947 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 12:58:34.30 0
生来の容姿の良さや頭の良さも、それが神によって与えられたと考えられているから尊重されるわけで
遺伝子技術の発展で人がそういう面も操作できるようになると、単なる既得権益の一つでしかなくなる。
まるで、髪を染めたり付け毛をしたりするように、知能を上げたり容姿を整えたりできるようになったときに、
人の能力の概念そのものが変わってしまう。人から尊重される何かというものには、神の裏付けが必要なんだと思う。
それが人の手によるものであるならば、単なる既得権益の一つになってしまう。
既得権益だから、後から能力や容姿を高める奴は、自分の権益を侵害する奴ってことになる。
でも、そういう軋轢を超えた後、残るのは、やはり神によって与えられた何かを信奉する気持ちであることには変わりは無くて
それはかつて共産主義者が考えたような人の命そのものの平等性というものに目を向けられるようになるかもしれない。
でもそれは、まるで商業的ショッピングセンターやチェーンストアのようなのっぺりとした感じのものになるね。

948 :考える名無しさん:2015/03/29(日) 13:17:54.87 0
容姿の問題は以外に大きいんだよ。
ここで、特に配偶者の選択が決まる。
最終的に、人と人との競争、特に男性間の競争は、配偶者の取り合いが大元だから。
それ以外のものは、たいてい妥協できる。でも、この部分で妥協できないから、そこが起点になって
競争の論理がどんどん積み上がっていく。共産主義でも、この部分での競争が解消できないことが結局破綻の原因じゃないかとすら
思うよ。金銭的な平等を実現できたとしても、配偶者の取り合いはどうにもならないからね。