つまり、「わからない」というのは、人にフリーハンドを与える呪文じゃない
ということ
この「わからない」が明らかに、ポストモダンなどで、人にフリーハンドを
与えるための呪文として使用されてきた
しかし、実際には、この「わからない」は、ある種の絶対性を受け入れることに
他ならない
メイヤスーの仕事の本質は、まさにこの点を指摘したことということになる
その結果として、ヒューマニズムの限界が明らかになり、それに伴って
ポストヒューマニズムへの道筋が見えるようになってきた
この点こそが、メイヤスーの仕事の本質だろうと思う
したがって、思弁的実在論からポストヒューマニズムへの流れが意識される
ようになったということだろう