西洋論理学を盲点をついたデリダの脱構築も、結局、
少数の概念の操作や定義を批判するだけで、
現実における概念の相関関係をそのまま批判の俎上に載せられないから、
個々の概念の拡張は出来るけど、無数の概念が選択肢にある時
(例えば働き方改革で「幸福」「労働時間」「給料」「働きやすさ」
「ストレスの少なさ」「人種や信仰の性別の多様性」「昇進の早さ」等
それぞれ魅力的な改善策があった時)
に、どれ最優先すべきか、その優先すべき基準が何か、みたいな点をつくと、
直ぐに無力を曝け出すんだよね
現実を矮小化した上で、その矮小化した現実の写し絵をどんなに厳密に考究しても
、現実から外れてるんだから、ある種の自明性を解体しても、現実の自明性の
脱構築にはなってないから、結局、哲学畑の理想論にどう頑張っても転落する

やっぱり、アリストテレス、トマス・アクィナスみたいに体系的に、
それぞれの概念や価値を峻別して、相互関係を明確し、優先順位を
設けるようにしないと、いつまで立っても、泥沼が続くと思う