでしょ
そういうのが大半なわけで 人が生まれるのは必然ではなく偶然
それに目的などない
アスファルトを割って咲いた花に目的はない 人間は経験を積んで変わって行く。経験を積み重ねた上で自由意志が研ぎ澄まされたものになって行く。 偶然生まれても、結果的には必然と理解するのが人間世界
目的は産む側の意思によるもので、アスファルトを割って咲く花には
そもそも考える能力がなく意思もない、同列に語るのが間違い 何のために生きているなどと悩んでいるのは人間くらいだろ、馬鹿らしい
なまじ考えることができるから不幸なのかもしれない 思い上がっている
自殺者3万人とは馬鹿げている
死ぬまでただひたすら生きればいい 何のために生きているかなんてそもそも悩みじゃないだろ、怠惰に過ぎん、馬鹿だけに馬鹿らしいことを言う 偶然生まれてお前が馬鹿なのは必然だろそれがお前を産んだ親の目的なのか お前が偶然生まれて必然的に馬鹿だとしても、お前を生んだ親の目的が分不相応だっただけで、結果的に目的を果たせなかったのが必然 人間は出会ったものに影響されて変わって行く。自由意志は上書きされ、洗練されて行くものだ。
人生の初期に持っていた目的は必然でもなんでもない。
洗練された自由意志がより必然性を持っている。 出会ったものに影響されても、洗練されるとは限らない、「洗練された自由意志がより必然性を持っている」という必然性がそもそもない
洗練されなかった自由意志がより必然性を持つ可能性も自由意志には残るわけ >>145
必然性を持つように自由意志は作られていなかった
学問や人生経験を積んで初めて必然性を獲得する
生れたままの赤子の状態に必然性はない 自由意志とやらの概念は人間が哲学的に考え出した課題であって、自由意志は必然か偶然かという議論なら
自由意志という概念が存在する必然性或いは偶然性を用いている以上、偶然考えだされた概念だとしても必然
或いは必然に考え出された概念だとしても偶然と言える
学問や人生経験も先人、個々人が選択して、結果的に現人間世界に既存する課題や機会として存在しているので
それを個人が獲得するかしないかの選択はそもそも産まれるか産まれないかの必然性或いは偶然性による。
生まれたままの赤子の状態には生まれた赤子という必然性も偶然性も生じている。
自由意意志を論ずるに当たって、必然性や偶然性を用いて、自由意志の何を論証できるのだろうか? 20年前の少女漫画と現代の少女漫画じゃ画風が違うだろ
商業的に成功するってことはつまりそういうことだ アスファルトを割って咲いた花を見るとその生命力に胸を打たれ勇気づけられるが、お前を見ても幸福にはなれない
したがって、お前は花と同列どころかそれより価値がない お前が人の書き込みを見ても幸福になれなかったのはお前が価値なき自由意志を自ら負ったということ 哲学者にとっては自明の理、哲学のない者にとっては不要の理、自由意志にとってはサイコロ 自由意思がないとしたら、
自由な人と奴隷状態の人とを客観的(普遍的に納得するよう)には区別できなくなる。
全体主義国家や独裁国家で暮らす国民と、民主主義国家で暮らす国民と、
どちらのほうがより自由な存在かと問うことが無意味になっちゃう。 全き自由意思のなさなんて想定つかないだろう。
自由は寸分でもある。かといってすべてが自由な世界は破たん。 >>154
自由意志と負荷(ストレス)の少ない状態ってのは別けて考えないと 自由意志があろうがなかろうが、広い庭で育てられる鶏と
工場で飼育されるブロイラーの間には、客観的に見て大きな違いがある 自由意志はないと理解ったから死んでも良いと思うやつはいないだろう
人が求めることは現状と何も変わらない 自由意志がないと判明したら生きてる価値はないと考えて死にたくなるのか変わったやつだな 自由「意志」と自由「意思」でも若干意味合い変わるかもしれんね
基本的に個人レベルでは自由意志などと大げさに言えるほどのものは持っていないと思う
なまじ「自由意志がある」とか「人は本来生まれながらに自由だ」とか言うから
基本的に人(というか生き物だいたい全部)は一人だけじゃ大したことできないという
当たり前の事実に直面した時に悲しくなってしまう。
群れを成して(組織を作って)初めて人類は自分たちの歴史を動かすことができるし
その群れ全体を指してのみ「自由意志がある」と言える
そもそも群れに加わるか加わらないかを選ぶ自由は自由「意思」の方で
これはまあみんな持ってると思う。思考だけなら本当に十人十色だし 自由意志で選べることとは
@考えないこと、
A知識を使わないこと
B論理は使わないこと
C心に依存しないこと
D周囲環境に依存しないこと
E繰り返し奇跡と偶然に任せること、絶対に起きないことを願うこと、自分を否定する選択だ、
F無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄
Gオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ
これが自由意志だ、否定してみろ。
因果関係にしばられる選択など自由意志ではなく、機械的な縛られに流されるだけの仕組みにすぎない。 完全なリズムを踏めば結果として完全にみえても不明確なリズムにしかたどり着けない
これが自由意志の側面である 相模原障害者施設の大量殺人事件や
黒子のバスケ 脅迫事件の犯人は
自由意志を、その行動原理に適応したのだろうか? 行動原理の
ハードル(規範)が
低いだけ
自由意志とは真逆 問い1
CPUに自由意志は有るのだろうか?
問い2
壊れたCPUに自由意志は有るのだろうか?
問い3
人間に自由意志は有るのだろうか?
問い4
壊れた人間に自由意志は有るのだろうか?
問い5
壊れたCPUの自由意志と壊れた人間の自由意志の違いは何か? 問い1 有る
問い2 有る
問い3 有る
問い4 有る
問い5 双方に自由意志が有り違いは無い
この場合CPUに自由意志がある事になる為矛盾が生じる。
問い1 無い
問い2 無い
問い3 無い
問い4 無い
問い5 双方に自由意志が無く違いは無い
よって人間には自由意志が無いと結論付けられる。 自由意志の定義=因果に拠らない回答をするモノ
よって
壊れたCPU(電卓)はある時は1+1=3、またある時は1+1=12の回答を返す存在
壊れた(狂った)人間も然り
つまり、壊れたCPUと狂った人間には自由意志が存在する事になる
これに反証するには壊れたCPUの自由意志と狂った人間の自由意志の違いに関して説明できるか、壊れたCPU、若しくは狂った人間に自由意志が存在しない事を証明しなければならない。 僕たちが精密な機械で同じ条件下に於いては同じ反応しないからと言って今ある感情や思いは否定できない
つまり瑣末な問題に過ぎない
決まっているならそうなるだけだ
決まっていないなら思うがままに生きるだけ
どちらも違いがない >>172
>僕たちが精密な機械で同じ条件下に於いては同じ反応しないからと言って今ある感情や思いは否定できない
自由意志が有ると思い込んでる本人が自由意志が有ると言い張っているのだからそりゃ否定出来ないでしょ。
>つまり瑣末な問題に過ぎない
瑣末な問題と思い込んでるのは本人だけで全く説得力が無い。
>決まっているならそうなるだけだ
>決まっていないなら思うがままに生きるだけ
>
>どちらも違いがない
違いがない事は理解したが未来が決まっているか決まっていないかのどちらなのかを確定しなければこれも説得力が無い。
電卓に自由意志が無い事は電卓を放置していても勝手に計算を始めない事から説明できるが果たして人間ではどうだろうか?
それでは質問
生まれたばかりの赤ん坊をたった1人で宇宙空間に放置して大人にまで育ったとしたらその人間は意志を持っているものだろうか?
今、我々は人間に自由意志が有るのか、無いのかという命題を外部から与えられたが故に思考を開始している。
宇宙空間で育った赤ん坊は何をきっかけとして思考を始めるのだろうか? >>173
>自由意志が有ると思い込んでる本人が自由意志が有ると言い張っているのだからそりゃ否定出来ないでしょ。
全く違う
あってもなくてもいいと思っている
>瑣末な問題と思い込んでるのは本人だけで全く説得力が無い。
説得力というなら君の言動も全く同じで説得力がない
これは説得じゃなく結論としてどちらでも何も変わらないということを示しているだけの話
>未来が決まっているか決まっていないかのどちらなのか
どちらでもあっても結果は直ぐにやってくる
結果が出てる以上は君が信じたいように信じればいい
自分の考えだろ、自分が一番よくわかっているはずだ
そして君に自由意思がなかったとしても他の人間が君が一緒だとは限らない
君の持っている電卓に意思がなかったとしてもほかの電卓に意思がないとなぜいえる?
そもそも君の電卓の液晶では答えだしても半導体の中ではほかの結果を出しているかもしれない
1兆回計算したら計算ミスをするかもしれない
しかしそれを知ったところで何も変わらない
既にそうあるんだから
君の気休めに過ぎない議論だ >>174
>>>173
>>自由意志が有ると思い込んでる本人が自由意志が有ると言い張っているのだからそりゃ否定出来ないでしょ。
>
>全く違う
>あってもなくてもいいと思っている
あってもなくてもいいと思ってるなら自由意志どころか意志すら放棄してるじゃん。
つまり人間には自由意志が無い派という事ね。
>>瑣末な問題と思い込んでるのは本人だけで全く説得力が無い。
>
>説得力というなら君の言動も全く同じで説得力がない
>これは説得じゃなく結論としてどちらでも何も変わらないということを示しているだけの話
その通り。ただし、人間には自由意志が無いを証明するには悪魔の証明となってしまうので自由意志が存在するという人にその証明をしてもらいたいと考えて書き込んだ。
>>未来が決まっているか決まっていないかのどちらなのか
>どちらでもあっても結果は直ぐにやってくる
>結果が出てる以上は君が信じたいように信じればいい
>自分の考えだろ、自分が一番よくわかっているはずだ
>
>そして君に自由意思がなかったとしても他の人間が君が一緒だとは限らない
自分には自由意志か無いのだろう。だから証明する事も困難だ。その通りだと思う。
だからこそ自由意志を持っている人間に証明をしてもらいたいと考えている。
>君の持っている電卓に意思がなかったとしてもほかの電卓に意思がないとなぜいえる?
>そもそも君の電卓の液晶では答えだしても半導体の中ではほかの結果を出しているかもしれない
>1兆回計算したら計算ミスをするかもしれない
1兆回計算をしたら計算ミスをする電卓は壊れた電卓だろう。仮に壊れてないとしても電卓に自由意志が無いことを証明するのは困難だ。
AIでも無い電卓に自由意志など無い事は明白なのに壊れた電卓に自由意志が存在しない事を証明する事ができない。
>しかしそれを知ったところで何も変わらない
>既にそうあるんだから
>君の気休めに過ぎない議論だ
1つ質問
どちらでも良いと言うのは意志なのかそうでは無いのか?どちらでも良いと言うのは因果を生じない意志であるからこれを自由意志と呼んでも良いのだろうか?
因果>どちらでも良い>因果消滅=自由意志 違う
結論が変わらん以上そこに思考のリソースを割く意味があるのかと言っている >>176
まだ結論は同じとは分からない。
仮に自分が自由意志を持たない人間だとして
自由意志を持っている人間から自由意志の使い方を習えば自由意志が使えるようになるかも知れない。
テレパシーを持たない人間がテレパシーを持つ人間からテレパシーを習えばテレパシーが使えるようになるかも知れない。
テレパシーが使えるのと使えないのは結論が同じとは言えないだろう。
自由意志が存在するならそれがどんなもので有るか自分は知りたいのだ。 君に自由意思があるなら君はすでに知っている
今の自分がそうなのだから
ないのならなるべくしてなる
つまり何も変わらない そして君が知りたいというのは自由意志ではなくテレパシーなんだなw
これでやっと君の問いの命題が分かった
〇テレパシーが何なのか知りたい
×自由意志はあるのかどうか >>179
テレパシー=認知できない
自由意志=認知できない
自分が認知できないものを既に知っているとする事に抵抗がある。
普通の感覚なら、認知できない=存在しない
だと思うが? >>178
それが存在するから知っているとするなら
ニュートン以前の古代人は既に万有引力の法則を知っていた事になる。
私が万有引力の法則を知っていようが知るまいが私の生活に影響は無いかも知れないが万有引力の法則によって多くの人が影響を受けている。自由意志の存在を確認する事が将来に渡って影響しないという理論はどうやって導き出されたのだろうか? 万有引力は当然みんな知っている
猿や虫ですらね
自由意志の原理を知りたいと言いたいんじゃろ? 自由意志と決めたものが自由意志であり、同時に『非自由意志』でもある。
あたまの弱いおまえらは、同時に成立することが理解できない、それだけなw >>181
トム・ストッパードの「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」という
映画を思い出した。(ヴェネチア映画祭 金獅子賞)
「ハムレット」の端役のローゼンクランツとギルデンスターン目線から
台本通りに演じながらも「ハムレット」劇を再構成する話だが
台本から逃げるブレイクスルーが数々現れる
しかし二人をそれを見逃し、 ブレイクスルーのドアノブに手をかける事が無く
台本通りの運命に従い最後は英国で処刑される。
ローゼンクランツがリンゴが偶然落ちるのを見て何らかのインチュイションをギルデンスターンに
語ろうとするが上手く行かない。ギルデンスターンは馬鹿にした顔でリンゴをかじって終了。
ギルデンスターンは他にも蒸気機関やハンバーガーやディベート(同義反復やトートロジーなど)を
発見するが、悉く台本から抜け出したい筈のギルデンスターンに馬鹿にされ舞台から逃走する事が出来ない。
「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)や「審判」(カフカ)など
自由意志の消滅は他者と場によって消滅、または上書きされるのだろうか? 責任や刑法との折り合いはどうつける?
自由意思が無いとなると、何をしてもその行動や言動に責任は生じないだろ? >>186
他人にハメられて罪を犯した人間でも罰せられるのと同じように罪を犯したのが本人の自由意志でないから責任が問われないとはならないんじゃない?
何か理不尽な気もするがアルコールのせいで本人無罪とか麻薬のせいで本人無罪にならないのと同じ事と考えれば良くない? >>186
責任は生じないが因果が生じるんだね。
因果には誰も逆らえない。
因果によって罰せられる。 我が家の厨房が書いた論文
◯きたないとは何か
○初めに
⚪動機
これは哲学ではなくうんこ学である。人々ははうんこに対して「うんこ」ぐらいにしか思って
いないことだろう。「うんこはきたないか?」と聞かれたら「そうだろう」と答えるくせに
「なぜうんこはきたないか?」と問われれば「分からない。」と答える人もいると思う。そこ
で私は「きたない」について考え定義しうんこが「きたない」ことを証明しようと考えた。
⚪注意
「きたない」について具体的に考える前に注意しなければいけないことが1つある。それは
「きたない」は客観的な事実ではなく主観的な意見に過ぎないということだ。そこに絶対とい
うものはない。何を「きたない」と捉えるかは人それぞれなのである。しかし自らにとっての
「きたない」を考えることは出来る。僕にとって何が「きたない」のか僕にとって先輩はきた
ないのかを知ることは出来る。そこに答えはある。
⚪方法
「きたない」をまず辞書で引いてみる。すると@「不潔」A「下品」B「卑怯」C「貪欲」な
どの意味が見て取れた。今回の場合考えるのは@だろう。ABCは存在そのものに関する言葉
ではなく先輩自体が「きたない」事を証明するのには適していないからだ。そして更に「不
潔」を調べると「不快感を感じるもの」という「感覚」であることが分かった。つまり感覚的
に不快になるものが「きたない」ということになる。それを今回は5感に分けて考える。 ○視覚
⚪一般
まず1番目に考えるのがこれだろう。「茶色いものは『きたない』のだ。世界1『きたない』
うんこが茶色いように。」そう考える人はそう少なくないと思う。しかし私は異論を唱える。
うんこが「きたない」のは茶色いからではない。うんこが茶色いから「茶色いものは『きたな
い』。」と思い込んでいるのだ。彼らはそのくせはのうのうとカレーライスを食す。そして誰
かがうんこの話をし始めた瞬間「きたない」と感じる。
⚪仮説
私は本来「きたない」ということに色彩は関係ないのではないかと考えた。では視覚的に何が
「きたない」という感情を抱かせるのか。それは量である。それもただ単純に量が多い方が
「きたない」のではない。「視覚の全体に占める割合」が重要なのだ。例えば10gのうんこ
と1tのうんこならば前者の方が汚いだろう。異論は認める。しかしよく考えてほしい。臭い
ではない。片付けの大変さでもない。あくまで視覚的なものだ。後者の方が不快感は抱かない
のではないか。
汚物の量と汚さは反比例する。これを「ウンチイッパイデタネの法則」と呼ぶことにした。異
論は認めない。 ⚪考察
なぜそうなるのかを考えてみる。うんこ自体が視覚的に「きたない」のであればうんこの量と
汚さは比例するはずだ。しかしそうではない。つまりうんこはきたなくないのだ。我々の「き
たない」という感情はうんこ本体ではなくその環境における他の要因によるものなのだ。それ
はうんこがその環境に相応しいかどうかだと私は考える。そして視覚に占めるうんこの割合が
大きければ大きいほどに「うんこはその場所に相応しい」という錯覚を覚えることになるの
だ。@家の中にうんこが10g落ちている。A牧場の隅にうんこが10g落ちている。B牧場
の隅にうんこが1t落ちている。果たしてどの順番に「きたない」だろうか。僕の考えが正し
ければきたなさはB<A<@になるはずだ。異論は認めない。何度も忠告するがこれはあくま
で視覚面によるものだ。「くさそう」などの感想はおかしい。しかしこれも「きたない」の1
種なのかも知れない。「茶色は『きたない』色だ。」という考えがあるのも事実だ。私はこれ
に関して以下の考えを持つ。「本来『きたない』色は存在しないのだがうんこというこの世で
最も『きたない』物体が茶色であることから茶色を見るとうんこを連想するようになり茶色は
『きたない』色として定着された。同様に色彩による感情の殆どはその色から連想されるもの
のイメージで成り立っている。(心理的根拠に基づくものも一部あるが。)」例として茶色は
うんこを連想させることなどから「きたない」と言われるしピンクは花などを連想させるため
「きれい」だと言われる。また「相応しい」というのも本来視覚以外によって得られた情報か
らの連想である。つまり何が言えるかそれは視覚的に元々「きたない」ものはないと言ってい
いほど少ないということだ。「視覚的に『きたない』ものは元々はなかった。人によって見た
目の汚さの基準が異なるのはこのためである。」これがかの有名な「ウマイモノハチャイロ
イ」の定理である。 ○嗅覚
⚪一般・仮説
視覚の次に考えるべきなのがこれだろう。一般に臭いものは「きたない」とされる。私はこれ
に特に異論はない。これに関しては生物学的にも考えられる。有害なものをくさいと感じる。
それを避けるべく「きたない」という感情が生まれたとすれば辻褄が合う。
⚪考察
また臭いものには有害ではないとされるものも含まれる。例えばうんこだ。しかしそれはスカ
トールやインドールなどのガス(有害)による臭いがついたものであり有害なものを避ける性
質の一種なのだ。では果たして科学で全てを証明可能なのだろうか。まず主観的だと思われる
例を挙げてみる。それは「自分のうんこの方が他人のうんこより臭く感じる問題」だ。調べた
ところ「自分の臭いは、本能的に安心するという効果があります。特に動物がそうですが、自
身の臭いが他者とのコミュニケーション手段になっているからで、自身の臭いが安定して排出
されていたら、安心できるということです。人間にもそういう本能が残っています。一方、も
しも、自分のうんこの臭さに堪えられないなら、排泄されるまで、腸内にとどまるうんこの臭
いの扱いに身体が困ってしまいます。」(やほお知恵袋)ということらしい。つまりなんとこ
れも本能的なものなのだ。このことから私は「臭いという感覚は全て本能的なものである。」
と結論を出した。嗅覚的「きたない」=臭い=本能ということである。 ⚪一般
「触覚的に『きたない』とはどういうことか?」そう問われた人々はまず頭の中に汚いものを
いくつか思い浮かべるだろう。そしてそれぞれの触覚の共通点を見つけようとする。私も今回
は同じ手法を使おうと思う。
⚪仮説
例えば@うんごAうんちBうんにょで考える。これらは硬さを基準とした感触の違いがありB
<A<@の順番で硬いといえる。では汚さはどうか。私の意見では@<A<Bだ。ここで柔ら
かければ柔らかいほど汚いのではないかという仮説が成り立つ。 ⚪考察
これについて考えるためにはまず「柔らかい」について定義する必要がある。うんご→うんち
→うんにょで何が変化しているか?そう水分量だ。その物体を構成するその他の成分が水より
柔らかくない限り水分量が増えれば物体は柔らかくなるはずだ。(「水」というより「液体」
が適切か。)なぜならほとんどの物体のそれ以外の構成成分は固体であり液体より柔らかいか
らだ。私は柔らかいということを単純に水分量が多いというように考えることにした。それを
さっきの仮説に当てはめてみる。「柔らかいほど『きたない』。」=「水分量が多いほど『き
たない』。」ではこの仮説の正誤を考えてみよう。まず先ほどは3段階で考えたが変域を広げ
てみることにした。うんにょより水分量が多いものをCうんぴという。またうんごより水分量
の少ないものの名称は仮にD(うんご−1)としておく。そしてこの場合の結果を考える。あ
くまで私の主観だが触覚的な汚さはD<@<A<B<C(水分量小<大)であると思う。では
この法則性がどこまでも続くのかを検証してみよう。仮に水分量が0のうんこを(うんご−1
00)完全に液体となったうんこを(うんぴ+99)とする。どうだろうか。(うんご−10
0)より(うんご−99)の方が「きたない」のは確かだが(うんぴ+98)は(うんぴ+9
9)より「きたない」ような気がしないだろうか。つまり「液体の割合が減少するほど汚さは
減少する。これは液体が0になるまで続く。また液体量が増加につれ汚さも増加するがある一
定の値を通過すると完全な液体になるまで汚さは減少しつづける。」ということだ。これをウ
ンコノカセキハクサクナイ理論という。ではなぜこうなるのかを少し考えてみよう。私の予想
だがこれは「手につくかどうか」だと思う。触ったあと手に付着するうんこの量と関係してい
るのではないか。柔らかければ柔らかいほどに手にくっつきやすくなる。だがある一定の液体
量を超えると今度はサラサラとして手にはくっつかないということだ。そして物体を手に付着
させたくない感触を残したくない理由は1つ。(触覚以外の感覚からの連想に基づき)「きた
ない」からだ。つまり触覚も元々は「きたない」を感じることはなかったのだ。(ウマイモノ
ハチャイロイの定理2) ○味覚
⚪一般
このことを考えたことがある人は少ないだろう。「強いて言うのならば不味いものは『きたな
い』…?」と言うような非常に難しい問題である。では「不味いものは汚い」という仮説をた
ててみる。 ⚪考察
考えてみよう。例えばうんこは「きたない」。そして不味い。ではあんこはどうだろうか。あ
んこは不味い。しかし「きたない」とは思わない。この時点で仮説は崩れた。順番が逆なの
だ。不味いものが「きたない」のではなく「きたない」ものが不味いのだとしてみる。それで
は「きたない」ものに本来美味しいものはないという仮説はどうか。昆虫食が一般的な国に行
きディナーにゴキブリを出されたらどう思うか。この「気持ち悪い」という感情は「きたな
い」と同一だと考える。しかしその食用ゴキブリは(少なくとも現地の人々にとっては)美味
なのだ。しかし「きたない」のならこの仮説も正しくないのではないか。そうではない。ゴキ
ブリは「きたない」という先入観によるものだからである。そしてゴキブリが「きたない」と
思うのは元々味覚以外によるものでありそれを連想させるから「きたない」のだ。ゴキブリが
「きたない」理由についてはこう考えられる。「ゴキブリが好む生活条件は衛生的に良くな
い。医学的に不潔である。不衛生で体に害を与える可能性のあるものを避けるのは本能的なも
のである。」つまりゴキブリがきたないのは本能によるものだったのだ。しかし特定の地域で
はゴキブリは食用として衛生的に飼育されているため現地では汚くないのだ。また味覚以外の
要因で「きたない」の条件に当てはまるものも味覚によって汚くなくなる場合がある。例が納
豆だ。納豆がネバネバしていて(付着しやすい)アンモニア臭を漂わせる(アンモニアは有
害)が汚くはない。美味いからだ。また接着剤は臭いし 付着するが汚くない。これらに共通す
るのは何か。役目があり利用することができるということだ。だから汚くないのではないか。
体に悪影響を与えるものを嫌い生命維持や日常生活に役立つものを好む。これも本能のうちな
のだろう。また日常的に肥料として牛糞を使用している農家は都会人ほどうんこを「きたな
い」とは思わないらしい。これは都会で生活する人々が臭いに加え役に立たないという条件か
らうんこが「きたない」という先入観を抱くのに対し農家はうんこを役に立つ肥料としてみて
いるからである。まとめると「本来味覚によりものを『きたない』と感じることはない。しか
し役に立つものは汚くないため『きたない』ものは不味い(美味しくないというイメージがあ
る)ものが多い。」ということである。(ウマイモノハチャイロイの定理3)
○聴覚
⚪一般
一般に「ブリブリ」は「きたない」。
⚪仮説
もうすでに想像はつく。「ブリブリ」という音自体が「きたない」のではない。「ブリブリ」
がうんこを連想させるから「きたない」のだろう。
⚪考察
聴覚という言葉からは少し外れるかもしれないがうんこに対して「きたない」という感情をま
だ抱いていない子供に母親が「うんこは『きたない』からその言葉は使うな」と言えば幼少期
の子にとって親は絶対的な存在であることから「うんこは『きたない』」と覚えてしまう。こ
のように他人の意見や世間の風潮によって「きたない」という先入観を抱くこともある。そし
てその先入観による連想が次の「きたない」を生むのである。元々「きたない」音など存在し
ない。(ウマイモノハチャイロイの定理4) ○まとめ
⚪視覚
本来は汚くないが他の「きたない」ものを連想させると「きたない」とされる。その場に相応
しくないと感じられればより「きたない」と感じる。
⚪嗅覚
臭い(有害の可能性がある)ものは汚い。他の生物により出現した物体などより汚く感じる条
件がありそれらは科学的に説明できる。
⚪触覚
本来は汚くないが他の「きたない」ものを連想させると「きたない」とされる。体に付着しや
すい粘着質なものはより「きたない」と感じる。
⚪味覚
本来は汚くないが他の「きたない」ものを連想させると「きたない」とされる。役に立たない
ものはより「きたない」と感じる。
⚪聴覚
本来は汚くないが他の「きたない」ものを連想させると「きたない」とされる。他人により
「きたない」と伝えられるとより「きたない」と感じる。
⚪考察
「きたない」という感情は嗅覚を中心に成立していて様々な条件がある。そして嗅覚とその条
件は科学的に説明できる。そのため「『きたない』は科学的に説明できる。」のではないか
⚪感想
楽しかった。 「自由」は空想的概念
ある時点で「右を選ぶか左を選ぶか」みたいな
宇宙の状態を分岐することができる力を指している
が選択が何によって決まっているか言ったら
「必然」「偶然」のどちらかであり、
人間が考えた「自由」とはだいぶ違う
ただ1つの正解を間違えずに選ぶ神が機械になってしまうことが
中世の宗教家たちの悩みの種だった 小学生の頃、難しい算数の問題を解くのが好きだったんだが、
解法を思いつくかどうかなんて偶然頼りだよなと、
そういう単語こそまだ知らなかったけど、人間の思考に主体性がないことには薄々感づいていた
高1の生物で神経を巡る情報が電荷であることを習い
人間が「思う」ことで電位を発生させることなどできるはずがないことから決定論に気づいてしまった
知ってしまうと人生が虚しくなるよね・・・ 「思う」ことに意味がないなら虚しく思うことも意味ないんでは >>1
これなあ。
バキであった、意識の前に脳は活動しているという学説を実体験したからなあ。
ほんと自由意思はないのかもしれん。
結果について、あとから意識がついてきて後付け理由をつけているだけかも。 >>1
脳が神秘的で神がかった物だと解釈されるのは生物学が化学として扱われる以前の話だが。
現在はすべての物質は化学的に決められたとおりにしか動かないとされている。 スパイのミッションでお会い出来る機会があればですが、一度お試しになられては如何ですか。 臓器はオートマティックだけど
肺だけ意識でコントロールできるね >>211
いや、そんな事はない。
オマエの心臓を止めてやる! 痙攣してまでポンプの機能を全うしようとする心臓を
呼吸する意志は止めることすらできるのは美の恐ろしさか 人間には呼吸を止める手段を知り
それを行おうとする意志しかない。
自然現象の物理的作用力でしか
呼吸は止まらない。
一生懸命呼吸よとまれと意志する
だけでは決して呼吸は止まらない。
美の恐ろしさの出る幕もない。 意識は考えるものではない、
認識することに意味がある 常に顕在化するものでなく潜在的だと思う。使わないと無意識に眠って死ぬのか?
流れで。 >>208
主観的に見てそう考えられないから議題になるんだろう。
あなたの意識がロボットのように論理だけで動き、説明できるのなら興味深いね。 >>207
そうなんだよなあ
でも自分の意識としては「選択している」と思ってるんだよなあ。
なんなんだろうなあ >>202
決定論は量子力学によって正式に否定されています。 自由意志問題では多くの場合、
最初に共有しておくべき一番大事な事項である「自由の定義」がなおざりにされているんだよなー
物質の振舞いに法則性があっても偶然性があっても、
どちらの場合にも意識体験をしている主体がこれをコントロールできていない時点で
人間が想定している一般的な「自由」とは異なっているんだが
この時点で、
自由はあるかないか以前に、自由という概念自体が架空のものってことに気づいてしまうよね >>223
そんなことを言っても、物質の中で唯一
自分の体(随意筋)だけは、意識体験をしている主体がコントロールできるのは厳然たる事実であって、それが自由の概念の源です。
架空だといってみても、仕方ないでしょう。 >>224
それは単に勉強が足らないだけ
筋肉を動かしているのは電気
自由意志なるものの持ち主がいたとしたら
彼はその自由で脳内に電子や陽子を発生させたり消滅させたりしていることになる
そんな現象が観察されたことはない
随意筋と不随意筋の違いは意識体験を伴っているかどうか
そして意識体験は物理現象よりだいぶ遅れて発生していることが確認されている 物理現象と意識体験のタイムラグ現象が確認されるのは
主体者が意識体験の意味を主観的にフィードバックするから。
つまり、どういう意味に判断するかの自由意思があるし
社会通念や法律に反しない範囲の自由意志は実行する自由もある。 >>225
いえ、そういう脳と意識の関係とか、
いわゆる決定論が正しいかどうかとか
いう話とは全く別に、自由意志で体を動かす
主観的体験は厳然たる事実なので、
自由意志という概念は架空のものには
なりようがないのでは、ということです。
自由意志の正体が神様からの電波だろうと
時空を超越した人格の作用だろうと
脳細胞の電位変化だろうと、別に関係は
ありません。
どうして「唯物論や決定論が正しいなら
自由意志とか責任とかいう概念は成り立たない」
という発想をする人が多いのか、
どうもよくわかりません。
痛みの原因が神経の作用であることは
あまり異論がないでしょうが、だからといって
痛みという概念は成り立たないと主張する
人は、あまりいないでしょう。 酔っ払って意識がないまま帰宅したり、解離性人格障害者なんかは
主観的体験を伴わなくても体験行動が成立するしね。
自由意志や責任とかいう概念はそういう行為の責任能力と
関係しているということがわかっていないんだろうね やっぱり「自由」の共通定義がないことで議論がこじれているね
少なくとも自分は「必然」「偶然」と同じレベルで「自由」を説明することができない 自由
哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい
積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう >>231
哲学勉強していれば、そのうち理解できるようになるよ >>233
消極的な方も積極的な方も
MetaPhysics的に還元していくと
プランク単位での次の時空間の座標が
偶然と必然のどちらで決まるか?
になるでしょ
そういうのマジメにやらないと考察してることにならんでしょ
目背けちゃいかん 消極的な方も積極的な方も
MetaPhysics的に還元していくと
プランク単位での次の時空間の座標が
偶然と必然のどちらで決まるか?
になるでしょ
なにそのインチキw >>240
そう考えるのが、自由意志を肯定するには必要だろう 結論(希望)から理由を後付けしようとすると収拾つかなくなる 哲学の自由意志は感情論で片付ける単純な概念じゃないからなぁ >>1を見ると
このスレでは物理的な意味での自由の否定を扱っているようだ 意味とか意思は物じゃないから物理的には扱えないから思い違いじゃないか 100年前には遺伝現象を化学的に還元して語ることができるとは誰も思っていなかった…要するに遺伝ってのは神秘的なもので化学的と言うより物理的に扱うことはできないと思われていたわけだ
しかし今遺伝子切った貼ったなんて普通の技術になってるわけで…遺伝「情報」は物じゃないけどそれを担う遺伝子はDNAという物質なんで物理的化学的に扱うことができる
人間の意識は遺伝情報ほど単純には物理的化学的に物質とリンクはしていないだろうけど物理学化学と隔絶した存在とは思わない物理的に意識とは何かを解き明かす過程で自由意思の問題も解き明かされるのじゃないか 常に自由でなくてもいいではないか。寸暇の自由があれば。 何を自由意志と呼ぶかにもよるが
一連の物理運動を自由意志と呼ばないのであればそれは自由意志ではないし、
しかし俺は一連の物理運動のうちの一種を自由意志と呼ぶのだと思う 自由というものがあるとしたら、主体性なるものが存在する場合だけでしょ
物理法則の支配を脱し、右ではなく左を選び、未来の宇宙の状態を変えることができる力
仮にあったとして、結局、じゃあその主体氏はどうやってその選択に至ったの?って話になるが 決定論を否定したい人が決定論に基づく予測を知ったら
当然それに反する行動を選択するだろう そりゃインプットが変わればアウトプットは変わる
忠実に物理法則に従っている 「好き」「ありがとう」→''嬉しい''
「嫌い」「死ね」→''悲しい''
これがもっと複雑に精巧にできるようになってしまえばロボットだって人間と同じだと思う
ロボットは人間が作るけど、俺らを「なにか」が作ったとしたら
感情プログラムが設定されてるとしたら
自由意思はないよな >>256
湯川秀樹氏と同じ考えでおられますが、人間の思考パターンは、宇宙が、何兆回も繰り返されたのよりもっと複雑なパターンがあり、
それは、無限に近い。したがって、自由意思と呼ぶのに問題はないはず、というか、人間にも何物にもその再現は不可能。 だからパターンが無数にあってもそれを主体的に選択して生きてるってことが無ければ自由意志じゃないんだろう
要は、決定論かどうかってことじゃないのか 自由という概念自体が幽霊みたいな架空のものだからね
Aさんが選択した行動は何に基づいたものなのかと言ったときに
「必然」じゃないとしたら、じゃあ「偶然」になる訳で
そのどちらでもない「自由」なんてものを想定することはできない 自由という人間の選択可能性は自己決定権の範疇に選択肢が限られる 自由という幻想を失ったとき、知的生命は何を思うのか?
全人口がその事実を知ってしまっているような
人類よりはるかに優れた遥か彼方の生命の行く末とはどんなものであったのか? 死ぬまで選択肢を失うことがないのが人間という存在なんだなと思うだけ 人類を遥かに超える知的生命の世界であれば、
もう自由という語彙自体が古典上のものになっているんだろうなー
現代人にとっての神悪魔みたいな感じで、フィクションにしか居場所のない概念になっているだろう 宇宙の中のぽつんとした小さき存在である私にはほとんど自由がないかに感じるが、それが現実であり、
寡少な自由というモノを過信せず卑小な存在として信じていきたい。 堀江貴文の有名な言葉「想定の範囲内」
これをジジェクの言う対象ªと照らし合わせて判断していくのが現代人としての取るべき最適解なのかもしれない
いずれにせよ、前提条件は根本的な知を排除している
この乖離こそが文明に?を感じる根源であり、当然その原動力なのだろうが >>259
必然、自由、偶然という三分法をモデルにすることはできないの? >>261
>>263
人類より遥かに優れた、ってどんな風に? >>270
必然に基づいた行動
偶然に基づいた行動
自由意志に基づいた行動
必然と偶然の二分法では説明できないというのが
自由意志論の根幹なのにね 自由というものの存在を肯定する人は、まず自由の定義から逃げるんだよな
一般的解釈だと、例えばジャンケンするとなったときに
脳内には既に掌の筋肉をグーに動かす神経パルスを誘発する電位差が準備されているのに
超自然パワーでそれに逆らって脳内に新たに電子を発生させるか電子を移動させるかしてパーを出せるというのが自由
そのときパーとチョキの2択があったのに最終的にパーに決定した理由までは追及しない 自由意思の発明も原理主義に寄りかかっていると思われる
どこかに責任転嫁せねば気に済まないのは人間のサガだろうが 自由意志と意志の違いなんかねーわw
自由とか形容して価値ある感だしてるだけ イランの反米CMが戦時中の日本みたいだった
アメリカ軍イラン国旗で津波を起こして撃退する
初歩的な教育も浸透してないから、
この世には物理法則を覆すオカルトパワーがあると本気で思ってる >>275
意思というのは辞書的にはおそらく主体的な意識っていう意味で、
心の哲学とか脳科学的に翻訳すると、
まずクオリア(意識体験)があり、クオリアが物質の振舞いを支配しているような状態ということになるんだろう
自由の概念を元々含んでいる言葉だね、「自由意志」の「自由」は明示的にくっつけてるだけ
今のところクオリアは物理状態の随伴現象という言い方をされていたり、
クオリア側からのフィードバックがある(物質と相互作用する)としても
一般の物理現象と同じ数式化可能なものになるだけで、
いずれにしても決定論の縛りからは逃れられない(量子論的不確定性はここでは別の話) >>257
人間の思考パターンなんてだいたい決まってんじゃん
1と2の間の1.x〜が無限にあろうとも所詮は1と2の間
人間の思考パターンも生物の生存本能の決まった枠内でのものでしかない 人間が考えてる自由は自由では無い何かの中にある自由に似せた行為なのでは 生まれてくるか否かを選べなかった時点で根本的に自由などない
せいぜいが柵で囲われた中での自由でしかない 生まれていないなら自由も不自由も原理的に無い
人間界に生まれた不自由から根本的に人は
自由を求めるようになる。
囲っている不自由な柵は人間界ということだ。 自由意志という言葉が先だったのかfree willからの訳語の方が先だったのかは分からんが
主体的自由とでもしてくれた方が聞く方は迷わなかったんだろうな
自由意志という言い方だと、自由部分を自由主義とか自由民権運動とかの自由と思う人が出てくる
democracyを民主主義としたり、metaphysicsを形而上学としたり、
やっぱ最初が肝心 毎日の努力も必然の結果とは、あんまり思いたくないものです 偶然の積み重ねで毎日努力しないと死んでしまう必然を生きていると言うのでしょう 何かが原因として存在する以上は偶然なにかが起きるってことは基本的にはないはずだよな
それを言うと量子力学みたいな不確かさの学問をだしてくるやつがいるけど
ものを落としてそれが地面をすり抜けるみたいなことが天文学的確率で起きる可能性があるにせよ
1億回試行して1回起きるかもしれないというような特殊な事情はないのとおなじだ 仏教でも縁起説といって物事はすべて関連していて単独で何かが起きることはないという
いかなる事情とも関係性が見いだせず関連の糸が我々に認識できていないとき
「偶然起きた」、などと表現しているに過ぎない 必然的に起きる原因は偶然僕にはわからないとか言い出すのかw わかるわからないに偶然は関係ないでしょ
わからないという事実があるだけだ わからないという事実?
お前がわからないのにどうやって事実があるだけだなんてわかったんだ?
どうしようもない馬鹿だな わからないっていうことがわからない??意味わからないこと繰り返すアホ猿は黙ってろよ気色が悪い自殺しろ >>290
これはさすがになにを言ってるのかワケワカメだな
意味不明すぎな難癖ワロス 偶然のことを問題にしてるのに、わからないことを確定できないとか
ほんま小学生並みの詭弁やなw 絡まれてる人じゃないことを最初に断っておくが、
わからないという事実があるだけだ
↓
お前がわからないのにどうやって事実があるだけだなんてわかったんだ?
このクルクルパー理論は正直、幼稚園児並だと思った
たぶん俺は小学校低学年時にはもう卒業しているレベル >>295
これも何が言いたいのか不明だな
間違いなく言えるのは、
今このスレにすごい奴が来ているということだ 5ちゃんでも月1で出会えるかどうかのレアキャラ
時間は遅いけど
どうかもうちょい頑張って欲しい
明日の朝を楽しみにしているから 意味わからんことほざいてるあほサルが今度は別人のフリして吠えだしました >わからないことをなぜ事実と言えるんだ?
こいつ人の運命とか物事のすべての仕組みがわかってんの? まず、お猿さんの発言は何に対してのレスなのかもわからん
議論ふっかけるならそこをハッキリさせておけよ >わからないという事実があるだけだ
↓
>わからないことをなぜ事実と言えるんだ?
これもなかなか凄い
次頼む A:ここにこのような事実があります「私には分からない」
B:わからないことをなぜ事実と言えるんだ?
A:は??? では、必然をすべて理解できていると
おサルは必然をすべて把握してるらしいです、宇宙の始まりから開始して
どうやってこの馬鹿げたやり取りに繋がったのか言ってみようか? この世界に生じた必然のすべて理解してるとか凄いなw >>308
えっ?きみ理解できてないの?
ぜんぶ科学的に証明されてるんだけどー ほっほっほ実に興味深い反応だ、まだまだ観察させてもらうよ ほっほ、まだまだ楽しませてもらうよ
君の行動パターンは実にユニークで面白い >>315
本気ですけど何か?暇つぶしじゃぐるらぁ!余横槍いれんなぐりゃぁ! 何人が参加しているのか、どれが誰なんだかも分からなくなってきたが
1人深く傷ついている奴がいるのは間違いないようだ わたしは神の視点から観察させてもらってるよ
君たちの反応はじつに興味深い 自由を別の言葉で言い変えると「勝手ができる」って感じかな
実際には宇宙は勝手な振る舞いをしていない、予測ができる、しかもかなり正確に 宇宙を定義しないで勝手な意味で使ってるからじゃない もし(人体を含む)物質に「勝手な振る舞い」が許されていたら
ブスに買われてしまったパンツは脱走を試みるだろう、自殺(消滅)するかもしれない カルトきたっていうレッテルを唱えれば、言語で勝手ができるという構図そのまんまだな これ以上さかのぼることができない原因のようなものあるじゃん
なぜ落ちる?→重力があるから→なぜ重力がある?→質量のあるものが空間を歪めるから、みたいな
物体もどんどん構成要素に還元していくと素粒子になる、時空間にもプランク定数なる最小単位がある
自分はよく「性欲」の根本理由を考える
三大欲求とか言われているもののうち、食欲と睡眠欲はもうこの時点でこれ以上還元できないモノだと思うんだけど
性欲、つまりオッパイやお尻が好きな理由は、進化とか繁殖とかそんなのが考えられるんだけど、
いつも最後には「本能としか言えない」になってしまうんだよね
もっと突き詰めて考えたことある人いる? 性欲なんて人間の好奇心から妄想が膨らんでつけられた呼称でしかなく
欲求の1カテゴリに過ぎないと哲学的な対象としては捉えるべきでしょ。
要するに、支配欲でしかないし、実も蓋もない話、物理的な現象としては
出産も唯物論で言えば母体にとって孕んだままではいられない
異物の排泄に過ぎないわけでね。
おっぱいやお尻が好きだの何だのというのは、できるだけ強い性的快感を
得るために、性欲を高めるための倒錯に過ぎず、本能とかまったく関係ないわけw
心理学的な意味合いと哲学的な意味合いはまったく次元が違うってこと。 排泄欲やできるだけ強い性的快感の辺り、いいこと言ってるけど、
支配欲とは違うと思うし、やっぱり本能だし、心理学とも違うと思う
ここは個人差があるんだろうけど、自分の場合は支配じゃなくて保護される感なんだよな
母親に守ってもらえていた頃の安心感、今や成人女性より自分の方がよっぽど強いのに
まだその感覚が残ってる、その意味では心理学領域かな
その感覚を呼び起こすものが、丸くてすべすべで柔らかくいい匂いがするもの、ってところの説明が
やっぱ本能としか言いようがない
とりあえずちょっとスレの趣旨とは違ってきたかな 今パソコンから立ってタバコを吸うとかは自由意志だ。 と思ったけどタバコを吸うとかたつとかも他人が決定済みだ。 >>329
違うと思う論理を理性的に構築できない、そういった本質的な感情が本能
意志に関係なく生じる欲求について自ら思考する自由意志が
哲学的本質に迫るゆえんということ。まぁ本能としか言いようがない者にとって
残念ながら自由意思はあっても自由意志は存在しないというわけだw 本能と言うより要は、そういう風な仕組みになってるという事実を受け止めるしかないってことだろ
なぜ物が落下するのかという現代科学では自明なようなことでもなんでより大きなものに物体は引き寄せられるのか
素粒子が関与しているという説明はできてもなぜそうなってるかという理由には到達できない
どんな存在や些細な事象にも究極的な理由など求めようがないという訳だな 理由は求めようがないというより、追求しなければ理由に思い至る訳もないわな >>333
究極まで行ってしまうと理由がなくなるからね
そうなっているとしか言えなくなる
これを表す科学用語があったんだけど、忘れた 意思についても
なんでそうしようと思ったのか理由を追求していくと
最後は物理的にそうなっていたからとしか言えなくなる だったらら理由もなくどうなっていたら物理的に意思が生じるか説明してみせてくれ ある時点までしか遡れないだけで理由は存在するだろ
理由とは経過やそこに至る筋道も含まれているからな
その究極の原因は不可知とういことだ 「最後は物理的に」って、
重力や静電気力に従った粒子の運動の結果ニューロンが発火したとかのことで
別に遡れる理由の限界のことを言ってるんじゃないでしょ
このスレに来るならそんくらい分かれよと思う 物理的原因を遡れもしない馬鹿が理由とか言っときながら
そんくらい分かれなんて偉そうな口を叩くなよ こいつ自分がほざいてることの意味分かってんのかなぁ >>341
お前の馬鹿さ加減をほざいてるだけじゃん >>341
逆にどんな意味が込められてるって妄想してんだよw 理由もない訳はないけどそれが何かを言えないんだったら「物理学的に」とか
いくら息巻いても意味がない
それと究極の原因がなにかを考えることが無関係と言ってる意味もわからん 物理学にじゃないとしたら余計に言える人なんてカルトくらいになる >>336>最後は物理的にそうなっていたからとしか言えなくなる
哲学からすると、そうなる理由も原因もわからない
まま物理学にマインドコントロールされたカルトと
なんら変わらないんだよな だいたい意志なんて身体機能の一つで特別なもんでもなんでもない
毛細血管はどうやって生まれたのかという質問と変わらん 実際問題そういう哲学不向きな人間で世の中回ってるからね 自由意思が錯覚だとすると、
アメリカのほうが北朝鮮よりも自由な社会だと
感じるのも客観的には錯覚だということになる。 前後半各々の文章は成立はするけど、まったくつながりはないという、、、 自由意思と選択的自由の区別はつかないだろう。
どう違うのか説明できるのか。 ある意思が選択の余地なく自由であることをどう確かめる? 仮に量子の挙動が実はランダムではなく、自由意志によるものだったとしたら
マクロな世界の未来の状態を有意に変更する訳だから
1コや1コの量子ではなく、天文学的な数の量子をコントロールできなければならない
そんなことが起こっていたとしたら、物理法則なんてもの自体が存在しなかっただろう
ピサの斜塔から落とした鉄球は大空の彼方へ飛んでいったかもしれない >>355
>仮に量子の挙動が実はランダムではなく、自由意志によるものだったとしたら
>マクロな世界の未来の状態を有意に変更する訳だから
>1コや1コの量子ではなく、天文学的な数の量子をコントロールできなければならない
それ物理法則を物語っているわけではなく355の認識レベルでしかないわけよ
>そんなことが起こっていたとしたら、物理法則なんてもの自体が存在しなかっただろう
>ピサの斜塔から落とした鉄球は大空の彼方へ飛んでいったかもしれない
そんなことが君の認識レベルで起こっているからwそのデタラメが出てきてるわけでね。
物理法則と自由意志を関連付けられるだけの見当がまるで付いてないのに自分の持ってる
情報源で無理やり論を組み立てようったって、そりゃコントロール不可能なんだよ無理無理。 自由とは、物理法則に逆らうことができる、超自然的な、神の力である
原因がないのに、結果がある
人間には、理解不能な、領域だ これ見よがしに行間を開けて書き込む行為にも原因がある訳だな >>357
物理法則なんて人間の認識形式に過ぎないんだが、超自然的な神の力に匹敵する真理だとでも思い込んでんだろうな、そら理解不能になるわけだw 「自由」は正確に定義されてもいなければ、共通の理解が得られている概念でもないが、
自由なる物理法則突破方法、つまり同一の物理状態から異なる未来を生み出す何かがあったとしよう
それを例えばこのスレでは「意思(意志?)」と呼んでいる訳だが、そいつはいわゆるクオリアの一種であると思われている 正確無比に動作し勝手な振る舞いをしないことから機械類には自由を生み出すクオリアはないと考えられる
自由は生物の特性なのだ
では生物とは? 生物とは有機物、つまり炭化水素ということになるのだが、
炭化水素類がクオリアを生み出しているとして、では炭化水素類に特有の何かが他にないだろうか?
これだ、睡眠だ、理由は分かっていないが、これがないと生物は死んでしまう、炭化水素は崩壊してしまう
二倍速でも聞き取れるものだからざっと見てくれ(所要時間3分)
https://www.youtube.com/watch?v=0yG70Yf8itU しかし残念でした、ビニールやプラスチックといった安定した炭化水素類もあるのだ
常に寝ているとも考えられるが・・・ 「面白い」 か 「面白くない」 の極論をして面白いの? 哲学が実証されて物理学になるわけでしょう
実証されなきゃ哲学のまま
これはいつまでたっても哲学のままだぞ たぶん物理学、科学は、この世界とこの世界以外と人間の真実は、
究極的には絶対解明できないけど少し近づくことはできる
たぶん雰囲気的には、今現在1%程度の解明度ではないかって気がする 自由意志とは自分の意志の問題である。
なので当人でないものがどうこういってもはじまらない。
自分で自分を考えてもわからない
人間じゃわからないので、機械の自由意志を考える。機械なら細部も観察/観測できる。
機械は意志を持たない―終わり。
ということではつまらない。
意志とはなにか、といえば、自発的な思考である。目標とか達成とかのため、なんてことは先送りしよう。
自発的な思考をするもの。できれば機械のように内部も観測できるもの。
思考とは何か、といえば、外部の情報(アクティブでもパッシブでもよいとする)の入力があり、
それを内部で組み立てること。
出力はなくてもよいのだが、できれば出力を行い、把握した情報の的確さを外部で評価できるのが望ましい。
評価のしやすさ、としては、なんらかのイベントと結果があり、その結果の予測が思考の結果として出力されるような状況がよいと考えられる。
そこまで考えると、むつかしいといよりめんどくさい。
もっと単純に「反応」と考えよう。 どのような「反応」なら「自由意志」を持っているといえるのか。
まず、選択肢は複数なければならない。
情報に対して、反応としての選択肢が複数あること。これは必須だろう。
などと、くだらないことを考えていたら、ひとつ思いついた。
自発的に「学習」したのなら、それを「自由意志」とみなそう。
これを、自発的な自己プロプラミングとみなす。
なんのことはない、「創発」である。
これは自然現象であり、「自由意志」とは自然現象である。■ >>376
まず貴方の言うオカルトを定義してみせろ、
単に俺は無知で無能だと説明していりょうなものだぞ。 俗に言う自由意思から我々は自由ではないな
その意思の発生は自動機械的に現れ我々はそれに睨まれるだけだもの
その意思を否定したとしても否定する意思が(何故だか)現れて今度はそれに睨まれただけだし 自由意思がないとすると罰則や責任の概念が変わるから採用してるだけだと思う
百年くらいしたら自由意思に関して今と全く違う捉え方がされてると思う 制限的故意、つまりある程度制約されつつも、なお自由意思を認定できるだろ テキサスタワー乱射事件のホイットマンは母親と妻を射殺した後事件を起こしたけど事件前「抗い難い衝動がある。死後自分を解剖して欲しい。」と遺書を書いた
遺書の通り解剖したら脳腫瘍があったわけだけど事件はホイットマンの自由意思だったと言えるの?
自分の中から巻き起こる欲求に従ったのだから自由意思と言えるの? >>388
まず自由意思があるのかどうかがわからないからね 理性によって明日からホモになろうと決心しても不可能なように
人間生活というものは全て始原的欲求によって営まれる >>389
でも人類は自由意思がある前提で話を進めてきたわけじゃない? >>393
法による刑罰や宗教の信仰って自分意思がある事を前提にして進んできたわけじゃん >>394
自由意思が本当にあるのかないのか確認できないならそれはしょうがないじゃん >>395
だから定義の問題だと思うよ
「自由」が自ずに由るとすれば他者からの抑圧が無ければそれだけで自由意思だと言える
自由をそれより進めたものだと定義すれば成り立たなくなる
ただの生物の生理的作用だとしてしまえばそれは自由ではなくただの現象になる 能く自由意思の話で「でもやめることが出来るだろ」ってのがあるけどその「やめたい」って感情も何処から来たのか分からないものだしな 人間だけでなく全ての生物の振る舞いは環境と個体の性質だけで定まる
カントであれアインシュタインであれジャングルに生まれれば
槍を振り回して一生を終えるだろう >>396
自由意思があるのかないのかが問題なんじゃないの? >>396
通常、この話題を語る際には
はその例のうち後者について「成り立つか立たないか」の議論になる
刑事裁判については、
「意思により、その犯罪行為を回避するという選択も可能だった」
という前提に立っている点で、物理主義者からしたら紛れもないオカルトになる
だから、「犯罪を犯す運命に生まれてきてしまった者は、刑罰を受けることを甘んじなければならない」
と説明することが、法学として誠実な態度と言える >>399
だからその定義だって
例えばある種の化学物質を投与されてある衝動に駆られ行動したらそれは自由意思の結果とは言わないだろうがそれが自然の中にあった物質を食事で知らずに摂取してしまった末の衝動、行動の場合自由意思かどうかの判定は難しくなるだろ?(すごく乱暴な例えだけど)
なら身体の中で起こる化学反応の末に生まれた衝動による行動、思考による行動が自由意思の結果だと言えるのか?という問いだよ >>401
刑罰は責任論ではなく社会の必要としてのものだと見なされるようになっていくんじゃないかと思うよ
殺人を犯した者を責めるんではなく殺人を犯す傾向にある者を社会から排除するというだけのものになるんじゃないかな 殺人万歳のほうが、性犯罪や覗きたかり暴力など結論が早い。社会制度を学びなさい。 >>403
決定論は、特にネット社会になってからはかなりの人間が知っていて
特にインテリ層は知らないはずがないんだけど、厳重にタブー領域化されているんだよね
今の社会制度が自由意志なるものが存在している前提で作られてきたものだから、
決定論を取り込んでいくには相当時間がかかるとは思う
責任逃れ用ツールとしてあまりに便利だからねー 犯罪者だけでなくて聖人にも決定論は当てはまること
たとえば歎異抄に、正しい行いをする人間の徳も実は悪人と変わらないのだというくだりがある
あなたに慈悲深く善良な振る舞いをさせるのはあなたが正しい人間だからではない
人間の計りを超えて絡み合った様々な原因がそうさせるのだと
これは仏教でいう「縁起」の法 物理の初歩の初歩で分かることに
どうして宗教を持ち出そうとするか・・・ 宗教を持ち出したのではなく科学を持ち出さなくても怜悧な目さえあれば分かるって事でしょ?
親鸞には分かってたんだから 日本人の性質だけど宗教だからと言ってなんでもアレルギー反応示すのは
どうかと思うがね
哲学と神学は切り離せないし特に原始仏教は精緻な洞察から得られた
分析的学問と言えるだろう あと、物理の方面では原子以下の現象は確率的であるという量子論の成熟を以て
決定論は否定されたとの見解がある
要は、決定論というのは(これをまた否定する見解もあるが)
完全に物理や科学的根拠に基づく論理ではない 決定論としてよりその人間の性格や感性や思考は何故だかそうでそれ以外ではないじゃん?
例えば怒りっぽい人がいて自身もそれを嫌で嫌でたまらないのに直らなくて苦しんでる
この人って自由なの? スピノザが言ったように自由意志は存在せず人は劇場にいる観客のように
ただ結果を受け取るだけっていうのが一番腑に落ちる
運命を自由にコントロールできないというのが真実であったにせよ人にはそれを
実感することはできないのだから精神の自由を感じることはできるし
意志の有無に関わらず美しいものを美しいと感じ人生の醍醐味を味わうことができる
そこには何も不自由はないからな いわゆる自由意志の有無についてはイージープロブレムにすらならないよな
ニュートンより2000年くらい前のタレスとかの初期のギリシャ哲学の時代に無しの方で結論出てた >>412
「放り投げられた石に意識があったなら自分で飛んでると思うだろう」
人間存在を表した言葉てこれに比肩する言葉はないと思う
「勇気とは運命を笑える力だ」とは僕の言葉だけど人間なんてそんな無くてもいいものは無くていいと思う >>415
逆に、意志の力によってあらゆる障害を跳ね除け夢や希望を実現すること
どんなことも意志によって乗り越えよと
それが人間的な態度であるというのが現代の文明思想と言えるだろう
しかし、老子の無為自然ではないが飛躍せず在るがままを受け入れて日々平凡を
生きることもまた人間的態度だと思うのだが
今の人たちは少し文明思想に犯されすぎているのかもしれない 人間に自由意志があれば何れ最終的には個人が生死を選ぶ自己決定権を認めるんじゃないか
まだ発展途上中ということで。 >>418
それはヨーロッパの先進国でどんどん進んでるよね
人間の解放であるルネサンスの果てには死の選択権が現れるのは当然だよね 自分意思の話からは少し外れるけど
全ての人間が与り知らぬところで定まった運命の元その人生を生きなければならないのは理不尽だと思う
宅間守は宅間守の人生なんていらなかっただろう >>419
国際的にはぜんぜん進んでないから発展途上段階なのよ >>420
> 全ての人間が与り知らぬところで定まった運命の元その人生を生きなければならないのは理不尽だと思う
同意。
自己決定権がない義務意志によって動くしかないのが現状だから自由意志と関係おおありでしょ
自由意志を認めたら改正しなければならない法律が相当ぐらい生命の保護は根源的な基準だからな。 >>420
極論するとすべての人生が一様でなければならなくなってしまう シェイクスピアは
「この世は舞台、人は皆役者」と書いたけど
正確に言えば「人は即興劇を演じてるつもりでいながらその実渡されてもいない台本通りに演じている役者だ」だよな 「ななど(侮)る」の古語である「あなづる」が表現しているのは、
"to treat as subservient"ということなんだよ。「あな」は、
「己(おの)」と同義であるとされるけれども、これは、「あな」
がこの場合、自己を表しているという意味では正しいだろうけれ
ども、「己(おの)」との対比においては、正しくない。
というのも、「おの・れ」は、自らへりくだる表現であるのに
対して、「あな・た」は、相手を尊ぶ表現だからだ。高遠な
立ち位置である「あな」としての自己が、他人を「あな・つる」。
つまり、自分に好きなように引き回す。
人の役に立って評価されることばかりを気にかけていると、
自己中心的であることを脱することができるようになるどころか、
他者の自己中心主義に引き回されることになる。これは、
ユングも指摘していることだ。 >>428
問題はないけど1人でやっててくれと思う >>428
そもそも一様って何を指すんだ?
男でも女でも老人でも若人でも黒人でも白人でも黄色でもない人類? うわぁやっぱアイツだわ
自覚してるよ
AA連投マジでやめてね 自由意志とは何か
例えば1+1=2とと答えるのは論理性だろう
論理性であり、知性・倫理・社会性に繋がる
挨拶をすれば返し、社会のルールを守り、仕事のやり方を学んでこなしていく
これらが脳機能的に出来ず、予想外の行動で攻撃したり事故を起こす人間は統合失調症・障害者として恐れられ隔離・治療される
自由意志とはサイコロの目の様に予測できない事を指しているのか?
量子力学の分野では量子の動きを完全に予測できないとされている
しかしマクロで見ればその動きは収束され予測通りの値にはまる
そして脳細胞の働きは量子単位の揺らぎで機能を決定されていない
故に脳機能は正しく物理的な観測通りに化学物質と電気信号によって思考する
仮に量子の揺らぎに影響えおうけたとしてもその量子の一つに思考・意思はない
幾億もの脳細胞の働きによって思考は形作られる
意志という物はそもそもマクロ的な脳細胞の働きによってしか生ぜず、ミクロな脳細胞の働きになる程に意思と呼べるものは分解され消える
逆に言えば脳味噌にサイコロが入っていてその目によって意見を変えたとしてそれを自由意志と言うのか?
それで納得出来るのか?
この問いは自由意志と言うものがなんなのかと考えれば無意味な問いだと誰もが気付くだろう 自由意志とは何か
例えば1+1=2とと答えるのは論理性だろう
論理性は知性・倫理・社会性に繋がる
挨拶をすれば返し、社会のルールを守り、仕事のやり方を学んでこなしていく
これらが脳機能的に出来ず、予想外の行動で攻撃したり事故を起こす人間は統合失調症・障害者として恐れられ隔離・治療される
自由意志とはサイコロの目の様に予測できない事を指しているのか?
量子力学の分野では量子の動きを完全に予測できないとされている
しかしマクロで見ればその動きは収束され予測通りの値にはまる
そして脳細胞の働きは量子単位の揺らぎで機能を決定されていない
故に脳機能は正しく物理的な観測通りに化学物質と電気信号によって思考する
仮に量子の揺らぎに影響を受けたとしてもその量子の一つに思考・意思はない
幾億もの脳細胞の働きによって思考は形作られる
意志という物はマクロ的な脳細胞の働きによってしか生ぜず、ミクロな脳細胞の働きになる程に意思と呼べるものは分解され消える
逆に言えば脳味噌にサイコロが入っていてその目によって意見を変えたとしてそれを自由意志と言うのか?
それで納得出来るのか?
この問いは自由意志と言うものがなんなのかと考えれば無意味な問いだと誰もが気付くだろう 多くの場合
自由意志とは他者からの強制によって自らの行動を阻害した場合に感じる理不尽・不合理性に直面した時に意識する言葉だ
それを物理現象の文脈に繋げて単語・言語の持つ多義的な言葉から思考に混同・混線をきたして誤った疑問を抱いてしまう
或いはスピリチュアルな問いに惑わされ、物理現象から離れた、或いは解明されていない魂・意思が存在するのではないかと考える
しかしこの問いは物理でも魂とも関係なく純粋に論理性の話だ
論理性を欠いた思考には意思がそもそも存在しないと言う事に至れば意味を失う問いだ 発症がないものを隔離治療するのは誤診。発症があるものでも病院だけのプランではどうにもならない。長期入院せず入退院を繰り返させないこと。 宗教寺院異界オカルト、霊術などのほうが助言救済ある。悪霊がヒント。 >>440
相変わらず何言ってるかわからん
背筋伸ばしてちゃんとして生きろ 、_,i|::::::::::|:::::i::::::::|:::i:::::i::::::|::::::::i//.::::::::::::::::/.::::::ヽ._ノ
. /i|:::::::::{::::i:|:::::::::_;L:::ノ>く:::::::::::/:/.:::::.f
〈:八:::::::::ヽj」-'′  ゙̄Y:::/.::::::::}i:,
∧:::.\::::ノ V.::::::::::ノハ
〈::::;::::ヽ::У ) ::::::〃::::::〉
∨ヘ:::::〉 \i|:::::::∧
ヽ::∨ 、::::/:::〉
|:/ ∨::イ
|′ ⌒ ∨{
,゙ V}
: / ゙:
l \ , i
l ヽ、ヽ ノ 今 日 も 終 日 中 年 ひ き こ も り ス レ
l ^ 入! !
゙. __________r´_|______ !
Y゙´ ̄`゙'ー-=ニ ∞ _ニ=‐-'^ ̄ ̄ ̄Y
'. `丶、 γ'´ !
'. ^「こ:r′ |
'. |⌒| |
゙. | | . |
誰もいない過疎板で
今日も終日
自演がんばってね 皆さん自由意志に関するおすすめの書籍はありますか?
学び初めの私がわかりやすいと感じた本は
戸田山和久『哲学入門』
この本の第6章と第7章で自由意志について書かれています
ラプラスの悪魔、量子論、メカニズム決定論等のメジャーなテーマを扱っていて初学者向けです
自由意志が存在しない場合の「責任」や「罰」の在りかたについての説明もあります
ブログだと
https://linguo-inst.com/entry/free-will/
10分ぐらいで読める文量でとてもわかりやすいです 「意識は傍観者である」でいいんじゃないかな
そもそも意思だって身体の機能なわけだしね
意思の拒否権だってその「拒否したい」って感情が何処からか湧き上がってくるから出来るわけだしね 罪と罰の原理ってのは元々犯した罪の程度に応じて苦痛を受け負うという
いわば対価・交換の原理だったはずで
要は「犯罪は割りに合わない」という社会秩序のもとで
それを抑止することが目的
自由意志がどうのとか言うのは後付けだから
仮にそいつ自身の問題でなかったにせよ犯罪を抑止するという
第一目的を達成することが優越する 刑事罰については、
まー危険な奴は閉じ込めておいた方がいいよなで取りあえず済む
自分がたまに悩むのは、倫理的な方の罪悪感だな
ネットでエロ動画漁る→需要がある→無臭が流出する&反社の資金源になる
とか、そういう方面 これは人権侵害でも、人種差別でも、ヘイトスピーチでも、ヘイトクライムでもなく、事実であり、現実であるのに、こういう歌を歌ったぐらいで逮捕して、
刑務所や収容所にいれることが、人権侵害であり、差別であり、言論の自由、表現の自由、思想良心の自由、その他の自由に対する、ヘイトクライムであり、それらへのテロ行為なのだ。
↓
最悪のテロ国家(ハッピーバースデートゥーユーhttps://nico.ms/sm1313852の替え歌)
※イスラエルの諜報組織にして、世界最悪にして、最強の国営凶悪テロ集団。今も中東やeuなどで元気にテロを実行中。
1
最悪のテロ
最悪のテロ
イスラエルが国を挙げてやるテロ
※モサドのテロ
2
最悪のテロ
最悪のテロ
イスラエルが仕掛けるイカレタ戦争と虐殺
真のテロ国家 >>451
えっ?
植松ってあのヘレン・ケラーとかいう障害者とヒバクシャをだますことしかしなかった、アカ(極左のこと)の真正基地〇サイコパス野郎の生まれ変わりのこと。
お前、軽度の池沼より馬鹿じゃねえ?
俺が、植松もヘレン・ケラーも支持しているわけねーじゃん。
実際に、俺、ここ2年くらいで、ヘレン・ケラーを批判する文章、5ちゃん(旧2ちゃん)やいろんなブログに1万件以上投稿しているし。 >>451
日本で、障害者が皆殺しにされたり、重度の障碍者が皆殺しにされる確率よりも、
ヘレン・ケラーと麻原を足して2で割ったような、イカレタ真正基地外クソ教祖が率いる、超凶悪最恐カルト集団による、
少なくとも死者が10人、最悪の場合、死者100人以上を出す、大量殺人が起きる可能性のが、圧倒的に高い。
もちろん、その確率は、日本で、障害者が大量に殺される事件が、発生する確立と同じくらいであるというのは言うまでもない。 141 :優しい名無しさん :2020/09/27(日) 23:34:33.84 ID:N/sRDJHY
また夢で好きなキャラに犯された
もうああいう夢はやめて欲しい
抵抗しない自分も嫌だ 怒るのも、喜ぶのも、出来事に応じてタイミングよく内分泌系が脳内麻薬や脳内覚醒剤を供給するのが原因
自分の心なんてものは、本当に存在するのか? そういうことが、医学の進歩により、デカルトやスピノザの時代には分かってきていた
彼等の情念論や感情論の背景にはそれがある 自由意志が無いのは対称性が崩れないことを証明できたときだけ。
そんな簡単なこともわからんのかね? ここでは助詞の正しい扱い方を信じた者のみを救済している。
私は文法を気にしないぞという向きは他をあたりたまえ。 >>457から1コ置き同じ人かな?
久々に覗いたら期待の新星来てるじゃん AとBの道で近道だからBを選ぶ→自由意志?
その時ラジオのニュースでBの道で事故があり片側通行止めだというのでAにする→自由意志?
しかしその事故が3時間前のもので単独事故だという追加ニュースでそれほど長い時間片側交互通行ではないと判断してやっぱりBの道にする→自由意志?
しかし今日は遅れる事ができないから不確定要素はなるべく排除したいのでAの道にする→自由意志? 古典物理学的な必然 → 自由ではない
量子論的確率の偶然 → 自由ではない
必然も偶然も自由ではないのなら
いったい何に基づいた事象の分岐であれば自由だと言うのかw 大量殺人の犯人はなかなかすがすがしい顔をしたのがいるが、これも自由な選択をしたと思うが故の表情であるように見えるが、これが自由意志ではない必然とするならば、被害者もまた受けるべくして被害を受けているということになる。 全部アレと弁護士の自作自演でも、NSAやらCIAがそれを支持母体として容認する側こそ
正しい存在に結論される。
まさか、見た目の正義が通るとでも思ったの?
自由?違うよ、資本という力こそが支配者である。 ランダムとはまた違った自由という名の気まぐれな振る舞いがこの世にあるとしたら
なぜ原子の世界から天体の運動までここまで容易く一般則に辿り着けたのだろうか?
しかしよーく見ていくと素粒子の世界はそう単純ではないので確率依存ということにし
宇宙の方もどうも計算が合わなくてダークマターなんて昔の宇宙項のようなモノの存在を想定してみたり
そんだったら今のところはとりあえず霊魂はあることにしても特に不便はないだろう >自由意思はないかもしれないよね?
そこに意思を盛り込むから意味不明になるんだ。
自由が無い、自由の本質をまず考えてみろよ。
世界に自由がなく、世界原理も世界の元素、世界の全てに自由がないとすれば
そこに出来上がるそれにも自由がない。
現実できているそれを幻覚だでこの世は夢だと一生おもっていればいいさ。 それと同じことを真逆の立場から言えてしまうことに気づかないのかよ
論点はそこじゃない
そんなことより誤字なんとかしてから書き込め 自由意志について。
分岐にサイコロ的なゆらぎがついてまわるとしても、
そのゆらぎを超えるエネルギーが与えられれば、選択ができる。
なにによってそのようなエネルギーを与えることができるきっかけになれるのか、
といえば、それは「学習」である。
すくなくともグレゴリー・ベイトソンの学習T以上ができればよい。
機械でも可能だ。
「自由意志」は単なる自然現象である。 こんな実験あるの?
ーーー
ultraviolet@raurublock 2016年7月17日
私は、機械的決定論/量子論確率解釈/決定論的カオスのいずれの立場を採ったとしても「人間に自由意志など無い」のは明白だと考えている。
しかし「人間には自由意志があることにしておかないと社会的に具合が悪い」こともよく理解しており、これを声高には唱えないだけの分別も持っている
「人間には自由意志があることにしておかないと社会的に具合が悪い」というのは、例えば心理学実験での「自由意志は幻想だという情報を与えられた被験者は、
モラルに反する動向を示すことが多くなる」という結果からこれまた明白である
午後1:58 ・ 2016年7月17日・Twitter Web Client 決定論を前提とした自由意志であるならこの論理は矛盾していてる
それが予め予定されてたのであれば被験者がモラルに反したことは自己決定の結果ではないからな 必然や偶然であれど欲求を満たすことができれば人は自由を感じると思う
ただしここでいう必然や自由はメタ的なそれを指している
例えば、1時間後に腹が減って飯を食うことが必然的あるいは偶然に決まっていたとして、その人は空腹を満たす自由を感じるだろう
しかし誰かに強制的に食わされたら、いくら腹が減っていても自由は感じないはず
あるいはサイコロを振って特定の目が出たら飯を食えると言われて実際にその目が出たとしても、自由は感じないだろう
自分がはっきり知覚できる(自分と同次元における)必然や偶然に対しては自由を感じないが、メタ的な、知覚できない必然や偶然に対しては自由を感じてしまうのではないか もっと言えば偶然とは我々が知覚できない必然のことだろう
この世界がシミュレーションだとしたらプログラマーは量子がどのように振る舞うのかを完全に理解しているだろう
彼らにとっては量子の振る舞いすら必然のはず 欲求を満たすことができて感じるのは充足
いやいや俺は欲求を満たすことができれば
自由を感じるとかいうのはメタ的な自由
じゃないからな、いやいや俺はそれを
メタ的な自由と認識している
とかいいだしたらもう末期 メタ的なのは必然と偶然な
欲求の充足=自由は人間が感じる主観でしかないしメタ的な自由とかないはず
>ただしここでいう必然や自由はメタ的なそれを指している
ここの自由は偶然と間違えた メタ的な必然と偶然???概念がその言い方では全然不明
欲求を満たすことができる感覚に自由(他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること。)という
という言葉を主観的に使うのはメタ認知が不自由故だと指摘してるんであって
メタ的には自由があるにも拘らず、不覚にも主観的に意味の違う言葉(自由)を誤って自由選択しているよということ 主観でしか無いとか言い出したらなんとでも言えてしまうし懐疑論まで逆戻りになる >>482
メタ的な必然偶然というのはさっきも言ったように人間には認知できない必然偶然のこと
ニューロンの必然的偶然的な働きによって人は行動するが、認知の外側にあるから人はこれを認知できない
例えば、この世界には創造主がいるかもしれないが、決して知覚できないのと同じようなもの
あるいは仮想マシン内のOSからすると自分が別のOSの中で動いているとは夢にも思わないだろう。そういう感覚
それゆえに人は自分の意思で自由に体を動かしていると錯覚してしまう
それと全ての行動は欲求がベースになっているんで欲求の充足と自由を直結して何がいかんのかわからん ちんぽいじりながら考えたことだから正しいかわからん >>485
懐疑論まで戻るってことは判断保留のまま一切が先に進まないってことになるんだが
意味分かってんのか 懐疑論に戻って論破するために思考をフル動員しても
一切が先に進まないってことになるんだがと言われても
必要な論理能力が備わらなかった意味を
他人に聞いてる時点で詰んでるってことだよw お前は適当な知識で口からデマカセばっか書き込んで笑いものになってることにいい加減気づけよ
懐疑論を乗り越えてカントの認識論にいくまでの哲学史を勉強してから書き込めドアホ 適当な知識で口からデマカセばっかの書き込みが笑いものになるほど注目されるのか、へぇ
懐疑論を乗り越えてカントの認識論にいくまでの哲学史を勉強してるつもりなんだろうなぁ
489 返信:考える名無しさん[sage] 投稿日:2021/02/23(火) 09:29:57.94 0
>>485
懐疑論まで戻るってことは判断保留のまま一切が先に進まないってことになるんだが
意味分かってんのか
www なんだほんとに哲学史を知らない単なる馬鹿か
終わってるね人生☆ 哲学史とか哲学マニアか?
マニアでもいいけど、それでマウント取ろうとしてる時点で中身空っぽなチンポ野郎
自分で考えることを放棄し、権威にすがる馬鹿が哲学とは最高に皮肉w
素晴らしい いるよな〜
薀蓄語ることが好きなだけで本質的には実は好きじゃない奴
野球マニアでルールや野球史に詳しいけど万年ベンチの少年とかさw 懐疑論が何なのか知らないレベルのアホと話してもしょうがないだろwww 懐疑論とか知らんけど自由が主観的というのは間違いなの?
この世には偶然と必然しかなく、人間はそれらの中で自分に都合のいいものを自由と表現してるだけじゃないの 完全な制御のもとにある人造人間でも自由があると思えば自由なのか そもそも人は意図せず湧き上がってくる感情に突き動かされるだけの存在
俺がゴキブリ嫌いなのはゴキブリを嫌いになるよう自由に選択したからではなく、遺伝子にそう刻み込まれたいるからにすぎない
殺人を犯したいと思っても実際に実行する人はごく僅かだろうが、それは主体的に感情を抑制したわけじゃなくて刑罰というデメリットを忌避したい感情によって殺人衝動が相殺されただけ
俺たちは自分で選んでいない選択を延々と選ばされ続けているだけ そもそも選択というのはあらかじめ嗜好が備わっているからできることだ
好き嫌いという制限がある時点で自由ではない
一方で好き嫌いのない真に自由な思考を手に入れたら逆説的に選択しなくなるのでは
ただそこに朽ちるまで存在するだけになるんじゃないか 死は生まれてない状態と同一だと思う
ゆえにどちらも自由だと思う 俺たちは選択できることが自由だと考えているが、本当は選択しないことこそが自由なんだろう
選択できるということは逆説的に選択を強いられているということ
さらに選択の結果如何によっては報酬系から快楽物質が放出され、我々はさらに選択に溺れるようになる
これではただの奴隷だ
選択するインセンティブ、つまり欲求がなくなれば選択から解放される
そこには快楽もなければ苦痛もない、無があるだけ。これこそが本当の自由
これで博士号もらえるかな? 476よ、
せっかく宇宙の振る舞いを決めるものが必然と偶然の二択しかないことを理解しているのに、
ハードプロブレムがテツガクでもオカルトでもなく自然科学で扱う範疇のものだと理解しているのに、
自由なる意味が定義もされていない架空の概念について云々してしまってはもったいないと思うぞ 自分が決定論(当時はそんな言葉は知らなかったが)に気づいたのは30年前、高校1年生のときだ
生物の授業で神経のところをやってるときに「アレ?命令って電気だったの?神経って導線?」
「脳は、『思う』ことで何もないところから電位(電子や陽子)を発生させられるはずないよね?」
「アレ?人間って機械じゃん」「つーか宇宙全体が機械ってことじゃん」と、こんな感じだった 硬派な進学校で勉強も部活もがんばってたから、そうした努力やその結果が物理的に決まっていた、
どこの大学に行くことになるのか、インターハイに出られるのかどうか、も決まっているという事実は衝撃的だった
以後数年おきくらいで、生きてることが無性に空しくなる時期を過ごすというのを繰り返していて、ときには鬱状態になる
だから決定論的な宇宙観の話は他人にはしないように心がけていたんだけど、
今はもっと若い人たちでもネットで簡単に決定論に辿り着いてしまうよね 宇宙には人間をはるかに超える知的生命がいると思うけど、
彼らはこの決定論的な宇宙観、生命観、自分が主体性を持つ存在ではないという事実にどう向き合っているのか?
彼らも虚無感を持ったのか?それを克服したのか?
それともこれも必然として、苦しみ続けているのか? 彼らが我々以上にハードプロブレムを解いているとして、
仮に死がクオリアの発生を停止させることを突き止めていたとして、
決定論宇宙の虚無感とともに生きることがあまりにも苦痛であったのなら
多くの個体は自殺という結果に至っていることだろうし
種として存続させることに意義を見出すこともなく、絶滅を止める努力もしないだろう ホーキングは知的生命のほとんどはオーバーテクノロジー(例えば核戦争)で滅んでいると予想していたが、
自分は決定論の空しさに滅んだ奴らもいただろうと思っている たった今も購買部の親切なおばちゃんが自分が操作しくった発注依頼について電話があった
こういういい人たちが自分みたいな悩み持つことなく日々過ごせることを願っている エントロピーが増大しているかぎり、決定論は否定できるぐらい
わかりそうなもの。
決定論が成立するにはエントロピーは一定でなければならない。 弱い人間はオカルトに走る
そして弱い仲間を増やそうとする オカルト系の人には、
原因から結果に至る途中のメカニズムの説明をすっ飛ばすという
科学側から見たらウルトラCみたいのが普通に通用すると思っているという強みがある 宜保愛子や矢追純一で懲りたのかと思ったら
未だに似たようなアングルを疑いもなく受け入れる人間が多くて驚く オカルトが多少ガチでも社会の反応はこれかという証明がジャンピエールプチ 多少もヘチマもホントにガチだったらそれをオカルトとは呼ばない よくオウム信者に理科系のエリートが多かったことや
帰還した宇宙飛行士が宗教に目覚めるなんてのが引き合いに出されるけど
やっぱ物理主義とか決定論とかって人間にとってキツイんだよね
インチキだって分かってないはずはないんだけど、もう後戻りできない
自分たちが受けている歴史教育が誤っていることを韓国人たちも分かっているんだけど
日本の方に折れて欲しい、自分たちの方が失うものがずっと大きいから ジャンピエールプチを人に勧めるにあたって何が困るかって図書館が置いててくれてないことです 別に高い知性があるからオカルトにいく訳じゃないだろ
中にはそういうやつも居たっていうだけの話
あのとき世間は東大っていう経歴に大騒ぎしてたが
配分的にオウムに学歴高いやつが多かったデータなどない
そもそも高い役職にいたやつしか世間の注目浴びてないし
オウムの性質上バカを高い役職に
つけたりしないわ そうか、別に秀才が「多かった」訳ではなかったんだな
世間が驚いたのは「少数であっても」理科系の秀才が危険な教団と教祖に心酔したことだったのかな
子供だった頃のことだから当時の雰囲気はあんまはっきりは覚えてないや オウムは大学でヨガや他の活動だと偽って勧誘してたから
秀才でなくても学生自体は多かったようだけどな
あと出家者にはヤマギシズムと同じように全財産を
寄進のするよう迫ってた 人間の思考が自分の力の及ばない原理の支配下にあるのは小学校高学年くらいの頃になんとなく感じていたなー
当時自分は算数が得意で、みんなが分からない問題を自分だけが解けるのが気分が良かったんだけど
たまに難しいのに出会うと解き方が瞬時に浮かんでこなくて考え込むんだけど、
解法に5分で辿り着くのか1時間かかるのか(つまり試験時間内に間に合うのか)は完全に閃き依存で、
その閃きをもたらしているのは、たぶんその瞬間の脳の血流とかの意思とは無関係なものなんだろうなと思ってた 酷い荒らしはいないけど、
今の時代に自由について考えるのにはそぐわない前近代的な定義や解釈を持ち出してくる人はいるよね
たぶん本人も無理があるのは分かっていて、だから教科書にある用語みたいのだけズバっと出してきて具体的な説明は避ける
このパターンはスレ住人をけっこうイラつかせてると思う 数式を用いない自然科学って感じの位置づけなのかな、最近の哲学は
入門編でなんか間違っちゃって存在しない何かを追いかけ宗教染みてしまう人は少なからぬ割合でいて
んで、衆愚政治的にバカな人でも教壇に立ててしまうようになる、悪循環 哲学とされる一般的なものに関しては数式を用いるものじゃないのだからそれは難癖だな
こうしてみると自分だけが賢くなった気になって世を見下げるような選民的傾向だけは確かに継承されてる AIと言われる、
結局はある分岐条件に対して正確に動作するコンピュータのプログラムが
人間の思考を代替できるほどに、既になりつつある >>537
この50レスくらいを読んでみた感じでは↓あたりにヒントがありそう
>懐疑論を乗り越えてカントの認識論にいくまでの哲学史
>エントロピーが増大しているかぎり、決定論は否定できる
もちろん冗談です 今世紀のキーを握っているのは、天体観測が好きな「星降る青年たち」なの。空をいつまで眺めていたい人たち。
勝谷誠彦とか ハードプロブレムをはじめとしたいわゆる心の哲学に携わってきたえらい学者さんたちで
少なからぬ人たちが「イヌネコには感情はない」と考えていたというのは、けっこう驚きだ イヌネコも当たり前のように、恐怖や怒り、快感なんかを感じているように見えるが、
自分なんかは、もし感情がまったくないとしたらミミズとかクラゲ辺りからかなーとか考えてた
少なくとも節足動物くらいまでは恐怖くらいはありそうで、
もうちょい原始的な軟体動物っぽいのでも、
タコとかの身体が大きく神経細胞の数も多い奴らならありそうに思ってた 自由意志における感情ってどういう扱いなん
そもそも分かれてないとかなんか 感情が意思の原因になり得るかっていうのが
ハードプロブレムが扱う領域だね 感情も意思もニューロン発火のパターンでしかありません 「やる気」に繋がる話なんだよな
もし自由意思など無いのだとしたら
「やる気が出ない奴は一生でない」ということになる
自分の意思ではどうにもできないのだから
「やる気になる環境に身を置け」というアドバイスを聞くけど
それにも結局やる気スイッチが必要なわけで
自然に追い込まれるまで待つしかないのか? 「やる気を出す方法!」って動画やサイトがあるけど、上手くいった試しがない
そりゃ当たり前で
「そもそも人は自分の意思で動いてるのか?」という問題が解決されてないからだ
エンジンの仕組みが不明なのに、エンジンの修理などできるわけないよな
最初からやる気に満ち溢れた奴が、それっぽいこと言ってるだけだ モチベを上げるにはインセンティブとなるものが必要なんだけど
いわゆる報酬系と言われる脳の回路がその仕組みを生み出しているとされている
このとき報酬に伴う感覚が苦痛ではなく快感であるからこそこの仕組みが機能している訳であるが
そのためには快感というクオリアが発生したという情報が、
物質界側である脳を構成する分子になんらかの形で届かなければならない、と直感的には思ってしまう
要するにクオリア界から物質界へのフィードバックが必要ということなのであるが、
個人的には随伴現象説は支持していない、哲学的ゾンビは人間と同じようには振舞えないと思う 相対性理論とか量子論なんかは、人間の直感が正しくなかったのを解明した例だけど、
ハードプロブレムの世界もそのうちコペルニクス的転回が起こるんだろう、文字通りハードな道のりだろうが
人間が作り出した機械類の仕様には相対論も量子論も組み込んでいて、計算通りに動いているけど
今のところクオリアが作り出しているかもしれない因果関係は考慮しなくても、期待通りの動作をしてくれている
まーたぶん今の物理学の数式の中に、どこなんだか特定できていないだけでクオリアによる部分が入っているんだろうな さっき近くのスーパーに買い物に行ったんだが、
支払いのときセルフ・レジで考えるのが面倒くさいから、
いつもどおりとりあえず財布の中の小銭をそのまますべて投入した。
すると、過不足なく支払金額とぴったりの909円だった。
奇遇とは、こういうことを言うのだろう。 こんな実話がある
「引きこもりが餓死しそうになり、数十年ぶりにコンビニに出かけた」と
これは「餓死」に対する動物的本能であり、自由意思ではないと分かる
ではこれが「食べ物」ではなく「ゲーム」だったら?
「ゲームをしたい」という“人間的な自由意思に基づいて外出した”となるのだろうか?
食欲と物欲にそんな違いがあるのだろうか? 人間がゲームをするのは高次的な欲求である
しかし欲望は欲望にすぎない
本能の上位互換ではあっても「自由意思」ではないだろう?
自由意思とは「本能に逆らって」選択する力のことだ
「ゲームを止めてフランス語の勉強をしてみる」
フランス語なんて使わないけど習ってみる好奇心と決断力
実生活に必要なスキルを身につけるのは「防衛本能」であり
酒やギャンブルに依存してしまうのは自由ではない
こう考えると(自由意思があるか無いか以前に)
人間は自由なんて求めてないのが良くわかる
メリットを求めてるだけだ そもそも「自由」とはなんだ?
「好きな事を好きなようにできること」か?
だとするなら、アルコール中毒者が酒に溺れることも「自由」となる
それは違う
むしろアル中がいつでも酒を止めれることが自由だろう
「飲んでも飲まくてもいい状態」こそが自由だ
「選べる」ことが自由だ 物理法則を超えて「選べ」たとしたら、自由に一歩近づく
現在のカルシウムイオンの位置と電化と運動量は計算上は次のシナプスのチャンネルを開ける、最終的に目の前の美少女を犯すはずなのに、
理性という名の自由意思が超自然的な力をもってそれを阻止した
最低でもここまではできることが自由の前提になるだろう しかし、選べるからと言って
興味もないのにフランス語を習ったりはしない
自由意思があったとして、それを行使する人間はほとんど居ないわけだ
「お金が欲しい」とか「良い女を抱きたい」とか「仕事ができる」とか
社会的能力を求めてるだけ
つまり「自由意思」はあるにはあるが、行動する所までいかない
自由意思とは「妄想」でしかないということだろうか? 「自由意思は存在するが、99%が妄想で終わってしまう」
のが個人的な結論だ
ふと「筋肉ムキムキになれたらいいな」と思うことはあるが
実際にトレーニングを始めるのは条件が揃ってる奴のみだろう
逆に言えば、環境さえ整えれば自由意思やモチベーションを活かすことができると
ただし環境作りは100%完璧にしなきゃいけない
自由意思は線香花火よりも弱々しい火花であり
1ミリでも逃げ道を作ればそっちに流れてしまうから このスレの205-210の考察がとても興味深かった
日ごろ漠然と使っている抽象的な概念に改めて明確な定義を与えようという試み
ちょっと毛色は違うが、「自由」という言葉の定義を考えるのに参考になるかもしれない
https://phoebe.bbspink.com/test/read.cgi/hneta/1606401426/205-210 「自由意思は存在する」
「人は環境に支配される」
この2つは矛盾しないんだ
環境とは「人間社会」のこと、つまり環境自体が自由意思をもっているのだから
それ(自由意思)を実現するときに様々な障壁があるだけだ
物理的な制約に縛られているなら
物理的に解決するまで。だ だからとことん物理的に考えなくてはいけない
精神論でやる気が出るなんて1ミリも考えてはいけない
精神で支えた意思は精神で崩されるだけなんだ
モチベーションとは砂のダムと同じだ
1つでも穴が開けば決壊して楽な方向に流れてしまう
逆に、しっかり構築すれば水は狙った方向に流れてくれるのだ
物理学的な限界こそが、この世に自由と不自由を同時に与えている 意味自体似てるし漢字変換で先に出てきてしまうせいもあって「意思」を使ってるけど
ぐぐると一般的には「意志」の方なんだよね
言葉の定義を曖昧にしたまま議論を進めるのは東アジア人の必殺技だから、
欧米人ならどう取り組むのかと、Oxfordの親書みたいなシリーズでそのままズバリfree willというのがありで読んだことがあった
ずいぶん前の話なのと、英語なので読むこと自体にエネルギーを使ってしまって、内容をあんまり覚えていない
と言うか目新しいこともなかったので印象に残っていないという面の方が強いかもしれない
キリスト教観における決定論と神の存在との間の葛藤なんかにも触れていたと思う Wikiなんかでも十分すぎるほど説明しているはずだ、今見たらけっこう長く書いてあった(長くて読む気失せた)
人間の意志(行動選択)の発生源が必然であっても偶然であっても、
どちらも人間が想定してきた「主体性」たり得ないことには違いはなく、本質的なところは2-3行で結論が出てしまう
その身も蓋もない真実に直面させられて、人々はどう生きていけばいいのか、そっちの話の方が長くなる たしかに
必然も偶然も、結局どこの誰が生み出したのか?分からないままだからな
自由意志が本能による必然だろうが、気まぐれによる偶然だろうが
そのエネルギーの発生源は未だ分かってない
「なぜこの世は有るのか?なぜ無ではないのか」というライプニッツ始め
300年間ずっと謎のままの問題に行き着いてしまう あの子に触りたい
と思った時にはすでにニューロンが発火している >>566
因果関係という全体集合の中に
「必然」という1つの部分集合があって、その補集合が「偶然」で、
その2つだけで全体集合を占めてしまうので、
「自由」なる架空の第3の集合にはそもそも元から居場所がない >>566
「意志」という言葉には「主体性」の意味を含むので、
そもそも「意志なんてものは存在しない」というのが正しい
一般には「自由意志はない」だけど
「意志はない、感覚だけがある」の方がより要素還元された言い方だ
>>567が「すでに」という書き方をしているけど、
古くはリベットの実験が有名だけど、そんな精度が疑わしいのに頼らなくても
今は感覚が物理状態にだいぶ遅れて発生していることは実験で確かめられている 極端に言うと既に触った後に「触りたい」という感覚が起こり、続いて「柔らかい」という感覚が起こる、ような感じだ
脊髄反射にクオリアが伴わないのは分かると思うが、そういうクオリアのない本能的な「触りたい」が
「あの子」の視覚情報などをトリガーにまず発生し、
大脳新皮質が色々情報処理を施して十分納得いく状態にまで整理されてから初めて意識に上がる、
このタイムラグが0.5秒とかのそういうオーダーだそうだ
身体は哲学的ゾンビのように機械的に動いていて、
昔の衛星放送のように、後追いで映像なり感触なりを楽しんでいるという状態 「自由意志が存在しない」と聞くと
まるで自分がラジコンに動かされてるようで不気味に感じるんだろうが
ちょっと待ってと
自由意志にならラジコンのように動かされても平気なのか?と
どちらも「正体不明の何か」に操られてる点では、まったく同じだ
ファミレスで何を食べるか決まってる奴と迷ってる奴、くらいの違いしか無い
「葛藤=自由意志」とは呼べないのではないか?葛藤とは本能のブッキングに過ぎない
ただ好きな事が複数あるだけなのを、自由意志とは呼ばないはず
自由意志とは「嫌で無意味なこと」も選びうる可能性のこと 「色々情報処理を施して十分納得いく状態にまで整理」の部分は比較的簡単に確かめられるそうで、
たとえば目をつぶった人の腕に、手首→肘に向かって針でツンツンするとして、
でも途中で順番をずらしたとしても、順番通りに突かれたようなクオリアが発生する、らしい なるほど
意思があるかどうかは不明だが、感覚はある。という言い方か 自由意志というのは決定論よりスローだと思う。
制限された中の自由でしかないだろう。 >>573
「正体不明の何か」は「物理法則」であり、
そもそも物理法則の野郎が正体不明、というのであればその言い方も成立する
現代の地球人の知る範囲ではあるが、
宇宙には4つの力、重力、静電気力、強い力、弱い力、がある(後者2つは原子核内の狭い範囲で働く)
力を受けていない状態で物体は「静止するか等速直線運動をする」と教わっただろう
電子を手放したり捕獲してイオン化するとか、その結果獲得した電荷によって別の電荷に近づく、離れるなど、
素粒子から天体まで物体の振る舞いはすべて「力」で決まる
神経を電荷が移動しその結果ひらめいたり身体が動いたりするのも、すべて「力」が厳選になっている
ここで言う力とは"Force"のことだ、権力とか人間力とか女子力とかの抽象的な概念のことではない
純粋な物理の力、質量あるものに加速度を生じさせるものだ 池谷裕二という脳科学者の本だったか
人間はとことん妄想と現実の区別がつかないように出来てる
脳に電気刺激を与える実験で、被験者は「腕が動いた」と思い込んだ
実際に腕は動いていない、それを自覚すらできないらしい
脳は記憶どころか五感にすら嘘をついてしまう 物理的力というと戦争が最たるもので、
ミャンマーを思い出すけどね、ただ一方だけが駆使できるわけじゃない。力というのは開かれている。というところに希望があると思う。しかし蛮族も蛮族と力を使うだろう。そうではない力を駆使しないと、体制はやぶれない。目覚めたまえ、
若者たちよ。 仮に、ミクロの事象まですべて計算できるコンピュータが開発されて
この世の出来事はすべて必然であると証明できたとしたら?
天気予報を始め、1人1人の人生の未来予測が完璧になされるわけだが
それで自由意志が否定されても人類はさほど困らないというか
何回も言ってるが、人は自由など求めてないからな >>578
その「力」の源を遡っていくと
結局ビッグバンやダークマターだの宇宙の成り立ちまで考える羽目になるからな
そこは割愛しても地球の自転や重力や磁場だの、マクロな影響力から考えざるを得ない
もっと一般的に、集団生活における「力」関係から自由意志を考えればやりやすいだろうな 予想が覆るぐらいの子供たちの能力なら、うれしい悲鳴を管理体制側がするだろう。 自由というのは抑圧の後に出来た感情で、世界に支配されているけど世界に従順になると
世界の支配に自分たちの代なりに疑いを持たず修正をしない。 100%未来予測できるコンピューターが開発されたとして
天の邪鬼な研究者が、その未来予測とは反対に動いたらどうなるだろうは?
「それすら予測して計算する」のは無理だ
研究者は計算結果を見てから反抗するモノとする
マクロの未来予測たとえば「研究者であり続ける」とかは反抗できないだろうが
「これからお前はコーヒーを飲む」というミクロな予測には容易に反抗可能なはずだ
これこそが自由意志なんだろうか? >>581
ミクロの事象まで計算できても確率的にしか予測不可能なことは量子論の登場によって明らかになってるだろ
だが自由意志の有無と運命未来の定、不定は本質的には関係がない。ここがキモだ ドイツの実験で「0.2秒のみ自由意志をもってる」研究結果が出たらしい >>587
> だが自由意志の有無と運命未来の定、不定は本質的には関係がない。ここがキモだ
ここが気になるな。説明を頼みたい >>589
サイコロの目が不確定であることは自由意志の存在を証明しない
それは自由に選択した結果ではなく運命は気ままであるという証明に過ぎない >>590
あーなるほど、サイコロ振るのは別に自由意志じゃないよなぁ納得 思考実験「中国人の部屋」を挙げるまでもなく
心的出来事は実在するよ 外的出来事と心的出来事とを区別する意味などない、全てが物理現象だ あくまで意志をもった決断として
無数の選択肢を選べるかどうか?なんだな
(この意志や決断がどこから来てるのかは分からないとして)
決断するためには「判断材料」が必要になる、それを「観測」する必要がある。
動物ならば匂いや音で天敵を観測して、逃げるかどうかを決断する、みたいな
この観測においてマクロ視点とミクロ視点で答えが変わってくる、という話か 宇宙のあらゆる時空間がただ物理法則に従って淡々と移ろっているという
あまりにシンプルかつ最終的な結論に対して、
(a) 受け入れてしまうと話が終わってしまうのでツマラナイ
→ だから本当は理解しているのにとぼけて抽象論に持って行く
(b) 自分が時間と労力をかけて勉強してきたのはそこじゃない
→ 今更考え方を変えたくないから古典や権威を持ち出して話題を変える >>594
という話、ではない
マクロから見てもミクロから見ても結果(答え)は1つに定まっている
そもそも「見る」という行為は、電磁波が人間の視細胞上の電子を励起させ、その情報が脳に伝わる、という物理現象でしかない
多世界解釈的に宇宙が分岐しているとしても、その分岐条件に人間の「見る(考える、捉える、解釈する)」という行為に
夜が明ける、樹木が倒れる、池が凍る、などとの差異はない >>592
予測変換のせいだと思うけど、中国人ではなく中国語ね
中国語の部屋はサールというおじいちゃんが自画自賛しているね
あんまり相手にされてなさそうだけど マクロミクロっつうか、人間の観測方法がそもそも間違ってるんだ
原子を計測するために光を当てちゃったら状態が変化してしまう
計測不可能ってことで運命決定論はオジャンになった となると自由意志の証明は極めて難しいか
できたとて非常に弱々しい存在、ということになりそうだな
しかし「モチベーション」という観点からは絶望する必要ない
意志があろうが無かろうが、やる気が出れば良いのだからな
自由意志が存在しないならば、それに頼らない解決方法を採用すればいいだけだ
自由意志などいらん、ヒトは良い人生を歩みたいだけなのだから 中国語の部屋はチューリングテストに対して
クオリアがでる生身の人間とそうでない機械との差
ようは会話によるコミュニケーションによって対象が哲学的ゾンビかそうでないかを区別することができないっていう
反証じゃなかったか
自由意志がどうこうって話とは微妙にズレてると思うんだが >>585
未来を知ることができたら、その未来に繋がらないような行動選択をすれば
自由かどうかはともかく、物理法則は破綻したと言えるのでは?という考え方だよね、
おそらく下記の前提部分がやはり無理でコンピュータは研究者に計算結果がインプットされることを予測してしまう
>「それすら予測して計算する」のは無理だ 研究者は計算結果を見てから反抗するモノとする
話を面白くできる箇所なので、SFの類でもよく取り扱われるテーマなんだけど、
物理学者たちも「光速を超えられたら」「ワームホールが実在したら」という前提でいろいろ考えているみたいけど、
計算結果は覆らないだろう、という方が多数派のようだ
反抗できたとして、それは単にコンピュータの計算結果が正しくなかったというだけで、
研究者という物体がインプット情報に対して機械的に反応したに過ぎず、自由意志問題とは切り離される >>598
計測(つまり人間が認知すること)が不可能なことと、
原因と結果をつなぐものが決定論的な物理法則であるということはまったく独立しているので、
無理にそういう片付け方をしなくても、素直に「人間には分からないけど、決定している」と捉えればいい
途中計測なんかせずに完全に放っておいても、初期の計算が正しければ宇宙船は冥王星までちゃんとたどり着く 自由意志があった場合でも、無かった場合でも
モチベーションが生まれる方法を考えればいいと 自由意志がない場合は考えることも自発的には出来てない訳だから
私達は全ての現象について結果を観ているだけであって動機というか
何を望んだとしてもそもそもが無意味なんだろうけど そんな権威を覆していく過程が自由だ過去の権威に縛られていても。 過去が間違っていて覗きたかり性暴力の温床なら未来も(自由はいかん)少しあっている。
しかしそういうことに心を砕いた過去の勢力には抗しがたいところがあるだろう。 5ちゃんではオカルトだ文系脳だと真っ先にバカにされそうな宗教家たちだが、
かつて自由意志や決定論について真面目に向き合ったことがあった、と言うか向き合わざるを得なくなってしまった
「神は間違いを犯さない」と言い切ってしまっていたから、
「じゃあ神様は常に最善の選択をするんだね」「複数ある選択肢の中から神様がどれを選ぶかは決まっているんだね」
「あれ?それじゃあ神様って機械じゃね?」「神様って自由ないじゃんw」
となってしまったのだ >>515
よくわからんけど
エントロピーが増大することまで決定されてるならいいんじゃないの シュレディンガーの蛸は「(人間が)観測していないものは、物理状態が決定していない」という量子論に対する反証として有名だが、
それと似た話に「アイドルはウ〇コしない」というのがある
人間の直感は「そんな訳ないだろwww」なのだが、たしかに観測されたことはなく、いわゆる「ソースは?」に応えられないのだ
しかしこの問題で私たちは何か大事なことを忘れてはいないだろうか?
そう、アイドルも人間なのである、おそらくは「アイドル自身が観測している」のだ、これでは量子論の確率依存の反証にはならない
その後も様々な論争があった「アイドルの親は観測しただろう」「いや、その頃はまだアイドルではなかった」
「お前たち、健康診断を忘れてはいないか?」「それは出る瞬間ではない」「俺見たよ」「でもビデオでだろ?」
私個人は、希望も込めて「しない」を推したい、アイドルは人間などではない、観測したのは「天使」なのだ
したがって私の立場では、決定論を受け入れることはできないのだ まず「自由」ってなんだ?そこの定義が甘い気がするんだ
「ライオンになりたい」とか物理的限界を超えた空想は叶わない、として
「現状において実現可能なあらゆる行為」を叶えられること…なんだろうが
それは不自由と何が違うんだ?
盲目だとか聾唖だとか、それは程度の違いであって
「配られた手札からカードを選べる」状態という意味ならまったく同義だ
自由も不自由もちゃんと定義できてない 「自由と不自由」は相対的にすぎない
ならば「意志の有無」だって相対的にすぎないのでは?
例えば、今からAmazonPRIMEで見たい映画を選ぶとする
Amazonからすれば特典に釣られた客であるが
俺からすれば自分の意志で選んだコンテンツだ
自由意志もそういう相対的な問題に過ぎないのでは?
意思を、意思という1個の概念として定義するのがそもそも間違いであり
意志なのか強制なのか、その境目など無いのでは? つまり
「自由意志は有るのか、無いのか」という設問自体が間違ってる
自由も意志も絶対的な定義ができてないのに、その有無など議論できるのか?と
「俺の靴は有るのか?無いのか?」と聞いてるのと同じだ
まずお前だれやねん?と 「自由」……配られた手札からカードを選ぶ権利
「意志」……強制ではない自発的な取捨選択
と定義するならば
「腹が減りすぎてカップラーメンを食った」も、自由意志に基づいた行為だぞ?
「食欲(本能)だから自由意志ではない」とツッコミたいんだろうが
何を食べるかは取捨選択できてるし、ダイエットのために我慢する可能性だって残してる
ちゃんと配られた手札の中からカードを選んでるじゃないか?
前述したように、自由意志をちゃんと定義できてないから
動物的本能となんら差別化できてないのだ 自由意志ってのは思考の自由なんで
行動が実現可能かどうかなどは関係なし 自由を定義するためには、不自由も定義しなきゃいけない
「思考の自由」の対義は「思考の不自由」となるわけだが
思考の不自由って一体どんな状態だ?
「1つのことしか考えられない状態」か?
あるいは2つか?3つか?いくつから「不自由な思考」と呼ぶんだ?
このように、やはり相対的な話でしかない
どこまでが自由なのか、個々の主観を押し付けるだけの話になる 「腹が減りすぎて、目の前にあるカレーの事しか考えられない」
食欲(本能)のみに支配されて思考の自由を失っている。と呼べるかもしれない
じゃあ食欲と性欲2つ以上あれば自由と呼んでいいのか?
カレーを食いながら隣の女とセックスする妄想ができれば「思考の自由」か?
自由と不自由、どこで線引きしてるのか分からない
分からないまま「自由意志」なんて言葉を使ってるんだから本末転倒である 本能や外的要因に左右されない完全に自発的な思考のこと
カレーの例は食欲も性欲も本能であり自由ではない >>613-616
言いたいことは分かるけど、このスレの趣旨とは違うな
>>1見ると分かるけど、このスレが扱う自由意志は「心の哲学」の領域のものだ
すると自由の有無は0か1かのデジタルなものになる
現象の因果関係の原因側に、
「必然」でも「偶然」でもない、主体性を持った「自由」なるものは存在し得るのか、
存在するとしたら、どういうメカニズムでか?というものだ
Wiki見ればだいたい分かると思うよ 昨夜がんばってくれた人が話したい内容は「自由意志」とは別の問題だね
そっち系は逆に全然知らんから言葉が適切か分からんが「自由な精神」とか「自由な魂」とか、そんな領域
「自由意志」は決定論的宇宙観との対比で考える古くからあるもう固有名詞化しているような研究対象だから
錬金術と化学とか、古典力学と量子論相対論とか、そんなくらいに毛色が違う 昔は心の哲学スレとか哲学的ゾンビスレがあってクオリア論も盛り上がってて
その当時やはり自由意志でいる自由の意味を履き違えないように「主体性」という言葉に置き換えるケースは多かったね
太陽光が8分16秒で地球に到達することや、5個の賽の目の合計は5-30どれかになるとか、
そういう必然・偶然から解き放たれたところで、脳内の小人が「気」で電磁波の動きを止めたりをやって
人間の次の行動選択をコントロールしていた だから「しよう」と思った時にはすでに脳のニューロンが発火してるんだって」 そのニューロンがどうこうってのはまだハッキリしないが
選択、行動の全ては肉体がやってるだけで精神が主ってのはないだろうな
たとえば発火や温度、速度といったものは現象であり物質ではない、性質上精神はそうした非物質に類せらるる
つまり、非物質(現象)である精神が肉体に先立って
第一原因となることはありえない 仕組みが見つかっていないのと、量子論や相対論みたいに人間が直感的に想像しにくいというだけで、
自分はクオリアから物質へのフィードバックはあると思ってる
電磁波が電子の励起を生み、励起した電子が電磁波を生むのと同じように相互作用していて
どっちが先かは決められない、このこと自体は決定論と両立できる
僕たちが物質とか粒子と呼んでいるものも便宜上のものに過ぎないしね
エネルギーや波と違って空間を占有しているものを物質(粒子)としているけど、
それも距離がゼロに近づくと斥力が無限に近づくのでそのように見えているだけなのかもしれないし
そうなるともう単なる決めの問題になってしまう、古典的な哲学の世界に戻ることになる 自由意志はわずかに存在する。それを活用できるか否かはその人の行動しだい。 有るか無いかの話をする場合には「僅かに」でも有ればそれは「有る」になる
遠慮することはない
このスレでは、
ではどういうメカニズムで「自由」が発揮される可能性があるのか、が論点になる 高いところのものは支えがないと落下するとか、日はのぼり日は沈むとか、
世界での出来事には再現性(法則=必然性)があるということを
たぶんネズミとかカラスくらいでも生きていく中で理解するだろうし
雨風天敵なんかに対しては、
古代人と同じように自分のコントロールの利かない気まぐれなもの(偶然)と捉えているだろうし
次にどういう行動をとるかは自分が決める(自由)ものだと思っているだろう
当然だが人間だけが「あれ?必然性だけでも成立するんじゃね?つーか全部必然なんじゃね?」に気づき、それが記録上は2500年くらい前
その後必然の逆の概念としてだけ残った偶然がもしかしたら自然界の法則の中にあるのかもしれない(量子論)と復活するのが100年前
まるで4次元空間や虚数のように、必然の補集合として理論上の概念の形で残っていた偶然が市民権を得つつあるのだが、
偶然よりもさらにもっと架空の概念であった自由(理論上は必然∨偶然に対する空集合になってしまう)が
この先復権することができるのか?
もしそうであればそれは現在の集合論が崩れることになり、
論理学に基づいてたこれまでのあらゆる証明が不完全だったということになる 何を自由というかの問題だが、普通は自分が自由だと思えばそれは自由だ その「普通」というのはあまりにも普通すぎるけどね
青銅器時代くらいの人が考えていた自由と同程度だと思う
>>1くらいのことはギリシャの自然哲学の頃には真面目に考えられていたことだし
ホントにお釈迦様が諸行無常とか言ったんかは分からんけど、これも同じくらいの時期だ 心の哲学領域が扱う自由は一般には通常決定論を打ち破るものを指して言うけど
使う単語が同じであることを利用して心構えや人生観的な意味での自由に転換してしまう論法はよく見られる
自由も多義語であり専門用語であると考えることがまず前提になる
「運動量」と言うと、物理だと質量と速度の積のことだけど、スポーツでは活動量的なものを指して言っている
(後者はあえて物理的に考えると、体重辺りの仕事に近い概念で、速度の2乗ということになる) 逆に自然科学側にも似たような情けない態度はけっこう残っていて
ブラックホールが「蒸発する」とか、アインシュタインが「予言した」とか、
ちょっとミステリアスな雰囲気を残した言い方は割と好まれている
(オリジナルは英語なので、日本人の東洋人的気質がそうさせているだけなのかも知れないのだが) 弱肉強食・適者生存というのは生き物の世界の話のようだけど、
もっと一般化して、物質全般に適用できるもので、要するに世界は法則に従ってなるようになるのものだから、
法則に適ったものが今残っている、なのでいわゆる自然物にも主体性を認めることは可能だ 法則に従わされただけで主体的に従ったわけではないのでは うん、それを言いたかった、言葉足らずだったね
主体性=主体的に行動しているかのようなクオリアが発生している
というつもりだった クオリアから物質へのフィードバックは、、、あると思いたい
全裸の美少女が目の前にいる
→ うれしい(ここまでは随伴現象説でも説明がつく、次に)
→ ちんちんが大きくなる(これが「たまたま」だったとしよう)
全裸のブサイクが目の前にいる
→ 気持ち悪い(ここまでは随伴現象説でも説明がつく、次に)
→ ちんちんは反応しない(やはり美少女のときにはフィードバックがあったのではないか?) だめなやつのフィードバック、結果は明白だよな
だからこそイラツクおまえ 「クオリアがなくても成立する」は証明されている訳ではないけどね
ルンバとか自動運転みたいな視覚情報を処理して動いている機械類に対して
人間が「たぶんクオリアはない」と見なしているからそう思ってしまうけど、
例えばクオリアの正体が隣り合う原子間での電子の運動量の移動だとしたら
それがなければ多くの物理現象は成立しなくなる
そんなことからも哲学的ゾンビはおそらく人間と同じように振舞えないだろうと考える人は多い A:「自由はある」とロマンを維持したい人
B:「クオリアは無意味」と徹底的に無機質にしたい人
どちらも極端で、
「あくまで自由はない」「だがクオリア自体は物理界と相互作用している」
が割と普通に導かれる現時点での結論だと思われる 物理的な前提に応じてしか現象は起きないんだからフィードバックってのはない そこは一種定義次第でもあるけど、
今のところクオリアの発生にタイムラグがあることがほぼ確実視されているが、
これを前提にするとフィードバックはないだろうね
「ムラムラ」というクオリアが発生する前にもう勃起している訳だ
光速を超える情報伝達では因果関係の時系列が逆転するとかいう素人にはよく分からん状態になるそうだが
その場合には未来のムラムラが現在の勃起の原因になっているのでフィードバックしていると言える
けっこうこんなところにハードプロブレムの解があったりしてね ただクオリア発生のタイムラグはそんな物理主義的な理由よりも
なんか人間臭いとでも言うようなご都合主義的なメカニズムに従っているようなんだよね
たとえば
尻だ(視覚)!
屁だ(聴覚)!
臭い(嗅覚)!
みたいな情報は経路の異なる神経回路を通って時間差をもって処理されるけど、
クオリアは同時に発生してくれないと認知機構として混乱をきたすから、
一番遅く到着する情報に合わせるとか、そんな仕組みになっているっぽい 例えばグーチョキパーどれを出すのか
強制されていない状態が一般的な意味合いでの「自由」
この強制力がない状態において、
グーチョキパーどれを出すかそれぞれ脳のABCの領域が決めるとして、
Aの電位が最も高いとグーになるんだけど、
その電位をもたらすのが、その瞬間の血流だったり体温だったり電磁波だったりと、
意識とは無関係の要因なので、それを「自由ではない」と言うのが心の哲学 清楚系のアイドルでも一日はいたパンツは臭いと言われている
鼻の奥にツーンと来るような、公衆便所が放つあのアンモニア臭を帯びる
それが綿製純白のものであったとしても
匂いを確かめるのは自由だが、
その結果については「これは運命だったのだ」とあきらめなければならない 草むらに
顔をうずめて
深呼吸
香の鼻突きて
声ぞ漏れ出ず
祇園総社の鐘の音
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理を表す
生物の身体を構成するたんぱく質はアミノ酸からなる高分子だ
アミノ酸とは、アミノ基をカルボキシル基を持つ炭化水素のことだ
アミノ基は窒素を含む
体内でこの窒素はやがてNH3に、アンモニアに変わるのだ
宇宙を支配する法則に、したがった結果である キレイなバラにはトゲがある、可愛いアイドルもパンツは臭い
生物進化はやはり物質中心で進んできたことの証拠なのではないか?
物質界での適者が生き残り、可愛いアイドルたちもその遺伝子を受け継いでいるのだろう
もし生物進化にクオリアが関与する余地があったら、
鼻がもげるほど臭いなどというネガティブクオリアを発する個体が生存や繁殖に有利だったとは
到底思えないのだ クオリアから物質へのフィードバックが「ほとんど」ないとしたら
それは例えばほとんどの物質を通過してしまうニュートリノや
電磁波と相互作用しないの暗黒物質的なモノと仮定して考えてみるとする
どうも意識は脳に宿っているっぽいので、
さらに強弱核力のように近い距離でのみ「わずかに」相互作用すると仮定できる
頭部結合双生児が意識を共有し、一方で同じ高度情報処理器官である脊髄とは共有できない、
も、一応これで説明がつく ないものを無いと見あるものをあるとみることはないものをあると見あるものを無いとみること。 人間はあるところのものでありあらぬところのものである。 1 クオリアに関する全ての説明は、クオリアがなくても成り立つ
2 他者のクオリアを確認できた前例はいまだかつて一度もない
よってクオリアは幻想のたぐい
人は実在を伴わない幻想の中で生きている ないものに証明はいらないけどな
悪魔の証明の使い方逆だぞ どっちかと言うと1と2からラスト2行の結論が導かれるという論理のところがおかしいよな
1 角A=角D
2 角B=角E
よって△ABCと△DEFは相似
みたいな条件1,2と結論の集合論的な関係が成立していない だから、現時点ではある1つの立場をとるとして、
証明するにはまだこの条件が足らないが、
そこは将来的に確認されるだろう
って言い方が適切だろう >そこは将来的に確認されるだろう
将来的に確認とは、常に例外を除く確認であり、全ての確認のようにだますやりかたです。
実在の実証関係に証明というものは存在せず、立証や実証ではなく証明とか言い出すのは
学識がないか日本語が駄目駄目の無能でしょうね。 >>666の日本語がわからなすぎる
↓本人以外でこれ説明できる人いる?
@常に例外を除く確認
A全ての確認のようにだますやりかた
B実在の実証関係
C立証や実証ではなく証明 自由意思はあるよ
私は焼肉定食ではなく餃子定食を選ぶことができる ゴキブリ定食を選ぶという発想がない時点で自由ではないのだよ いやそもそも飯を食いたいという欲求から逃れられない時点で自由ではないのだ 「自分には自由がある」という想いが身体を動かし5ちゃんの哲学スレで主張する
やはりクオリアから物質へのフィードバックはあるのだろう >>668
君が「よし餃子定食にするぞ」と意識する前に脳では餃子定食にするように信号が出ている
意識よりも無意識(脳の信号)の方が先行している
意識は後付けで、自分の意志によって選んだ”つもり”になってるだけってのが実験で確かめられたって話
自分の意思→実際にそれを選ぶ×
無意識にそれを選ぶ→自分の意志だったと後付けで解釈〇 >>671
まず(何となく無意識に)身体を動かし5ちゃんの哲学スレで主張した
↓
自分の意志で自由に行動を選択したと意識は後付けでそう解釈した 餃子定食の味を覚えていて餃子のにおい、見た目から餃子を欲するから餃子を頼むんじゃないかな。初めての時は匂いが奇異で好奇心から注文するか、人の味覚店の雰囲気信頼して頼むかもしれない。そう思うと自由意志は限定されている。
だって餃子にたどり着く人が多いということは、餃子に強制力があるからね。 焼き肉と餃子どちらかを選ぶということも自由は数パーセント。 口コミや交際の中で自由があるということだろうか。案外味覚や視覚行動からは
餃子にたどり着かない。 餃子を食おうとしても食えないとか
そのくせ気づいたら餃子を食っていたとか考えると面白いが。 自由度のある行動と不自由度のある行動どちらが自由を感じるか? 前者は快い感じがして後者は達成感がある。そんなことも大事じゃないか?
自由な行動ができないとがっかりするが、不自由な行動なら我慢できる。
そんな間に自由という表象主体がないかな。 だから自由は恣意的であり、相対的だよ。絶対的自由なんてない。 餃子というイデアもありそうだし、形而上核餃子というのも餃子好きなら誰しも食べたことがあるはずだ。 自由意志はないで結論出てるから、議論すべきは「なぜ人は自由意志があると思い込んでしまうのか」を明らかにすることだと思う
それを参考にして、自由意志による選択(という共同幻想)を前提に作られた現実社会での法的・倫理的責任というものの在り方を新たに基礎付けられるかもしれない
純粋な論理的世界では自由意志がない事は明らかであっても、現実の経験的世界においては自由意志という幻想が共有されていて、それを前提に社会システムや倫理が形成されている以上
無意識に選択した行動を、意識が自分の意志で選んだと解釈してしまうメカニズムを明らかにすることは有益だと思う 全くないとも言い切れないがすべて自由というのもない。 必ずその前の食事や前日のメニューに縛られる。選択肢は過去によって決定され、未来によって
自由となる。 >>671
それがクオリア起因の行動であるという証明は? 焼肉定食と餃子定食のうち「焼肉が食いたい」「だから焼肉を注文する」という因果関係は
「必然と偶然のどちらかに依存しているのか?」が論点になるので、
この話は「神はサイコロを振るのか」という、純粋に物理学の領域に還元されることになる
古典物理学的に予測される次の電子の位置が焼肉定食を注文するようなニューロンの発火をもたらすのか、
それともトンネル効果的に別のニューロンを発火させる状態が発生し「でも焼肉定食は100円高い」と考え直させるのか
自然科学が停滞していた中世のヨーロッパで市民権を得てしまっていたインチキ哲学を若い頃に間違ってしっかり学んでしまった人が
今更退けなくなってカルト的なモノ言いで自分が死ぬまでの間は逃げ切ってやろうと必死に抵抗している
それさえも必然か偶然に支配された物質的振る舞いに過ぎないのだと思うと、とても切なくなる >>686
決定論と倫理の問題は自分も若い頃にけっこう頭を抱えたもんだけど、
最近はいわゆる予定説的に受け入れられるようになってきた
「自由意志による選択(という共同幻想)を前提に作られた現実社会」は頭が悪い人用の建前で、
「その(犯罪という)行動選択は回避できなのに、お前はしなかった」という言い方をしているが、本音は、
「その行動選択をとる運命だった、そしてそれに対してお前は罰を受ける」で普通に納得している
議員や弁護士、裁判官になるような人の多くはインテリだし、本音のところでは決定論者だと思うよ >無意識に選択した行動を、意識が自分の意志で選んだと解釈してしまうメカニズム
ここは心の哲学とか意識のハードプロブレムと言われる領域で、
クオリアから物質へのフィードバックが本当にないのだとしたら、
「殺してしまった」という行動に「殺したくない」というクオリアが生じても問題ないのだが、
実際にはそういうのは一切ないからね 殺したくなかったという感情が芽生えたとしてそれが自我から生まれたのか、自我が脳で生成された感情を認識しているだけなのか、どちらでも成り立つ 現在の科学では自由意思を証明できないどころか自由意思が無いことの方が証明できてしまう >>692
インテリならば表向きは、自分の成功は自己努力の結果だと言いたいだろうからね
「徒競走で勝ったものは勝者なのか?」とサンデルは問いかけてるが
競争に勝つためには生まれ持った資質と優秀なトレーナー、高価なギアなど
様々な要因が作用していて決して個人の力などではない
だから、ほんとは決定論だけど可能性の平等ということにして自己正当化する 決定論の弱点はアタマの悪い人に自分の悪行を正当化する理由を与えるところなんだよな
アタマの良い側の人たちはそうさせたくないので決定論宇宙の事実を隠蔽しているんだけど、
そうした努力も結局は決定論的に導かれたモノであるというもどかしさがある 個人的に最近困っているのは
決定論は唯物論とセットになってくるので、人間の感情についても随伴現象説的な捉え方になってしまい
人間というものがただの有機化合物(炭化水素類)の集合体に見えてしまい、性欲が減退したこと
できればクオリア同様に、もっと曖昧で根拠のない意味論的な価値も本当は大事にしたい
分子構造はまったく同じ匂い成分でも、美少女から放たれたものとブスから放たれたものは別物であって欲しい
同じNH3でも構成する粒子がたどった歴史(直近では美少女の体内で生成された)に意味があると思いたい >>697
そう、ほんとに決定論なら社会がどうなろうと全てが結果だからあらゆる謀りは意味をなさない 決定論かどうかはどうでもいい
なぜなら、決定論が正しかったとして誰にも未来は分からないから、決まってないのと同じこと 決定論が物理法則の通りに物事が進むことを指してるのなら、
人間も物理法則の通りに決断して物事を決めている その事実がどうしても我慢ならないという人はいる
そういう人たちだけで集まって宗教でもやってる分にはいいんだけど
科学的に考えている人たちのところにも出張してきて布教活動するから困る 自由意志は無いということが事実だからといって、それは即時に決定論が正しいことを意味するわけではないよ
ハイゼンベルクの不確定性原理によりラプラスの悪魔は否定されている以上、未来は不確定なままなんだから
意思で自由に決定してるわけでもなければ、最初から因果論的に決定してるわけでもなく、確率的な偶然の(あるいは蓋然の)結果そうなったというだけでしかない
ただ、どちらにしろ悪行を正当化する口実として使いやすいことに変わりがないので日常生活や現実社会での法的・倫理的な責任に関する問題は解決してないんだよね
「自由意志は無い」という事実に関しては、学術的には論理的整合性を追求するだけで問題ないんだけど、政治的には現実問題との適合性に軸足を置いて扱っていくしかない 現在の技術が未熟なせいで不確定としかみえないだけで神の視点から見たら全て必然かもしれない >>691
まず、脳が「焼肉定食を注文する」と決定する
コンマ何秒か遅れて、「そうだ、焼肉定食を食べよう」という考えが意識に浮かぶ
なんで焼肉定食を食べたくなったのか、自分でも分からない。
理由をあれこれ、後付けで考えることになる >>703
>>704
自分も物理の専門家じゃないので正確なことは分からんのだけど、
人間が解明できていないだけでランダムに見える現象にも法則性があるんじゃないかなと思ってる
自由の定義に以下の2通りがあるように、
(a)他者から強制されない自由(物理法則にも縛られないかどうかは問わない)
(b)物理法則からも解放された自由(人間や生命の主体性は超自然的な力を持つという意味での自由)
決定論という言葉を使う場合にも以下の2つの立場があるね
(c)量子論的な不確定性など存在せず宇宙の状態は最初から最後まですべて決定されている
(d)量子論的な不確定性はあるが、抗うす術はなく、人間や生命の主体性によって宇宙の状態が分岐することはない
自由意志を語る場合、前者については論点になるのは(b)で(かつ答えは「そんなモノはない」でもう出ている)
後者は物理の世界では(c)の方を指し、心の哲学の世界では(d)も含めた比喩的な使い方になってるって感じだね 偶然に決定しているようで神とアクマにはかられている。自由と不自由とは
そういうものだ。 偶然が好きなら偶然ねと言われて偶然に放り出された後まで策略ずくじゃないか。 かかったなと二極のかけ離れたの主体が代わる代わる導いている。 だから自由意志は安いもんであるがその時間が少しはあるだろう大事だ。 分厚い古典的な決定論の方が信頼できます。さあそれも駆け引きだ。上手に乗り切るか
下手な失敗かで運命は全く違う。 ふつうは悪魔と天使だけどこの地獄には蝶と鳥しか天使は確認できないさ。 >>703
自由意志が存在しなければどんな事実を知ったところで我々には成す術がなく全ては結果論でしか無いのだから
そこに道徳的基準を持ち込んでもあまり意味を成さないだろうよ
しかも道徳的効用を求めるなら、変更できない天気に怒ってもしょうがないようにそうなるべくして生きてる
他人の振る舞いを受け入れられる寛容と慈愛を期待できると言うことも個人的次元もおいては可能だよな
というか、かつてはそっちだったんじゃないかという気がするんだが
我々が原始的なスタイルで生活をしていた時代は、事実だけを受け入れこの世界に変更可能なものなど
ないと素朴に理解していたのでは?と
なんでもかんでも自在にコントロール可能だと勝手に解釈しているのは自由意志の全能性を訴えはじめた
近代以降の文明人特有の性質ってことだ
まぁ、話が逸れたが自由意志が根拠になってる刑法なんかを政治的にどうするかってのは
たしかに色々面倒なことになりそうではある。 現代人は学校で物理を学んでいるので、
(自分もだが)クオリアから物質へのフィードバックはないという結論から入って
そっちを肯定する方向でいろいろ考えて根拠も挙げてくるもんなんだけど、
逆の立場に立っても、実はけっこう簡単に肯定材料が見るかることは知っているんだよね
「怖いから猛獣から逃げる」なんてのも「逃げる」という選択が「怖い」というクオリアに先行するのであれば、
猛獣の姿に逃げてから「可愛い」というクオリアが発生したとしても生存や繁殖に全く不利にならないのだが、
こうした「クオリア→行動」の順番でも説明がつく現象があまりに多い(と言うか全部)ことが「偶々」であるには
天文学の天文学乗くらいの確率である必要があり、この事実から目を背けていたら科学ではなくなってしまう ×:こうした「クオリア→行動」
〇:「クオリア→行動」
「クオリア→行動」の例は挙げていなかったね
一般的には自説に対して予測される反論には、反論する余地を与えないように(と言うか否定するために)
自分の方から例示して反証しておくのが科学的な取り組み方なのだが、
ハードプロブレムの領域ではそれをやらない人が多い
やらなくてもあんまり違和感を与えない雰囲気になっていて、とりあえずそれに便乗している そういう非科学的とは言わないが、怠慢と言える態度がまかり通っている理由は
問題のテーマが「ハードプロブレム」なんて名前がついてしまっているからだろう
「難しいんだから仕方ない、大目に見ていい」という空気になってしまっているのだ
私たちは、この状態から脱出しなければならない 生存と繁殖の有利不利に決定的に関わってくるクオリアを考えてみる
エネルギーが枯渇してくると:空腹を感じる
栄養のある食べ物は:美味しい
毒物は:臭い、まずい
猛獣は:怖い
ケガは:痛い
優れた異性は:美しい
交尾は:気持ちいい
子供は:かわいい
物質→クオリアが一方通行なのであれば、
エネルギーが枯渇してくると:満腹を感じる
栄養のある食べ物は:まずい
毒物は:いい匂い、美味しい
猛獣は:かわいい
ケガは:気持ちい
優れた異性は:醜い
交尾は:痛い
子供は:キモイ
でも大丈夫なはずなのだ 「クオリア→物質」フィードバック仮説は、
現在ほぼ確実視されている「クオリアの発生が物理的な事象より遅れる」とは両立できる
後から発生したクオリアがポジティブな性質ものだったら、
・それが物質界にフィードバックされ
・脳に記録され
・次回もまたそれを求める
からだ またこれは決定論とも矛盾しない
「クオリア→物質」も法則にしたがった物理現象であるとしても同じ結果を期待できるからだ
自分は「クオリア→物質」はあると思っているが、決定論者である カントが徹底的に批判してるだろ
自然の秩序の中には自由意志の存在の余地はない 2行目の結論はいいんだけど
2世紀も前の人の名前持ち出してくると、途端に胡散臭くなる
別のテーマになるとトンデモかましてくる危険性を感じさせる 「他者から強制されている」と感じるクオリアが発生していない状態を、人間は「自由」と呼んできた
物理法則からの強制を受けていることについては、気づいている人といない人がいた 実際のところ、自由意志は虚構なのか?を考察することなど端から放棄し
「選択自由のない生は残念である」或いは「自由意志は自明だ」といった感情的な論理ばかりが先行して
自由意志の優位性が語られてきた、そんな歴史が多分にあったと思う キミの意思はつねにある特定のパターンの脳状態が先行しています 例え未来は決まっていても自由意志はある
自分でそれを選択したと認識した事実があればそれは自由意志だ そういうのは単語の辞書的な意味の話で、このスレの趣旨とは異なる >>730
横レスだが、「自由意志はあるか?」というような、カントによって退けられた形而上的な問いに対しては、論じたところで意味がない
その代わり、「自由意志」という言語を分析する・・・てのが、現代的な考え方ではないのかね? >>731
誰が退けたかは重要ではないし、
決定論的な宇宙観は宗教的なものでなく自然科学的なアプローチから紀元前にすでにあったあまりにも今更のもの
>>1を見ればこのスレを立てた主が用語の定義を望んでいる訳ではないのは分かる(主はそこはクリアしている前提で書いてる)
この問題は余りにもすぐに結論に行きついてしまい話が広がらないので、ハードプロブレムの方に脱線するくらいならありだと思うが
言葉の意味の方向に行くかどうかについては慎重にならないと、変なのがウジャウジャ湧いてくるよ >>728
君は頭がカラッポのアホ状態が先行しているようだ 事実を問わずそう認識することで腑に落ちるならピンクのユニコーンもスパモン神も全てアリだからね メンインブラックに人間を操縦する小人が出てきたろ
あれこそが自由意志のbest representationといえるな >>733
るさい!
アホって言ったひとがアホ、小さい頃習わなかったです?まぁそういう人としてのことが欠けているひとに何を言われても私はなんとも思わないないですけどね 決定論や自由意志の問題と、倫理や道徳や責任の問題と
結びつける人が、相変わらず多いんですね。
はっきりいって、何の関係もないと思います。
決定論が仮に正しくても、今の社会に何の影響もないでしょう。決定論というのは、そういう観点からは
完全に「無意味」な議論です。 現在の裁判制度が、名目上は決定論の否定(別の選択肢を取り得た)に基づいているから
そりゃ議論になるよな >>738
別に裁判制度に限ったことではありません。
というか、もし決定論が正しいなら、犯罪だけでなく
いかなる行為も「別の選択肢は取り得ない」ことになります。
裁判官の判決でも、国会議員の立法でも、政治家の
政策決定でも、5ちゃんねるへの書き込みでも、同じです。
もし、「別の選択肢は取り得ない」なら「責任は問えない」なら、およそいかなる行為の責任も問えません。
また、これもよく勘違いされていますが、悪い行為だけでなく良い行為も、同様に責任は問えません。
普通は、悪いことをしたり失敗したりすると
「責任を問われて」非難されたり罰せられたり
しますし、良いことをしたり成功したりすると
称賛されたり褒賞を与えられます。
そういう一切が「できない」ことになります。 そんな社会がありそうもないことは容易にわかります。
5ちゃんねるやsnsにどんなデタラメや悪口雑言を
書き込んでも一切非難されない社会、スポーツの
大会で優勝しても一切称賛されず賞金も出ない社会
なんて、想像もつきませんw
考えればわかりますが、人の責任を問う、非難する、
処罰する、賠償金を払わせる、等々もすべて人間の行為
ですから、決定論が正しいならすべて他の選択肢を
取り得ない必然の出来事で「責任がない」ことに
なります。要するに、責任があろうがなかろうが、
決定論が正しかろうが間違っていようが、
人間は今まで通りのことをするだけなので、
起こることは起こるし起こらないことは起こらず、
やっぱり5ちゃんねるにおかしなことを書けば
叩かれて炎上するわけです。
そういう意味で、決定論や自由意志の議論は
実践的には「無意味」というしかありません。 そういうスタンスだと今度は「では何の議論なら意味があるの(無意味ではないの)?」になるんだよな
意味の有り無しで考えることからの脱却しないと、人生ツマランくなるよな 鬼滅の刃の上弦の壱なよ最期
「私は何のために、生まれてきたのか?」
は、とても深い
漫画読んだ人じゃないと背景・経緯が分からんだろうが AIが話題になるようになってからは
ハードプロブレム系の議論にはみんな疲れちゃった感じだよね 他人が哲学的ゾンビに見えてしまうのは
いいことなのか、悪いことなのか 自分も哲学的ゾンビだと思えばいい
西洋哲学は例えば「現存在」などという言葉を作り出し、自分だけを特別視する傾向がある 意識自体が存在することは自分自身が誰よりも分かっていることだが
他人に対して客観的に証明するのが今のところ誰もできていない
マンマシンインターフェースの技術が発達して脳同士を接続できたときに
相手の思考は分かるようになるかもしれないけど、
それも証明したと言えるかは分からんよね、自分の脳がそう解釈しただけとも取れるし 意識がないといってもだれも驚かない。意識がなくなっただけだ。次に進む。 哲学理論「自由意志と決定論の弁証法的統一」前編
私はこう考える。「自由意志は存在するが、人は最善の選択以外の選択ができない。よって、自由意志は存在しない。」と。
このことについてこう反論する人がいるだろう。「最善の選択などする人はほとんどいない。ブッダやマザー・テレサなどの一部の聖人だけだ。」と。
ここで私が言う最善とは、倫理上の最善のことではない。「自分にとって最も得になる」という意味での最善である。
しかし、これにはさらに反論があるだろう。「自分にとって最も得になる?バカバカしいな。賢い人間はそうしているが、それができないやつがニュースで毎日山のように報道される。アル中が酒を飲むのは最善か?自殺者が自殺するのは?ハラスメントを告発されたり犯罪が暴かれて身を破滅させるやつらのどこが"自分にとって最も得になる"選択なんだ?」と。
私は事実として自分にとって最も得になることを人々が必ずしも行っていないことに同意する。ここで、今話題の人物である小山田圭吾を例にとって、「人は自分にとって最も得になることを行っているが、見かけ上はそのように見えないだけだ。」と主張させていただこう。 哲学理論「自由意志と決定論の弁証法的統一」後編
小山田圭吾は、彼自身の告白が事実であれば、学生時代にいじめを行なったわけだ。小山田は平成元年に20歳になっていることから、小山田の学生時代は昭和である。当時の小山田は、まさか今から二代後の天皇の時代になって、今自分がやっているいじめが世界中に報道されて世界から非難されることなど考えもしなかった。さらに、ミュージシャンになった後も悪ガキアピールのためにいじめを自慢したが、これもまさかこれほど世界で報道されるとは思いもしなかっただろう。
小山田は、何十年も先のポリコレ時代(令和時代)にいじめがどう評価されるかなど見当もつかなかった。「悪い俺カッコいい」という昭和から平成前期にかけての文化で自分の行動を評価し、自分の評判を上げるためにいじめ自慢をした。
学生時代の小山田がいじめをしたのは楽しみのためとスクールカーストを上げるためで、ミュージシャンになってからそれを自慢したのはこれもまた「悪い人カッコいーい!」という浅はかを極める女性にモテるためで、(むろん、ターゲットの女性がアホである以上、アホ女が好きな小山田本人もアホであろう。)いずれにせよ学生時代の小山田もいじめ自慢をしたときの小山田も、よく考えれば彼の頭で考えうる最善を行なったのだ。
座間の猟奇殺人犯白石も、秋葉原虐殺事件の加藤も、サリン事件の悪名高き麻原彰晃も、彼らにとって最も自分の望みを達成できるであろうことを考えうる限り頭を使って行なった。結果がどうあれ、彼らは自分にとっての最善を行なったに過ぎない。
以上より、人は常にその時々で自分にとっての最善を行っていると私は述べたい。 なんでそんな屁の足しにもならないヤツの行動を引き合いにだして自由意志を論じなきゃならんのか >>1
マジレスすると
自由意思はあるが自由行動はない >>759
が「自由意思」についても「自由行動」についても、
その定義を説明することは決してないに
俺の右のキンタマを賭ける >>762
玉はいらんが説明はしよう
現実=有限世界
自由=貨幣経済格差を前提とした
他からの強制・束縛・支配の対義語
自由意思の定義:現実から受け取った後の行動前のきっかけ
自由行動の定義:現実に実際見せる自他含めた動きそのもの
意思や意識のきっかけに形は無いから他に縛られず
思いつく限りの自由度があるが
現実を受け取り行動した瞬間、自由ではなくなり
制限された有限の自由度で行動するしかない
こういうことなんで
自由意思はあるが自由行動はないんですよ 言ってることとやってることが
違う奴見たことない方がおめでたいぞ >>766
何を思い考えようが自由だろう
言葉を書く行動に縛りがあり
匿名でタダで書けるから独善的言動も許されるのだよ
わかったか? >>767
じゃあなぜ腹が減ったら飯が食いたいと思うんだ
なぜ眠くなると寝たいと思うんだ
なんで他人に嫉妬するんだ
それはお前が自分から思ったことじゃない
勝手に思わされてるだけ
わかったか 意思の存在に因果関係は無いから自由なのであり
勝手に思わされてる存在を
あるかのように騙るのも発言者本人の自由意思
「思い」で止めたままでは他に伝わらない
行動して見せた瞬間から初めて因果関係が生まれるからだ
そう「>>768」のようにね >>769
腹が減ったことと飯が食いたいという思いに因果関係はないって言いたいのか?
デタラメもいいとこだなw >>770
食いたいという思いに因果関係はないだろw
食うという行動にのみ因果関係の始まりがあるんだろw
思いに原因があるんだったら思っただけで人殺せますよ >>771
何わけわからんこと言っとるんだ
厨房ははよ寝なさい >>757
さらっとしか読んでないけど全面賛成だわ
特に「人は常にその時々で自分にとっての最善を行っている」て部分とか
例えばの話「授業中は寝ちゃいけないのに寝ちゃうぅぅ」っていうのは、その人の”倫理意識”には反しているけど"身体的な需要"って意味では大正解で、単にそれが倫理意識を上回ったってだけの話なんよな
ある意味ソクラテスの言うとおり「人は善なる行動しかとれない」んだよな ただその「善」がおれらが思うよりデカい意味ってだけで てか”生命としての善”って言えばいいかな
補足で書かせてもらうと、自殺行動も善と言えると思うんだよな これには色んな解釈があっていいと思うけど、おれは"生命全体としての善"を提唱するわ
生命ってのはおれら一人一人として完全に分かれてるわけじゃなくて、親だったり子供だったり、めんどくさいことを言えば人間全体であり動物全体であり生命体全部なんだよな ここに自己犠牲が可能となるんだと思う
生命ってのは常に合成もしてるけど分解もしてるわけやん?だから生命体は必ず死ぬし、自殺もその一形態と考えられると思うんよなぁ
まとまり悪いし長文スマソ >>775
>>757
自由意思が存在することには同意だが辻褄が合いませんね
自由意思の話ではなく因果関係がはっきりしている行動のみの言及
科学的に自由意思の存在が証明できないのは当たり前の話であり
意思は「現実から受け取った後の行動前のきっかけ」で「形が無い」「因果もない」から自由なのだ
脳は現実を受け取るための臓器なので意思や意識とは無関係
ここがわかってないから
【人は常にその時々で自分にとっての最善を行っている】などと勘違いするのだ
善悪の評価は関係ない、行動には「質」が出るだけなのだ 脳科学 脳外科 宇宙の根源 マジックショー 済生会病院 スーパー田子重 >>776
お前も何言っとるかわからんな
因果がないならなんで腹減ったら飯が食いたいと思うんだ
というか「現実から受け取った」と言ってる時点で因果関係発生しとるやんけ 意思に因果がないのなら腹が減っても飯を食べようとせず餓死する人が大勢いなければおかしい
幼稚園児でもわかる単純な議論 >>776
腹減った=行動前の意思
腹減ったと思ってから行動するのだ、当たり前の話だろう
受け取った行動に原因があるが意思には原因がない「きっかけ」止まりの要素なのだ >>780
自分で「きっかけ」って言ってるやん
きっかけは因果関係の因、原因に他ならない
腹が減ったこと(原因1)を検知した脳が特定の脳内物質を出すことで意識が影響を受ける(結果1、原因2)
それにより行動が生じる(結果2)
原因1が結果1を生じさせ、転じて結果1が原因2となり結果2を生じさせる >>781
>自分で「きっかけ」って言ってるやん
>きっかけは因果関係の因、原因に他ならない
その通りですよ
文字を入力して送信したという行動には因果関係は当然あるが
行動前の意思は本人以外誰にも読み取れないし見えないだろう
「きっかけ」という言葉を受け取った直後に原因の始点があるが
行動前に思い・思考すれば動きが止まる瞬間があるだろう?
動きが止まってる瞬間が原因なのはおかしいだろう >>782
本人がわかっとるやん
本人がメシ食いたいと思って食ったなら立派な因果関係だろ
動きが止まったら原因じゃなくなる?
何わけわからんこといっとんねん
分子や電子ってわかります??
パソコンは外から見たら止まってるように見えるから因果関係は発生しないんですか? >>783
>本人がわかっとるやん
>本人がメシ食いたいと思って食ったなら立派な因果関係だろ
体を動かさず食いたいとだけ思ってみたらわかるだろう
原因はあるがどこに結果がある?
動かなければ結果になりえないだろう
何わけわからんこといっとんねん
>パソコンは外から見たら止まってるように見えるから因果関係は発生しないんですか?
パソコンを扱う人間に因果関係があるだけだろう >>784
>原因はあるがどこに結果がある?
あれ?動かないから意思は原因にならないんじゃないの?
さっきの発言と矛盾しとるやんw
>パソコンを扱う人間に因果関係があるだけだろう
で、パソコン本体は因果関係と無縁なの? パソコンに因果関係がないならどうやって動いとるねんw
魔法でも使っとんのけw >>785
>あれ?動かないから意思は原因にならないんじゃないの?
>さっきの発言と矛盾しとるやんw
何も矛盾してないな
他人から動きを止めて思ってる本人を見たときは原因が無く
自分から動きを止めて思ってる本人を見たときは結果が無い
つまり意思には因果関係がないのだよ 辻褄合うだろ?
>で、パソコン本体は因果関係と無縁なの?
パソコン本体になってみないとわからないだろう >>788
アホやな
飯を食いたいという意思は結果であり原因
空腹→メシ食いたいという意思→行動
これら3つそれぞれに因果関係が関わっている
行動に起さずともメシ食いたいという意思には因果関係が発生しとるわ
>パソコン本体になってみないとわからないだろう
すげーなお前
パソコンの動作には原因と結果の関係性が存在しないって言っとるわけやぞ
全くの偶然が重なって奇跡的に世界中のパソコンは動いとるわけか
はーすげー >>787
俺も自由意志否定派
意思がないんで意思と行動の因果関係も存在しない
こんなしょーもない議論をやっとるのは自由意志はあるけど意思は因果関係と無縁だと言っとるアホがおるから >>789
>空腹→メシ食いたいという意思→行動
>これら3つそれぞれに因果関係が関わっている
本人から見た因果関係
自己肉体の空腹(原因)→飯食いたいという意思→行動(結果)
他人から見た因果関係
自己肉体の空腹→飯食いたいという意思→行動(原因)(結果)
3つそれぞれに因果関係はない
>行動に起さずともメシ食いたいという意思には因果関係が発生しとるわ
行動に起こさない場合は自己完結になるだろう
行動に出して初めて因果関係になるのだ
>パソコンの動作には原因と結果の関係性が存在しないって言っとるわけやぞ
話をすり替えてるだけだろう
パソコンは人間が作ったものだから、人間の概念が通用する部分も当然あるだろうが
パソコン本体の気持ちになったこともないのになぜ人間目線でそう言えるのかわからない >>791
矢印で繋いでおいて因果関係がないって普通なら恥ずかしくて言えんよ
アホすぎ
>パソコン本体の気持ちになったこともないのになぜ人間目線でそう言えるのかわからない
はいアホ
パソコンに気持ちがあろうがなかろうが再現性を伴って動くということは因果関係が生じていることに他ならない
でなければ奇跡的に偶然が重なって動いているか魔法でも使ってるかのどちらかだわ >>792
読解力・考察力なさすぎて草
3つそれぞれに因果関係はないって書いてあるだろ
いくらタダで匿名でコメントできるからって
独善的議論にしてるお前がアホ
哲学的考察なんだからある程度の妄想はあって当然だろう
パソコンに気持ちがあるかどうかも考察できないからアホなんだよ
だから単純な自分に都合のいい答えに落ち着くw >>793
矢印によって原因と結果を図示しておきながら因果関係がないとかドアホ、妄想乙
qr.ae/pG5XxD
>お腹が空くと食欲が出る、っていうのは相関関係でしょうか?それとも因果関係でしょうか?
原因と結果になってるので因果関係です。
note.com/satoru0218/n/n97709939e703
>お腹が空くとイライラするという因果関係を示している。
ほれみろ
行動しなくても因果関係は成立するわ
小学生からやり直せw どういう教育を受ければこんなアホが生まれるのか甚だ疑問だわ
末恐ろしいな 横から失礼します。
791さんが何を言いたいのかよくわかりませんが、「自由意思はあるが因果関係はない」という考え方自体は可能ではあると思います。
常識的には、「自由意思が原因で筋肉の動きが結果」なわけですが、いわゆる心身関係についての随伴現象説的な考え方によれば、筋肉の動きの原因は臓器としての脳の活動(による電気信号)であって、いわゆる自由意思は脳の活動に伴って発生する影なようなものに過ぎず、筋肉の動きとの因果関係はないということになります。
この考え方は、(スレタイのように)「自由意思は幻想であって存在しない」と表現されることもありますが、「自由意思は主観としては確かに存在するけれど、身体を含む客観的な物理世界に対して因果関係を持たない」と表現する方が正確だと思います。
ただ、そんな正体不明の無用の長物のようなものがどうして存在するのか説明が難しいのが、この考え方の難点ですが。 >>794
図示したから見てわかるように3つそれぞれに因果関係はないと書くことで
どこに原因と結果があるかわかるようにしてるんだろw
同じ内容を繰り返すばかりか他人のコメントまで引っ張り出す始末
ほれみろ
読解力も考察力も皆無じゃないか
言葉は嘘も矛盾も表現できるだろう
そんな言葉をそのまま信じて疑わないドアホw
独善的コメント乙
生まれる前からやり直せw >>798
いやそれはつまり意識はあれど自由意志はないという考え方やん
自分の人生の映画を観てるだけみたいな
>>799
はいはい
行動しない限り因果関係はありませぇん!
っていう妄想記事でも早く見つけてこいよ
負け犬がw 「自由意志」を議論するときに話が嚙み合わないことがしばしばである原因は
「自由意志」がどういうものなのかを定義(共通の理解)せずに、
各々が思い思いの「自由意志」で話すからなんだよな
昔から何度も繰り返されてきていることで、ここが問題点であることはみんな分かってるんだけど、
最初の「用語の定義」をあえてやらない、自分流の定義を既成事実化したところをスタート地点に流暢にやりたいから 現代的な「自由意志」は、一般的には物理法則を超越した決定論を覆すようなものを言う
人間の「思い」がニューロン内の陽子と電子の引力に逆らった運動を誘発し、
物理的計算からは導かれないような電位を発生させ筋肉を動かし、それが人体の振る舞いとなる
そして「そんなものはない」が自然科学界の共通理解だ
この身も蓋もない結論に速攻で到達してしまうのではツマランので、あえて独自の自由意志解釈を持ち込む
で、その独自解釈を小出しにして議論を無駄に長引かせる、こんなのが繰り返されてきた 因果関係が依存するものは偶然と必然の二択であって、このどちらも「自由」なる概念とは少しもかすらない
自然科学的には「自由」自体が架空の概念で、人文的な意味以外で定義が不可能なことは明白だ
ハードプロブレム系の議論だと、ここまでは前提で語られるからもうちょいスムーズなんだけど、
自由意志になると、宗教家の屁理屈みたいのを持ち込んでくる人がけっこういるので進みが遅くなる >>800
>意識はあれど自由意志はないという考え方やん
自分の人生の映画を観てるだけみたいな
いやまさにその「意識」「自分の人生の映画」の一部として「自由意思」があることは、ある意味自明ではないかということです。決定論とは無関係なので下の方の定義とは合いませんが。
空腹感とか食べ物の色や匂いや味の記憶などの「クオリア」とかあれを食べたいという欲求とか脚や手や口を動かす(あるいは我慢して動かさない)意思とかは、意識という自分の人生の映画の一コマとして存在しているわけですが、そもそも何でそんな映画が存在しているのか、全く説明がつきません。人体も車やパソコンやロボットと同様に脳と神経と筋肉だけあれば十分で、いわゆる哲学的ゾンビであるのがむしろ当然なはずです。しかし少なくとも自分についてはそうではなくて、意識という変ちきりんで何の役に立つのかよくわからないのに延々と続く映画が付随しています。これが問題の根源で、本来は宗教とか倫理とか道徳とかとは別個の問題だと思います。 自由とは他のものに制約されず自分の本性に従うこと
自分の本性、欲求はコントロールできないけどそれに従うこと自体が自由そのもの
だから自由意志はある
でも自由意思は自分を超えたところから来ている
俺は決定論よりだけどこれが正しいんやない? 自由とは他の制約を受けずに自分の欲求や本性に従うこと
言い換えれば自分であること
自分であることは誰にでもできる
よって自由と自由意思はある
自由と無秩序を同一視してる人が多い気がする これは有用性の問題
自由意志があると仮定しないと社会制度はうまく回らないのよ >自由とは他のものに制約されず自分の本性に従うこと
>自分の本性、欲求はコントロールできないけどそれに従うこと自体が自由そのもの
「自分の本性、欲求はコントロールできないけど」を物理法則によって制約を受けているとし
それを「自由はない」とするのが一般的な理解だと思うけど、
単なる解釈問題で、君は他の人たちとは違う「自由」という言葉の定義をしているということだよね?
だから
>俺は決定論よりだけど
であるように、本質的な理解は物理主義的なものなんだよね? >>809
なるほど 自分の欲求や本性がコントロールできないとして
一般的にはその時点で物理法則の支配をうけているので自由ではないと言うのか、、、
俺の場合
物理主義的に考えれば物理法則によって成り立つのが自分だから
それによる制約をうけているとしても
その時点で既に自由だと思っている
俺は世界が心的と物的の二つで成り立つという二元論かな
分かりやすくまとめてくれてありがとう クオリアの随伴現象説は、物質によってクオリアが生じるけど、
クオリアから物質へのフィードバックはない、ということなんだけど、
自分はフィードバックはあると思っている
結果的には今の物理で十分辻褄が合ってしまうので「ない」でも困ってないだけ
PCもスマホも人間には機械的に処理しているように見え、実際にそうであるんだけど、
彼らにもクオリアが生じていて、彼らは主体的に処理している、ここのみんなも考えたことがあるはずだ
電場が磁場を生み、生み出された磁場が電場を生むという電磁誘導の連鎖反応のように、
物質とクオリアは、どっちが先か決められないような関係なんだと思うよ >自分の本性、欲求はコントロールできないけどそれに従うこと自体が自由そのもの
マゾかな? 女王さまに踏んでもらってる時にだけ自由を感じる的なw そりゃ本能や欲求の赴くままに行動するのもある種の自由と言えるが、それって結局脳の報酬系の奴隷でしかないわけで
脳みそに自由だと思い込まされてる哀れな奴隷でしかないやん 奴隷という語が出てくるとか、哀れとか、そういう感覚がよく分からん >>816
SM嬢に虐げられてるM男奴隷そのものやん
ご奉仕してうまく満足させることができたらご褒美を貰えて失敗したら苦しめられる
メタ的な自由を想像できないならより不自由な状況を想像すればいい >>798
>常識的には、「自由意思が原因で筋肉の動きが結果」なわけですが
※現実的には、「行動の一部始終にのみ因果関係があるだけ」
>「自由意思は主観としては確かに存在するけれど、身体を含む客観的な物理世界に対して因果関係を持たない」と表現する方が正確
※人間における主観として言うと
脳が現実を受け取ることが原因で
行動前の一瞬、または一定時間動きが停止して
動き始めるまでの間に自由意思が存在する
脳で受け取った後、現実を実感してから行動に出すことを
自由意思で決めて初めて行動し結果をだすことになるので
自由意思は存在するが自由意思は受け取った後、行動に出す前の
「気付きと行動を決めるきっかけ」の要素なので因果関係はないと表現する方が正確 冷たい花 つつじの花
the brilliant green >>788
>パソコン本体になってみないとわからないだろう
表面上アホなコメントにしか見えなかったがクッソ深いこと言ってたことに驚愕
「それになった感じ」
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2#.E3.80.8C.E9.9B.A3.E3.81.97.E3.81.84.E5.95.8F.E9.A1.8C.EF.BC.88Hard_problem.EF.BC.89.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.82.AF.E3.82.AA.E3.83.AA.E3.82.A2
哲学者トーマス・ネイジェルは、「コウモリになるとはどんな感じか?(what it is like to be a bat?)」という問題を提起した。
この問いは、クオリア問題の本質を理解する上で重要である。
ポイントは、「我々が想像するに、コウモリになったらこんな感じだろう」という、擬人化した比喩としてのコウモリ理解ではなく、
我々がコウモリそれ自体になってしまった時の経験はどのようなものかを問うているという点である。
人間としての言語も記憶も無く、超音波をつかって物体の位置を感知し、飛びまわり、逆さまになって生活するという性質をもった
コウモリそれ自体になったらどのような感じがするか? それはコウモリそのものにならないと究極的にはわからないだろう。
この場合の「わかる」は、概念の理解という意味での「わかる」とは異なる。経験とは、言語的な説明では「わからない」ものである。
直接の経験を通してしかわからないのがクオリア問題の本質である。
そのように考えると、コウモリに限らず、他の動物、他人、人工的なシステムなどに、たとえ意識があったとして、
それになったときにの感じ(what it is like) は、それ自身にならない限りわからない なんか一般的には自由意志と呼んではいないモノを、自分は自由意志と呼んでいる、状態になってるっぽいな
そこにわざわざ自由意志という単語を使うのも、誤解(一般的な意味での自由意志が存在し得るという可能性)
を生じさせることを期待しているからのように思える >>824
クオリアは多様だからね
熱い冷たいは程度だけだけど(もしかしたらその「程度」がすべて別クオリアなのかもだけど)、
味や匂いは無数にあるし、言語や意味や概念なんてのも数万単位で感じ分けているだろうし、言語されていない感覚もあるだろう
コウモリどころか、赤緑色盲の人が見る世界もわからないし、多指症の人の6本目の指を持つことの感覚も分からない
赤外線や紫外線を見る動物もいるし、昆虫は複眼(および単眼)なんて目を持つ、アメンボは複眼が水上と水中に2組づつある
イルカやクジラも位置把握に音波を利用するけど、
夜行性であるコウモリくらいになると、おそらく他の生物が電磁波を視覚情報にしているのと同じように音波でビジョンを作っているだろう
物質の「組み合わせ」がクオリアを生んでいるとすると、掛け算である分、クオリアの方が多彩になるんだろうな ウソかホントか、室伏広治は背骨の1コ1コを独立して動かすことができるそうな
左右に少しズラすのと少し回転させられるらしい
ボディビルのチャンピオンが背中の筋肉をプルプル震わせるのなら見たことがある
ムカデも何百本の脚の1つ1つに意識が通ってるのかな? 奴隷うんぬんの話が出ていましたが、その言い方は少しおかしいと思います。二元論的に考えるのでない限り、脳を中心とする身体のシステムこそが自分であり、そこから独立した自分など存在しないんですから、自分が自分の奴隷にはなりようがありません。
一般的な意味では、脳を中心とする人体のシステムが「自律的」で、外部からのコントロールを受けずに自分の振る舞いを自分で決めているとしか思えないときに「自由意思がある」と表現されるので、物理法則を越えているとか決定論に従わないとかいう意味合いはそこには別に含まれないと思います。 いわゆる「シンギュラリティ」という議論を最近よく聞きます。「AIの能力が人間を越える」とかいう説明もありますが、そもそも機械の能力が人間を越えているのは当たり前であって、でなければ機械の意味がありません。恐らく、AIやロボットの能力が一線を越えると、自律的になり、自分の目的や行動を自分で考えて自分で決め始め、人間の奴隷であることをやめて逆に人間を奴隷にしようとする、一言でいえば「機械が自由意思を持って、人間にコントロールできなくなる」という予想というか恐怖というか、それが本当の意味でしょう。
その場合でも、別にAIやロボットが物理法則を超越するわけではありません。むしろ、物理法則に従って予測すると近い将来そうなりかねないと物理学者たちが本気で警告しているわけです。これを見ても、自由意思と物理法則は別に矛盾するものではないと思われます。 >>828
自由意志があろうがなかろうが我々は肉体(や遺伝子)の奴隷だよ
(このスレの趣旨である、物理法則を超越した)自由意志がある場合でも、肉体由来の生理的欲求やら本能やらに意志は制限を受けることは明らか
これらの欲求に従わないと最悪の場合死に至る可能性もあるわけで、意思に強い制約を与えていると言っていい
そういった自由意志がないならそれこそ肉体の奴隷そのもの
超リアルな映画を観たくもないのに強制的に観させられているわけだから
自分が自分自身の奴隷になることはない?本当に?
自分と一口に言っても、様々なパーツで構成され、パーツごとにヒエラルキーが存在している
遺伝子は肉体に制約を設け、肉体によって生成される精神は肉体からの制約を受けている Aさんは「自由意志」という言葉の使い方が一般的でなく
Bさんは「奴隷」という言葉の使い方が一般的でない
おそらく2人とも自覚はあるんだろうけど、もう今更退くことはできないところまで来てしまった 一般的でないって「報酬系の奴隷」って表現知らんのかよ
アホはアホゆえに余計なチャチャを入れたがる この意地の張り合い、自由意志氏と奴隷氏、どちらが退くことになるのだろうか
その引き際はやはり5ちゃん恒例の「捨て台詞」や「勝利宣言」を伴ったものになるのだろうか
それとも2人協力して私という第三者を矛先を向けることで有耶無耶にするのだろうか
目が離せない https://youtu.be/vQdngbjJx6M
これってさあ、創ってるやつら自身のことだよな。きもちわりい。
おまえらにそっくりそのまま返してやるよ。じじい軍団。 >>834
そのどれにもならずお前は誰からも無視され孤独な人生を送ってくんだろうよ 自由とは人間だけの概念
貨幣経済格差を前提とした他からの強制・束縛・支配の対義語が自由。肉体的に自由になるには人間をやめることで自由になる
つまり動きを停止した『死の状態』が強制・束縛・支配から解放された「自由」となり
生きてる間は、脳が初めて受け取ってから行動前停止して気付き・決めるきっかけの意思が
理由なく生まれるので意味もなく、因果関係もない自由(人間の概念外の要素)なのである
このきっかけが生まれた後、行動すれば因果関係が始まり不自由となる
人生で初めて好きな異性を見た瞬間、何者にも縛られず自己の内面に
好きという感情が突然理由なく芽生えたから好きなことに気付けたのだ
脳が受け取ることに原因があるが、受け取ったことに気付き・決める要素は意思にしかない
これを知っている権力層は自然界の生存競争からヒントを得て人間社会へ応用し
欲を金に変えて自由を勝ち取るように気付き・決めるよう仕組んだのだ。
ただし△の席は既に決まっていて△の下は台形で隔離され、台形の中にいる者は決して△へ行けない仕組みとなっている
だから今我々が必要なのは自然界の生存競争だけでなく異種共存することからも受け取り学んで気付く必要があるのだ >>837
相変わらずアホなこと言っとるけど死=真の自由というのは同意 なんで死が自由なの。死んだら、自由にどこにでも行けるのかい?死んだら、パソコンで
今までどおり書き込みできるの?
すなわち実情は逆で、死んだら、これまで以上に不自由さを強制される可能性がある
死んだら、己の意志さえ阻害されて、行動の自由も阻まれる。遷延性意識状態にある者を
自由と呼ばないように、死が自由である、とみなすのは希望的観測にすぎないのでは?
ソクラテスもその点では夢想家であるといえそうだ >>839
人が思考し行動するのは自由だからではなく、そうせざるを得ないように強制されているからにすぎないと俺は思う
腹が減ったら飯を食うことを強制されるし、何もせずぼーっとしていたいと思っても、いずれその怠惰にすら飽きて何かしらの行動を迫られるようにできている
要するに人は本能や欲求によって常に動き続けるように作られている
このような人を縛り付けている本能や欲求を全て剥ぎ取って真の自由を得たらどうなるか?
何もせず何も考えず何の感情も持たずただポツンと横になっているだけになるはず
それはもはや死と同義、ゆえに死=真の自由
というのが俺の考え >>839
人が思考し行動するのは自由だからではなく、そうせざるを得ないように強制されているからにすぎないと俺は思う
腹が減ったら飯を食うことを強制されるし、何もせずぼーっとしていたいと思っても、いずれその怠惰にすら飽きて何かしらの行動を迫られるようにできている
要するに人は本能や欲求によって常に動き続けるように作られている
このような人を縛り付けている本能や欲求を全て剥ぎ取って真の自由を得たらどうなるか?
何もせず何も考えず何の感情も持たずただポツンと横になっているだけになるはず
それはもはや死と同義、ゆえに死=真の自由
というのが俺の考え >人が思考し行動するのは自由だからではなく、そうせざるを得ないように強制されているからにすぎないと俺は思う。……それはもはや死と同義、ゆえに死=真の自由
というのが俺の考え
という君の考えも同様に強制されて出てきたと思うから、それ(死)が実現したところで、やはり、そこには、なんらかの強制がかかっているのではないかな。 >>843
ちょっと何言ってるかわからん
バイアスが掛かってる可能性という話なら死なないとわからんしそうかもしれんけども >>844
だから、君の考えは思考や行動に自由はないと考えているのでしょう?
それなら、君が考えるすべてのことは、やはり、何らかの強制によって構築された
強制的なものなので、それも真の自由ではない、ということになる。
だから、君の推論、死こそ真の自由、というのも妥当でなく、一種の強制によって
導かれた誤謬推論なのではないかな、と指摘しただけです。 >>845
俺の説が間違ってる可能性はあるが、それは強制によって導かれたから云々とは関係なく単に検証されていないからというだけ
ノーベル賞を受賞した科学者だって犯罪者だってある種の強制によって突き動かされた結果に過ぎない >>845
まあでも例えば統合失調症という「強制」を受けた人は誤った主張をする可能性は高くなるわな
だからどんな強制を受けるかによるところはあるわな >ノーベル賞を受賞した科学者だって犯罪者だってある種の強制によって突き動かされた結果に過ぎない
別に科学者は、死は自由である、と言ったりしてないからね
現実で検証できることレベルのことを発見したり、証明したりするだけで
死が真の自由であるか否かは現状の科学では検証しえない事柄なので、
科学的にはなんとも言えない。また、自由の定義さえも定かでない。
君が考えている自由と私の考えている自由も大きく異なるかもしれないし。
でも、私の推論は君と逆で、死も自由ではないだろう、と考えているよ
蟻に誕生することは蟻自身が決めたことでないし、この世の物理定数も法則
人間が決めたことでない。死も死後の世界も不明だが、それも人間が決めた
ことではないので、そこにも自由はない、なんらかの強制仕様がそこにあるだろう
とする自分の推論の方が妥当に感じられるよ >>837
>誤:動きを停止した『死の状態』が強制・束縛・支配から解放された「自由」となり
正:動きを停止した『死の状態』が強制・束縛・支配から解放された「無自由」となり
失礼
なぜこうなるかというと
肉体が死ねば動きが停止し、動いている生命と「同化」する
「自己拡大」することで生き残っている生命と「同化」し
人の概念から外れて普遍の本質のみの世界で生きることになる
つまり他人が死んだ本人を見た時は見る人によって気付き方が異なるが
人として死んだ本人は自由でも不自由でもなく「無自由」になる >>848
まあ俺は死=無という勝手な前提を置いているからな
実際には地獄があって閻魔様に舌を引っこ抜かれるかもわからん >>841
の前段には、同意しているよ。これをAと置いて見ようか
の後段には、同意していない。これをBと置いてみようか
私の意見は、前段がAなら、後段もAでつないである方が論理的じゃないかな、
という指摘。この世が不条理なら、あの世もまた不条理であろう、と論理が
つながった想定持っていて、回路が切断されてないだけだよ。 >>851
論理的云々で言うなら、現代の科学技術では死んだら意識が消滅して無になるとしか言えないわけで、そこから推論するなら俺の結論も妥当じゃね
ただもちろん確実ではないし何か不条理な世界が待っているかもしれんのも事実 物質(人間)になぜ意識が宿るのかも不思議だけど、死んだからといって(物質性に
よる拘束からの離脱)、君の言うようにそれで「無自由」になる、という風に
なるとは限らない思うよ。つまり、物質に意識が宿るという不可解なことが
起こるのだから、死んでからも(非物質状態)にも意識が宿ったり、残ったりが
あるかもしれないし。それだと、もう自由でも無自由でもなくなるだろう クオリアという表現が好きでないので、あえて、人間には意識を発生させる魂みたいなものが
あるとしようか。だって、有機的物質だけの形態に意識が宿るのは奇妙なので、やはり、
なにかそこには魂のような意識や意思を媒介する、あるいは、意識のベクターとなるような
プラスアルファを想定しても、それほど奇妙ではない気がする。
そして仮に、人が死んでも、この意識のベクターや魂みたいなものが、どこかに残って
しまうと、やはり、それは何らかの超物理的?法則なり、決まった作用を受けるはずなので、
そこにも生前と同様に自由はない、と考えてみても良さそうな気がする、論理としては ソクラテスは、死を恐れるな、なぜなら、死によってようやく人間は肉体の
牢獄から解放されて、自由な魂として存在できるから、みたいなこと言ってたけど、
そうは思えないんだよね。
たとえば、酷い殺され方や政治犯の処刑、イジメの自殺、原爆や戦争の犠牲者、
そういう人たちが亡くなったあと、もし、魂が自由になったら、生前、自分たちに
酷い目に合わせた者へ復讐なり、報復など仕掛けるであろうに、全然、そのようなことが起こっている気配がないので、やはり、ソクラテスのいうのとは違って死んで
魂だけの状態になっても、そこに自由はないのだろうな、と想像してしまう。
魂が自由に行動できるなら、金正恩に処刑された政治犯たちは怨霊にでもなって、
直ぐに復讐に向かうはずだよ。それができてないということは、魂だけに
なっても、そこに行動なり、存在的な自由はない、ということになるんじゃないかな 死後の世界を想像だけで話始めると何でも言えてしまうよね
魂はやろうと思えば報復だって可能なんでけど、
魂世界にはとてつもない自制心があって、
あえてそれをやっていないだけなのかもしれないし このスレは我々、無意識座談会が乗っ取った(´ω`) お互い引けなくなってバトルが長引いているときには
逃亡しやすい状況を作ってあげることも重要だね >>853
>(物質性による拘束からの離脱)
※意思には形がないので離脱ではなく拡大と言う方が辻褄が合う
>物質に意識が宿るという不可解なことが起こる
※行動に意思があるという当たり前な事に気付く
>死んでからも(非物質状態)にも意識が宿ったり、残ったりがあるかもしれないし
※非物質状態が意識なので意識に意識は宿らないが変化するのだ
死の概念はないが死の状態はある。生き残ってる生命と拡大同化することが死の状態なのだ
人間と共生してるバクテリアや細菌や細胞は死ぬと糞尿となって地球の土と同化する
人間は死ぬと焼かれたり散骨されたり骨壺に入れられるがいずれ地球の土と同化する
言語の自由(人間だけがわかる局所的真理)がなくなるのだから無自由でいいのだ 別にいいけど、そういう仕組みで循環しているとは限らないよ
今の科学レベルでは把握できない領域のメカニズムもあるかもしれないし、
それで死後においても、この世と同様に、自由が阻害され続けて残る可能性もある。
それは無自由などという停止状態や涅槃でなく、意識はあり、なおかつ、自由も
阻害されているという状態を指している >>862
>別にいいけど、そういう仕組みで循環しているとは限らないよ
※現実を見れば気付くだろう。地球に住む有機的動物全てに例外なく当てはまるのだ(普遍の本質)
>今の科学レベルでは把握できない領域のメカニズムもあるかもしれないし
※普遍の本質レベルで語れればムダに分けて複雑に語る必要はなくなるのだ
>死後においても、この世と同様に、自由が阻害され続けて残る可能性もある
※わかりやすく死後と書くことはあっても、現実に死後はなく「生きてる最中」なのだ
>それは無自由などという停止状態や涅槃でなく、意識はあり、なおかつ、自由も阻害されているという状態を指している
※言語の自由(人間だけがわかる局所的真理)がなくなるのが無自由だからすり替えて話してるだけだろう やはり泥沼になってしまったか
最初から素直にやっておけばいいのに意地を張るから いくつか予想しておいたけど、
捨て台詞パターンに落ち着いたね 普通に議論してるのが許せなくてどうしてもレスバに仕立て上げたいキチゲェ
どういう環境で育ったらこんなキチゲェになるんだろうな 【ゆっくり解説】右脳と左脳を切断することにより起こる不可思議な現象−分離脳−
https://www.youtube.com/watch?v=Sb7rtvfDBtE
>分離脳の患者は時々、自らの行動に対する合理的な説明として作話を行うことがある。それは本当の動機が、言語的にアクセスできない右大脳半球で生み出されたため、説明不可能であるからといえる。
2つの大脳半球が異なる"人格"や目標を持つとする理論も存在する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E9%9B%A2%E8%84%B3
左脳と右脳を切断すると情報伝達に齟齬が生じて、脳がそれっぽい合理的な解釈をでっち上げてしまうんだな
そんで患者はあたかも自分で(自由意志に基づいて)思いついたかのように説明してしまうと 分離脳患者の意識状態がどうなのかはこの分野ではよく話題になるけど
もともとこの分野に興味を持っていた人が患者にならんといい情報は引き出せないだろうな
その点では、頭部の結合双生児の方は当事者がそれなりに利口であれば何か聞き出せそう ピンク板で見たものだが
ソファーで昼寝している姉に握りっ屁してみたら
表情を歪めて目を覚ましたんだが
何が起こったのかを理解していなさそうな様子だったそうな
眠っている間は意識領域の一部が別人格になっているような感じなのかな?
クオリアは発生しているけど、感じているのは自分ではないみたいな タダで匿名な環境なのだからレスバトルに仕立て上げるのはいい
ただ、仕掛けた側が内容の薄い捨て台詞でドヤるのはメシウマ。 アレ結局お互いに感情的になって場当たりの応酬してたら収集つかなくなってしまい
双方無言の合意で無かったことにしてトンズラか 現代思想最新号の自由意志特集
どの論文、対談もリベットをやり玉に挙げてるけど批判になってないと思った リベットの実験は時代的にもやり方てきにもさすがに精度が怪しすぎる
まーそれ差し引いても結論は正しいとは思うけどね
ただ実証実験するまでもなく、思考実験や論理学の範疇で答えが出る問題ではあるのだが
哲学や文学は怠け者のための駆け込み寺みたいに言われているけど、
未だにこんなので特集やっているのか、、、インチキ宗教みたいなもんだな オリンピック見てると、物理的に決定されている結果に向かって
それを知らないクオリアが一喜一憂しているんだなーとか思ってしまう 自由とは「縛り」の対義語だが、自由行動した瞬間「自由」に縛られるので実は同義語
意思とは「形」がなく、突然理由なく生まれる因果関係がない「気付き・決める」要素
受け取ることは普遍の原初であり、受け取れるまで意思は停止状態となり無自由になる
ようするに「自由意思はあるが自由行動はない」と気付くことになるだろう。 >>880 (因果関係がない)
>879のコメントを受け取り(原因)→気付き→決めて→行動した(結果)
スピリチュアルですか? ズレたので
受け取り(原因)→気付き(因果関係がない)→決めて(因果関係がない)→行動した(結果) うん
このスレの誰も君の考えは理解できないと思うよ 自由なきままに自由を信じ半ば狂って自由を否定して体制に行くこと。 科学的知見に基づかない独自概念を説明もなしに詰め込んだ文章なんて誰も理解できないよ
そういう意味でスピリチュアル系となんら変わらない >>887
誰も理解できないんじゃなくて
私個人が理解してるし君個人が理解できないんだろw
独自概念と気付けたのに否定から入るのは
既存の概念や常識に縛られてるからだ
天動説の時代に地動説を理由なく否定したことと同じだろうw
多数派に乗っかるただの一般人には要はないのだよ。 地動説はちゃんとした科学的根拠があってのものだけど君の場合は根拠もなにもない
一緒にはできないよ >>887
こういう言葉遊び系の人たちって、不明箇所について説明を求めても頑なに拒否するんだよね
理論的にやり取りすると瞬殺喰らうのを知っているんだろう
だから意味不明の結論を唐突に突き付け、オナニーに付き合ってくれる変態の登場を待ち、
普通の人が来てしまったらその場の思いつきでイミフ波状攻撃を仕掛け、相手が根負けするのを待つ 学校時代に理科系の勉強をサボってしまい、大人になってから取り返しがつかなくなった人が
独自概念を根拠なしに受け入れてくれる(場合がしばしばある)懐の広い哲学の世界に駆け込む ここはまさにその許容範囲の広い哲学の板なのだが
心の哲学はほとんど物理と言っていい領域だから解釈論みたいのやりたい人は場違いになってしまう >>890
地動説の何がちゃんとしてるんだ?
全ての学説や概念は妄想が根拠だぞw
未知なものを妄想・想像・考察して辻褄合わせるのが哲学
他者を否定するならどこに間違いがあるか指摘するなり
より普遍的に辻褄が合う自論を展開するなりすべきだろう
ダメ出しだけなら誰でもできますわw >>895
みんなからダメ出しされてることに気付こうね ガリレオもこんなのと一緒にされてさぞ情けない気持ちだろうな 私の想定を超えない程度の論者たち。 だがそれでいい。 >地動説の何がちゃんとしてるんだ?
まず君自身が文字通りコペルニクス的転回の例として「天動説→地動説」を挙げ、
君の持論を地動説側になぞらえたのだと思っていたが、まさかのちゃんとしてない方の例だったのか?
そして地動説はちゃんとしているだろう、地上で起こっていることや天体の運動を説明でき、
今のところ問題なく人工衛星もロケットも飛ばせている
>全ての学説や概念は妄想が根拠だぞw
>未知なものを妄想・想像・考察して辻褄合わせるのが哲学
地動説の例からここにきたということは、科学と哲学がごっちゃになっていそうなのだが、
科学であれば仮定(一種の妄想)から入っても、実験して真偽を確かめる、決して辻褄合わせはやらない
哲学であればまぁそれでもいいんかもしれないが、だとしたら君の例え(地動説)は不適切だった 発端となった書き込みに戻ってみると、
>自由とは「縛り」の対義語だが、自由行動した瞬間「自由」に縛られるので実は同義語
>意思とは「形」がなく、突然理由なく生まれる因果関係がない「気付き・決める」要素
>受け取ることは普遍の原初であり、受け取れるまで意思は停止状態となり無自由になる
>ようするに「自由意思はあるが自由行動はない」と気付くことになるだろう。
意地悪な気持ちを捨て点数を取らなければならない現代文の問題だと思えば、2行目まではなんとかいける
3行目はとても難しく、ここをもっと易しく丁寧に説明する必要があるだろう
前提となる3行目でつまずいているので4行目は正しく理解できているか分からないが、
2行目までからでも十分つながる内容だと思っている、おそらく3行目はなくても問題ない
そして一番重要な点だが、おそらく「自由」という概念の定義が君と他の住人との間で大きく異なっている
「自由」という言葉にこだわらず、君が新しい二字熟語なりを作ってもいいと思う、と言うかそうすべきだ
どんな言葉も最初は概念だけがあったものを音声化しその後文字化したものだ
今も新しい言葉は生まれ続けている、「クオリア」などここの住人にとって分かりやすい例だろう 屁理屈や暴言で誤魔化してしまうのか、そうでないのか
そこに君の真価が問われる
、、、が、>>900で私はガッカリしてしまった >>902
>地動説はちゃんとしているだろう、地上で起こっていることや天体の運動を説明でき、
>今のところ問題なく人工衛星もロケットも飛ばせている
それのどこがちゃんとしてるんだ?
地動説は宇宙の中心が太陽である説だろう、太陽系の中心ならまだわかるが宇宙の中心は太陽じゃないだろう
それに人工衛星やロケットは、ムダや欠陥が多い未熟な科学レベルだろう
宇宙をまたにかける宇宙人がいたとしたら鼻で笑われるレベルだ
>地動説の例からここにきたということは、科学と哲学がごっちゃになっていそうなのだが、
>科学であれば仮定(一種の妄想)から入っても、実験して真偽を確かめる、決して辻褄合わせはやらない
科学も哲学だろう。妄想と現実の辻褄が合うか確かめるために実験を繰り返すんだろう >>903
>おそらく3行目はなくても問題ない
3行目は最も重要な部分。
この3行目が自由意思の存在と無自由(言語の自由(人間だけがわかる局所的真理)が無い)を知るきっかけとなるからだ
脳が現実を受け取り同じ作業を繰り返している(動きの同化)最中
他のことを思考できるのが自由意思「肉体は縛れても心は縛れない」
行動に因果関係はあるが思考している意思には因果関係がないから自由意思がある。
脳が受け取った後、自己意識で気付いた瞬間、一瞬硬直し感情の起伏と肉体の変化があるだろう。
その感情の起伏の生まれ方に理由や名付けられた概念はないだろう?
だから言語の自由さが無い概念を無自由と定義し名付けたのだ。
新語を作ったとしても結局、言語の概念が無い概念だから無意味。
無自由だからこそ自由という概念に縛れない概念であることも併せ持つのだ。 宿主の意識に接続できているのかは不明だが
寄生虫の中には宿主の行動をコントロールする種類がけっこういる
一番身近なのはカマキリに寄生するハリガネムシだ
カマキリを操作し入水自殺させ、腹から脱出し水中で交配する
いずれ人間も他者を操作するなんてことが、できるようになるのかもしれない >>907
>>909
返信ありがとう、言葉遣いは荒いが、予想していたよりは誠実に答えてくれた
まだちょっと難しい、↓が分からん
>無自由(言語の自由(人間だけがわかる局所的真理)が無い)
↓これも何と同じなのか分からん
>同じ作業
最後に↓ここから君の立場は分かった(これは果に対する因が存在しないと言いたいのだろう)
>思考している意思には因果関係がない
これを一般には「偶然」と呼んでいる、「因果関係の存在する"必然"」ではないということだ
そして必然依存である場合と同じように、偶然依存である場合にも、そこには「自由」はないとしている
分かりやすいように「意識に主体性はない」と言い換える場合も多い
要するに、人間が一般的に考える自由という概念自体が定義不能の架空のものだということだ >>911
無自由=知る以前がある未知なもの
同じ作業=やり慣れた仕事でする動きや、動きを意識しなくてもいい動き
>これを一般には「偶然」と呼んでいる、「因果関係の存在する"必然"」ではないということだ
行動のみに因果関係が成り立つ。予期せぬ行動を見た時点で必然
意思は「形」のない気付き・決めて行動する直前のきっかけなので「因果関係がない"必然"」
自由とは貨幣経済格差を前提とした
他からの強制・束縛・支配の対義語であるのと同時に
自発的な強制・束縛・支配の同義語だから自由の概念が無い未知なものが無自由となるのだ
意識に主体性はあるが「他」という要素を受け取り、気付けなければ
自分が自分であることに気付けないのだ 尊師尊師尊師尊師尊師麻原尊師
尊師尊師尊師尊師尊師麻原尊師
僕らの尊師お爺ちゃんの尊師お婆ちゃんの尊師尊師尊師
光を放ち今立ち上がる
若きエースに帰依しよう
一人一人の幸せ求め
皆の力を合わせよう
尊師尊師麻原尊師 >>911
その理屈だと、自由意思は経験的に存在しないというだけでなく、「論理的に存在できない 矛盾した概念」で、仮に物理や科学を超越した想像可能などんな超能力のようなものがあったとしても、それを自由意思と呼ぶのは不適切である、ということになりそうですが、それでいいわけですか? >>915
そうなるよ
A→Bへの状態の変化は下記の(a)(b)以外に想定できない
(a) 物理的な必然による
(b) 完全にランダムな偶然による
(a)の縛りを受けない神様がいた場合、神様の意思決定は(b)になるが、それは人間が考えてきた自由とは違う
ランダム意志とでも呼ぶべきだよね 結局こういうやつって壊れたレコードみたく同じことしか言えないんだよな
どんだけ論破しても次の日にはまた論破された内容を繰り返すだけ
病気みたいなもんだから関わらないほうがいい >>919
論破してるのはこっちの方ですが・・・
何を言われようと結局
最初(>759)から変える必要がないから同じこと言ってるだけ 長年堅持してきた考えを改めるのは大変だと思うけど
君ならやれると信じている >>921
考えを改めるに足る内容のコメント見たらすぐ改めるよ
君ならやれると信じている 歴史上最悪の失敗トップ10を見てみよう
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/58333210.html
この記事の1位に「アレクサンドリア図書館消失」があり、
紀元前ギリシャの哲学者の名前が並んでいる、本当に古代ギリシャは越えられない壁だった
この時期ギリシャ哲学には既に決定論的な宇宙観、唯物論的な生命観があったようだ 900超えたかー
このスレのpart2である必要はないけど、心の哲学系のスレは何か欲しいよね
「意識のハードプロブレムの答え」の方はタイマン化しててみんなが気軽に書き込む雰囲気じゃない
昔あった「心の哲学」スレはサブタイに【唯物論】【二元論】みたいにしていたような覚えがある、また復活させるか
哲学的ゾンビスレも健全に進行していた、宗教思想系の人たちが布教しに来ないような工夫は欲しいね ちょと皆んなw
論題の非共有が生じて無いかい?
附帯する譬えに議論する場は無いと思うがなw
もしゾウが卵から生まれるとするならば、一体何キログラムかなあ?
5kgはあるでしょう
何言ってんだよゾウの卵なんだから10キロ以上はあるよ!
意味あります? どうやったら自由意思と不自由意思とを区別できるのかって課題は
なかなか解決できそうにないよね。 >>932
1.「不自由意志」は一般的な言葉ではないので、おそらく「自由意志」の否定や反対の意味を持たせた造語と思われる
2.「自由意志」という言葉の解釈は人によって何パターンかあるので、そのうちのどれを採用した上で
「不自由意志」と言っているのかをはっきりさせる必要がある
3.「自由意志」側の定義がはっきりしたら、1.に従ってその否定か反対の意味と考えればおそらく答えは自動的に導かれる
4.したがって議論したい場合には>>930が指摘する「論題の非共有」が生じていない状態がまず大前提になる 「唯物論」に純粋に自然科学的な意味のものと、マルクス主義的なものがあるのと同じだな
同じ土俵で議論したら当然噛み合わないから、後者は「史的唯物論」と言い換えるのが一般的だ
「自由意志」の方も決定論的な自然科学サイドの意味で言う人と、
他者からの強制力の有無を論点に言う人といるね(この他者は別に人間でなくてもいいが)
唯物論よりマイナーな言葉なので史的唯物論のような一般に普及している代替語がないのでしばしば混乱が起こる 「哲学」自体もまさに多義語化している単語だね
・諸科学をひっくるめた呼び名であったり、
・一歩踏み込んで探求する学問的姿勢であったり、
・個々人の信念のことであったり、
途中で意味チェンしながら話されると収集つかなくなるやつ 好きなテーマなのだがスレが完全にストップしている
心の哲学系に興味持ってるのは40代〜くらいの世代で、
みんなもう考え尽くして疲れちゃってるんだろうな
若い世代はAIなんかに速いうちから触れてるから
ちょっと違った関心の方向になっているんだろう 原因がわからなければ「自由」じゃん
そこにどんな論理の屁理屈を考えても具現性がなければ意味ないよ >>937
ああ、証拠がなければ「無罪」で確定でいいと、俺も思うぜ 自分は自由意思に関しては全く存在しないと思います。
上の方で少し見かけましたがスピノザが言う通り『人間の行動原則の全ては感情に支配されている』、というのが私の持論です。
もしこれが正しいとすれば人間は感情に支配されている生物とも言い換えられますが、その場合人間に自由なる意思などあるでしょうか?
つまり人間など感情の奴隷でしかないのだと思います 身体が感情に従うとするなら、身体なき感情とは何ですか? >>940
感情というクオリアの発生メカニズムが物理(法則に従った物質やエネルギーの変換)に支配されている
これが自然科学の考え方で、用語なかったり現象の具体像を把握できていなかっただけで、
紀元前のギリシャ哲学の時期から基本的にこの宇宙観できている
>>941
「身体なき感情」がどこから持ってきた言葉かわからないけど、文字通りに考えると、
「身体を(生物に限定しない)物質一般」「感情を物理状態変化に伴うクオリアの発生」のように言える
結論から言うと「あり得ない」で終わってしまうだろう
身体と感情の関係は、位置エネルギーと運動エネルギー、電磁波と電子の励起、のような何でもないもので、
利便性の理由から性質の異なるものとして認識できるように人間が感覚器や中枢が進化しているだけ >>941
上の方が言っている通りあり得ないというのが答えですね
感情の発生メカニズムは分かりませんが体内の物質のやり取りの末発生する、というのはほぼ間違いないでしょう 意識が本当にあるかどうかはわからないし、仮に無かったとしても特にどうというわけでもない 視界は現実の世界を直接見ているのではなく、眼球からの信号を脳が処理して作りだしてるものやん
意識も似たようなもので、脳の処理過程を自分が認知できるようになってるだけ 単に脳の決定に従うだけならそもそも意識は必要ないし食虫植物みたいにプログラムされた動きしかできなくてもいいはず
しかし意識が存在しているということは高次の行動決定は意識によってされているということじゃなかろうか 消化管の蠕動運動や心拍、瞬き、汗腺なんかの低次元な体の機能は無意識に行われている
もし、自由意志がないなら全て無意識に行われてもいいものじゃないだろうか >>947
もし全てが無意識のうちに行われた場合、状況に合わせた柔軟な行動ができないように思います
そのような生物もいたかもしれませんが、自然界の中では無意識に任せるのでは無く感情というフィルターを通して行動決定しなければ生き残れなかったのではないでしょうか 意識が行動のトリガーになっていないことは実験で確認されているよね
意識は現実世界から0.5秒だかの後追いで発生していると
身体が動いてから意思決定しているような状態、同時ですらないと
情報伝達に光速という制限速度があることからもなんとなく分かるけど、
それにしても遅すぎるよね ただ意識が行動のトリガーになっていないとすると
なんでケガは「痛い」で猛獣は「怖い」食事は「美味しい」で交尾は「幸せ」で睡眠不足は「眠い」のように、
生命や繁殖の妨げになる状況にはそれを避けるように苦痛が伴い、つながるものにはそれを求めるように快感が伴うのかが分からない
逆でも何も困らんことになるんだけどね
なので実際にはクオリアから物質へのフィードバックはあるんだと思うよ、メカニズムに辿り着いてないだけで
むしろ物理現象の中にその先がない最終回みたいな現象って存在しないし、クオリアだけが特別というのもなんか変 自律神経とか反射とか言われているような意識が介在しない領域は、
中枢側と共有できていないだけで、実際には意識はあるんかもしれないけどね
自分の中に他人がいるような状態
自分は生物だけが何か特別な物質とは思えないので汎神論主義的で、脊髄にも人格はあると思ってる >>948
自由意志がないならそういう状況判断も脳が無意識のうちに処理してるってことやろ?
感情に任せなければ行動できない理由がないやん >>951
じゃあ分断されてるだけで自由意志あるやん 自由意志はあるよ。無いなら何でわざわざ脳の機能を割いて意識を保持しているのか説明できないからね 物事の因果関係には「必然か偶然」の2パターンしか想定できず、
どちらも人間が想定する「自由(=主体性)」ではないというのが身も蓋もない答え
前者を「決定意志」、後者を「ランダム意志」とでも言ったとすると
「自由意志」などという代物は存在し得ないことが分かりやすいと思う >>877
ぶっちゃけ脳神経学会に認められてる以上素人が精度をあれこれ言っても無駄やろ
素人でもわかるような杜撰な実験だったら既に学会で指摘されてるはず >>952
それでは逆に全く感情がない人間がいると仮定して考えてみましょうか。
全く感情がないのであれば食事や睡眠をとらなければならない、という人間の根源的欲求すら肉体に反映されず指ひとつ自由に動かせない人間が出来上がると思うのですがどう思いますか? >>955
あなたの言う偶然とは具体的にはどういうものでしょうか
私は全て因果による必然だと考えておりますが… リベットの実験は意思を感じる前に脳が既に活動してることを示したけど、それが果たして行動の準備だったのか、それとも意志決定を始めるための準備なのかは結局わかっていない >>957
意識が単に脳の決定に従ってるだけなら無意識の処理のみで排便から睡眠、更には勉強、仕事、求愛などすべての行動を行えるはず
逆に、意識が無いなら何もできないなら、それは意識が行動を決定してるということでしょう 実は、みんな死んでいるのだ。今体感しているのは仮想現実である。DVD再生しているようなものなのだ。周りの空間も宇宙も破滅しているのだ。本当は虚無空間であって0の世界なのだ。次元でいえば1次元、点の次元なのだ。したがって近所のスーパーに行くのも遠い惑星に旅をするのも同じなのだ。目の見えない人が家にいるのと海外旅行するのと同じ感覚の一次元なのだ。思考だけが存在する仮想現実である。
皆は馬鹿にする。でも私は偉大な天才アーティストで哲学者なのだ。皆は我の存在に気づくだろう。 >>960
ううん…ちょっと私には理解できない部分もあったのですが最後の部分についてお話しします
私が言いたいのは意識の問題では無く感情がないなら、の話です(意識とはなにか、については難しい問題です…)
確かに排泄は体の働きで感情がなくてもなされるでしょうね
ただ感情が私たち人間の行動の全てを決定しているとは思いますよ
それについての反論があるのであればどうぞ >>962
962です。
なんとなく言わんとする事は理解出来たので追記しますが、無意識による欲求を意識を通して行動として表すものだと思うのでそもそもとして意識が無ければ行えないと思いますよ。 >>963
自由意志が存在しないと仮定する
脳の欲求だけで行動の全てが決まり自由意志の介在する余地がないなら、わざわざ無意識の欲求と行動の間に意識を挟む必要がない
つまり、なぜ脳が貴重なエネルギーを使って意識という処理を行っているのかを説明できない
つまり、意識が存在するのは自由意志が存在する証拠であり、自由意志は存在しないする >>964
私は意識は様々な場面に応じて柔軟な対応をする為にあるものだと思いますが…
無意識しか無ければスイッチのオンオフのように単純な反応しか行えないですから意識の必要性は十分にあると思いますよ
もし私の考えが違っていても意識がある必要性と理由はあるでしょう
原因無くして結果があるなどありえませんから >>965
意識がなければ単純な行動しか行えないというのは言い換えれば複雑な行動の裁量権は意識にあるということ
つまり自由意志は存在する 可逆的な言語は意識・意思から生まれる
行動で示せない妄想・想像は無に等しい
行動は無言語でも通じる宇宙共通の言語
要するに
自由意思は 人類限定の言語表現だけに存在し
無言語個体は瞬間における行動が意味そのもの >>966
ううーん、つまりその意識は感情に支配されている、という事が言いたいのですが…
自分の中で納得できればそれで良しだったので他人に説明するのはなかなか難しいですね >>958
一応現代の量子論が言うような、確率分布に従った素粒子の振る舞いのようなものを「偶然」とした
本当に偶然なのか、人間が解明できていないだけの必然なのかは、自分には分からない
ただ因果関係というものや集合論の考え方から自由という概念が虚構であることは示せるということを言いたかった 今タイマンで盛り上がっているようなので、ハンドルネームつけておくけど、
Aさんの方は、
>>964
で
>説明できない
>つまり、意識が存在するのは自由意志が存在する証拠であり、自由意志は存在しないする
こういういわゆる論理の飛躍が主張上の弱点だね
「つまり」につづく結論を導くための条件が足りていない
二角が等しければ2つの三角形は相似までは言えるが、合同までは言えない、辺の長さの条件が足りていない、そんな状態
Bさんは、
>>968
のように「感情」と「意識」を使い分けているけど、
たぶん多くの人はそこに慣れていないので(クオリアで一括りにする人が多いので)、同じ土俵で話ができない
感情と意識をどう定義しているかをきちんと共有してからだね なにを自由意志とするかによるが、君たちが思ってるような自由意志の話だったらそれはないだろうな あなたが昼飯に何を食うか自分で決めた場合、あなたは自由意志で
それを決めたと言いうるけれど、あなたの決定はこれまでの生い立ちとか
流行とか近くの人の選択とかに依存している以上、そんなに自由になされた
ものではないとも言える。どちらかが正しいということはない。
あなたが昼飯にこれを食えさもないところすと強制されて命令通りにした
場合でも、あなたは自由意志で強制に従ったと言いうる。しかし無論
強制されている以上自由でないとも言える。
そのつどどういう意味で言われているかを問題にしないとまともな
議論にならない。 >>976
>>1を見れば
このスレが取り扱ってる自由は
生物が決定論・物理法則を覆えせた場合に生じるモノを指しているのが分かると思うんだけどね
どうしても違う方向に持って行きたい人がいるんだよね
>>977
なのでそういう言葉遊びみたいのは、このスレではけっこう悪質な行為だと思うよ そう思っていたとしても
このスレの趣旨とは異なることが分からないとしたらアタマが残念
まー分かってるけど退けなくなってるだけなんだろうけどね わたし(>>976)は通りがかりの者で、投稿ははじめてさ。
「人間は有機物でできた精巧なカラクリ仕掛けにすぎないかもしれない」
→「かもしれない」は余計。そうに決まってるじゃん。
「脳はただの複雑な有機物回路とも言えるかもしれない」
→「ただの」「かもしれない」は余計。それ以上のものだったらうれしいとか
思ってるのかな。
「厳密に否定できないよね?現時点では」
→将来的にも否定できない。言葉は正しく使おう。
さて人はみずから自由に選択しているつもりでも実際には
非自己に規定されているという意味で、人間の意志は自由では
ありえない。
で、「人間は有機物でできた精巧なカラクリ仕掛けだから
自由意志はない」という論法は説得的でない。
大前提「有機物でできた精巧なカラクリ仕掛けには自由意志はない」
はまったく説得的でない命題だからね。 >>982
1.「説得的」という言葉の意味
2.最後の4行内の「自由意志」とそれより前の「自由意志」
を同じ意味でつかっているのか? Yes/No
に答えてもらえるとありがたい 「人間は有機物でできた精巧なカラクリ仕掛けだから
自由意志はない」は説得的でない。つまり説得力に欠ける。
というのは、その命題は、生物ではない精巧なからくり
(例えばパソコン)に自由意志はないが、人間も有機無機の差は
あっても精巧なからくりにすぎないので自由意志はない、
という思考にもとづくけれども、しかし、からくりが精巧になるにつれ
それまでになかったものが認められるようになる、ということは
原理的に、ないし権利上、ありうるから。
人間の意志が自由かどうかについてすら議論があるのだから、人間をその一部
とするような「有機物でできた精巧なカラクリ」という、その全貌を
把握できないようなものについての一般理論から人間の意志についての
命題を導くことはできない(例えば、「超人」の意志は自由かもしれない)。
なお「自由意志」は一貫した意味で使っているつもり。 ちょっと翻訳に挑戦してみるか。
てにおはを少し変え、接続詞をつけて文を分け一事実一カ所の書き方にする。
「」を使って修飾範囲を限定する。主語と述語と近づける。常用でない語は使わない。
元々結論に対する根拠が不明な箇所があるので、オリジナルの意味を保持できているかはわからない。
----------
「人間は有機物でできた精巧なカラクリ仕掛けだから自由意志はない」では説得力に欠ける。
なぜなら「生物ではない精巧なカラクリ(例えばパソコン)に自由意志はないが、
有機無機の差はあっても精巧なカラクリにすぎないので人間にも自由意志はない」
という思考に、その命題が基づくからだ。
しかし原理的には「カラクリが精巧になるにつれ、それまでになかったものが認められるようになる」
ということはありうる。
人間をその一部とするような「有機物でできた精巧なカラクリ」というものを想定する。
このとき、そのような全貌を把握できないものについての一般理論から人間の意志についての
命題を導くことはできない(例えば、「超人」の意志は自由かもしれない)。
なぜなら人間の意志が自由かどうかについてすら議論があるからだ。
なお「自由意志」は一貫した意味で使っているつもり。 未来が確実に決まってるという意味では、自由意志はない。
しかし、原理上誰も未来を知ることは出来ないという意味では自由意志はある。 「原理上誰も未来を知ることは出来ない」は「自由意志はある」の十分条件にならない
集合論苦手だったでしょ 脳とは独立の主体が存在するというイメージがそもそも古い 脳も器官名として人間が定義したものであって、
解剖学上、神経細胞が集中した箇所を中枢神経と位置付けているだけであって、
延髄も脊髄も手足に巡っている神経も、情報処理の量や複雑さの程度に差があるだけで
つながった1コの集合体だ
さらに言うと「つながった」も分子原子レベルで見ると、臓器や筋肉とのつながりかたも程度の差でしかない
臓器も筋肉も神経細胞よりはタンパク質が多かったりはあるけど、それはもうほとんど炭素・水素・酸素等の並びの違いでしかない
こういうのがあるから、要素還元的に見てったときに「なぜ私は私なのか?」や「意識の境界問題」などが出てくる
心の哲学領域でハゲ山のパラドックスやテセウスの船、アキレスと亀の話がよく引用されるのもそのため 複雑化すると、単純な時にはなかったものが出現してくるんじゃないの?
点が三つあるとそれらが構成する図形の「面積」という概念を
便利なものとして使える。四つあると「体積」を。
すでに面積、体積が概念として成立すれば、
二点では面積ゼロ、三点では体積ゼロってことになるけれど、
世の中に二点(三点)しかないなら、面積(体積)を考えるのは無意味。
高次は低次を説明するが、その逆は成り立たない。 人間の思考が物質に左右されている時点で>>1が言わんとする自由意志は
存在しないよ。
もし仮に、人間の意識由来の次元や空間、力が存在したならば、自由意志が存在する
余地は残されるだろうけど、ここ百年の科学で念力やテレパシーのような超能力や
スピリチュアルな力が実在しないことは明白だからね、
そもそも、自由意志なんて便利なものがあれば薬物依存になんてなんないよ。
もっと言えば、この世界には物理現象を選り好みできる余地なんてないんだよ。
オーバードライブで現象を加速!とかさ、術による結界で外部からの力を完全に遮断
するとかさ、何にせよ人間の意識由来で自然現象を好き勝手に足したり引いたり
遮ったりできないんだ。
こういう言い方は、受け取る側の能力に委ねられるって先に言っておくけど、
この世界では、自然界の原理や法則を駆使しても、相互に干渉し合う力を遮断する
方法はないんだよ。まあ、そんなものがあれば車輪の片側だけ重力を遮断して
エマーモーター出来ちゃうからね。無理なんだよ。 >>995
自由意志はスピリチュアルな力ではないぞ
意識が行動決定を担ってるのかどうかという話や リベットは被験者の脳波をモニターしながらボタンを押させる実験で、意志決定による電位が起こる0.35秒前に準備電位が発生していることを発見し、意志決定の前に既に脳が行動を決定しているという仮説を立てた
しかし、次のステージの実験では準備電位が発生したあとも被験者は自らの意志でボタンを押すのを止めることができた
つまり自由意志は存在するよ >>997
よく読んでくれ。スピリチュアルな力や超能力、精神世界なんてものでもない限り
自由意志の存在する余地は、この自然界にはないという話だ。
>>998
散々されてきたリベットの話だが、そもそも、測定しているものが電位だ。
電位で測定してる瞬間に、意志は電位を含む自然現象由来だと認めているようなものだ。
それに測定されたのが、単に準備電位ですらある。
走り高跳びの選手がで跳躍の瞬間にバーの手前で躊躇して試技を中断する時、
選手は助走の手前から中断を決定して助走の開始をしやしないだろ。
まず飛ぶ意志で走り出すんだよ。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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