275 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2021/07/27(火) 22:18:19.19 0
抽象するという事が同時に捨象する事をも意味する場合、世界に潜在する何かを想定しなくても良いのではないだろうか?
もし仮に扱うとしてもそれは様相論理の範疇となる

276 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/07/28(水) 11:00:58.25 0
最も本質的な部分は、持続しているかどうか
机でも椅子でも、それは持続しているように見えるだけで
実際には持続なんかしてない
その持続するように見えるのは、認識者側がその能力を持ち合わせている
というだけで、最終的には持続する能力を持っているかどうかが最も本質的な違いとして存在する
ここの部分で区分けしないと、最終的には支離滅裂な概念に至ってしまうと思う

277 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/07/28(水) 11:03:50.09 0
この部分がオブジェクト指向哲学の抜けている部分だと思う
これは、要するに事実性の絶対性をきちんと捉えるかどうか
という部分になる
要するに、メイヤスーが言うように、結局は人は相関主義から出られない

278 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/07/28(水) 11:07:41.35 0
要するに、どこにも絶対性の見えない概念は筋が良くない
もの自体が捉えられないなら、二元論が成り立ち、どこかに
それを支える絶対性が存在するはず
それが見えない概念は、根本的な部分で誤りがある

279 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2021/07/28(水) 11:14:13.43 0
メイヤスーの議論は、最も強い相関主義の立場に立っても
そこから事実性の絶対性を認めざるを得ないというものだった
それは、潜在する何かを想定しないという立場をとっても、
まさにその立場から、事実性の絶対性が導かれてしまうということだったと思う